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翼の末裔  作者: 宗像竜子
第二話 翼の末裔
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翼の末裔(7)

 とても暖かい何かを抱き締めて、ティアーレは夢の中にいた。

 それはいつか見た、知らない誰かが嘆くそれと同じようであったし、違うようでもあった。

 不可思議な夢。

 ただ、わかるのは自分の声は、届けたい先へ届いていないのだということ。その事がとても淋しくて、心細くて、凍えるような気持ちになる。

 気付いて欲しかった。自分の存在を知って欲しかった。── 自分の方を、見て欲しかった。

 腕の中の温もりは、そんなティアーレを確かに暖め、慰めてくれるのだが、それが何なのかはわからない。

 けれど、それが何か確かめる為に手放すのが惜しくて、ティアーレは益々その腕の中の温もりをしっかりと抱き締め──。

「…アーレ、ティアーレ! おい、起きろ!!」

「── え?」

 …至近距離からの耳に馴染みのない男の声に驚いて目を開くと、そこには夜の闇のような真っ黒な髪と、金色を帯びた赤い瞳の青年がいて、ティアーレの眠気は一遍に吹き飛んだ。

 一瞬、自分の置かれた状況がわからずに混乱に陥ったものの、ティアーレはすぐに自分を取り戻し、まずはその場で一番相応しいと思われる言葉を口にした。

「おはようございます、リュナン」

「……」

 しかし、返ってきたのは朝の挨拶ではなく、心底呆れ果てた視線と表情だった。

 出会ったのが夜の闇の中で、ずっと彼の夜光る目ばかりを見ていたせいか、表情がわかるだけで何だか居心地の悪さが倍増したような気がして、ティアーレは思わず視線を外してしまった。

 朝、目が覚めたら『おはよう』と挨拶するのは、ひょっとして一般的な事ではなかったのだろうか、それとも何か別にリュナンを呆れさせるような事を自分は無意識にやってしまったのだろうか?

 そんな事をぐるぐると考えていると、はあ、と疲れたようなため息がリュナンの方から聞こえてきた。

「…リュナン?」

 おそるおそる顔を再び上げると、至近距離にいた青年は苛立たしげに頭を掻きながら、ぽつりと一言漏らした。

「お前…本当にどういう奴なんだ……?」

「え、あの……?」

「…わからないなら、いい。取りあえずどいてくれ…動けないだろうが」

「???」

 何がわからないというのだろう、そう思ったのは一瞬のこと。

 次の瞬間、彼の言葉の意味を理解したティアーレは即座に彼の言葉に従った。…その顔を、真っ赤にして。

「ごっ、ご、ごめんなさい!!」

「…いいけどな、別に」

 やはり何処か呆れたような口調だったが、怒りのようなものはそこには感じられず、ティアーレはほっとした。ほっとしたのだが…顔の火照りはすぐには戻らない。

(わたしったら…初対面も同然の、しかも男の人に…だ、抱きついて寝てたなんて……!!)

 リュナンでなくても、呆れるだろう。いや、場合によってはとんでもない勘違いをされていた可能性だってある。

 一応は年頃の娘として、それはあまりにもはしたない行為に違いなかった。

 ただでさえ世間知らずを自覚していて、気をつけなければと思っていたのに、旅立った翌日にこれではあんまりと言うものである。

 穴があったら入りたい気持ちでぎゅっと身を固めるティアーレを、リュナンはやれやれ、といった顔で見つめたが、ティアーレは気付かない。

 恥ずかしくて恥ずかしくて、死にそうだった。

「…昨日の夜は、ちょっと冷えたからな。寒かったのか?」

 やがてリュナンのそんな言葉が聞こえてきて、ティアーレはえ、と顔を上げる。

 思い返してみたが、寒かったかと問われてもあまり覚えていなかった。

 何しろ、あの後リュナンの導きの元、何処をどう歩いたのかもよくわからないままに歩いて、リュナンが手慣れた様子で落ち葉を集めて作ってくれた即席の寝床に横になった瞬間から、記憶が曖昧になっているのだ。

