プロローグ
人間の歴史はまだ浅く、魔物や魔王、精霊が存在するような世界を冒険する女戦士の物語です。徐々に盛り上がるように書いて行こうと思っています。全体的にはシリアスになるように作りますが、要所要所に笑い、恋愛、感動が入ればいいなと思っています。処女作につき、拙い箇所も多々あるとは思いますが、もしよろしければ一読していただければと思います。
「急げ、エフェラルセ。審議会に遅れるぞ!」
「待ってくださいよ、ツェーゲ先輩。そんなに急がなくても! ああ、資料が落ちる!」
丸眼鏡のエフェラルセ司書が手に持った長いスカートの裾に躓き、大量の資料を落としそうになるのを、中年太りとは思えないほど素早い動きで、ツェーゲが絶妙に支えていた。
「急ぐ必要があるのだ。今日から待ちに待った大論争が始まる。世界中が注目し、先の対戦の間接的な引き金となったかの魔王アルフィリースに関する定義と、資料の編纂がなされるのだ。この論争に参加する権利を勝ち取っただけでも、我が人生に価値ありよ! 貴様も大学を卒業したてでこの事業に関われる幸運を精霊に感謝しろよ?」
「私は机の上で勉強していたら、ただ一番で卒業したってだけで、誰も来ない図書館で司書をしてのんびり過ごすつもりだったのですが」
「その割には、随分と斬新な卒業論文だったじゃないか。たしか、『魔術構成論理と交友関係から読み解く、只人たる英雄の視点』だったか? 今までにない視点で魔王アルフィリースを語っていて、斬新だったな。儂も読ませてもらったよ」
「はぁ、恐縮です。先輩はたしか、『魔王派』なんですよね?」
エフェラルセの丸眼鏡がきらりと光るが、ラーコンは意に介さずに足早のまま進んでいく。
「だとしたらなんだ?」
「いえ、確認しておきたかっただけです。私の考えでは、アルフィリースは普通の人間だと思っているので、審議会で我々の意見が対立したら大変じゃないですか?」
「ふん、普通の人間が何百年にもわたり、何百万もの人間を戦争に追いやり続けるかよ! ヘスペリデスの丘の墓標を見たか? 人間、エルフ、シーカー、蛮族、竜種、獣人などの亜人種の墓標の数だけで、国ができるほどの広さを占有している! あんな戦争を巻き起こした女を魔王と呼ばずして、何と呼ぶ?」
「『攻略戦』のことをおっしゃっているのでしたら、望んで参加した人の方が多いでしょうし、彼女の死後のことまで彼女の責任にするのはどうかと思いますよ。たしかにアルフィリースの出現前後で世界はがらりと様相を変えましたが――そのあたりを話し合うのが今回の審議会ってことなのでしょうね」
「その通りだ」
改めて鼻息荒く応えるツェーゲ。階段を一段飛ばしで下りながら、速足で歩くのにエフェラルセは慌ててついていく。論戦には諸侯や貴族、さらには軍属などからも数多く来賓があり、また一般聴衆も参加可能であるから、警備は厳重になっている。一定の間隔で立つ警備兵が、順々にツェーゲとエフェラルセに敬礼をする。
「我々は栄えある役目、『基盤の図書館』の代表でもある。私はこの役目に就くため、司書になってから一心不乱に十数年努力してきた。本来なら貴様のような若造を同席させるのは歯痒いのだが、貴様の視点が独特で論争に一石を投じるだろうとの上の判断だ。私のことは気にせず、存分に発言するがいい」
「寛大な心遣い、痛み入ります。しかし我々の意見の統一はしなくてもよろしいので?」
「構わん。吟遊詩人ギルドより、学者連合より、どんな亜人や王国の代表よりもアルフィリースに関して我々の情報量に勝るところはありえんさ。我々の発言が会議の顛末を決めると言っても過言ではない。我々の役目は独特の視点を提供すること。意見の統一ではない」
「なるほど・・・先輩、今更ながら緊張してきちゃいました」
「ふん、当たり前だ。世界中の諸侯が集結しているのだ。貴様、そんな寝起きのような恰好で大丈夫なのか? もう少し身なりに気を使ったらどうだ。眼鏡もずれているし、三つ編みもほどけそうだぞ?」
「直前まで調べ物をしていましたからね・・・まぁ私は会議で目立つのが仕事ではありませんし」
「なんだ。着飾ったら凄い、などとぬかすのではないだろうな?」
「先輩をころっと惚れさせる自信はあります」
エフェラルセの眼鏡が妖しく光ったので、ツェーゲは思わず笑ってしまった。
「それだけの冗談が会議前に言えるようなら、問題なかろう」
「いやー、割と本当に自信あるんですけどねぇ?」
「では楽しみにしておいてやる。ちなみに私は妻帯者だがな。まずは目の前の会議だ、開門!」
首を傾げるエフェラルセを横目に、ツェーゲが手を上げると、議会の重々しい扉が開く。そこに居並ぶ世界中から集まった諸侯、学者、聴衆がこれから一人の人物の人生について語り合うのだ。
