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翼の末裔  作者: 宗像竜子
第二話 翼の末裔
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翼の末裔(14)

 闇夜の中、少女が一人走っていた。

 一応は街と街を結ぶ街道ではあるものの、太陽がその姿を消した時分では人通りなど皆無だ。時折聞こえる虫の鳴き声や夜行性の鳥の声以外では、少女の立てる一人分の足音しか聞こえない。

「ハッ、ハ…、ハ…ッ」

 息を乱し、時に足をもつれさせながら、少女は必死に走る。

 見た所、十四、五歳。小柄で痩せぎすな、これという特徴もない娘。身に着けているのも、いかにも普段着だし、旅装にしてはあまりにも軽装だ。

 荷物という荷物もなく、その腕に大事そうに抱え込んでいる包み以外は日除けのマントすら見当たらない。

 包み── 否。

 少女は荷物すら持っていなかった。まさに身一つで抱えるのは、生後間もないと思われる赤子だった。

 おくるみに包まれ、今は眠っているらしい。泣き疲れた結果なのか、その頬にはまだ涙の跡が色濃く残っている。

「も、…だ、め……」

 息も絶え絶えに呟き、少女の足はついに止まった。

 よろけながら道端に移動するや、そのままペタリと座りこむ。

 ゼエゼエと荒い呼吸を必死に整えながら、少女は自身が抱えていた赤子の様子をそろそろと見た。

(…どうしよう)

 途方に暮れた表情で、少女は赤子の顔をじっと見つめる。

(これから、どうしたら……)

 この道は少女の故郷へと繋がっている。

 正確には故郷の村のある山へ、と表現するべきなのだろうけれども。

 山間の深い谷に囲まれた小さな村。道と言う道などない為、そこにたどり着くのはその周辺の地理に詳しい者か、偶然迷い込んだ者くらいだ。

 そうした村は常に貧困を抱えており、少女も十の年に出稼ぎに出た口だ。

 下働きの下働き程度の身分だが、運も良かったのだろう。ある高貴な家に仕える事が出来、さらに主人にも恵まれ、それまでの事を考えると天と地ほど違う生活の中にいた。

 ── 昨日までは。

 おそるおそる、背後に目を向ける。まだ、追手が来る様子はない。

(大丈夫、大丈夫よ。あたしなんて、あそこじゃ取るに足らない身分の一人だったじゃない。他にもたくさん逃げ出した人がいるし、まさかあたしが預かったなんて誰も思わないわ)

