前々座
人に容赦がないならば、自分の身も簡単に擲つことに差異ないと思われてはとっても困る。
痛いのは嫌だ、当たり前である。
怪我をして療養することも嫌だし、治療という分野の裏ルートに頼ってしまうことも嫌だ。
しかしながら、常人としてただの良さげの運動神経しか持たない少女が列車から無傷で脱出など無理な話。
「まさかそう来られるとは思わなかったよ」
「どこがまさかだ。全く驚かなかったくせに」
「いいや?驚いているよ。あのラインナップだとしても他への活かしようはいくらでもあるだろう?キミがここを選んだまで。驚いているんだ」
そう繰り返すと、荒廃した土地でアイリーンはどこか不服そうに現場を観察した。
急行列車の脱線事故により乗客130名が死亡。恐らく国外でも報道されるほどの大事件だ。
「さぁホロウ、帰ろうか」
「イルサ。褒め言葉の1つもなし?」
「……まるで洋画のような口ぶりだな」
「そっちはさながらアニメだよ」
煙が立ちこめ生々しい臭いも同時に、まだイルサとホロウの鼻孔を不機嫌にする。
しかしそれに顔で難色を示すのはホロウだけのようで、まぁ慣れているよと言わんばかりにイルサの表情はテンで同じだ。
先に否定しておくが、ホロウに師匠は2人といない。
たとえ今隣に立つ、ホロウより十数㎝背が高く阿呆な口調の女性が、金髪で黒目で和な顔であっても、これはうちの師匠変わりないのである。
ここまで言えば。大体分かってもらえるだろう。
マスクは水性。殻もその下も非常に忘れやすい顔、と。
「キミはボクの何を知っているのか知らないけど」
こちらこそイルサが今何を待っているのか知らないが。
「ボクは可愛い子が好きなんだ。良かったね」
斜に構えた阿呆を募っておいて隅にも可愛い子を求めていたのだとすれば中々にチャレンジャーである。
それでこそ名盗アイリーンかもしれないが。
へっとホロウが自分の中で出た結論に鼻で笑っていると、イルサは愛でてぇを全開にホロウをなでなでする。
数時間前の会話で察せる通り、ホロウは未だアイリーンの弟子を数すら知らないので当然名前も容姿も知る由ない。
可愛い子がいなくて寂しかったらしい。
「こういうので良いんだよね。こういうので」
「仮満足の位置が高いよ」
「おや、そうかもしれないね」
俗に、高級フレンチよりも素朴且つ理想的な朝ご飯に対して掛けるだいぶな褒め言葉であるが、大前提世間の評価は>だと決めつけることにもなる。
とはいえ、芸能界1の美人イケメンよりも結婚を考えたい相手というのはまた違うだろうし、相手を下げるより自分も上げることで合意とした。
それでもある程度のレベルを人は求めたいものだし、やはりだいぶな褒め言葉として受け取る。
そもそもイルサだってだいぶな美女とよべる。
それ相手に自分と上下を訴えるのは両方にとって苦しい戦いだ。やめよう。
「そこのお嬢さん方、少しお話いいかな?」
イルサと二人、横転し見る影もない列車のそばでそれを見守っていた。
既に警察は到着し死傷者の救出も始まっている中、先頭車両で無事だったのはこの二人だけだ。
疑うのも当然。
それを見越した上で警戒気味に声をかける警官のフランス語を、ホロウは理解出来ていた。
「良いか悪いか、結果として亡くなった者たちがうまいこと下敷きになってしまってね。助かってしまったのだよ」
間違いではないがいい気はしないイルサの回答に、警官はまず名前から問うので「イルサとホロウ。アメリカからの旅行客だ」と再び返す。
どちらもアジア顔のイルサとホロウだが、アメリカは知っての通り多国籍社会。いくらでも似た顔つきでアメリカ国籍はいるだろう。
強く出られない警官を見限った様子で、イルサはそれを無視しどこかに電話をかけ始めた。アジア圏の言語だ。タイ語?そのへんだ。
ホロウはその通話には参加せず内容も聞かず、黙って潰れきった列車を見守る。
「お嬢ちゃん。君は今いくつかな?」
当然、母親の障壁がなくなったタイミングを見計らい、ここまで声を発していない小さい方に警官は問いかけてきた。
いつの間にか応援を呼んだらしく、その後ろから女性警官と大柄な戦闘要員がその質疑応答に参加する。
「eighteen」(18歳)
「Oh,sorry.You can't speak French?」(すまない。君はフランス語が話せないかな)
「My bad」(悪いね)
「So let me ask in English.Are they parent and child?」(ではここからは英語にしよう。君たちは親子かい)
「Yes」(そうだ)
何でも良かったがさすが世界共通語である。
フランス人だろう警官も断りなしの英語返答にすぐさま応じ、と同時に質問者を女性警官へと変える。
ホロウはフランスの女性でみれば申告の18歳より幼く見えたのかもしれない。
子供や女性に対して、婦人警官で穏やかに対応するのはよくある例で違和感なしであるが、それでも細身なパンツスーツを作る肉体から彼女も明らかな武闘派と察せる。
ハッタリも眩ましも効かない大草原で、仮に対3人となれば応じられるだろうか。欧米の警官は権利も侵害も関係ないヤクザなイメージしかないのだが。
「Travelling to France?」(フランスには旅行?)
