封印されしもの、その102~テトラポリシュカ⑳~
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テトラポリシュカは一人工房の中を彷徨うはめになっていた。無理矢理封印から目覚め、十分に休むことなく戦ったことで既に力は尽きかけており、さしも大魔王とまで呼ばれた彼女でも疲労からくるめまいを禁じ得なかった。
現状を考えればいち早くアルフィリースたちと合流することが最善だったが、結界の張り巡らされた工房の中ではアルフィリースたちの位置を探し当てることは容易ではなく、またがむしゃらに探すだけの体力はもうなかった。
テトラポリシュカはぐらりと大きく体が揺らぐの感じると、さすがに一度腰を下ろして休憩することとした。食べ物も飲み物もない状態では体力の回復もさして見込めなかったが、それでもこれ以上連続しての活動は不可能だった。
「ウィクトリエは無事だろうな。見た目よりも短気な娘だからな・・・そろそろ正体がばれるころか。あのアルフィリースという娘ならば受け入れてくれるだろうが」
アルフィリースと少し話した印象では、非常に柔軟な思考をしており、差別や偏見を持っているようには見えず、ウィクトリエの正体がばれようとも悪いようにはならない気がした。何より非常に興味深い娘である。
彼女自身が気づいていないのかもしれないが、周囲を飛び回る有象無象の精霊たちと、とても相性が良いように見えた。ただ、アルフィリースの方はそれらに精霊を使役しようともしていない。本人が気づいていないだけか、あるいはわざとそうしているのか。まだあの短時間ではそこまで読み取れなかった。
「ああいうのは何と言うのだろうな・・・無欲ゆえに精霊に愛されているというのだろうか。天運がある相だ。占い師ではないが、このくらいの窮地では死にもしないだろうさ。私とは違うな」
テトラポリシュカはふっと昔を思い出した。多目天は種族として非常に強力で幼くして魔術を使用する者も多かったが、特に自分は精霊と相性が良かった。子供の頃から高度な魔術を使いこなし、よく年長者を驚かせた。
成長した彼女は、集落で一番の強者となった。安定や平和といった言葉が程遠い時代のこと、強い者が一族を率いるのは必然であり、テトラポリシュカは歴代でも最も年若い族長の一人となった。年長者の中には反対する者もいたが、若く美しい族長の誕生を最終的に止めるだけの力は持っていなかった。
そうしてテトラポリシュカは集落の者を率いて戦乱の只中へと身を投じた。彼女の力を信じる者と共に戦い、何度も勝利を繰り返し、そしてそのたびに勇敢な戦士を失った。夢中で駆け抜けた日々は、振り返れば屍の山を築いただけだった。彼女が率いた集落の者は、いつの間にか一人もいなくなっていた。
一人残されたテトラポリシュカは旅に出た。なぜこうなったのかという疑問は、自分の力の至らなさという結論にたどり着き、彼女は旅の中で自分より強い者を探しては戦いを挑んだ。その中で聞いた、絶対強者の集団。『風の放浪者』と呼ばれた十人前後の集団は、戦って敵なしと言われたが、噂に過ぎないともされていた。だが事実テトラポリシュカは彼らと出会い、そして彼らを率いる『教官』に出会った。
そこからの日々はまた矢のように過ぎ去っていった。流れた水は跡を残すが、さすらう風は何も残さない。まさに彼らはそういう者の集まりであり、戦うために戦い、そして気が付けばまたテトラポリシュカは一人だった。彼らと過ごした日々は幻のようでいて、彼らには結局一度も勝てないままだったが、テトラポリシュカには以前とは段違いの強い力がしっかりと残されていた。
テトラポリシュカは再度多目天の仲間の元に戻った。あの悲劇を繰り返さないために、以前とは桁違いに強くなった自分ならきっとうまくやれると信じて。そして大魔王とまで呼ばれるようになり、また同じ過ちを繰り返すことになるのは、ここから十数年先のことである。
「そう。本当に必要なものは力ではない。力がなくては生きていけなかった。だが最後に振りかざして良いのは力ではない。私はそのことを人間に教えられた。
旦那殿、お慕いしています。出会った時からずっと。ここから生き延びて、きっとあなたの元へ帰りますとも」
テトラポリシュカの目の前には、悪霊に憑依された氷竜の長がいた。否、今やその体はマンイーターがのっとっている。その口には、ユキオオカミの体躯が咥えられていた。
「つまんない。どれもこれも、食いでがない。ちょこまか逃げてばっかり。逃げるしか能がないなら、今すぐ死んで私に食われて」
「くそっ、ほとんどやられた!」
「このまま食われるわけにはいかんが、だがしかし――ん?」
交戦していたオロロンとヴィターラが、テトラポリシュカの存在に気付いた。元々この大地では対等な関係を築いた彼らだが、テトラポリシュカの力が抜きんでていることは事実として知っていた。だがテトラポリシュカは力をひけらかしはしなかったし、幻獣たちもまたあえてそのことを口に出しもしなかった。幻獣たちにも、この大地を守ってきた自負があったから。
だがもはや背に腹には変えられなかった。窮地にあって、幻獣たちの期待の視線がテトラポリシュカに集められる。テトラポリシュカは動くはずのない体をなんとか引き起こし、立ち上がっていた。
「ああ――期待されるのは久しぶりだな。悪くはないし嫌いでもないが――」
脳裏によぎるのは夫と娘の顔。若い頃のテトラポリシュカなら歓こび勇んで戦いに赴いたろうが、だがしかし。
結界がどうやらいつの間にか解けている。アルフィリース達の意場所も今ならわかるのに、この間の悪さはなんだろうと思うのだ。
「結局のところ、悪徳はこの場に集結するのか。目覚める時からなんとなくそんな予感はしていたがな――最後の魔眼の使うことになるとは、まさに命がけだな」
テトラポリシュカの口元には自然と笑みがこぼれていた。ほぼ自嘲にも似た笑いだったが、心のどこかで窮地を楽しむ自分がいることに、どうしようもない自分を見出していた。
続く
次回投稿は、7/17(金)17:00です。