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翼の末裔  作者: 宗像竜子
第二話 翼の末裔
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翼の末裔(16)

 目を開くと、木の葉が風で揺れているのが見えた。

 微かに漂う水の匂い。遠くで小さく、水音が聞こえた。

(…ここは……?)

 何か、夢を見ていたような気がする。

 何か──とてもとても恐ろしくて、悲しい夢。そして何処か、懐かしい夢。けれど、その輪郭は曖昧で、どんな内容だったのかまでは思い出せない。

 そろそろと身を起こすと、先程までの惨状はなく、木にもたれかかるように寝かされていた。

 一瞬、あの惨劇が夢だったのではないか思ってしまうほどの平穏な光景。けれど身体を見れば、服に所々赤黒い染みがある。…それが何か、思い出す努力をしなくてもすぐにわかった。

 村人達がリュナンに殺されたのは、夢ではない。つい先程まで見ていた、よく内容も覚えていない夢とは違う、現実の事だ。

(…そうだ、リュナンは……?)

 きょろきょろと辺りを見まわすと、少し離れた水辺に人影を見つけた。何かを洗っているらしく、水音がしている。先程聞こえてきた音はこれらしい。

「…リュナン……?」

 声をかけようと口を開いたものの、それは何処か掠れて力のないものだった。何故だろうと思う前に喉が痛んで、そう言えば意識を失う前に首を締められたのだ、と思い出す。

 そっと手で触れる。痛みは薄れているものの、そこに絡みついた指の感覚はまだ残っている。見えはしないが、おそらく痣くらいは出来ているだろう。

「ティアーレ…気がついたのか?」

 おそらく届かないだろうと思ったのに、リュナンはそのか細い声をきちんと拾ったようだった。水辺を離れてこちらにやって来てくれる。

 よく考えてみれば、ティアーレの耳ではわからなかった村人達の声を拾い上げた耳の持ち主だ。この距離で気付かないはずもない。

「ここは……?」

 尋ねると、リュナンは軽く肩を竦める。

 よく見ると、その髪や服が濡れていた。先程の水音は、浴びた村人達の血を洗い流していたのだと理解する。

 流石に服にかかった血までは取れなかったようだが、顔や腕、手からあの赤色が消えている。それだけの事で何故だかほっとした。

「何処と聞かれても、森だとしか答えられねえな。…気分は?」

「あ、平気、です……」

 確かに森という答え以外、答えようのない場所だ。そんなばかな質問をしてしまった事を恥ずかしく思いながら、改めてリュナンの顔を見る。

 先程から何だか違和感を感じていたのだが、そうしてようやくその原因に気付いた。

「リュナン…瞳の色が?」

「ああ、これか」

 ティアーレの問いに、リュナンは手を目元にやりながら、微苦笑を浮かべる。

 その瞳は初めて出会った時の金でも、明るい場所で見た赤でもなかった。…髪と同じ、深い黒。

「これは…オレの中の《獣》が眠りに就いた証みたいなものだな。血で満たされるとこうなるらしい」

「…じゃあ、しばらくしたらまた……?」

「ああ、元に戻る。…自分だといつ戻ったのかわからないのが困るがな。こうなっている間はオレが獣宿持ちだって気付かれない── 不幸中の、幸いってやつか」

 何処か言葉に苦いものを漂わせるリュナンは、確かに黒い瞳になると、ごく普通の青年にしか見えなかった。

 今まであの血を想わせる赤い瞳が目についていたからか、別人みたいにティアーレは感じてしまう。

 …見る度に、リュナンが変わっているような、そんな感覚。変わったといっても、瞳の色だけなのに。

 リュナンと言葉を交わし、姿を確かめ── そこまで認識してようやく、ティアーレはリュナンが自分の側にいる事を実感した。

 …彼は、自分を置き去りにはしなかったのだ。知らず笑みが浮かぶ。

「…行かないで、くれたんですね」

「あ? …ああ、約束しただろ」

 リュナンが照れ臭そうな顔でぼそりと言う。

 約束、と言われて一瞬何の事だかわからなかったものの、すぐにそれが何を指しているのか思い出した。