ある伝記では冷酷な烈女と称され、吟遊詩人は情け深く慈愛に満ちつつも勇猛な英雄と謳い、さる地方では偉大な王あるいは魔王と呼ばれ、各種専門書では賢者と讃えられる。語り伝える者たちによって、多様な側面を見せる魔術士でもある女剣士。そして死後千年以上経ったも、世界に影響を与え続ける人物。
そう、世界を破滅させたといわれる、呪印の女剣士アルフィリースの人生について。
***
「ん、う~ん。あー、よく寝たわ……野営の割には熟睡できたわね」
アルフィリースが大あくびと共に眼を覚ますと、木々の間から気持ちの良い木漏れ日が差し、爽やかな風が薫る。春の到来を告げるモーイ鳥が見られるようになってから、一ヶ月も経っただろうか。中原のやや南にあるここファルテの森は、非常に心地よい陽気に包まれている。まあそうでなければさすがに些事にこだわらない彼女といえど、もう少し眠る場所に気を使ったかもしれない。
「下手な安宿より快適だったわね。これもあなたのおかげかしら?」
下でやや眠そうな黒い瞳をこちらに向けているのは、この森に棲む森オオカミである。
「魔獣を枕に一晩を明かしたなんて言ったら、シスター・アノルンに爆笑されかねないわね・・・」
シスター・アノルンとは、宿場町で何度も出会ううちに、友達とまではいかないまでも、すっかり知り合いになってしまった聖職者である。どうやら向かう先が同じらしいのだが、東に向かいながら途中の町で祈りを捧げつつ慈善活動を行うシスターと、興味の向くまま依頼を受けたり行き先を決めるアルフィリースは、ちょうど進行速度が同じくらいになるらしい。
三日前にもティドの町を出る時、一度やってみたかった転がした枝に行き先を任せるという手段をとった。だがその枝がまったく街道とは違う方向を指したため、
「やめた方がいいわよ~? アンタ、方向音痴なんだから!」
とアノルンに言われながらも、ニヤニヤする彼女を尻目に半分意地になって森の中に突っ込み、案の定迷ったアルフィリースである。このあたりは街道も整備されており、魔物討伐も行き届いているため、よほど深く森に分け入らないとそうそう人命に関わるような危険な魔物は出ないものの、やはり森の中は人の生活圏からははずれている土地であった。
「やっぱ川の傍に洞穴とか、いかにも魔物の巣よね・・・」
と思いつつも、そこは歳若い女子である。水浴びの誘惑には勝てず、一応洞穴には何もいないことを確かめてから三日ぶりの水浴びをし、そのまま携帯食を少し腹に入れると、洞穴で寝こけてしまったのである。その後獣の唸り声でアルフィリースが目を覚ますと、馬の倍くらいの大きさの森オオカミが目の前にいた、と。
「まったくオオカミが単体でよかったわ。複数いるとさすがにまずかったし、師匠に魔物との交渉術を教わってなかったら、新しい寝床を探して今頃森の中をまた彷徨っているのよね・・・まったく、師匠サマサマね」
結局激闘の末森オオカミを打ち倒し、傷の手当てをしてやる代わりに一晩の寝床を要求することに成功した。森林に棲むような魔物、特に獣に似た魔獣と呼ばれる魔物は自分より強いものには従順で、しかも恩を忘れないような個体までいる。また森オオカミは魔獣にしては温厚で、縄張りを極端に荒らさない限りは人間に襲いかからない。まあそのオオカミを怒らせたのは、アルフィリースの不用心ゆえである。
この森オオカミは治療した後、こっちをいかにも人懐こそうな目でじっと見るものだから、ついついふかふかの毛並みの誘惑に負けて、こともあろうに魔獣を枕に寝てしまったのだ。
「寝心地はよかったんだけど、ね。どうも魔物に好かれるのかしら、私。それともこの子が人慣れしてるだけかな。人間の男はロクなのが寄ってこないのに」
ふと以前山賊に攫われかけたことや、軽薄な傭兵仲間が頭に浮かんで思わずため息が出る。それを怪訝そうに見つめる森オオカミを見て、
「人間よりあなたの方がよっぽどマシかも。今まで出会った人たちって、良い人もいるけど悪党も多かったから。安心して話せるのが魔獣だなんて、私ってやっぱり世の中に疎すぎるのかなぁ? ねぇ、これからまともな友達とか恋人とか、私にできると思う? やっぱり『黒髪』じゃあ難しいのかな? なーんて、あなたに聞いてもしょうがないか」
などと人生相談をもちかけるアルフィリース。当然魔獣にまともな返事ができるはずもなく、首を傾げるばかりである。再度ため息をつきながら、アルフィリースは身支度を整えていく。
「じゃあそろそろ行くわ。一晩騒がせてごめんなさいね」
と言いつつ、オオカミの喉を撫でてやる。その時彼女が見せる優しげな表情を人間の男に見せれば話は簡単かもしれないのに、その表情を図的に作れないのがシスター・アノルンに残念がられる一因でもある。
