大草原の妖精と巨獣達、その15~優しい気持ち~
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風にたなびく緑の髪の少女は、草原の護り人であると同時に、人によっては大草原の精霊とも称えられる。
エアリアルは岩場の外で風を読んでいた。アルフィリース達と共に暮らすようになってから既に1ヶ月程度が経過しようとしている。例年であれば嵐の季節は1月程度で終わるのだが、今年は例外のように長く続いており、一体いつ終わるのかを知るためだった。
もっともそれでなくとも彼女は時間さえあれば風に身を任せ、岩場の上で大草原を見つめるのが好きだった。一見何の変哲もなくとも、そうすることで自然が自分に語りかけてくるような、大草原の力を得られるような気がしていたのだ。
視界には相変わらず黒い竜巻が見えるが、本数は減ってきており規模も目に見えて小さくなってきていた。嵐の季節はまだ数日は続くだろうが、終わりに近づいてきているのかもしれない。
と、同時にアルフィリース達との別れも近づいていることを示す。大草原と、愛馬のシルフィードと、ファランクス。これだけあれば自分には何も要らないとおもっていたはずのエアリアルだが、アルフィリース達のことを思うと、なぜか胸に穴があいたような虚無感に囚われるエアリアルだった。
「全ては風の導くままに生きればよい――そう思っていたはずなのに・・・」
エアリアルは自身の寂しさを紛らわすかのように、両腕で自分の体をかき抱いていた。
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「もう形にしたのか・・・」
「はい、なんといってもリサは天才ですから」
リサの修行は最終段階に入っていた。もちろんファランクスが教えられる範囲で、という意味なのだが。空気の流れにもセンサーを沿わせることに成功したリサは、自分なりの『エリア』と呼ばれるものの作成に入っていた。その中に入ればどんなものでも感知せずにはおかない――リサにとっての結界のようなものである。
エリアはセンサーによってどのような形をとるかは性格や経験が関与する。もちろん一定空間内を覆うようなイメージに形づくるので、ある程度その形は限られるわけだが。代表的な物で言えば半球型だが、多数の円の場合もあるし、中には手のような形の場合もある。
これはセンサーの一つの極致と言われ、行使できる者はセンサーとして無条件でA+が与えられる。リサはわずか1カ月程度でそこまで達したことになり、これにはファランクスも舌を巻いて唸るのみであった。
「まだまだ形は甘いのですが・・・」
「いや、見事の一言だ。そして何より・・・美しいな」
ファランクスの前には実に優雅な光景が広がっていた。これで未完成なら、完成すれば一体どれほど芸術的であるか・・・ファランクスも思わず意識を夢想の中に集中させる。
「それはどうも。リサは見ることはできませんが、その言葉を信じることにしましょう」
リサがスカートのすそをつまんで優雅に一礼してみせた。
「これ以上はワシに教えることはないな」
「だからリサを甘く見ると火傷するっていったんだぜ、ベイビー」
「・・・いまなんと?」
「すみません、一回言ってみたかっただけです」
どうやらリサが冗談を言ったらしいとファランクスは気付くと、思わずククク・・・と忍び笑いを漏らした。
「(こやつらが来てからワシは1日1回は笑っておるな・・・実に楽しき日々よ。この日々もあとわずかと思うと名残惜しいな・・・)」
そこにミランダやエアリアルが入って来る。
「ご飯できたよ~」
「今行きます」
「アルフィは?」
「アルフィはおトイレだそうです」
フェンナ、カザス、ニア、ユーティも入って来た。
「トイレ遠いからね・・・ご飯が冷めちゃうよ」
「アルフィリース以外は全員いるか・・・ちょうどいい」
ファランクスが身を起こす。
「実はアルフィリースの事で話がある・・・」
「父上、どうしました?」
「ワシはあの子が心配だ・・・」
ファランクスがアルフィリースが近くにいないことを確認し、言葉を続ける。
「アルフィリースは最初にワシを見ても全く驚かなかった。ワシはわざと周囲を威圧したにも関わらずな。そんなワシの意図に気付いたにしろなんにしろ、これは普通ではない。そこのニアやリサでさえ怯え、多くの経験をしたはずのミランダでさえ表情は強張ったままだった。なのにアルフィリースは・・・」
「まったく驚いていなかったね。まるで怖いという感情が麻痺しているか、だからどうしたという感じだった」
ミランダが言葉を繋いだ。ミランダもファランクスと同じ懸念を抱いていたのだ。
「アルフィリースは基本的に情にもろい人間のくせに、時々びっくりするくらい冷たい発言や態度を取る時がある。アタシでさえ・・・時にどちらが本当のアルフィリースか疑わしくなるよ」
「それはリサも感じていました」
こんどはリサが続いた。