「Yeah」(そう)
「Where were you going on the train?」(どこへいくつもりで列車に?)
「Beats me. Mom’s got something up her sleeve」(知らないよ、母が何か企んでる)
「U……Up to something?」(た、企んでるって?)
「It's a surprise」(サプライズ)
「……Yeah」(そう)
当然、有意義な会話とは言えないだろう尋問に警官らは目を見合わせる。
小娘に最低限のフランス語が分かる以上、下手に話し合いも出来ない。
硬直してしまった状況にイルサを見上げるが、視線に気づいてホロウを見ただけでウインクなんか返してまた通話に戻る。なんて母親だ。
「Je me souviens du visage de la personne que j'ai écrasée」(下敷きにしてしまった人の顔を覚えている)
盛大に保守と鎌をかけた。
***
「……Je suis désolé si mon langage était grossier. Je ne suis pas de là-bas」(失礼な文法だったら申し訳ない。出身ではないもので)
良い感じに間を開けて、呆気にとられる三名に畳みかけるが婦人警官はホロウの謙遜に首を振った。
アメリカ人におけるフランス語の識字率が低いことはないだろう。
お隣カナダにいけばフランス語は第二言語として小学校から授業が取られるほどの扱いだ。
欧州圏の言語として話せる米国人がいても驚くことではないはずだが。アジア顔だからかな。
しかしホロウのご丁寧な断りに彼女は次の言葉を出そうとしない。
随分な蛇足だなとホロウも眉間に皺を寄せる。
二人を疑っているならさっさと聞いてしまえばいいのに。それとも、イルサの電話が終わるのを待っているのだろうか。
そう思いイルサの脇腹に肘を入れるが軽い拳骨を落とされるので渋々諦める。
「――pense que c'est différent」(――違うと思います)
「Peut-être que tu devrais essayer?Il dit qu'il se souvient de ton visage」(試せばいいんじゃ?顔を覚えてるってんだ)
「Le visage du cadavre était en grande partie écrasé et sa position dans la voiture était en désordre. Il n’y a aucune preuve ni aucun fondement pour une quelconque critique」(死体はほとんど顔が潰れている。位置も車内でめちゃくちゃだしな。どちらにとっても、何の材料にもならないだろう)
途切れ途切れ、そんな内容で三人は話し合っている。
内容が筒抜けにあるのは承知の上か、違和感なさそうに自分らを見つめる18歳アメリカ国籍が聞き耳たてていることを咎めようとはしなかった。
その後も同じような会話ターンが続くので、ホロウは今一度列車の状況をみる。
警官、あるいは消防のような人間が車内で仰るとおりめちゃくちゃになった乗客たちを運び出す。
現在の作業の中心部分についてはまず、助かる見込みはないのだろう。それほどまでに列車の損傷は激しい。
急カーブに差し掛かったあたりで列車は外側に投げ出されており左の車輪は外れるか曲がり潰れるか。
警官も言う通り、主に先頭車両がその被害を直に受けているため後列の生存乗客らは既に救出され緊急車両で近隣の駅へ移っている。
残っている人といえばイルサとホロウ、警官に消防、そして死体だけだ。
にも関わらず、生き残った先頭車両の人間2人に傷は一切なく血しぶき一つ残っちゃいない。
不幸中の幸いとみるか怪しいとみるか。二つは今の状況下、紙一重と言えるだろう。
中だるみで逃げ出したくなる映画みたいにホロウの変わらん白肌しか映らない画面に変化を差し上げる如く、イルサがスマホを戻したのが間もなくだった。
それに気づかなかったホロウの頭を撫でたイルサは、娘を背後にやり自分は2歩、前に出た。
「Avez-vous fini d’interroger ma charmante fille?Comme l’a mentionné l’enfant, notre famille est actuellement en voyage en Europe. Je souhaiterais éviter toute restriction supplémentaire.」(ボクの可愛い娘への尋問は終わったかい?この子の言う通り、今は親子水入らずの欧州旅行中でね。これ以上の拘束は遠慮願いたいよ)
