封印されしもの、その85~闇に沈む②~
「どうしたのさ、この手傷は。君がこんなになるなんて、らしくないね」
「全くの失策さ。いや、確かに分が良いとは言えない賭けだったが。ティタニアにやられたよ。彼女はオーランゼブルの精神束縛から解き放たれた。その結果がこれだ。結界を解いて脱出するのが半瞬遅れてたら、上半身と下半身が泣き別れるところだった」
「意外とキレた女だったの?」
「それはそうだろう、お前たちとつるむくらいだからな。美人にはそもそも棘が多い。彼女の場合はそれが鋭すぎたというわけだ。剣帝ってのはそういうことか?」
ピートフロートの言葉にドゥームがくすりと笑った。軽口を言い合うのはこれが初めてだったかもしれないが、軽口の相性が良いのはなんとなくすぐわかった。
ピートフロートは瓶の中で体を起こしながら尋ねた。
「お前が運んでくれたのかい?」
「まぁね。見つけたのは完全に偶然だったけど、放っておくのもどうかと思って」
「ティタニアは近くにいなかったのか」
「いや? 君一人だった」
「では彼女とは別のところに出たのか。運が良いのか悪いのか。あのままだったら確実に殺されていただろうからね」
「なんで殺されそうになったの? なんとなく想像はつくけど」
「当ててみるといい」
ドゥームはしばし考えたが、既にティタニアの経歴はおおよそのことをドゥームも知っている。動機くらいは想像がついていた。
「ティタニアの精神束縛が解けたらどうなるか・・・そうだね、おそらくは魔王を狩るために再度動き出すだろうね。大戦期、多くの魔王は人間が狩ったことになっているけど、その実最も多く魔王を排除したのはティタニア個人なんだろ? あるいは魔王どうしの同士討ちで死んでいったはずだ。人間の歴史に残る魔王の記録なんて、ほんの氷山の一角。人間が勝者になったのは単なるおこぼれ頂戴だよ。君が元魔王だったから狙われたってところかな。
大魔王ってのは、人間の版図が拡大された後に最後まで抵抗した連中のことであって、実力順に上位の六人というわけではないはずだ。この大陸にはもっと恐ろしい連中がいたはずだし、今もなお眠り続けている連中はいるはずだ。たとえば僕が知っているだけでも、草原竜イグナージなんて化け物が眠っているしね。キミだったら、他にも色々と知っていそうだけども」
「まあ、そうだね。長いことだけは生きているから」
ピートフロートはドゥームの仮説が実に正確なことに驚いたが、長く話すのがつらかったため満足に返事ができなかった。腹の傷は修復を試みているが、中々うまくいかない。この大地にも闇の精霊の力は存在しているが、上手く集まらないことをピートフロートは感じていた。原因はすぐにわかった。自分が閉じ込められているこの瓶に、魔術の収束を妨害するような付加効果があるのだ。
ピートフロートは少し不安になった。傷が塞がらなければ、このまま衰弱する可能性もある。上位精霊となった自分にとって死はさして恐れるものでもない。死ねばその体は自然に還り、大地や風に浸透してこの星に巡るだろう。それは妖精として生まれた自分にとっては至極当然のことであり、還るべき場所とも言えた。
だがまだ見てみたいものがこの世に沢山あることが、ピートフロートの未練である。
「なあ、ドゥーム。そろそろここから出してくれないか。傷の修復をしないと、体が弱る一方だ。いくら上位精霊といえど、あまりよくない流れだ」
「そうだね。じゃああと一つだけ答えてよ。君は情報屋として、あらゆる組織――オーランゼブルもそうだし、西のオリュンパスや東の浄儀白楽とも連絡を取っていたね? そのことに間違いはない?」
「・・・そうだ。私の役目は『知る』こと。あらゆる情報を知り、それを主たるノーティス様に知らせる。そのためには手段を選ばない。だから君とも個人的に何度かやり取りしたね」
「なるほど。君みたいな奴のこと、なんて言うんだっけ・・・二重スパイ? あれ、二重どころじゃないから・・・コウモリ野郎? これも違うか」
「おい、あまり私を馬鹿にするようなことは――」
「じゃああと一つだけ教えて! それほどの情報通になるには単に人から情報を得るだけじゃ無理だと思うけど、どうやったの? 情報は武器だからね、これからの参考にさせてください!」
完全にドゥームの会話の流れに乗せられていることがわかりながら、ため息まじりにピートフロートは答えた。普段ならもうちょっともったいぶるが、そんな余裕はなかったのだ。
「・・・簡単だ。上位精霊ともなれば各地の闇の精霊や、有象無象を従えることができる。彼らからの情報を整理すれば、人よりも知れることは非常に多い。ただ情報として非常に抽象的であることも多いから、人によって具体的に言葉としてまとめてもらうことが必要になることも多いのさ」
「だから人とも話し合う場を持ったのか・・・それ、僕もできる?」
「お前は悪霊だろう? 精霊とは敵対する位置にあるから、精霊は誰も話してはくれないだろう。それに悪霊どもは自分の妄念しか話さないから、情報源としても信憑性は薄れるだろうね。だから記憶の杖なんていう非効率な遺物が役に立つんじゃないか」
「・・・なるほど、情報源としての信頼性は一番だと思っていたけど、非効率で少々面倒だったんだよね。そうか、直接精霊から聞き出せばもっと能率よく情報が得られるのか」
「だからお前には無理だ。それより早くここから――」
出せと言おうとして、ピートフロートはドゥームの目を正面からはっきり見てしまった。上位精霊であるピートフロートに、ドゥームの『狂化』の魔眼は通用しない。だがピートフロートはもっと恐ろしいものを正面から見てしまったのだ。想像するよりもはるかに、ドゥームの目には底知れぬ闇が潜んでいた。それはいまだピートフロートですら見たことがない暗く深い闇。これほど軽妙な口調を持つ者が持ってよいものではなかった。むしろこれだけの闇を内包すれば、自我そのものを保つことすら難しかろう。
ピートフロートは悟った。普段の態度は、この者が真の姿を隠すための演技なのではないかと。底知れぬ何かが、彼の中で渦巻いているのではないかと思ったのだ。
「ドゥーム、お前は――」
「ねえ、ピート。僕はよいことを思いついたよ。君さ、僕の一部になるといいよ」
続く
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