封印されしもの、その77~テトラポリシュカ⑲~
「・・・・・・は?」
アノーマリーの言葉の意味が、テトラポリシュカにはわからなかった。セカンドの子ども? いや、自分は結婚しているからそれは不貞に当たる。そもそも、どのような生命とも知れぬものと婚姻ができるわけ――などという訳の分からない考えが頭の中をぐるぐると回ったが、それらは全て無駄な思考であるとはっと気づいた。
そしてアノーマリーを非難した。だが、その声には思ったよりも力がなく、動揺が隠しきれていなかった。
「何を、何をふざけたことを言っている? そ、そんなことが許されるわけないだろう!」
「おや、そのあわてぶり。キミって意外とウブなんだね。ひょっとして、旦那殿以外には男を知らないのかな?」
「そ、そういうわけではないが――いや、関係ないだろうそれは! ・・・ちょっと待て、どうして貴様は旦那殿のことを知っている?」
「知っているさ、そりゃあね。だって、ここに住んでいるんだよ? 住居を構える土地のことを下調べしないわけはないだろう。ここの一番強い生き物、勢力図。全部知ったうえでここに工房を構えた。もちろん、キミのことも随分と前から知っていた。もちろん対策、弱点も全て練ってある。それに氷漬けだったから、あえて手を出さなかっただけさ。
だが色々と馴れ初めは調べたよ。旦那殿は怪我してここに流れ着いたキミを解放した薬師で、それがきかっけでキミと結ばれた。そしてウィクトリエという娘をもうけ、自分という存在を気取られぬために、その存在が忘れられるまで定期的に氷の中で過ごすことにした。それが親友だった、初代氷原の魔女と呼ばれた魔女との約束だ。ここまでは合っているかな?」
テトラポリシュカは恐れを知らぬわけではない。だが、そういった感情とはもう随分と無縁になったと思っていた。今、その感情を思い出す。人の心の底からくる震え。そう、これが恐怖だ。
なぜアノーマリーがここまで知っているのか、という疑問があった。だがそれよりも、全てを知ったうえでこの男が『無関心だった』という事実が恐ろしかった。大魔王というのは、かつて人やその他の種族が躍起になって倒そうとした。それは、紛れもなく大魔王がその他の存在にとって脅威だったからだ。それなのに大魔王がいると知っていて、そしてその弱点を掴んでいてなお、アノーマリーは放置したと言った。
討伐する理由がなかったとも考えられる。準備が不足していた可能性もある。だがテトラポリシュカが感じたのは、『いつでもどうにでもできた』と言わんばかりにアノーマリーが抑揚なく話しているように聞こえたのだ。
一切の興奮なく、アノーマリーは続けた。
「だから君にとって大切なのは、その旦那殿と娘のはずだ。そしてここからが取引になる。キミの体を貰い受ける代わりに、その他の人たちは全て見逃してあげよう。それでどうかな?」
「・・・ははっ、それは前提が間違えていないか? その条件は、お前がこれから生き延びることを条件にしている。だが私は会ったぞ? ティタニアという剣帝に。そして奴はお前のことを口にしていた。お前・・・剣帝を敵に回しているのではないか?」
「そうだよ? だから、何?」
アノーマリーがけろりとして事も無げに言ったので、逆にテトラポリシュカがぐっと言葉に詰まることとなった。
「確かに剣帝は脅威だ。だけど、彼女に出会ってからこちらも何も準備をしなかったわけじゃない。仮に彼らが敵に回ったらどうするかくらいは考えているさ。
そのためのヘカトンケイルであり、その完成体であり、そしてさらなる切り札もある。一番恐れたのは、準備が間に合わないうちにティタニアがこちらに来ることだったけど、もう時間稼ぎは十分にできたからね。来るならどんとこい、ってところ――」
アノーマリーが得意げに語っていた、丁度その時であった。何の前触れもなく、突然アノーマリーの片腕が切り飛ばされた。アノーマリーですら突如として起きた出来事に、ただ絶句するしかなかった。
だがそれだけではない。突如として訪れた衝撃波に空間は切断され、セカンドもその巨体を両断される格好になった。普段は相手の攻撃を予測して重要な器官はある程度移動させることのできるセカンドだが、この時ばかりは予測も何もなく、無防備なまま体を攻撃された。大きくできた壁の裂け目からは血ともなんともつかぬ体液が吹き出し、ティランの目玉は血走り、苦痛に呻く咆哮が部屋中にこだました。
テトラポリシュカは自分の拘束が緩むのを察知すると、一瞬でその拘束を引きちぎり、身を翻して脱出した。そのまま部屋を去ればよかったのだが、彼女の体をその場に縫いとめたのは、かつてよく知る殺気だった。
続く
次回投稿は、6/1(月)20:00です。