封印されしもの、その106~ヘカトンケイル⑩~
そしてアノーマリーとティタニアは、突然現れたアルフィリースの存在に驚いているようだった。彼らも戦いに没頭していたとはいえ、部屋の中に侵入してくる者に気づかぬほど完全に集中しきっていたわけでもない。だが、ティタニアはその視界にアルフィリースが入るまで、アノーマリーに至ってはその体にアルフィリースが降りてくるまでその存在に気付かなかったのである。
「え、アルフィリース??」
「アルフィリース? いや、ですがこれは――」
アノーマリーは思わぬ闖入者に驚いた様子だったが、ティタニアはそれ以上にアルフィリースの気配そのものが違うことに驚いていた。同時に、その身に纏う強者の気配。以前オーランゼブルや他の黒の魔術士と出会った時と比べ、今回の出会いでも随分と成長したと感じたが、それとは一線を画する何かを今のアルフィリースに感じていた。
そのアルフィリースの姿をした影は、二人に何かを言われる前に、すぐに行動を起こしていた。
「さて。念のため聞いておくが、今すぐお前たちはおとなしくこの地を去る気はあるか? この地を去り、二度と訪れないと言うのなら、あるいは見逃してやってもよいが。私も無駄な労力を使わずに済むしな」
「そうしたいのは山々だけどね。ここでティタニアを殺しておかないと、後が大変そうでねぇ」
「私も、ここでアノーマリーを見逃す理由がない」
「どうしてもか?」
影の声にはどことなく哀愁があった。それは戦うことを悲しんでいるのではなく、抵抗を続ける二人に対する憐れみにも見えた。一瞬二人は返答に困ったようだが、影の方が動き出しが早かった。むしろ、二人の返答などどうでもよかったのかもしれない。形式として聞いたのは、アルフィリースのやり方への配慮があったのか。
だが今度の影の声には、明確な歓喜があったのだ。
「しょうのない奴らだ。過剰な自信は身を滅ぼすと知るが良い」
「何を!」
「誰が過剰だと――」
「ティタニア、お前を今は見逃してやろう。だがアノーマリー、お前は死ね。恨みはないが、これも因果よ」
影は二人の言い分などもはや聞いてはいなかった。彼女はこうと決めたら最後、ただその通りに動くだけだ。彼女はずっとそうしてきた。そしてこれからもそうするだろう、ただ一つの例外を除いては。今はその例外さえも、楽しんでいるようだったが。
影がだん、とアノーマリーを踏みしめる。するとアノーマリーの下にある地面は急に熱を帯び、足を付けていられないほどの高温になった。影はティタニアの方を向いて、不敵に告げた。その髪はいつの間にか深青から真紅に染まっていた。
「この者は道化を気取ってはいるが、その実非常に強かだ。不定形の生命体に核となる部分があるのは常識だが、その核を多数に分割し、体の内部に巧妙に分散して隠している。当然、この場合は最もお前の攻撃の届きにくい、地面深くだ。
気付いたか? 壁と地面は一見同じように見えるが、地面はアノーマリーの体が変性して壁と似せたものだ。その下に、さらに本体が隠れている。地表のこいつは膜みたいなものだ。いくら攻撃してもきりがないさ。
だから、こうするのだ」
【火の精霊よ、地の底で煮えよ。茹でた窯の中で沸きて零れて、煉獄を再現せよ】
《獄上の窯》
影の詠唱に伴い、地面はその熱を一気に上げた。まるで煮え立つ窯の中に突如として放り出されたように、地面は熱を帯びた。ティタニアもあまりの熱に思わずアノーマリーの体の上に逃れたが、アノーマリーもそのティタニアや影を攻撃するどころではなかった。
「あちちちちち! 熱い!」
「なるほど。ですが、これからどうするのです?」
「熱を通した肉は調理してやらねば無作法というもの。そこで、こうする」
影は剣に風を纏わせ、アノーマリーを一気に突き刺した。肉を抉り突き抜けた剣は、その先に脈打つ肉を伴って引き抜かれた。アノーマリーの核の一つである。
「とまぁ、こんな具合だ。地表に上がってきた核は、容易に認識ができる。発破を水中に投げ入れて漁をするのと同じだな。調理法が串刺しというのはあまり手際がよいとはいえんが、まあ許せよ」
「なるほど。では私もご相伴にあずかるとしましょう」
ティタニアはアノーマリーの体を一つ剣の横腹で叩くと、その中の様子を反響で探る。そして核の位置を一斉に認識すると、両手の剣を一斉に唸らせその核を十個ほど一斉に切り出した。