「確信したのは大草原に入ってからでしたが、アルフィリースは魔獣の息の根を確実に止めにいっている時があります。なんでしょう、一度スイッチが入ると止まらないとでもいうのでしょうか? 普段は出来る限り戦いを避ける用に物事の流れを持っていこうとするのに、いざ一端戦闘に入ると何の容赦も無いというか・・・やり過ぎということはないけども、豹変ぶりに驚かされます」
「私もそれは思う」
ニアも同意する。
「私はよくアルフィと組み手をするんだが、組み手が長引くほどにアルフィリースの顔が生き生きとしてくるんだ。そのせいでついつい訓練をやりすぎかける時がある。私の方が先にやめようと言わないといつまでもやりかねないからな・・・少し戦闘狂のきらいがあるのかもしれない」
「それは北側で魔物に追われている時もそうでしたよね? あれほど呪印は危険だって自分で言っていたくせに、魔物に追われるようになってからしきりに呪印を使うことを主張して。確かに呪印を使えば倒せたのかもしれませんが、基本的に避けられる戦いは避ければいいのに、まるで呪印を使って戦いたがっているようでした・・・」
フェンナが心配そうに語る。
「ファランクス、何か心当たりは?」
カザスが問いかける。だがファランクスは首を横に振った。
「ワシにもわからん。だいたいアルフィリースの力が何らかによって封印されておることはわかるが、それ以上のことはワシの知力は及ぶべくもない。それはやはり魔術師などの専門家に聞くのが一番いいだろうよ。だがワシの心配は無駄に終わりそうだ」
ニッ、とファランクスが笑った。
「それはまたなぜ?」
「それはそうだろう・・・これだけアルフィリースの事を心配する人物が傍にいるのだ。彼女が道を過つことはないだろう」
「もちろんだ。道を間違えたらひっぱたいてでも元に戻すさ」
「ええ。間違えたら裸にひん剝いて、中央街道横断の刑だと脅しておけば大丈夫でしょう」
リサの目がきらりと光る。まず間違いなく本気で彼女はやるだろう。だがファランクスはその様子を見て安心したようだ。
「ククク・・・ワシの取り越し苦労なようだな。だが封印するほどの力だ、あまり使わない方が良いことも確かだぞ?」
「重々承知の上さ。その辺はアタシが見張るよ」
「頼むぞ・・・」
「あれー? 皆、ご飯はー? もう私お腹が空いて限界だよ~」
その時アルフィリースの平和な声が外から聞こえた。そして全員顔を見合わせてクスリと笑い、アルフィリースの元に駆けていくのだった。
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昼食を全員で取り終え、各自がめいめい散っていく中でカザスがニアを呼びとめた。
「ニアさん、ちょっとお時間よろしいですか?」
「別に構わないが、なんだ」
「こちらに少し。あまり他人には聞かれたくないので・・・」
「?」
ニアは首をかしげながらカザスに言われるがままについてくる。そして少し皆とは離れた場所に来た。
「長い用か? アルフィリースと組み手の約束があるんだが・・・」
「いえ、お時間はとらせませんので単刀直入に。ニアさん、私とお付き合いしてください」
「・・・・・・は?」
「ですからお付き合いをお願いしたいと申しています」
「えーと・・・『つきあい』というと、アレか?」
ニアがぐっと拳を構える。
「それは『突き合い』ですね。ちなみに僕がそれをニアさんとやると、かなりの高確率で死ぬと思います」
「そうだよな・・・」
「というか、かなり私は真剣に言っているんですが、信じてもらえないのでしょうか?」
カザスには珍しく、かなり落ち込んだようにうなだれる。ニアにもそれは痛いように分かった。
「それとも既に意中の方がおられるから、僕とはお付き合いできないでしょうか? それともこんなちんちくりんのガリ勉はお嫌でしょうか?」
「いや、そうではなくてだな・・・その、なんだ。私は男性にそんなことを言われたことがなくてだな・・・どうしていいやら・・・」
ニアがもごもごと口ごもる。実際それはその通りであり、軍にいたニアにも恋愛機会はあったのだろうが、『恋愛は自己向上の妨げになる』との信念からあまりそういった感情を気にとめないようにしていた。
また幸か不幸か、ニアの周囲には彼女が好むような男性はいなかったし、それに彼女が所属する小隊長が何かにつけて彼女をからかったため、それが隊員全員に伝播してニアはよくかわかられる立場にあった。プライドの高い彼女はからかわれる度に苛立ち、そのことがニアが修行の旅のきっかけの1つになったことは彼女自身も否定しない。
だがそんな彼女だからこそからかい甲斐があると余計に囃し立てられたし、短気なニアの性格を指摘したかった小隊長の意地の悪い配慮だったのだが、年若いニアにそんなことは理解不可能だった。
