封印されしもの、その105~ヘカトンケイル⑨~
「先を越されるとは、好奇心の強い獣人共だな。勇んで角を折るべへモスの子どものようにならねばよいが」
「勇んで角を――何?」
ヤオが振り向くと、そこにはアルフィリースがいた。いや、ヤオにしては見慣れぬアルフィリースであった。その髪は深青に染まり、纏う殺気もいつものアルフィリースのそれとは違う。アルフィリースは良く言えば無邪気、悪く言えば子供じみた殺気しか出さない。だが今のアルフィリースはヤオをして背筋を痺れさせるような、冷たい殺気を放っていた。なのに気配は限りなく零に等しい。ここまで接近されるまで気づかないとは、魔術を使ったとしてもヤオには驚異だった。
セイトもまた表情を硬直させていたが、それでもヤオよりはまだ冷静だったのか。豹変したアルフィリースを前にしても、冷静に問いかけるだけの余裕があった。
「随分と古い諺のようですね。今ではグルーザルドですらそんな物言いはしませんよ」
「そうか。かつて仲間だった獣人が使っていたのだがな、さすがに古かったか」
「なんという獣人です?」
「・・・ファリニシュだったかな? いつも、『おい、駄犬』としか呼んでいなかったからな。名はうろ覚えだ」
「ファリニシュ? それは――」
セイトが記憶の糸を辿り、確かゴーラ老がその名を口にしたことがあると思い出そうとしたが、それより先にアルフィリースとなった影がその思考を中断させた。
「下の戦い、どちらが優勢だ?」
「・・・おそらくはアノーマリーかと」
「ふむぅ、どれどれ」
影は下をのぞき込むと、しばし戦いの様子を眺めていた。ティタニアは呪印を四つまで解放し、獅子奮迅の活躍を見せていた。セカンドの能力を取り込んだアノーマリーは、四方八方から武器を体内で精製し、怪力でもって投げつける。一つ一つが一撃必殺の投擲となる攻撃を、ティタニアは全て避けていた。ルナティカやヤオも顔負けの速度で、大剣を二刀持ったまま雨のような投擲を躱している。地面は抉れ、時にアノーマリーは自分の体そのものを傷つけながら攻撃しているのだが、ティタニアには当たる気配すらない。
それだけではなく、ティタニアは毛先ほどの隙を突いて反撃を繰り出していた。呪印を解放した状態でのティタニアの攻撃は、剣圧だけで100歩先の鉄を両断できる。空気の刃となって襲い掛かるティタニアの攻撃は確かにアノーマリーに届いているのだが、アノーマリーの首が飛ぶたび、新たに次のアノーマリーが別の場所から生えてくる。それは一見すると、永遠に続く戦いであるようにも見えた。
だが影はその戦いを十秒ほども眺めると、あっさりと結末を見て取った。
「なるほど、お前の見立ては正しいだろう。このままいけば、アノーマリーが勝つな。ただし、ティタニアがなりふり構わず全力を出せば、その限りではなかろう。一見アノーマリーにダメージは無いように見えるが、少しずつ削られていることに違いはない」
「あの剣帝に、まだ力の続きがあると?」
「間違いなくある。あの女、もう一つ呪印を残している。計5つ、体に抱えるだけでも十分に化け物だが、余程の覚悟があるのだろう。だが5つ目は諸刃の剣だ。使うなら、自分も周囲もただでは済むまい。自分を含めた殲滅戦以外では使わんだろう。
対してアノーマリーは、あれは現状でもまだ余裕がある。天井にある目――巧妙に隠しているつもりだろうが、常にティタニアの挙動のみを追いかけている。おそらくはティタニアの攻撃の癖、調律、呼吸や間合いなどを冷静に見ているのだろう。中々どうして戦い慣れているじゃあないか。分析が済んだら、おそらくは一気に攻撃方法を変えてくるだろうな。それに魔術も使うだろう」
「魔術を?」
「驚くようなことじゃない、あの武器の複製自体が魔術だからな。それにあれだけの小流を内包していれば、自身の生命力を還元するだけでも相当な魔術が使えるだろうさ。奴の奇妙な言動や奇怪な姿に騙されている者も多いだろうが、奴は一流の頭脳を持ち、強靭な肉体を持った一流の魔術士だ――というのがアルフィリースの見解だ。私も同感だな。
さて、問題はどうやって倒すかだが・・・力づくというのも芸がないしな。あまり派手にやって生き埋めになったり、アルフィリースの体を壊してもいかん。これは中々難題だな――いや、こういった経験は久しぶりで新鮮と言うべきか。
それ以上に、私がアルフィリースの体をこういった形で使うとは思わなかったが。いや、もっとこう本来は憎しみの一つももって使用するはずだったのだが・・・時間の流れというものは不思議だな。数年が数百年にも匹敵するか。いや、それとも」
影がぶつぶつと勝手に何かを呟きながら、その視線がアノーマリーの体躯に向き、何かを目で追いかけた後、次に別の入り口に密かに控えているメイソンに向いた。そこではメイソンが結界でその存在を消しながら、誰かとやり取りしているようである。
そしてメイソンの狙いが何かを理解した影は、ニヤリとしてその場を立ったのだった。
「なるほど、面白いことを考える人間がいるようだな。最後の一手に何を用意しているかは気になるところだが、私も一つ便乗するとしようか」
「何をするつもりで?」
「ちょっと私も混ざってくる。あの二人の戦いにな」
「は!?」
セイトが止める暇もなく、影はその体を宙に躍らせていた。落下中に振り返りざま、影はセイトにはっきりと言った。
「案ずるな、お前達は度胸があるなら戦いを見届けるがよい。グルーザルドに持ち帰るだけの価値のある戦いを見ることになるだろうと、アルフィリースは告げているぞ」
「!?」
「ゆめ、アルフィリースを侮らぬことだセイトとやら。お前のことも、アルフィリースはなんとなく気付いているよ。
さて。この戦いの肝はアノーマリーを確実に殺し、ティタニアを殺さないことなのだが、それが一番難しい。いっそどっちも殺してしまってよいのなら、簡単なのだがな」
「何を――馬鹿な」
ヤオは何が起こっているのかよくわからない中、その言葉だけを必死に絞り出した。圧倒的な力で戦う怪物二人を前にして、どっちも殺すなどとわけのわけらぬことを言うと考えたのに。頭のどこかではそれは冗談でも何でもないと、不思議と理解しているのであった。
続く
次回投稿は、7/23(木)16:00です。