何をかっこいいことを言ってくれるのかと思えば逃亡か。とホロウは白けた顔でまだ娘の前を手で制する母を「ケッ」と見上げる。
母との付き合いも既に半年。この人のことを深く知った仲だと自覚していたがやはり色々他人らしい。
好きな映画は「アダムス・ファミリー」アニメも好きで「名探偵コナン」を漫画でも愛読しているという中々にファンタジックな女性であること。
使用する銃の型を毎回変えていること。非常に頭に残らない顔であること。どうやら素顔もこれではないっぽいこと。両肩に銃痕のような痕をもっていること。頻繁に風呂に誘うこと。生理を何らかの方法で完全に止めていること。どこまでいっても女性以外には変装しないこと。両親が既にいないこと。好きな曲は飽きるまで同じものを聞き続けるタイプなこと。訪れた現地のマグネットを必ず購入していること。定住地がないこと。アイリーンはコードネーム的なあれでありシャーロックホームズの「ボヘミアの醜聞」アイリーン・アドラーからとっていること。イルサも某・不可能任務に登場する女性・イルサ・ファウストからとっていること。それくらいミーハーなこと。
半年で知ったにしては十分なものだろう。
超能力者でも何でもないホロウにとって、お察しの通りガードの堅い母から本人の情報を得るのは苦労する。
唯一、風呂に入る間は口が緩むので仕方なく付き合うことで現在の関係性を築いた。
ホロウ同様、むしろそれ以上に多言語を操るほどの才女であることも相まって既にホロウはアイリーンは当然、イルサの何者にも勝てやしない。
負けが確定している相手におんぶりだっこになるのは嫌な気はしないし恥も感じたことはなく、ここはアイリーンに甘えることにする。
「はぁ」と一息つき、ホロウは胸ポケットから取り出すタバコに火を付けた。
フランスの喫煙が許される年齢は18歳から。意外と18歳以上で許可の下りる国は多いのだ。
公共の場での喫煙が厳しく取り締まられる国もあるらしいが、何もない大草原の線路沿い、しかも潰れた列車のせいで煙漂うこの場所で環境もくそもないだろう。
同じくヘビースモーカーのアイリーンは背後から香ったそれに若干手を揺らす。
それくらい耐えてこそ母親だろうと鬼畜の所業だ。もう一度、鼻で笑ってやった。
「マダム。お嬢さんはフランスに入ってから喫煙を?」
「そうだよ。何かいけなかったかい?」
その様子は警官らにも目視できたようで、婦人警官に代わり最初の男性警官が前に出、互いにすっかりフランス語で続ける。
たとえホロウがアメリカ国籍であったとしても、その瞬間体の在る国の法律が適用されるため18歳というフランスの基準を満たしたホロウの喫煙に問題はない、と今さっき説明したところだ。
しかしそれにしては一層警戒の色を強めた警察陣が目に入る。
イルサから咎められはしないものの、空気を読みホロウもさっさと火を消す。
「お嬢さん。その火消しは日本でのみ販売されているブランドのものだよ」
「……あ」
手元を見る。
気にしたことがなかった。
やってしまった。
そこそこ良い値段のものを持っているという自覚しかなかった、どこで買ったかなんてもう記憶はない。
反射でイルサを見上げる。
がそれより前に、ガタイのいい男性警官が更に前に出、今にも取り押さえんと動こうとする。
疑い深い者を、それ以外の罪状で先に警察署という鳥かごに突っ込む。あるっちゃある手法だ。汚いが。
「何が言いたいのかな?ボクが日本を訪れた際に買い、娘にプレゼントしただけだよ」
「それならいいんですがね。やけに使い込まれているように見えるのは私の目が悪いかな」
全く悪くはない。まさに、既に4年モノである。
「ほほほ」と1人笑いを漏らしていると母から後ろ手にしばかれる。
が、そんな軽口をゆうてる間でもないらしい。
異性は避けたのか、女性警官が最初に動き出した。
ホロウは1歩下がりそれから避けようとする。が、女性警官が手にしているものに目を丸める。
バチバチと電気を放つ、アニメでよく目にするそれ、スタンガンだった。
「え?」
しかも急所といって差し支えないだろう首元に、それが躊躇なく迫った。
未成年喫煙でスタンガン?ただでさえ使用への法律が厳しい電気ショック系に限ってそれはない、絶対にない。
まさか警官を装った敵襲?
いや遠く離れたフランスでそんなこと
「ッぅぐゥ!!」
「ホロウ」
急接近する排気ガスの音と共に、次の瞬間、ホロウの体はアイリーンの腕に包まれていた。