封印されしもの、その86~闇に沈む③~
ドゥームは心底良い考えを思いついたとでも言わんばかりの笑顔をピートフロートに向けた。その笑顔はドゥームの心からの笑顔で、そして屈託なく、最高に――最高に残酷だった。
対して、ピートフロートは恐怖を覚えながらも、思わず理論的にその考えを否定しようとした。
「馬鹿な、何を言っている。まさか上位精霊である私を悪霊と同列に考えていないか? 確かに悪霊も自然の一部ではあるが、自我を持たない彼らと私では用量がまるで違う。取り込もうとすれば、互いに主導権を奪い合い――いや、お前がやや不利だとは思うが、容量が限界を超えて破裂しかねない。破滅だぞ」
「確かに賭けだね。だけど、僕も5000体の悪霊を統べる者だ。しかもまだまだ部下は増殖中でね。5000体の悪霊を取り込めるなら、君一人取り込めなくはないと思わないか? それに、あまり悪霊ばかりを従えるのにも限界を感じていてね。そろそろ僕も次の段階に進みたいと思っていたところなんだ。どう? 一口乗ってくれない?」
にこにこと微笑むドゥームを前に、ピートフロートは選択肢が既にないことを知った。取り込まれればどのような形になるのかはわからないが、おそらくは今までのような存在ではいられなくなるだろう。だがこの状況では考えてもしょうのないことではある。
ふとピートフロートの脳裏には過去の様々光景がよみがえった。ある夜、ふと夜の中で一人この世界の成り立ちに思いを巡らし、いつ問いかけても答えの同じ自然の囁きに飽いて人里や竜の巣に訪れた日々のこと。気付けば上位精霊として昇格し、人に幻身して人の世界に溶け込み、恋愛の真似事をしたこもある。
魔物と会話するうち彼らに親しまれ、そして魔王などと呼ばれるようになったこと。悪行が過ぎたか、討伐対象になり逃げ回る中でノーティスに拾われたことも。どの時期にも共通したことは、どのような変遷を経ても、ピートフロートは誰かを恨んだことはない。その分、いろんな人間には恨まれもしたが、ピートフロートはそれも一つの結末として割り切っていた。だが、テトラポリシュカにはさすがに悪いことをしたかと思っている。それも優先順位的にはしょうのないことと考えたが、そのような発想自体が精霊じみていると、ピートフロートは内心は今はっきりとわかっていた。
「(あ、これが走馬灯ってやつかな? いやぁ、精霊にもこんなものがあるんだなぁ。でも、総じて悪い人生ではなかった。この後の世界について色々と知りたいこともあったけど、それはまぁドゥームの中でも模索はできるかもしれないけど、ノーティス様には不義理かもしれないな。でもこき使われたし、おあいこだよね?
私にとって大陸の平和や覇権、あるいは誰が死のうがどうしようが知ったことではないけれど、大陸そのものの行く末と、アルフィリースのことは気になるかなぁ。そう考えると、私も自我を持っているつもりで、精霊の考え方の枠を出ていなかったということか。彼女の出現を待つためにここまで生きながらえたのかもしれないが、もっとアルフィリースには教えたいことがあったなぁ。私の予想が正しければ、アルフィリースは・・・)」
ピートフロートの思考は一瞬の間にも駆け巡ったが、ドゥームがそんなことを待つはずもない。ピートフロートの思考は駆け巡る途中に崩落に会ったかのごとく断絶され、後には皮肉にも、闇にも似た深い静寂が待っていた。
***
「ドゥーム、ごめんなさい。さっきのアルネリアの男は逃がしたわ。残念だけどどこに行ったのかまるでわからない。工房の中にはいると思うのだけど、どこにいるのかさっぱり・・・捨ておいてもいいのかしら。あら、ドゥーム?」
オシリアはドゥームがしゃがんで何かの作業に没頭していると思っていたのだが、どうやら様子がおかしかった。ドゥームの顔を覗き込むと、そこにはオシリアが普段見ることのないドゥームの表情があった。のぞき込み、オシリアは思わずびくりとその体を固めてしまう。