「みじん切りとまではいきませんが、いかがか」
「叩きにして下ごしらえするあたり、見事な手前」
「あまり叩かぬのがコツですね。あまり叩くと、肉が躍り上がって喜んでしまうでしょう」
「ふふっ、ティタニアよ。中々おぬし面白いことを言うな。ひとつ競ってみるか、どちらが多くの核を切り出すか」
「いいでしょう」
女傑二人の会話を聞きながら、さしものアノーマリーも焦っていた。ここまであっさりと弱点が看破され、さらに対抗策まで準備されるとは思っていなかった。ティタニア一人なら倒せたかもしれない。だが、こうなってはここで戦うのは無意味だった。
肉の焼ける匂いが立ち込める中、アノーマリーが悲鳴に近い声でティタニアに向けて叫んだ。
「なんてことしやがる! 人のことを何だと思っているんだ!」
「それはそのまま返しましょう、アノーマリー。協力しておいてなんですが、貴様こそ人の命をなんだと思っているのですか。獣や家畜の肉を食らって生きる私とてきれいごとを言うつもりはありませんが、貴方はやりすぎだ。報いを受けるがいい」
「何を言ってんだ! そっちこそ、武器強奪のためには何人殺しても構わなかったくせに!」
「先を見据えた多少の犠牲です。貴方とは事情が違う」
「何を為政者のような言い訳を!」
「ああ、一ついいか?」
影が二人の会話に割って入る。同時にアノーマリーの顔の部分に掌をひた、と当て、一気にその肉を引き裂いていた。アノーマリーの絶叫が響き渡る。
「ひぎゃあああ! 痛い、すごく痛い!?」
「貴様のような責められて喜ぶ相手に使う、毒手だ。快楽物質を毒物と認識させる、な。あまりに見苦しいから一つ言わせてもらうが、悪なら悪らしく黙って死ね。善も悪も、その多寡を判じることほど愚かなものはない。それなら大地を駆け回る獣の方がよほどましというもの。純然たる闘争本能により戦うことは良いだろうが、殺しに理屈を求めるのは愚か者の所業よ。
ティタニアよ、これ以上醜態をさらすようなら私が貴様の腸ごと引き裂くぞ?」
「ぐ・・・」
ティタニアもさすがに引き下がらざるを得ず、ぐっとこらえて黙り込んだ。そして、叫ぶアノーマリーはそれとして、部屋の出口の一つで爆発が起きた。叫んでいたアノーマリーが突如正気に返り、今度は驚きに叫んでいた。
「なんで!?」
「ふふ、一見意味のない会話を仕掛けておいて、その隙に逃げようとしても無駄だ。この部屋を覆うように結界を張っておいた。もちろん地面の下もだ。ここから一定の距離に私の許可なく出た場合、無条件で爆発するような結界だ。体を粉みじんにしながら出る度胸があれば止めはしないが、お前の再生能力を考慮して張ってある。まず脱出は不可能だ。出たければ私とティタニアを倒していくことだな」
「おいおい。そんなこと言ったら、本当に殺しちゃうよ? もう黒の魔術士とは縁を切ったんだ。オーランゼブルの言うことなんて、聞く必要がないんだからね!」
怒りの表情に変わったアノーマリーの全体には、変化が起き始めていた。地面が隆起し、大小様々な大きさのアノーマリーが隆起し始める。その姿は鎧を伴っていたり、魔術士であったり、あるいは弓使い、鞭使い、六本の手を持っていたりと様々であった。
その姿を見て、影は少し感心したようにつぶやいた。
「なるほど。頭が50、手足も100以上などと節操のない化け物がいるはずもないと思っていたが、こういった形で再現してみせるとはな。醜悪な面構えだが、その想像力だけは褒めてやる」
「何を偉そうに! 僕の力を見せてや――」
「だがしかし、ちとむさくるしいな。数を減らすがよかろう」
影が両の掌を上向きに差出し握り込むと、アノーマリーの頭のいくつかが爆発四散した。影の髪色は、琥珀色へと変化している。
そしてティタニアの方を向くと、ニヤリと不敵な笑みを浮かべたのである。
「さて、楽しもうか。我々が持てる、唯一自由な時間かもしれんからな」
「・・・アルフィリース、いえ、貴女は一体――それも詮索してもしょうのないことですか。今は目の前に闘争に集中するとしましょうう」
「それがよい。純粋な闘争に興じることのできる時間というのは、非常に貴重だ。その価値は、後でわかる」
教官と呼ばれた影とティタニアの二人は、無数のアノーマリーが待ち受ける方へと突っ込んで行った。
続く
次回投稿は、7/25(土)16:00です。