表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
翼の末裔  作者: 宗像竜子
第一話 翼
6/35

翼(5)

 どれ程飛んだ事だろう。

 ファムルーの目は、闇に瞬く弱々しい光を捉えた。

 闇ばかりが広がる中、その光は今にも紛れて見失ってしまいそうだったが、見間違いではないようだ。

(あれは)

 それを見出した事が、肉体的にも精神的にも疲労したファムルーにさらなる力を与えた。

 確信ではない。予感でもない。

 ただ、そうであればいいと思った。あの光の元に、自分が一番会いたい人がいるのだと──。

(ディスパー…!!)

 祈るような気持ちで、空を駆ける。少しずつ確かになってゆく光。それと同時に、闇に沈んだ見慣れた建物が見えてくる。

 ── 浄育宮だ。

 生まれた時から暮らしていて、一日も満たない時間しか離れていないのに、こんなに懐かしく慕わしいと思ったのは初めてだった。

 やがて、光の正体が中庭で誰かが持つ松明の灯りである事が知れる。そこに求める人の姿を見つけて、ファムルーはほとんど飛び掛る勢いで地上を目指した。

 地上で沈痛な面持ちで空を見上げていた青年の目が、彼女を見つけて大きく見開かれる。その唇が確かに彼女の名を紡いだのを、ファムルーは見逃さなかった。

「ディスパー!!」

 翼を畳むのももどかしく、彼に抱きつく。

 青年は驚き、慌てて松明を出来るだけ遠くに離した。

「…ファムルー様! 危ないですよ!!」

「あ、ああ、ごめんなさい……」

 ようやく我に返り、ファムルーは慌てて身を離した。

 いくら何でも、松明を持っている人間に抱きつくなんて危険この上ない。それに、下手に自分が怪我しようものなら、彼が女官達に責められてしまう。

「あ、あの……」

 しかし、我に返ってしまうと、今度はまともに言葉が出て来ないのだった。彼には言いたい事がたくさん、あったはずなのに。

 するとそれを見透かしたかのように、ディスパーは普段と同じ穏やかな笑顔を浮かべた。

「ご無事で何よりです、ファムルー様。…お帰りなさいませ」

「……」

 何だかその言葉で、これまでの心細さやら何やらが一気に押し寄せてきた。腰が砕けたようにペタリと座り込むんでしまう。

 そんなファムルーに驚いたようなディスパーの顔を見ながら、ファムルーはぽろぽろと涙を零した。

「こ…怖かった……っ」

 ようやく安心出来る場所に辿り着いたせいで、心のたがが外れてしまったのかもしれない。

 今日はよく泣く日だと、ファムルーは頭の片隅で思ったけれど、涙はどうにも止まりそうになかった。

「も…戻れないかと…思……っ」

「…ファムルー様……」

 座り込んでしまったファムルーを、ディスパーは困惑したような表情で見つめる。

 余計に困らせてしまったのかもしれない、そう思っていると、ディスパーは松明の火を消して地面に置き、ファムルーの元へ歩み寄ってきた。そしてそのまま、ファムルーの視線の高さに合わせるかのように膝をつく。

