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翼の末裔  作者: 宗像竜子
第二話 翼の末裔
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翼の末裔(10)

 …そう、本来なら自分はとっくに死んでいたはずの人間。

 彼の両親が、殺す事を拒んだ為生き延びた。

 生きてはいてもずっと外界から隔絶され、そのまま一生を終えるはずだったのに── 今、まだこうして生きている。本来なら知る事のない世界で。

 それは偶然が重なった結果だったが、両親の選択が果たして正しかったのか、今でもリュナンはわからないでいる。

「獣宿持ちは、いつか人じゃなくなる。そうなる前に、心まで『獣』になってしまう前に…人である内に殺す── それが、この世の決まりなんだ」

 その決まりを教えてくれたのは、彼を取り上げたという村長の妻だった。

 その時の自分は幼く、それ故に今のティアーレより物を知らず、自分がそれほどに恐れられ、排斥される理由がわからなかった。

 記憶に残るのは、天まで焦がすような赤々とした炎。

 彼の村を焼いたのはおそらく近辺の村や集落の人間だったのだろう。《獣宿》持ちの子供── つまりリュナンを殺そうと、村ごと焼き、毒を撒いたのだ。

 たった一人の子供を殺すため、村で暮らしていた決して少なくない人間を共に道連れにして──。

 それは後にその時の事を振り返って気付いたこと。

 その時は訳がわからないまま、母親の言葉に従って逃げ惑い── 事切れた人々ばかりがいる中、ようやく出会った生きた人間がその老婆だった。

 産婆を務めたからか、シドリという名の老女もまた、リュナンを恐れない人間だった。いや…恐れる必要もなかったのかもしれない。

 何故なら、彼が他者から排斥されるその理由── 《獣宿》というものを教えてくれた時、彼女の命ももう尽きようとしていたのだから。

 結局、村で生き残ったのは皮肉にも彼だけだった。

「そんな…リュナンは、人です。わたしに親切にしてくれた…優しい人です……!」

 ティアーレが泣きそうな顔で訴える。

 その顔が今はもういない母親を思い出させる。母親も…最後まで自分の事を『人』だと言い続けてくれた。 …命の終わるその時まで、言い続けてくれた。

「──…オレを『人』だと言ったのは、親以外じゃお前が初めてだよ」

 くすり、とリュナンは笑いを漏らし、弓矢を構えて次の行動を考えあぐねている男達を一瞥した。

 彼等は獣宿が、噂話程度だとしてもどんなものか知っている。だからこそ、うかつに攻撃出来ないのだ。

 それに今、リュナンの側にはティアーレが控えている。おそらく、ティアーレを盾にされる事も恐れているに違いなかった。

 …彼等は、知らない。

 獣宿を持って生まれるという事が、どんな事なのか。人でありながら、人としての生を否定される。あらゆる人に死を望まれる、その気持ちを。

 理解してもらおうとも、もらいたいとも思わない。

 それを望むには、あまりにも自分は汚れ過ぎた。…本性が『獣』だと否定出来ない事をやってきた。

「ほら、ここが心臓。…大丈夫、心臓の位置はお前等と一緒だ」

 わざわざ心臓の位置まで教えてやっているのに、男達は顔を見合わせるばかりで行動には移らない。

 下手に攻撃して、仕留めそこなう危険を考えているのかもしれないが、リュナンにしてみればじれったい以外の何物でもない。

(…もう、終わったっていいだろう?)

 どんな形でもいい。早く楽になりたかった。

 生きて、生き続けて── その行き着く先に待つのは、結局『死』か『狂気』かしかないと知っていて、生き続けたいと望む気持ちなどどうして抱き続けていられるだろう?

 どちらにしても、もう自分は十七年間も生きてきた。獣宿の持ち主は皆、わかっている限りでは大人になりきらずに死んだという。ならば、自分も程なくそうなるのだろう。

 でもその前に、自分が自分でなくなる可能性を考えれば、さっさと死んでしまった方が良い気がするのだ。多くを傷つけ、血を流して── 命を奪う、あの行為をもう繰り返さない為にも。

