封印されしもの、その94~魔王の棲家⑪~
その起動のための時間は十分に稼いだ。使い方次第では一国を滅ぼすほどの戦力となった魔王たちを使い潰したのも、このためだ。自らが死んでしまっては、何もならないのだと、アノーマリーの決断は早かった。
一本一本つないでいた管がはずれ、培養液の排出が終わると、アイガオーンがゆっくりと動き出した。まだ知性の最終調整は終わっていないが、まずはこの工房にいる自分たち以外の全てを抹殺するまで止まるなと命じてある。その後のことは、敵がいなくなった後に調整すればいい。少なくとも、ティタニアと互角程度の戦いができればよいと踏んでいるのが。
アノーマリーは工房に張り巡らせたセカンドから、情報を絶え間なく得ていた。不確定要素の多いアルフィリースたちは念のため交渉をしてみたが、テトラポリシュカさえ無事なら撤退するだろうことはわかった。先ほどセカンドがテトラポリシュカを殺してしまわなかったのは、幸いだったかもしれない。
どのみちこのノースシールにある工房は廃棄するつもりだったし、テトラポリシュカとも争う理由はないのだから。アルネリアもメイソン一人だけを送り込んでくるあたり、ここでは本気でことを構えるつもりはないと考えられる。と、なれば当面の敵はティタニアただ一人。
アノーマリーはほぼ勝利を確信した。少なくとも、逃げ切ることは可能である。丁度その時、アイガオーンは最も近くにいた敵を認識したのか、天井を見上げていた。そこにテトラスティンの使い魔からの連絡がきた。
「ティタニア相手に時間稼ぎをしているが、そろそろ限界だな。これ以上足止めするなら、工房を破壊することになるが、そちらの準備はどうか」
「いや、もう終わったよ。撤退してくれて結構だ。ここまでの律儀な協力に感謝する。本当に足止めをしてくれるとは思わなかったからね」
「魔術士として契約を交わしたからな。それなりにこちらも対価を得ている。良好な関係であったと思う。健闘を祈る」
「ふん、本心にもないことを。男に健闘を祈られても嬉しくないね」
「ではリシーということにしておくか」
「ならいただこう。死ね、の方がいっそ嬉しいけどね」
「余裕はまだあるようだな。生きていたら――会いたくはないな」
「互いにね」
アノーマリーはにたりと不敵に笑ったが、テトラスティンもこの場にいたら同じ表情をしただろうと思う。互いに何の信頼もない同盟だったが、まあ世の倫理に反する者同士共感できることもあったし、このようなものだろうとアノーマリーもテトラスティンも割り切っていた。
今後テトラスティンがどうするかはふとアノーマリーも気になったが、この場でアノーマリーに協力してしまった以上、もう黒の魔術士に取り入ることは無理だろうと考えられる。テトラスティンの目的はアノーマリーにはいまいち知ることができなかったが、ひょっとすると、もう黒の魔術士の知識は必要ないのかもしれないと考えられた。
「(裏でこそこそと動き回っていたみたいだからね。これからもそうするだろうけど、彼の情報収集能力には目を見張るものがあった。使用している魔術の形態が現代のものとは少し違うことはなんとなくわかったけど、もうボクたちのことは調べ終わったのかもね。そうなると全員の弱点も把握されたかもしれないけど・・・まあ関係ないか。オーランゼブルはテトラスティンのことをどう思っていただろう。それとも、それすら興味がなかったかな。オーランゼブルはどう考えても正気とは思えないしね。ボクが言うのもなんですけども!)」
アノーマリーは物思いにふけっていた。アイガオーンが起動したことでほっと一安心したのかもしれないが、数日ぶりに気が緩んだのは事実だった。だが、それが致命的になるとは、さすがに考えていなかった。
アノーマリーは背後から突き抜ける痛みを感じた。体を貫くのは、槍である。心臓のすぐ下を突き破った槍はアノーマリーの体から力を奪い、彼は意識することなくふらついて目の前の手すりに思わず縋りついていた。膝をつくことは、彼の誇りが許さなかった。
だがわけがわからない。ここには敵はいないはず、そもそも自分は体を貫ぬかれたくらいで、ここまで動けなくなることはないはずなのに――アノーマリーは思わず後方を見た。やった相手はわかっているが、さすがに信じられなかったのだ。
「な・・・セカンド、か?」
「そうです、父上。油断されましたね。知恵、愛、欲望を貫く三又の槍の一つ、特に知恵を貫く一槍です。膂力で私に劣る父上には抜けませんし、考える気力を奪うでしょう。思考を主とする父上には、致命的なはずです」
ティランの無機質な目がアノーマリーを見下ろしていた。明確な自我を持つクベレーとは違い、その目には命令された行為をただ繰り返すだけの何の感情も読み取れない無機質な光しか浮かんでない。
アノーマリーがよく見れば、周囲の分身たちも転移をする時間すらなく、セカンドによって次々と捕獲されているところであった。部屋自体がセカンドの体で構成されているため、予め地面に転移の起動式を書き込んでおくことも役に立たない。アノーマリーが何かを言う前に、セカンドが自ら話し始めた。
「『あの人』の言った通りだ。万能の父上にも、必ず隙ができる時がある。それはおそらく、切り札を切った時だと。やはりアイガオーンがそうだったんですね」
「あの人・・・? 誰だ、それは。それにお前はボクに逆らえないはずじゃ・・・」
「逆らってはいません、すべては父上のため。工房に押し寄せる強敵は、このセカンドの
計算では間違いなく父上の負けです。アイガオーンも勝てないでしょう。セカンドが孵化しても果たしてどうなるか・・・ならばセカンドは、より確実に勝てる方法を提案します。これもまた、父上のため。友人たるあの人の助言です。そのためにこの槍もいただきましたし」
「あ・・・」
アノーマリーは思考を奪われる中で悟った。確かにセカンドは自分を裏切ってはいない。むしろ、その存在意義に則って、確実な方法を選択したと言える。それは、孵化のために取り込む素体として、自分自身を選択すること。確かに、上にいる幻獣を取り込むよりははるかに完成率は高いだろう。
だがそこには肝心のことが考慮されていない。アノーマリーが現在の姿を保ったままの生存。アノーマリーはこの工房を放棄するつもりだった。最悪、自分さえ生き延びていればどこかに自分で工房を準備することができる。時間はかかるが、セカンドやクベレーはまた作ることができる。どうせ自分の寿命は長い。ひとしきり自分のことを知っている者が死に絶えてから、再度行動を開始すればいいのだ。
だがもしセカンドに取り込まれれば、再起は叶わない。セカンドにはそんな思考はないわけだし、この工房と自分の生存を最優先に考えたのだ。慌ただしくしていたせいでそんな命令を書き換える時間はアノーマリーにもなかったわけだが、そもそもアノーマリーにとってセカンドとは消耗品に過ぎず、まさかこんな行動に出るとは思っていなかった。それにしても誰がそんな武器を与えたのか。アノーマリーやティタニアが収集した武器の品目には、自分に対して危険な効果を持つものは入っていなかったはずである。それにあまりにも間が良すぎるし、『あの人』とは――
想像はついていた。だがその思考を終える前に、セカンドはいち早く行動に入っていた。無駄な行動をしないように作成された個体である。アノーマリーに余計な思索の暇などは与えてくれず、アノーマリーの目の前には、アノーマリーを丸呑みにできるように開かれた大きな口が開かれていた。
続く
次回投稿は、7/1(水)18:00です。