「一人で心細かったのですね」

「う、うん……」

「もう、大丈夫ですよ。ちゃんと戻ってこれたのですから」

「うん……」

 あやすような言葉に、ファムルーは涙を零しながら、ただ頷く事しか出来なかった。まるで子供の頃みたいに。

 でも、昔とは違う事が一つ。ファムルーは腕を伸ばし、自分を覗き込むディスパーの首に回した。

「……!」

 先程とは別の意味で驚いて、ディスパーが息を飲む。

 咄嗟に声も出せなくなった彼に、ファムルーはしっかりと抱きつく。── 抱き締める。

「…わたし、ディスパーが好き」

 ついに口にした。自分の腕に感じる、彼の温もりは一年前の星空を見た時と同じ。感じるだけで嬉しくて、安心出来る。

「一人でいる時、ディスパーの事ばっかり考えてたの」

「…ファムルー…様……」

「わたしは…あなた以外の人はいらない」

 彼の目を真っ直ぐに見つめ、断言した。途方に暮れたような、彼の表情が胸に痛かったけれど、もう止められない。もう…譲れなかった。

 自分の《片翼》は、彼以外に考えられない。

「── なりません」

 やがて、ディスパーの口から零れたのは、弱い苦痛に満ちた言葉だった。

 半ば予想していた言葉だったのに、やはり彼本人から告げられると身を切られるように辛い一言だ。

 ディスパーは、まるで彼女の視線に耐えられない様子で目を反らす。

「…あなたも知っているでしょう。私は罪人…アジェ=メンタールなのです。あなたの祈りを受ける価値もない存在です」

「関係ないわ」

 彼の告白を、ファムルーは一言で否定した。ここで引き下がる訳にはゆかない。  

「あなたが罪人だろうと、何であろうと…わたしはあなたの事が好きなんだもの」

「…ファムルー様。それは違います。あなたはただ…一番身近にいた私を特別であるように思ってしまっただけです。私は…この世で最も高貴な…エフェ=メンタールであるあなたが想って下さるだけの人間ではないのです」

「…どうして? わたしがあなたを好きになる事がどうしていけない事なの? 一番身近だったから…特別に思って何がいけないの!」

 相手が罪人であろうとなかろうと、共に過ごした時間に偽りはなかったとファムルーは信じていた。

 一番側にいたから、というのは確かに理由の一つかもしれない。けれど、やはりこの気持ちを決定付けたのはそれだけではないのだ。

 しかし、ディスパーは痛みを堪えるように頭を振った。そして今まで誰も明らかにしなかった彼の罪を口にする。


「それは── 私が、人殺しだからです」


+ + +


 彼女は、彼の手が好きだとよく言っていた。

 大きくて温かくて、とても安心出来るのだと。

 …だから、自分の生命もその手で断って欲しいのだと、満足に話せなくなった口で彼女は告げた。


『…ね? お願い……。わた、しの最後の、わがままを…聞い、て……?』


 何処か狂気を漂わせた瞳は、彼を追い詰めた。

 彼には彼女の身をさいなむ苦痛を理解出来ない。死を望むほどの苦痛を味わった事もない。

 痛みが彼女を狂わせてゆく。

 そして、苦しむ彼女の姿が── 彼を責める。

 殺して、と血を吐くような声で叫び、痛みに耐えきれず暴れる彼女を押さえつけながら、彼は思う。

 人の命を奪うその行為は、罪。

 けれど、それで彼女が楽になれるのなら…それしか方法がないのなら──。


 選らんだのはどちらが先か。


 気がつけば彼の手は彼女の首に回り。

 彼女はこれ以上とない安らかな顔で、その手を上から押さえた。

 もう力も入っていないはずのその手は促す。


 さあ、終わりにしよう──。


 どちらも泣いていた。

 彼女は喜びに泣き、彼は絶望に泣いた。

 最後に彼女は、『ごめんなさい』と呟いた。

 それは彼を罪人に堕とす事への謝罪だったのか──。

 彼もまた『ごめん』と呟いた。

 それは何に対しての謝罪だったのか──。


 事切れた彼女を抱き、彼は呆然と窓の外を見た。

 その身体は痩せ細り、子供のように軽かった。その事実が、胸に痛い。

 空に浮かぶは清浄の月。

 そこに住まうという佳人は、この地上を癒す為に夢を紡ぎ続けているという。


(…どうして)


 胸に湧いたのは、そんな疑問。

 どうして、もっと側にいなかったんだろう。

 愛していたのに。大事だったのに。

 こんな風に失くしてしまうのなら、せめてもっと同じ時間を共有すれば良かった。

 彼女はきっと、ここで一人あの月だけを慰めに日々暮らしていたのだ。

 自分がいない間、たった一人で。

 月は彼女のために、何もしてはくれないのに。

 彼女が好きだと言った自分のこの手は、彼女の命を摘む以外にももっと出来る事があったはずなのだ。

 あの手の届かない月ですら、彼女の心の慰めになっていたというのに──。


 悔恨と絶望の中、罪人となった彼はただ月を見上げる。

 せめて彼女の魂が、もう二度と苦しむ事のないよう祈ること。

 それしか、彼に出来る事はなかったから……。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