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翼の末裔  作者: 宗像竜子
第一話 翼
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翼(3)

 何故なら、彼は罪人。

 『地を這う者』── アジェ=メンタールと人々にさげすまされる存在。

 この世で最も高貴なる存在が、この世で最も卑しく汚らわしい者に祈る事など、この世界で許される訳がないのだ──。


+ + +


 気がつくと、すっかり空は夕暮れの色に染まっていた。

 ちょっと翼を休めようと、高い木の枝に腰を降ろして、そのまま転寝うたたねをしていたらしい。

「帰らなきゃ……」

 結局、今日も見つからなかった。諦めは尽きないが、日が落ちてしまう前に戻らなくてはならない。

 外の世界へ出るようになって、ずっと言い含められていた事だ。

 その実際的な理由は知らないけれども、実際、夜になってしまったら地上は完全に闇に閉ざされてしまう。大部分の人は家にこもってしまうし、そうなったら《片翼》も捜せもしない。

 でも、何だか戻りたくはなかった。

 戻れば、彼── ディスパーと顔を合わせる。きっと困らせたから謝らなくてはならない。でも、何だか謝ってしまうのは嫌だった。

 彼は笑って許すに決まっている。あの優しい大好きな笑顔と声で、ファムルーの事を許してしまう。

 それが嫌だった。嫌われたい訳じゃないのだし、どうしてそう思うのかファムルーにはわからない。でも、そう思う。

 …ちょっと眠っている間に、嫌な夢を見たからかもしれない。

 あの、春先の彼がどうして《片翼》になれないのか知った時の。今までで一番大泣きをした時の、記憶。


『ファムルー様もそろそろですわね』


 日に日に育つファムルーに新しく服を作るべく、あちらこちらの寸法を測っている時だった。

 ふと思いついたように女官の一人が言い、そこにいた女官達も本当に、とにこにこ嬉しそうに頷くので尋ねたのだ。


『何がそろそろなの?』


 すると、女官はファムルーの背に育った美しい翼を眺めて、《片翼》の事を話してくれた。

 以前にも聞いてはいたものの、実際どういうものかまでは知らなかったので、聞いていて何だかどきどきした。

 けれどまだ何も知らないファムルーが、無邪気にディスパーの名を出して彼がいいと言った時、女官達は全員驚き、すぐさまとんでもないとばかりに否定したのだ。

 それはあってはならない事だと。

 そんな事は初めてで、訳がわからなかった。どうして駄目なのか、理由が思いつけなかった。

 女官達はファムルーの想いを、最も身近な異性への憧れ程度にしか思っていなかったからか、彼がどうして《片翼》になれないのか事細かに教えてくれた。

 ── 曰く。


『あの者は罪人なのです。エフェ=メンタールの祈りを受ける資質も、その恩恵を受ける価値もないのですよ。…だからこそ、エフェ=メンタールをお守りするのに役立つのですが』


 …その時の衝撃は、今思い出しても涙が出そうだ。

 あの優しいディスパーが罪人だという事、そしてそれ故にファムルーの《片翼》にはならない事。

 あまりに悲しくてそのまま部屋に閉じこもって泣いていたから、そう言えば彼がどのような罪を犯したのかまでは聞いていない。

(…でも、聞きたくもない)

 彼の罪を知って、それでも変わらずに想えるかと問われれば、もちろんと胸を張って答える事ができる。だって、彼は彼だ。

 ファムルーにとって、過去の彼と現在の彼にどれほどの差異があろうと、自分が知っている事が全てだから。

 あたたかな手。優しい眼差し。彼が人の温もりを自分に与えてくれた事実は変わらない。


『私の事でお心を乱してしまって申し訳ありません。確かにわたしは罪人です。本来ならあなた様の側にいる事すら許される身ではありません。…私は自分で何かを決める事も許されません。もし、お側に仕える事がお嫌なら、どうぞいとまを……』


 あの後、事の顛末(とは言っても、女官経由でファムルーが泣いた本当の理由を知っての上ではなかったようだが)を聞いてやってきたディスパーがと扉越しに言った時、その声がとても苦しげに聞こえて慌てて姿を見せた。

 あの時だ。自分が彼が罪人であろうと本当に好きなのだと自覚したのは。

 だから…聞かずにいようと思った。

 自分は変わらないという自信がある。けれど、それによってディスパーの自分に対しての態度が変わってしまうのではないか、と不安に感じたから。

(いっそ、時間が止まってしまったらいいのに)

 そんな事を考える。

 そうしたら、《片翼》を焦って探す必要もなく── ディスパーと共にいられるのに。

 視線を向けた先には、宵闇に浮び始める月の姿があった。昔はあんな綺麗な月へ行くのかと心が躍ったものだが、今ではただ憎らしい。

 せめてあんな遠くではなくて、地上の何処かに《聖殿》があれば。

 そうすれば、ディスパーの側にはいられなくても、彼と同じ空の下で生きてゆけるのに。同じ大地の上で繋がっていられるのに。

 けれど、エフェ=メンタールであるファムルーには、そんな事すら許されない。地上からはどんなに手を伸ばそうとあの月には届かない。そして、逆も然り。

 一度月に昇ったエフェ=メンタールが地上に戻って来た事など、未だ嘗てないという。だからきっと、月へ行ってしまったらもう二度と会えない。

 ── エフェ=メンタールでなかったなら。

 そんな風にも、もちろん考えた。それでも、エフェ=メンタールであったからこそ、ファムルーはディスパーと出会えたのだ。そうでなかったら、出会えたかも怪しい。

 世界は広く、ファムルーの知る世界はごく限られたものでしかない。

 彼が元々何処にいたのかは知らないが、他に彼と同じ黒い髪と瞳をもつ人間をこの辺りで見かけた事がないから、きっとこの近辺ではないのだろう。

 もしくは、もっと早く生まれていたら。

 ディスパーが罪を犯す前に見出せていたら、彼を《片翼》とする事が出来ただろうか?

 …そういう事ばかり、考えてしまう。

 そんな事を考えている場合ではないのに。今はそれよりも一刻も早く《片翼》を見出す事が大事なはずなのに。

 結局行き着くのは、彼以外は選べないということ。

 まるで刷り込まれたかのように、彼以外が《片翼》になるなんて考えられないというのが本音だった。

 …決して、彼を選ぶ事は出来ないのに──。

 堂々巡りの物思いを打ち切って、ファムルーは空へ舞い上がった。もう空の端は夜の色に染まっている。どんなに嫌でも戻らなくてはならなかった。

 結局、この地上でファムルーが帰れる場所は浄育宮しかないのだ。

 ファムルーは自身の背に広がる真っ白な翼を見た。女官だけでなく、ディスパーも美しいと誉めてくれた翼。

 けれど背にこの翼がある限り、人に紛れて地上に生きる事も出来はしない。

 薄闇に仄かに光る翼を見ると、彼とは違う生き物である事を思い知らされるようで、それはとても切なかったけれど。

 ファムルーは一度大きく羽ばたくと、迷いを断つように勢いよく闇が広がる方角へと翼を進めた──。

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