「さてと、一番近いのはイズの町だったかな? そろそろ真面目に町を目指さないと。最近道草が多かったから、路銀も少々心もとないかしら。食料や水は森でも調達できるとして、武器もそろそろ手入れをしたいところね」
と呟き、歩み始めたアルフィリースの顔は、既に冒険者そのものの険しさを備えていた。
そう、アルフィリースは女性の身でありながら剣を携え、旅をする冒険者である。魔物が跋扈するこの世の中において、剣で活計を立てる女性は少なかった。女性の職業といえば多くは商店への奉公人、裕福な家での下働き、農家がほとんどである。職人、学者などは少なく、女性の半分以上が識字すらままならない時代である。その中で女性が豊かな生活を手に入れるとしたら、貴族の愛人か、大都市での高級娼婦、あるいは冒険者だった。
また剣を振う女性の多くは騎士団に所属する騎士か、傭兵であった。彼女の恰好は一見では騎士に近い軽鎧と丸盾だが、騎士ではない。宿場で用心棒的なことをしたり、ギルドの依頼で隊商警護や魔物討伐をこなし、傭兵として金を稼ぎながら旅を続けている。
この時世において女傭兵と言えば基本的に野卑な職業と考えられ、金や仕事がなければ娼婦まがいのことをしている者も多かったが、アルフィリースは決して自分を貶めるような真似はしなかった。なぜならアルフィリースの師が彼女に堅く約束させたことでもあるし、そうでなくとも本人の誇りが許さなかった。また彼女の騎士風の恰好や、女性としては高めの身長、知的で端正な顔立ち、意志の強そうな瞳、そして何より『黒髪』であることを見れば、男の側からしてもおいそれと下世話な誘いをかけづらかったのである。
魔術を使う者は、その操る性質により髪色に変化が現れることがある。たとえば炎であれば赤、といった具合である。もちろん全員がそうなるわけではなく、力の強い者にのみそういった変化が起こる。なお平民には栗毛が多く、貴族階級は金髪が多いとされている。
魔術士としては名誉なことだが、通常魔術は一人一系統であり、戦闘を行う時には自分の能力をさらけ出すのと同様なので、髪色を染めてわからないようにする。そして染料は一般に黒が手に入りやすく普及していた。そのため黒髪の者は高位の魔術士、ないしは闇の魔術に親和性を示す者の証明である。ゆえに、普通の人間は黒髪の人物との関わりを避ける。機嫌を損ねれば魔術で何かされるかもしれないと考えるからだ。実際には魔術はそこまで便利ではないし、魔術士には非常に厳しい制約があるのだが、一般人はそんなことを知りはしない。
もっとも中にはそんなことすら無視して誘いをかける者もいたが、アルフィリースがまったく相手にしなかったし(最初は世間知らずすぎて何の誘いかもわかっていなかったが)、しつこく声をかける者には一年間馬の体を拭き続けた雑巾の方がマシではないか、というくらいぼろぼろにされる悲惨な結末が待っていた。アルフィリースを真正面から実力でどうこうできる男など、ざらにはいなかった。
そんなこんなでアルフィリースが既に旅を始めてから一年半近く経つが、いまだに目的地には達していない。彼女は師の助言通り、東にあるベグラードという都市に向かっているのだが――
「師匠は『普通に旅すれば半年くらいだ』とか言ってたのに……嘘つき! そりゃあ寄り道はしているけど、全然着かないよ!」
などとひとりごちてみるが、自分が地図もまともに読まず(当時の地図は非常に作りがいい加減であり、範囲の狭い地図しかなかったせいもあるが)、道草癖があり、好奇心から様々な面倒ごとに首を突っ込んできたのはすっかり棚にあげている。なにせ「東は太陽が昇る方向だ」くらいの感覚で目的地を目指しているのである。しかも師の述べた『普通半年』という所要時間は、馬を使ってのことである。まさかアルフィリースが大陸中央西部から東の端まで歩いて行こうとするとは師も想像していなかったであろう。
一方でそれもしょうのないこととも言えるかもしれない。彼女は師に十歳で拾われてからおよそ七年、山の中で世間と隔離されて暮らしていた。旅の途中でたまたま親切な人たちの助けがなかったら、旅立って一週間と経たずターラムあたりの娼婦街に売り飛ばされていてもおかしくないくらいの世間知らずである。そんな彼女の上にそういった不幸が訪れていないのは、彼女の仁徳ゆえか、はたまたおせっかいな酔いどれシスターのおかげか。
「まあ間違いなくアルフィってば、ここイズに来るわね。今回は何回迷ったあげく魔物と戦ったかしら? 散々からかい倒してあげなきゃ」
などと考えながら、酒場で火酒を片手にくだを巻いているシスター・アノルンにアルフィリースが一晩中からかわれるのは、もう一度迷って魔物に追い回され、町に着く頃には口論する気力もなくした五日後のことである。
続く