 『助けてやるよ』── 一番最初に出会った時に言ってくれた、あの言葉を。

「…どうして、助けてくれるんですか?」

 嬉しい反面、何処か信じきれずに尋ねる。

 自分はきっとリュナンが一番知られたくないであろう姿を知った。そうなる状況を作り出してしまったと言っても過言ではない。

 その自分をまだ手助けしてくれる理由がわからなかった。

「わたしは……」

「そういうお前こそ、どうしてオレを引き留めたんだよ?」

「え?」

「お前は見ただろう、オレが人でなくなった姿を。罪もない村人を殺して…お前だって、殺されかけただろう? なのにどうして…引き留めたんだ。オレが怖くないのか?」

「それは……」

 実際、追求されると返事に困ってしまう。

 怖くはないのか、と聞かれれば、確かに死を覚悟した時のあの恐怖感を思い出してしまう。けれど、正気に戻ったリュナン自身に対しては恐怖感を感じなかった。

 村人達の最後は、きっとこれから先も忘れる事はない。忘れようと思っても、きっと忘れられないだろう。

 瞬く間に奪われた命── それだけの事をした人物だとわかっているのに、村人達のように、リュナンを化け物扱いする事は出来なかった。

 何故ならあれは、この自分こそが招いた事だから。

「…怖くはありません」

 それは、確かな事。そして、もう一つ確かなのは──。

「それに…わたしはあの時、村の人達が死んでしまっても悲しみなど感じなかった。リュナンが傷ついた事の方が、辛かった。── あんなに良くしてくれた村の人達が目の前で死んでも…悲しくなかったんです、リュナン」

「…ティアーレ……」

 自分はなんて残酷な人間なのだろうかと思った。

 感謝していたはずだった。誤解があったとしても、彼等は自分を助けようとしていただけのに── 自分は連れ戻される事を嫌がるばかりか、その死すら悼めなかったのだから。

 そして今だって、もし彼等の為に祈れと言われたとしても、今まで通り心を込めて祈る事が出来るか怪しい。

「リュナン…あなたは自分を人ではないと言いました。でも…わたしもきっと、人じゃないんです」

 彼等の死を気の毒だとは思っても、自業自得だとしか思えなかった。何故なら── 彼等はリュナンを、先に殺そうとした。無実な彼を、一方的に殺そうとしたのだ。

「…わたしには、リュナンを恐れたり、非難する権利などありません。むしろ…あなたの苦しみを増やしてしまった。…ごめんなさい」

 どうして引き留めてしまったのか、言葉にしてやっと理解する。

 そうだ── 自分は、リュナンに謝りたかったのだ。結果的に彼を傷付けてしまった事に対して、謝罪をしたかったのだ……。

「…何で謝るんだ?」

 対するリュナンは困惑した表情でティアーレに問い掛ける。

 実際、彼にはティアーレが謝る理由がよくわからなかった。村人達の死を悲しめなかったと言う言葉も、村人達の態度を思い出せば当然の事のようにリュナンは感じる。

 彼等は明らかにティアーレを『物』のように扱っていた。もし自分がティアーレと同じ立場なら、やはり罪悪感など抱かない気さえする。

「言っただろう? あいつ等の対応が普通なんだ。…《獣宿》持ちは生きてこの世界に関わってはならないんだから……」

 そう、それが常識。だからティアーレに謝られる必要などないはずなのだ。

 …なのに。

「それでも、あの人達が攻撃しなければ…リュナンを傷付けなければ、リュナンは彼等を殺さずに済んだはずでしょう?」

 静かにティアーレは言う。

 それがどんなに常識外れもはなはだしい事なのか、わかっているのかいないのか。…おそらく、わかっていないのだろう。

 でも、その言葉はリュナンの心を打つ。与えられる事がないと思っていたからこそ、心の奥に届く。

 …ずっと、誰かにそう言ってもらいたかった。

 望んで人の命を奪っている訳ではないのだと、わかってもらいたかった。その事で己の罪が軽くなるなどとは思っていないけれど。それでも──。

「悪いのはわたしの方です。そして…たとえ人殺しであっても、わたしにとってリュナンは恩人です。…『助けてやる』って言葉が、本当に嬉しかったんです。だから、わたしはあなたを嫌ったり恐れたりしません。…これから先も、きっと」

