翼の末裔(4)
「…迷子にしちゃ、育ってんな」
やがて聞こえてきた呟きは、内容こそ失礼極まりないものながら、何処か優しいもので彼女は少し安心する。
「迷子じゃありません」
それでも何となく聞き捨てならないと反論すると、相手はおや、というように少し目を見開いた。
「口、利けるんじゃないか。ずっと黙ってるから、てっきり喋れないのかと思った」
「喋れます。勝手に決め付けないで下さい」
何処か小ばかにしたような言葉に、ちょっとだけむっとして言えば、相手は笑ったようだった。
気配しか伝わらないものの、それだけで場の緊張がいくらか和らぐ。
「じゃあ、こんな所に一人蹲って何してたんだよ?」
「…それは」
ここで野宿をしようとした。そう言うのは容易いものの、よくよく考えれば今会ったばかりの、しかも見も知らない男に話してやる義理などない。
ティアーレはしばらく考え、そしてそろそろと枝が引っかからないよう気をつけながら繁みの中から立ち上がる。
改めて向き合ってみると、男は自分より頭半分くらい背が高いくらいで、外見的な年もあまり変わらないように思えた。
「あなたには、関係ないでしょう?」
挑発的にも受け取れる彼女の言葉に、金の瞳が眇められる。そして、やはり小ばかにするような口調で言い放った。
「…なるほど? 確かにオレには関係ない事だ」
「……」
「だが、野宿するんだったら、もうちょっと装備を整えてやるんだな。そんな薄着じゃ、夜も満足に越せないぜ?」
「……!」
言わずともお見通しだと言わんばかりの言葉に、ティアーレは目を見開く。返す言葉も思い付かない彼女に、男は更に言葉を重ねた。
「それにこの辺りにも夜盗が出る。あんたみたいな世間知らずは、さっさと家へ帰る事だ。…何なら、送ってやろうか?」
「!!」
まるで子供に対するような言葉に、かっとなる。反射的に睨んだ瞳は、何処か冷めた輝きで、余計に腹が立った。
今までずっと村でこんな扱いを受けて来なかった分、こういう無礼甚だしい扱いに対して、どう対処すればよいかわからない。出来た事はただ、怒りを込めて睨むだけ。
男はそれに堪えた様子もなく、ティアーレの次の行動を待っているようだった。
素直に送ってくれ、と頼んでくるとでも思われているのかと思うと、益々頭に血が上りそうだったものの、不意に一つの考えが思い浮かんで、彼女に冷静さを取り戻させた。
── この男こそ、一体何の為にこんな夜中にこんな森の中を歩いていたのか?
その疑問は、じわじわとティアーレの心に不安を育てて行く。
男自身が言ったように、今の世の中、何処でも夜盗や山賊といった危険な人間が横行している。世界はあまりに貧しく、それ故に人の心も荒廃しやすいのだ。
この男だって、そういう人種でないとどうして言いきれる? こんな所を夜中に歩いているだけでも十分怪しいではないか。
「…あ、あなたに送ってもらう必要なんてありません」
ともすれば震えそうになる声を必死に紡いで、ティアーレは言う。
「あなたが、その夜盗の類でないと、どうして言い切れるんです。わたしを送って…その足で仲間を連れてくるつもりではないの?」
「──」
「おあいにく様ですけど、わたしは自分で村を出てきたのです。今更戻る気などありません」
「……へえ?」
ティアーレの言葉に、男は何処か愉快そうな声を漏らす。そして、やはり人を小ばかにしたような口調で言ってくれる。
「そんな無防備な格好で、何処に行くつもりか知らないけど…人を疑うなら、言葉を選べよな。もしオレが本当に夜盗の一員だったら、言いがかりだとか何とか理由をつけて、今ここで殺されても不思議はないぜ?」
「……!?」
「言っておくが、オレは夜盗なんかじゃねえよ。大方、こんな夜中に歩いていて怪しいとでも思ったんだろうが……オレはこの通り、普通の人間より夜目が利くんだ。いろいろと夜の方が移動するのに都合がいいからそうしているだけだ。…信じてもらわなくても結構だけどな」
「夜目が利く……」
それは目が光っている事と何か関わりがあるのだろうか。そんな事をふと考え、やがてティアーレは名案を思いついた。
「そうだわ! あなた、わたしを手伝って下さいませんか?」
「…はあ?」
いきなり態度を変えたティアーレに面食らったのか、初めて男が間抜けな声をあげた。