ともあれそんな状況において、酒の席でニアにからむ連中がいたとしても、カザスのように真っ向から告白してくる男性など彼女の人生において皆無であったので、ニアは対応に困っていたというのが正しい理解であった。ニアとしては、カザスに対して悪感情を持っていたわけではないのだが。
だがニアの反応を見て、さしものカザスも自信がなさそうに続けている。
「僕の方もこんなことを女性に対して言うのは初めてですよ・・・自分でも驚きなんです」
「そ、そ、そうなのか?」
「はい。僕は一生を学問に捧げる気でしたから。まあ一緒にいて僕の学問の邪魔をしない女性であれば、あるいは考えるつもりでしたが。まさか自分から獣人の女性のことを好きになるとは思いませんでした。あ、別に差別的発言で獣人と言ったわけではなくてですね、何と言うか、自分でも意外すぎて・・・くそ、上手く言えないな。授業や講演会でも発言に詰まったことは1度もないのに・・・凄く色んな状況も考えたのに、自分の感情がこんなに複雑だとは・・・全く恋愛感情って奴は・・・」
「・・・ふふふ」
「な、何かおかしいでしょうか? それともやっぱり僕では不満でしょうか??」
カザスの慌てる様子を見て、ニアは思わず笑ってしまっていた。ニアのカザスに対する印象は、外見や頭の良さではなく、その肝の据わり具合が一番印象的だった。
カザスは育ちや身のこなしも完全に一般人と変わりなかったが、その肝の据わり具合だけは一級品だった。アルフィリース達が慌てるようなピンチであっても全く騒ぎ立てず、実に忠実に彼女達の指示に従う。悪条件で野宿しようが文句1つ言わない。合理的な性格をしているといえばそれまでだが、好戦的な性格をしている獣人でさえ、初陣や負け戦では動揺する者が多い。
身体の能力的に劣るカザスでは内心の不安は獣人以上だろうが、それをおくびにも出さないところがニアは気に入っていた。最初は鈍いのかとも思ったが、今現在自分の目の前で慌てるカザスを見ていると、彼が想像以上に自制心が強いだけだったことがはっきりわかった。
カザスとしては学問の徒として自分の理想に殉じる覚悟を決めているだけであり、研究の途上で死ぬなら本望と思っているだけなのだが、その点をニアが気に入っているとは思いもしない。そのあたり、彼もまた恋愛初心者なのだろう。
ともあれ、彼のうろたえぶりが逆にニアには好印象だったようだ。
「ああ、やっぱり僕じゃダメか・・・」
「いや、私でよければ付き合おう」
「ですよね、所詮僕みたいなチビじゃだめですよね、ふぅ~・・・あれ、今なんと?」
「だから私はカザスの恋人になってもいいと言ったんだ」
ニアは腕を組んで胸を張っている。彼女としては精一杯虚勢を張ったつもりだが、顔は赤面して目線が横を向いてしまっている。それに尻尾も照れた感情を示すかのように、下に垂れて振り子のように触れている。彼女が本当に威勢のいい時は尻尾は上に向いて左右に早く動くので、その内心は一目瞭然であり、知らぬは本人ばかりである。
「ぼ、僕なんかで本当にいいんですか?」
「ああ・・・私は嘘は言わない。むしろカザスこそ、私なんかでいいのか?」
「私なんかで、とは?」
「私は料理も大してできんし、裁縫なんかもってのほかだ。生まれてから大して時間も経たない間に家を飛び出すように軍に入り、そのまま戦闘訓練だけをずっとしているような獣人だ。学もないし、話も面白くない。見た目だってそんな美人ではないし・・・私なんかで、満足か?」
「確かにそういった一般的な女性らしさ的な点ではニアさんのおっしゃる通りかもしれませんが・・・」
カザスがうーんと唸る。
「でも僕はそんな貴女が好きなんです。もちろん理由を探せば様々浮かぶんですが、本当のところは自分でもよくわからないんです。学者としては失格ですね」
「いや、よくわからんが・・・私はそれでもいいと思うんだ。でも私はグルーザルドの軍人だ、そのうちグルーザルドに帰らないといけない。だから、その・・・長く一緒にいれるかどうかは・・・」
「なんだ、そんなことなら僕がグルーザルドに行きますよ」
「え?」
その言葉はニアにはとても意外な物だったが、カザスは平然と言い放った。
「いや、それは・・・」
「学問なんかどこでもできますよ、僕がトリアッデ大学の教授を辞めればいいだけなんで。あ、でもさすがに退官の手続きには少々かかるので、それからでもよければニアさんを追いかけてグルーザルドに行きます。どうでしょう?」
「でもそこまでさせては」
「僕がしたくてするんですから、ニアさんにどうこう言わせませんよ?」
「強引だな。でも・・・嬉しい・・・」
ニアが嬉しそうにうつむく。だがその言葉は小さく、カザスに聞こえたかどうか・・・
「ではこれから恋人同士ですね、よろしくお願いします」
「ああ・・・こちらこそよろしく頼む」
どちらかもともなく手を差し出し握手する2人。その顔はどこかともなく気恥ずかしそうだったが、これから来るであろう多くの幸せを同時に期待してもいた。
そんなときである、外からアルフィリースの悲鳴が聞こえたのは。
続く
次回投稿は12/28(火)12:00です。