 恐怖で震えそうな心にそう言い聞かせ、少女はそっと赤子を抱き締めた。

 そう、この赤子は彼女の主人からの預かり物だった。綺麗で聡明で、そして優しかった敬愛する女主人が、命がけで守ろうとしたものだ。


『お前に託します。…この子を隠して』


 最後に聞いた言葉を思い出して、泣きたくなる。

 あれほど賢い人だったから、きっとあらゆる手段を考えた上でそれが一番最良だと思ったのだろう。

 数多くいる使用人の中で自分を選んでくれた事は嬉しい。けれど、どうして自分だったのだろうとも思う。

 抱えた赤子はおそろしく軽い。

 村にいた頃は子守をしていたから、その軽さが異常な事はわかる。異常だが── 決して赤子が死にかけていたり、満足に食事を与えられていなかった訳ではない。

 だからこそ、隠さねばならないのだ。

 自分もこの目で見なければ信じられなかったが、この赤子は奇跡の存在だ。そして同時に、他に知られる訳には行かない秘密でもある。生まれた事すら秘されていた位に。

 その時にはあった、背にあった小さな『翼』は今はない。

 このおくるみを取ればそこにはまだ傷跡も生々しい、無残な跡がある。実の母親によって、もぎ取られたのだ。

 なんと惨い仕打ちを、と思う人もいるだろう。けれどそうせざるを得ない状況だったのだ。

 ── おそらく、かの人はこの世の人ではないだろう。

 そう思うと涙が込み上げて来る。泣いている場合ではないと必死に耐えるものの、先程とは違う息苦しさが身体を支配する。

 そして、ろくに母の温もりを知らないままの赤子を哀れだと思う。

 緊急時だったのでほとんど身一つだが、路銀だけはある。別れ際に主人がくれたのだ。この先にある街で旅装を整えなければ。

 どんなに似ていなくても、この赤子は妹という事にするしかない。赤ん坊は泣く事が仕事のようなものだから、目立たないという訳には行かないだろう。

 それをどう誤魔化せばいいのか考えると、少々憂鬱ではあるがやり遂げなければならない。

 行く先を故郷にしたのは特に理由はない。そこ以外に行く先を思いつけなかったからだ。

 けれど、おそらく隠し場所としては最適だろう。地図にすら載らない小さな村だ。帰って来た理由を説明する必要は出るだろうが、それが外に出る可能性は限りなく少ない。

 それくらい閉鎖的な村なのだ。

 隠して…隠し続けて、果たしてそれがこの子にとって幸せな事なのだろうかという疑問は残るけれど。

 周囲も見上げた空も全て闇の色。

 先行きが見えない今、腕の中にある小さな温もりだけが心の支えだった。

「…ごめんね」

 もし自分がもっと大人で、もっと賢くて、もっと強かったら。

 そしたらきっと、違う未来をこの子に与えて上げられたに違いないけれど。

「ちゃんと守ってあげられなくて、ごめんね……」

 でも自分は子供で、頭もあまり良くないし、自分の身すら守れるか怪しいから。せめて、この命をかけるしかない。

 主人がこの子を守る為に命をかけたように。


+ + +


 ── 見上げた空は真っ暗だった。

 いつかの時と同じだと、ぼんやりと思う。

 都から逃げ出して、必死に街道を走ったあの時と。違うのは、腕に抱えていた赤子がいない事と── 自分が死にかけているという事だろうか。

 軽く咳き込めば、こふっという音と共に鮮血が溢れた。

 寒い。

 明らかに血が足りていない。足先から、指先から、熱がどんどんと奪われていく。

 不思議と痛みはなかった。

 流石に切りつけられた時はおそろしく痛かったけれど、でも今はもう何も感じない。失血しすぎて痛覚が麻痺しているのかもしれない。

 失敗した、と思った。

 でも同時に、ざまあみろと思う。

 自分が死ねば、きっとあの子は永遠に守られる。自分が何処から来たのかなんて、この街の人間は誰も知らない。自分があの子を預かった事なんて、誰も知らない。

 ── 自分の元にまで追手が来たという事には、正直驚いたけれど。

(…必死な事ね)

 正統性を主張する為か、それとも象徴として欲しているのか。それとも、かつて聞いた噂── 死病を患わっている── は真実だったのか?

 追手を差し向けてきたであろう人物を思い、心の中でせせら笑う。

(残念でした…『翼』はあなたの物にはならないわ。せいぜいのたうち回って、死ねばいい)

 思い出すのは村を出る自分を見送っていた少女の姿。

 何も知らず、手を振っていたあの子は── これからどうなるのだろう。自分がいなくなったら、あの村でどんな扱いを受けるかわからない。

 ひどい目に遭う事はないだろうが、自由はおそらくないだろう。でもきっと、見つかるよりはずっといいはずだ。見つかれば一体どんな目に遭うか。

 両親の良い部分を受け継いだあの優しい子に、あんな醜い世界を見せたくはない。たとえエゴでも、このまま何も知らないまま生きて欲しいと思う。

 少しずつ遠のいて行く意識。ああ、死ぬのだと思った。

 十六年── 人生としてはきっと短い方だ。それでも不思議と悔いはなかった。

 自分はやり遂げたのだ。形はどうあれ、主人の最後の願いを守りきった。守る事が出来た。

 主人に初めて誉めてもらえた時のことを思いだす。

 誰も気づかないような小さな事なのに気付いてもらえて、どんなに嬉しかっただろう。気さくに話しかけてもらえた時は、天にも昇る気持ちになった。

 貴女の選択は間違いではなかったと、今なら思う。

 取るに足りない自分だからこそ、守れたのだと今は思える。実際、追手は自分の言葉を疑いもしなかった。特に取り柄もない、平凡でちっぽけな自分でも大切なものを守る事は出来たのだ。

(…誉めて、下さいますか……?)

 遠い面影に思いを馳せて、目を閉じる。

 こんな終わりを想像していなかった訳ではない。もっと悔やむのではないかとも思っていた。

 けれど── そこにはただ、充足感しかなかった。


+ + +


 街のはずれで一人息絶えた少女が見つかるのは、それから半日が過ぎた頃のこと。

 明らかな一刀での切り傷に不審を覚える人がいなかった訳ではない。

 物取りならそんな立派な武器など持ってはいない。それこそ、相応の身分を持つ者でもなければ。

 しかし特に特徴という特徴もない少女が何処の人間なのか知る者はおらず、治安の悪さも手伝ってその事はそのまま日常に紛れて消える事となる。


 ── 少女が身をもって守ろうとした秘密は、こうしてその願い通りに守られたのだった。

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