それが何となくおかしくて、彼女は勢い付いて言葉を重ねる。口にしてみると、実際それはとても名案のように思えた。
「先程も言いましたが、わたしは村を出てきたのです。黙って出てきてしまったから、追手がかかるかもしてなくて……。だけど、わたしにはこの暗闇を進むような無茶は出来ません。あなたが夜盗でないと言うのなら…そして、わたしを放っておけないと思うのなら、わたしを助けて下さい」
そうすれば、ティアーレはこの夜道を進む手立てを得られるし、最悪男が夜盗の類でも── その場合は、ティアーレは殺されてしまうのかもしれないが── 村までの道を知られずに済む。
勝手に村を出てきたものの、村の人々達に恨みはない。心配をかける分、危険からは遠ざけたかった。
男は目を眇め、ティアーレを見下ろす。そしていかにもゆっくりと口を開いた。
「…あんたの家出の手伝いをしろって?」
「家出ではありません!」
面倒臭そうに言われて、反射的に否定する。
確かに黙って出てきた事を考えれば、それは十分『家出』と言えるのかもしれない。けれど──。
「…『家出』というものは、帰る場所がある場合に言える事でしょう? わたしには、帰る場所がない。家はありましたが…家族はいませんし、何より──わたしは、あの村では生きていなかった」
「……」
「わたしは大事にされていたけれど、誰も…わたし自身を必要とはしてくれていなかった。だから……!」
「── わかった」
「え?」
遮るように言われた言葉に、ティアーレは一瞬自分の言葉を忘れる。
思わずまじまじと男の目を見ると、そこには先程まであった冷ややかな輝きが消えているように思えた。
決して友好的なものは感じさせないものの、それだけで何となく安心感を感じる。
「…『わかった』って……?」
「だから、あんたの言いたい事はわかった、って事だよ。…いいぜ、助けてやる。今、特にこれと言ってやらないとならない事もないからな」
「…本当に?」
こんなに簡単に手助けの手を得られるとは思わなかっただけに、ティアーレは面食らって思わず確認を取ってしまう。
もしかしたらそれが男の手なのかもしれない、とは一瞬思ったものの、それよりも『助けてやる』という言葉が嬉しかった。
「ああ。…その代わり、あんたもオレを手伝ってくれるか?」
「あなたを?」
ふと思いついたような言葉に首を傾げる。
確かに返せるものが何もない状態だけに、その条件は当然のような気はした。
自分が持っている物といえば、この命とこの身体くらいだ。言わば無償で手伝ってもらう以上、出来る事はやらねばならないだろう。
しかし、流石に即答をしてはいけないような気がして男の言葉を促す。
「…一体、わたしはどうすれば?」
「難しい事じゃない。…いや、あんたみたいな奴には難しいかもしれないけどな」
何処か揶揄するような言葉に、嫌な予感を感じつつ、ティアーレは夜の闇で不明瞭な中、唯一はっきりと認識出来る彼の瞳を見詰めた。
「…何ですか?」
一体どんな困難な条件を提示されるのか。
思わず身構えて確認を取ると、男は静かに言いきった。
「── オレは、自分が死ねる場所を探している。もしくはオレを殺してくれる人間でもいい。何度も試したけど…オレは自分で自分を殺せない。だから殺してくれるモノを探してる。オレを殺せそうな人間がいたら、オレを殺すように頼んでくれ。…あんたがオレを殺せるのなら、それが手っ取り早いが……それは無理だろ?」
男の瞳は真剣そのもので、冗談で言っているのではない事はわかった。
しかし── それは簡単に頷ける内容ではない。
言葉通りに受け取れば、この男は死にたがっている。つまり、ティアーレに死ぬ手伝いをしろと言っているのだ。
「── だ、駄目です! そんな事……!!」
「…そう言うと思った」
男はくすり、と初めて笑い声を漏らす。
それは自嘲めいていて、ティアーレは何故だか泣きたい気持ちになった。
「…どうして、死にたがるんです? 生きていなければ、何も出来ないのに……!」
「そうだな。でも、オレは死ななければならないんだ…出来るだけ早く」
闇の中、金に光る瞳が無機質に輝いた。
ティアーレの言葉に頷きながらも、何処か神妙な口調で言う。
「どうして!」
悲鳴のような声で追求する彼女に、男は静かに言った。
「── オレがオレである為に」