「駄目です、リュナン……!!」

 泣きそうな顔で、止めて欲しいとティアーレが叫ぶ。

 そう言えば、結局彼女が何者なのかわからないままだった。村人達が『様』付けするような立場だという事はわかったが、結局具体的な事は何もわからないままだ。

 …心残りがあるとしたら、それ位か。

「ティアーレ様、危険ですからそこから離れてください」

 男がようやく口を開く。

「嫌です、やめてください! どうしてこんな事…わたし、戻ります! 戻りますから!!」

 まるでリュナンを庇うように、ティアーレが彼等の間に立って訴える。

「リュナンは、何も関係ありません。わたしが一人でやった事です。ですから……!」

「ティアーレ様、こちらへ」

 だが、ティアーレの言葉などまったく無視して、男達の一人が彼女の元へと動く。誰も彼女の言葉に耳を貸す気はないらしい。

 そこでふと、リュナンはティアーレの言葉を思い出した。


『わたしには、帰る場所がない。家はありましたが、家族はいませんし、何より── わたしは、あの村では生きていなかった』


 あの時は聞き流していたが、その言葉がある意味真実であった事を理解する。

 村人達はティアーレを敬ってはいるようだ。しかし、そこに意志がある事はまるで認めていない。

 その存在を必要とはしているが、彼等にとって『ティアーレ』という人格は不必要なものなのだ。

 ── だから、彼女は村を出たのか。

「…や、嫌、離して下さい!」

 掴まれた腕を必死に取り戻そうとしながら、ティアーレが抵抗する。

「我が侭をおっしゃいますな。あの男は危険なのです!」

 しかし男は強引にティアーレをリュナンから引き離す。実際、その行動は正しい。正しいと思うのに…何故だか、無性に腹が立った。

 このまま死んでしまおうと思っていたのに── 一言言わずにはいられず口を開く。

「嫌がっているのに、無理強いするんじゃねえ」

「…何?」

「そいつ、自分で村を出たんだぞ。それが折角戻るって言ってくれてるのに、よくそんな扱いが出来るな」

「黙れ! この方が自分で村を出ただなどと……!」

 男は怒りの為か顔を赤くして怒鳴る。リュナンの言葉もまた、彼等は歯牙にもかけようとはしないようだ。

「そんな事があるはずもない、貴様がかどわかしたのだろうが!」

「何の為にだよ。そんな物もよくわかってない女、攫って何の得が……」

「白々しい嘘を!!」

 一体、何が彼等をそこまで言い切らせるのか。疑問には思ったものの、特に深く追求したいとは思わなかった。

 やっと終われそうなのだ。生きる事に疑問を感じながら、放浪する日々から解放されるのだ。…今度こそ。

「大方、獣宿を祓って貰おうとでも思ったのだろうが……!!」

 しかし、リュナンはさらに続いた男の思わぬ言葉に衝撃を受けた。

「な……?」

 そんな事は不可能なはずだ。今まで聞いた事もない。

「…獣宿を、祓う、だって……?」

 ティアーレの顔を見ると、彼女も目を丸くしている。そんな可能性など考えてもいなかった、という顔だ。

「は…そっちこそ、何を血迷った事を。獣宿が祓えるものか。死ぬ事でしか、終わりに出来るはずがない……!」

 そんな事が可能なら。

 もし、本当に可能なら── 自分も、人として生きて行けるのだろうか?

 ふとそんな事を考えて、すぐに自分でばかばかしい、と否定する。それは不可能な夢。この呪いは、死ぬまで解ける事はない…絶対に。

 第一── たとえそんな事が可能でも、もう引き返せない場所に自分はいる。人になれたとしても、今までの『獣』の生が消えてなくなる訳ではない。

 …しかし、そんな思いはたったの一言で崩される。

「この方は、死にかけた人間すらも癒す力をお持ちだ。ならば、と考える人間がいても不思議はない…貴様のようにな……!」

 あくまでも言いがかりをつける男は、自分の言葉がどんなにリュナンに動揺を与えたのか、おそらく理解出来ていないだろう。

 死に瀕した人間を癒す── それはまさに、奇跡の技。

 リュナンは改めてまじまじとティアーレの顔を見つめた。

 その視線に気付いたのか、引きずられるように男達の方へと連れて行かれるティアーレも、真っ直ぐに彼に目を向けてくる。そしてぶんぶん、と首を横に振った。

 ── 信じては駄目、そう言われた気がした。そして実際、ティアーレは叫ぶ。

「そんなの嘘です、リュナン…わたしには、そんな力は……!」

 しかしその言葉は、途中で途切れる。

 その言葉を遮るように、男はぎり、と最後まで弓を引き絞り、リュナンの心臓に狙いを定めた。

 この距離だ、正確に心臓を射抜かれれば命はない。

 ティアーレが悲鳴をあげる。やめてください、というその言葉はやはり周りの男達からは黙殺される。

「せめて、最後にエフェ=メンタールのお姿を見、声を聞けた幸運を喜ぶ事だ……!」

 男はまるで餞別のようにそう言い、その手に番えた矢をついに手放す。

(…エフェ=メンタール……?)

 それはいつか何処かで耳にしたような言葉。けれど、それを何処で聞いたのか思い出す事は許されなかった。

 ひゅん、と鋭く空を切る音。

 十分に力を貯めていた矢は、ついにその目的を果たすべく、リュナンの胸を目指して飛び込んで来る。

 リュナンは微動だにせずそれを待った。…自分の命を、終わらせる為に。 

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