封印されしもの、その65~訪れる男③~
「ガラスに曇りが全くねぇ。こりゃ最高級の製法っていうか、今の技術じゃこれも無理だろ。それに椅子も・・・かーっ! アルネリアにある俺の執務室よりも上等じゃねぇか! 王侯貴族かっての。それにこの本棚だが」
メイソンが手に取ってみたその本は、非常に難解な生物学書だ。それに植物学、気候学、経済学、その他諸々。メイソンも巡礼の任務を請け負うものとして、また本人の興味として、専門分野を幾つかと、幅広い教養を身に着けているつもりである。だがそのメイソンの知識をもってしても、あまりに真新しく独創的な理論や研究がそこにはなされていた。
「こいつは・・・宝だな。ここにある書物を持って帰るだけで、現在の学問が数十年進むかもしれん。この持ち主がアノーマリーだってのか」
「そうだよ~」
部屋の出口から突如として声がしたが、メイソンはゆっくりとそちらを振り返った。声に殺気はなかったし、誰かも想像がついていたからだ。
「アノーマリーか」
「その通り。そちらはアルネリアの巡礼かな?」
「その通りだ、その通りですよ。メイソンという」
「初めまして、メイソン君。その書物の内容がわかるだけでもキミの知性と知識に敬意を表するよ。キミは人間の中でもかなりましな方らしい」
「それはどうも」
メイソンは変わらずアノーマリーの椅子にどっかりと腰かけたままだったが、眼鏡を直し書物を閉じるとアノーマリーにゆっくりと向き直った。
「この書物、お前のか」
「まあおよそそうだね。基礎となった理論にはいくつかボクを作った人間のものもあるけど、おおよそボクが考えた理論がほとんどだ。もう知っているだろうから隠さないけど、魔王を作るのには多岐にわたる知識と造詣が必要となる。医学、薬学、生物学だけでなく、鉱石学、昆虫学、魔術理論、設計や美術まで。姿形を変えてメイヤーに潜入したこともあるし、世に出ている書物くらいは分類を問わず一通り目を通しているつもりだ。なんだったら、流行りの恋愛小説まで目を通すくらいだ」
「大したものだ。素直に褒めるとしよう」
「男に褒められても嬉しかないけどね。だけどそれだけじゃない。実際に牧場をつくったり、畑を開墾したり、植物園も造ったし、池で飼育したり・・・時には森をつくって昆虫や生き物の観察をしたこともある。寒冷地、火山帯、洞窟など、工房もできる限り様々な環境を経験できるように作ったつもりだ。もうだいたい知っているんだろう?」
「ああ、まぁな。だがその口ぶりだと、こちらが知っていることを知っているようだな?」
「当然だよ、ボクはミリアザールもアルネリアも舐めてはいない。相手の能力を知ることは兵法の基本だ。ボクはしっかりとアルネリアのことを調べたつもりさ」
アノーマリーは油断なくメイソンを見ていた。思ったよりも頭が切れ、またこの状況に対して動じないこの巡礼者をどうするべきかと考えていたのだ。
メイソンもまた、少しこの醜悪な老人のような子供に対する評価を改めていた。ただの異常者と考えていたが、どうやら洗練された知性の持ち主らしいことがわかると、逆に不気味でうかつに手が出せないと感じていた。
「一つ聞いていいか、アノーマリー」
「どうぞ?」
「なぜオーランゼブルに協力する?」
「うーん、研究で一番困るのは資金と素材なんだよね。それらを一人で収集しながら研究をするのはとても手間だ。それに魔王を作ってほしいというオーランゼブルの要求と、生物の研究をしているボクの研究はある意味では一致していた。あの魔王はボクの研究の副産物だからね。
オーランゼブルと協力したおかげで、ボクの研究は百年以上早く進んだと言っても過言ではないだろう。だけどそれもおしまいだね」
「ティタニアが攻撃してきたな?」
「ああ、オーランゼブルを怒らせてしまってね。それにボクとしても次の研究段階に取り掛かりたかったから、そろそろオーランゼブルの言う通りに研究を進めるのも面倒になってきていた。縁の切り時だとは思っていたんだ。だけど、こんなに早くティタニアが来るとは思っていなかった。転移の魔術の痕跡も早々に引き揚げたけど、どうやってこの速度でここを突き止めたのか・・・まあ想像はついている」
「なるほど」
メイソンは事情を聴くと、眼鏡をまた少し直し、アノーマリーに提案をしていた。その眼鏡が光の加減で少し光ったようにも見える。
「ならばさらに聞くが、もしアルネリアの側につけと言えば・・・どうする?」
「・・・面白い提案だ。考えてもいいね」
アノーマリーとメイソンが、同時ににやりと笑っていた。部屋の明かりに照らされるアノーマリーの笑みは言うまでもなく不気味だったのだが、メイソンの笑みもまた企み深く、非常に狡猾であることは否めなかった。
***
レイヤーはティタニアが一人アルフィリースの元に出て行ってから、成り行きをひっそりと見守っていた。一度広間に戻り、それから再度剣による転移で侵入を試みるつもりであったティタニアだが、アルフィリースたちとアノーマリーが目の前にいたことで状況は変わった。
ティタニアは目の前の個体がアノーマリーの本体だと認識して出て行ったが、状況は妙な方向に転じた。まさかティタニアがアルフィリースに襲い掛かるとは思わなかったが、レイヤーは自分よりも早く動いた二体がいることを認識すると、自分はアルフィリースたちの背後に壁を走るようにして回り込み、ひっそりとアノーマリーの工房へ侵入することに成功していた。アノーマリーの工房に入る時、ルナティカだけはレイヤーの気配に気付いたので、そっと頷き返しておいた。
「咄嗟のことだったし距離もあったから遅れたけど、何とかなってよかった・・・それにしれも上位精霊がいることは知っていたけど、まさかティタニアを連れ去るだけの力を持つなんて。それにあの獣人、気のせいだろうか。一瞬だけ異常に闘気が膨れ上がって、そしてまるでなくなってしまったかのような。まあ後で考えるとしようか。今はそれよりも」
レイヤーはアノーマリーの工房に侵入し、その様子に驚いていた。中は整備された通路が多く、人が二人も通れればよいくらいに狭かった。そこかしこに横道こそあるもののどれもさらに細く、基本的には一本道だと思われた。嫌な気配を避けつつ血の匂いの強い方を辿っていけば、奥にたどり着くと直感が告げる。
問題は通路の狭さ。これでは敵と遭遇した時、隠れてやり過ごす方法がない。レイヤーはシェンペェスを抜き放つと、戦闘状態のまま歩みを進めた。こうなれば、どちらが相手を認識するのが早いかが勝負である。増援を呼ばれないためには、敵に叫ぶ暇も与えず仕留めるしかない。レイヤーは見敵必殺の構えで工房を進む。
続く
次回投稿は、5/8(金)22:00です。




