封印されしもの、その92~戦士の覚醒⑩~
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「・・・はっ!」
レイヤーが覚醒すると、それは意識が暗転した時とほとんど変わりがない瞬間だった。ケルスーは変わらず、レイヤーに憎悪とも歓喜ともつかない感情を向けている。ただ、レイヤーの内面は既に変わっていた。
「ははは! 死ね、小僧!」
先ほどまでは目で追うことすら困難であったケルスーの攻撃。だがレイヤーはこの時初めて気付いた。追うのが困難なのではない、全て目で追おうとしているからできなかったのだと。
ケルスーの攻撃が本能なのか意図的なのかはわからない。だがケルスーの攻撃には無数の囮動作が入っている。レイヤーはそれら全てを目で追おうとしてしまったため、ケルスーの攻撃についていくことができなかったのだ。
レイヤーは考え方を反転した。全てに反応するのではなく、もっと単純に近づくものだけを撃ち落とす。レイヤーは自分の反応速度と剣技を考慮し、自分を中心とした球体を想像した。この中に入った攻撃だけを撃ち落とせばよいと。自分にはそれくらいしかできないと思ったのだが、奇しくもそれは、剣の達人が自分の間合いを完璧に把握する時に使う方法だった。
レイヤーを中心に、一定の距離で火花が舞い始めた。あまりに間断なく弾き返すためほとんど一つの音のように聞こえる攻防は、まずケルスーが目を丸くして驚いていた。
「小僧! 生意気だぞ!」
ケルスーが体の節を広げ、まるで独楽のように回転を始めていた。威力と攻撃速度の両方が跳ね上がるが、レイヤーはそれすらも完璧に捌く。だが、ケルスーの狙いはレイヤーの剣の消耗だった。これだけの重い攻撃を、剣一本で捌けるはずがないと。
確かに、百合を超えたあたりから剣は軋み、二百合を待たずして剣は折れた。だがシェンペェスは再生する。それも一瞬で、より強力に。ケルスーが怒りとも驚愕ともつかない声を発した。
「なんだその剣は! 反則だろうが!」
「さあ、なんだろうね? それに今更ずるいなんて言いっこなしだ。死んでから生き返るそっちの方が、よっぽどずるい」
軽口の叩き合いとは裏腹に、彼らの間に展開される剣戟はさらに激しさを増していた。シェンペェスは折れるたびに再生されたが、レイヤーもまたそれ以上踏み込めずにいた。いや、踏み込まずにいた。
この攻撃を徐々に捌ききって踏み込むことは可能である。だがそれは薄氷を踏むごとき行程。そして細い隙間道を縫うがごとき綱渡りだった。
以前のレイヤーならその方法を選択しただろう。だが今は別の戦い方を知っている。レイヤーは何点かに集中し、丁寧にその過程を積み上げていた。
そして打ち合うことシェンペェスが十度は再生しただろうか。変化は起こった。突如としてケルスーの腕の一つが叩き斬られたのだ。
「何っ!?」
ケルスーが驚く間にも、他の腕が一本、二本と落ちる。高速で繰り出された攻撃は急にはその回転を止めることができない。そしてその隙を縫ってレイヤーが一息に飛び込み、『ヴォルスの牙』で胴体を攻撃した。シェンペェスよりもヴォルスの牙の方が鋭いのか、一撃でその体にはわずかながら刃が通っていた。
そして一撃入れると同時にレイヤーは飛びずさって距離を取る。追い打ちが来るとばかり思っていたケルスーは腕を高速で再生させて待っていたが、拍子抜けしたようだった。
「もう終わりか?」
「ああ」
レイヤーは剣を既に収めていた。ケルスーはなぜかその様子を殺気のない目で見つめ、レイヤーに問いかけていた。
「一つ教えろ。どうやって俺を斬った。硬度はその剣よりも俺の方がだいぶ上だったはずだ」
「その通りだね。だから寸分違わず同じ場所に打ち込み続けた。それだけだよ」
「寸分違わず、同じところに。この戦いの中でか」
「そうだね。人よりも目はいいんだ。ただ、さっきまではその発想がなかっただけ」
「戦いの中で思いついたとでも言うのか」
ケルスーがシェンペェスの特性――レイヤーにその経験を伝えるということに気付いたわけではないのだが、ケルスーはどこか愉快そうだった。語る声は少年のようでもある。まるで輝く宝石を発見したとでも言うように、その声は浮ついていた。
「大したものだ。俺とはものが違うな」
「そうでもないよ。ただ僕は運が良かった」
「では俺は運がなかったと?」
「そうかもしれないし、そうではないかもしれない。もし二人で協力されていたら、こんなに早くは終わらなかった」
「そうだな。だが済んだことだ」
ケルスーの腕がだらりと探し、その体は内部から凍てつき始めていた。ヴォルスの牙の特性――魔剣として覚醒したヴォルスの牙は斬った相手を凍てつかせるのである。剣の声を聞くことのできるレイヤーは、ヴォルスの牙の声も聞くことができていた。
ケルスーは舌がもう上手く動かないのか、声もかすれてきていた。だがもう反撃する気はないらしい。
「一つ教えてくれ、ガキ・・・俺は、俺たちは――どう生きればよかったと思う?」
「さあ? 僕にわかるわけないし、そんなの自分で決めてくれよ。それに死ぬその瞬間まで、そんなことはわからないんじゃないのか。だからみんな必死で生きているんだ。あなたの人生は、そんなに後悔ばかりだったの?」
「後悔――」
ケルスーは思い出した。ボートは確かに鈍重だった。子どものころから何度となく迷惑をかけられたかわからない。だがある日、森の奥で一人倒木の下敷きになった後、ケルスーは脱出することができずに一人取り残される羽目になった。その森は魔獣も出現し、一人で森の中で夜を過ごすことはもっての他だった。ケルスーは何とかしようと試みたが、子供一人でどうにかなる状況ではなかった。
ケルスーは死を覚悟した。村の住人は、年に何人も森の中で魔獣や魔物に襲われて命を落とす。だがその時ボートだけが森の奥までケルスーを助けにきた。魔獣に襲われたか枝で傷ついたか、体は小さな傷まみれだったが、ボートは情けない声を上げながらも倒木をその怪力で持ち上げ、ケルスーを抱えて森を脱出したのである。
あの時は、本当に弟の存在が嬉しかった。鈍重だろうと愚図と呼ばれようと、自分だけは弟の味方でいようと思ったのだ。
ケルスーの顔に満足そうな笑みが浮かんだ。
「いや――そう悪くも、なかった」
「ならいいじゃないか。笑顔で死ねる奴なんて、僕たちの界隈にはそういないだろう」
「確かに、な――そう、か――これで、よかっ、たの、か――ボート――さっきはすまな――」
ケルスーは満足そうな顔のまま凍り付き、そして砕けて散った。レイヤーはその散り際を見て、何を思うのか。シェンペェスが問いかけていた。
続く
次回投稿は6/26(土)18:00です。