 本当は旅慣れた様子のリュナンに色々と話を聞いてみたいと思っていたのだが、あんなに長時間歩き通しだったのは初めてだっただけに、疲労の方が強かった。

「寒くはなかったと思うのだけど…でも、そうだったのかも?」

「…はっきりしねえな」

「そんな事言われても…覚えてないんですもの」

 寒かった、という記憶がないという事は、寝て間もなく身体が冷え切る前にはもう、リュナンに抱きついていたのだろうか。

 そう思うと益々顔の火照りはひどくなってしまった。

 だがそう思う反面、じゃあリュナンは目を覚ますまで、ティアーレが抱きついている事に気付かなかったのだろうか、という疑問も頭をもたげた。

 もたげたが── 面と向かって聞くのは何だか躊躇ためらわれた。

 何となく無意識にリュナンの瞳を見上げると、ティアーレの疑問に気付いたのか、リュナンは何処か居心地の悪そうな顔で言い放った。

「…まあ、オレもお前がいつから抱きついてきてたのか、気付かなかったけどな」

 リュナンのその言葉はティアーレを少し安堵させたものの、リュナンにとってはそれは不名誉な事だったらしく、それきりその事は話題にはならなかった。

 もっとも── それどころではない事態が、すぐそこまで来ていたからでもあったが。

「…人の声がする」

 やがて居心地の悪い沈黙の後、ふと我に返ったようにリュナンが呟き、その場は緊張に支配された。

「声…まさか」

「二人…三、いや四人…か? 結構な数だな。ティアーレ、お前…一体どういう奴なんだ?」

 言いながら立ちあがり、今までとは違う緊張に満ちた表情で、リュナンは口癖になりかけている質問をティアーレに尋ねる。

 対するティアーレといえば、人の声など聞こえないばかりか、人数などわかるはずもなく、リュナンの耳の良さに驚くばかりだ。

「…追手が、もう……?」

 夜が明けてどれだけの時間が過ぎたのか判断できないが、木々の間から見える空の様子からでは決して遅い時間ではなさそうだ。

 という事は、ティアーレがいなくなった事は予想したよりもずっと早く、村人に気付かれてしまったのだろう。

 追って来るかもしれないとは思っていたが、これほど早く動くとは予想外だった。

「これは昨日の夜の間にはお前が家出したって事がバレてるな。夜明けと共に動けば、ここまで来てもおかしくはない。第一、この辺りに不案内なオレと違って、向こうは庭も同然な場所だろうからな」

「…家出じゃありません」

「お前はそう思ってても、向こうはそう思ってないと思うぜ?」

 連れ戻されるかもしれない、そう思った瞬間、ティアーレは目の前が真っ暗になった気がした。

 家出だと思われているのなら── そう思うのが自然だけれど── 自分は彼等の『裏切り者』なのだ。彼等の信頼を裏切った、彼等の期待を裏切った…裏切り者。

 連れ戻された所で、殺されるような事はおそらくない。

 けれど…きっと、今まで仮初かりそめながらも与えられていた自由は、もう二度と与えられる事がないに違いなかった。

「…おい、ティアーレ!」

「…え?」

「何を呆けてやがる。…捕まりたくないんだったら、さっさと立て。ようは捕まらなきゃいいんだろうが」

 赤い瞳に泣きそうな顔の自分が映っている。なんて情けない顔だろう。

 ── 自分は、こんなにも力がない。

「ティアーレ?」

「ご…めんな、さい……。ごめんなさい、リュナン」

 村を出る時に、決して泣くまいと心に誓った。なのに、自分の無力さを思い知る事で、その誓いが早くも破られてしまいそうだ。

 申し訳なくてしようがなかった。折角リュナンが助けてくれたのに、もうこんな迷惑を彼にかけている。

「あ?」

「手伝ってくれ、なんて言わなければ…リュナンにこんな迷惑は……」

「ばかか、お前」

 どう詫びればよいのだろう、それだけしか考えられないティアーレの腕を乱暴に掴んで立たせると、僅かに上から心底呆れた言葉が投げつけられる。

「迷惑をかけて悪いって思うんなら、ともかく動け。手伝えと言ったのはお前だが、手伝ってやると引き受けたのはオレだろ? …村に戻りたくないなら、自分の最善を尽くせ」

 リュナンの言葉には優しさなど欠片もなかった。あくまでも事実だけを口にしている、そんな様子だった。

 なのに、ティアーレは確かに強張った心が少しだけ解れるのを自覚する。浮かびかけた涙が、止まった。

「はい…はい、リュナン」

 …そう、自分は決めたのだ。生まれて初めて、自分で考えて決めたのだ。村を出て、この世界の何処かにある、自分が生きる場所を見つけるのだと。

「それでいい」

 やはりぶっきらぼうなリュナンの言葉。けれど、ティアーレは感謝の気持ちを抱かずにはいられなかった。

 いつまでリュナンが手を貸してくれるかはわからない。それでも、もし…この先、彼の役に立てる場面があったら、どんな事でも手を貸そう、そう心に決める。

 自分一人では出来ない事も、誰かが手助けしてくれたら可能になる── その事を、今ここで知ったから。

「行くぞ」

 寝床にしていた落ち葉を軽く散らし、そこにいた痕跡を簡単に消すと、リュナンは先に立って動き出す。その後を追って、ティアーレもまた動く。

 その背に思い出すのは、昨日の会話。


『── オレは、自分の死ぬ場所を探している』


 あの言葉が、何処まで本気だったのか今は知る術がない。けれど、もし…もし、本当にそれこそが彼の本当の望みだったら。

 想像するだけで胸が痛い。

 けれどそうする事だけが、彼の助けとなる手段になるのならば── 必ず叶えよう。たとえ自分がそれを望んでいなかったとしても……。

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