 そしてティアーレは微笑む。そこには全く嘘はない。つられるように、リュナンの口元にも笑みが浮かんだ。

 負けた、と何故だか思った。

 世間知らずで、常識が欠けていて、危なっかしい── こちらが手助けしなければ、絶対にすぐに遭難しかねない有様の相手だと思うのに。

 一体何に対して、どういう理由でそう思ったのかわからないまま、それでも敵わない、と思う。泣きたい気持ちになる。…癒される。

「…行くか?」

「はい、リュナン」

 手を差し伸べて尋ねると、子供のように無邪気な笑顔でティアーレは頷く。そして迷う素振りもなく、彼の手を取った。

 その時のティアーレの笑顔と手の温もりを、リュナンは一生忘れる事はないだろうと思った。

 自分を恐れず『人』として見つめる瞳。与えられる心からの笑顔。触れてくれる手。

 それ程に綺麗で、泣きたくなる程に優しかったそれは、独りになったその時から彼が決して手にする事がないと諦めていて…けれど心の底でずっと欲していたものだったから──。


+ + +


「…まずはこの格好をどうにかしないとな」

 お互いの身体を見下ろして、苦笑混じりにリュナンが言う。

 確かに二人の有様はあまりにもひどすぎるものだった。

 リュナンの服は洗い流したものの、血の染みがべったりとついてしまっている上に、心臓のすぐ下の辺りに穴が空いていたし、ティアーレはと言えば、肩にかけていたショールはもはやその役目を果たしておらず、ぼろぼろに破れてしまっており、服にはやはり返り血の染みがついてしまっているのだ。

「でも、こんな姿で別の村に入ったら余計に怪しまれませんか?」

「…そうだな」

 ティアーレの素朴な疑問に、リュナンも頷く。

 追いはぎにあった風を装ったとしても、服の被害に対して、二人はあまりに無傷過ぎた。二人は歩きながらしばし思案にくれ── やがてどちらともなく、呟く。

「…まあ、どうにかなるさ。…多分」

「…何とか、なりますよ。…きっと」

「……」

「……」

 そしてしばしの沈黙。

 二人は顔を見合わせると、申し合わせたかのように笑い合う。

 行き先すら定まらない二人の旅は、始まりを迎えたばかり。それでも二人の足が迷う事はない。



 …翼なき『翼を持つ者』と獣の宿命を抱く者。

 彼等の未来は、ここから始まる。

これは、突発的に書き始めた物語です。

およそ一ヶ月くらいの期間をかけて、この話は書き上げられました…アップする予定などなく(汗)

ぎりぎりまで悩んで、それでも公開に踏み切ったのは、一応ラストまで書き上がった事と、この話がそれなりに思い入れのある話になったからです。


ティアーレとリュナンというキャラの設定は、学生時代にはすでに存在していました。

当時は単に(?)癒しの力を持つ少女と、獣の呪いを受けた少年の物語で、流れ的には彼等がそれぞれ旅をして出会うまでを考えていました…が。

その基本設定だと、何となくよくある話っぽくて書こうと思うには至らず、キャラとしては存在していたものの、ずっとお蔵入りしていました。

その設定に『翼』の世界観をミックスしてみたら、どーんと世界も執筆意欲もアップしまして(笑)

そしてこの『翼の末裔』という話は日の目を見るに至りました。


内容的には続きがあるような感じで終わっていて、実際長篇シリーズ化を視野に入れて書いていた作品なのですが、現在はこの話の続編を書く予定はありません(汗)

他にもいろいろ長篇を抱え込んでいる身なので、これ以上増やす訳には行かないと言うのが一番の理由です。

将来的にはひょっとしたら書くかもしれませんが、書かないままの可能性が高いので明言は避けておきます。

作者的には彼等二人の結末をちゃんと書いてあげたいという思いはあるので、いつか書けたらいいなと思っています。

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