ドゥームの目が闇のように黒く澱み、その表情はニタリと歪んだまま止まっていたのだ。オシリアは酔狂でドゥームに付き添っているのではない。自我を持つ悪霊といえど、その基本概念は妄執で構成されており、格上の悪霊以外には従えられないのが悪霊の絶対的な掟である。オシリアが従うからにはドゥームは絶対的に格上だと認めているのであり、その存在を恐れている。ただ普段は道化者のように振る舞うため、思わずそのことを忘れてしまいそうになるだけである。
オシリアがしばしそのまま恐怖で動けないでいると、ドゥームの表情が徐々に元へ戻ってくる。そして元の少年の表情に戻るとドゥームはふぅと一息つき、同時に大量の汗をかいていた。オシリアがおそるおそる声をかけた。
「ドゥーム、大丈夫?」
「ん? ああ心配をかけたみたいだね。どうやら大丈夫だよ。どのくらい時間が経った?」
「四半刻も経っていないはずよ」
「そうか。一年くらいは戦っていた感触だけどね」
「何をしていたの?」
「あとで語るよ。まずは水が欲しいね」
オシリアには当然そんなものの持ち合わせはない。水など活動に必要ないからだ。だがしょうがないので、大気中の水を魔術で氷結させ氷の棒を作ると、ドゥームの口に突っ込んでみた。
「ひゃどくにゃい?(ひどくない?)」
「先を尖らせなかっただけでも気を遣ったと思って」
「ひょうか(そうか)」
ドゥームは氷の棒を舐めながら、口の渇きをいやすことにした。この棒を気に入らないからと捨てようものなら、後がひどいことになる。だがオシリアの心配は別にあったようだ。
「何があったの? 先ほどまでのあなたとは別人のようだわ」
「へえ、どの辺が?」
「そうね・・・眼差しが知性的になったわ」
「おいおい、ボクは馬鹿だと思われていたのかい?」
「違うの?」
「ひどいな」
ドゥームは苦笑いをしたが、そのような表情が大人びており、先ほどまでと違っていた。何が起こったかは、オシリアにもなんとなく想像がついていた。インソムニアとマンイーターのように、誰かを中に取り込んだのに違いない。悪霊にとっても、何かを中に取り込むのは存在意義を賭けての行いになる。妄執が消えるようなことがあれば、そもそも存在ができなくなるからだ。
ドゥームの妄執の深さを知っているオシリアとしては早々ドゥームが消えはしないことはわかっていたが、それでも行動規範が変わる可能性はある。オシリアの心配はそこであった。
「この後の手順に変わりはないのかしら?」
「もちろんだよ。むしろ先ほどまでよりも確実にことは行えるだろう。アノーマリーのやつ、僕のことは完全には信頼していなかったんだろうな。工房の各所に悪霊払いの仕掛けや魔術を施している。おかげで潜入することが非常に難しく、肝心の部分の様子がわからなかったんだ。
だけどさっき上位精霊を中に取り込むことで、僕は悪霊でありながら精霊との交渉も可能になった。君に近い、いや、より上の力かな。を、手に入れることに成功した。精霊の力を行使すれば、より詳細なことがわかるようになる。世界の全てを盗み聞きするような気分だね。これは病みつきになりそうだ。
おかげさまで一番の好機を狙うことができるよ。僕たちはしばらくここで待機だ。この辺はあまり使用されていない区画だから、誰もこないだろう。さっきのメイソンも放っておいていい。奴は僕たちを狙っているわけではなさそうだからね。こっちから仕掛けなければ、もう何もしてこないさ」
そう言ってオシリアの膝の上に寝転んだドゥームを見て、オシリアは一つドゥームが重要な過程を踏んだことに気付いた。誰にも知られず、ひっそりと力を蓄え――そして、ドゥームは欲望のままに暗躍を続けるのだろうことがはっきりと実感できたのである。
そしてこのままいけば、自分の妄執であるオーランゼブルとアルフィリース、そして歪んだ世界と運命の全てに復讐できると、オシリアは確信していた。
続く
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