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前々前座

 この世の創作物の八割は、ただの娯楽に過ぎない。




「――ですね。もう少し顔を傾けて。薄く微笑んで頂けますか?雪姫?もし、雪姫」

「やめておけ。ああして浸られるとしばらくは声が届かない」

「……月が綺麗ですな」

「やはり、あの噂は本当なのだろうか」

「あの噂、とは?」


 様子を見にやってきた弟子が問うと、絵師の側で作業を見守っていた武官が顔を上げる。


「なんだ、知らないのか。雪姫が実は月からやってきたのでは、というあれだ」

「なんです?その非現実なものは」

「所詮ただの噂だ。そう思った方が世の女は恵まれるのではないか?」

「そうですか」


 弟子・藤雅はそうぼんやりと返した。




「疲れたのか?」


 隣に温かさを感じ、雪姫は顔を傾けた。


「どうかした?」


 何のことだととぼける雪姫に藤雅は膝を立てたまま笑う。


「その角度が一番美しいと、みな気づかないものだな」


 そっと雪姫の頬に触れると、名の通り自分の手が溶かされるのではと思うほどに冷たい肌。

 それと同時にさらさらと油ひとつ感じさせない、とても人間とは言い難い白が覆っていた。


「眠い」


 その浮世離れした容姿は宮中でも度々話題を攫い、「雪の精」と名が付くほどである。

 どこか象徴に近い扱いを感じさせ、絵師は度々彼女をモデルとするが長時間同じ姿勢でいるのは堪えるのだろう。

 夜中から始まったそれも既に朝焼けを覗かせる時間にまでなっていた。

 何の躊躇いもなく藤雅の膝に体を預け縁側に仰向けになる雪姫に、藤雅はそっと唇を重ねる。

 そこだけ燃えるように、雪を溶かすくらい熱い想いで包まる。


 トンと力が抜けたようにその細い腕を外へ投げ出し、雪姫はその目を閉じる。



――――その瞳が白い目を見せることは、その後二度となかった。


***



「唇に何かしらで毒を塗って口づけと同時に毒殺。こんな簡単なもので推理モノのつもりか??」


 鼻で笑い飛ばし、そのへんに投げ飛ばす。

 話題になっているからどんなものだと見てみれば、ちょっとでも推理モノに関心がある者ならフリだけでその先が読めるくらいの薄さだ。

 今時の小説はこんなところにまで落ちぶれたのか、非常に残念だ。


 面白くないとまでは言わない。これが世間にウケていることは事実だし、求めるものがただ高いだけ、という自分の感性への理解も一定ある。

 要はランクが下がったんだろうなという残念、まさにその感情だけ。

 今の題名も知らぬ作品と同じような扱いを受けた小さな本たちが、既にベッドには20冊と末路を辿っていた。

 何か面白いと思えるものを求めて、まさにそれでネットから情報を頂き本屋へ赴き、腕を痛めながらページをめくり。

 これだけやっても楽な姿勢が見つけられない理由もおいておくとして、大御所からネットだけに浮いた未評価作品まで身漁った割に、やはり読了後の目に残るのはデカい何作かくらいだ。


 面白さを求める。

 人間、笑うという行動が嫌いな者はおらず。感動する行為が嫌いなやつなんてもっと希少だろう。

 映画ファン、ゲームオタク、漫才好き、ドルオタまで然り然り。

 それら人間がワクワクと属している感情を求める先が異なるだけであって本質同じく。

 そうなれば当然その先への評価がまちまちになることだって仕方がない。


 荒廃した世界では感動も面白さも減り、それを生み出す者も減少し続ける。

 では過去のそれら巨匠たちに影響を受け今を輝かせるルーキーたちも減り、然り然り。


 小説投稿サイトで何か漁るか、と今起きている窓から動こうとした手を、そのSNS投稿が止めさせた。

 

『何かにつけて斜に構えるボクたち。是非キミと出会わせて欲しい』


「――こうでなくちゃ」


 それが、ホロウとアイリーンの出会いだった。



 ***


「アイリンで十分なのに、リーンまで言ってくれるんだ」

「字面の美を求めたまで」

「ありがたいよ。キミがそのスタンスでいてくれるのがね」

「死ぬまでに新聞の一面を飾る夢はどうしたの。そのための発言なのに」

「ボクはあくまで世界の注目を浴びたいだけだよ。その象徴を新聞だと、1つ断定しているだけだ」


 窓辺のコップ1つ分の隙間に細い肘を乗せるホロウに、アイリーンは隣でそう主張していた。

 女性らしさしか感じられないネーミングの割に一人称も口調もそれと外したものである、奇妙な師匠だと、ホロウも人ごとではなく唸った。


 がそれとは半面、女性の美しさに溢れた外見や佇まいも持ち合わせている。


 窓辺に留まらず決して広くはない車室で、アイリーンは静かに本をめくっていた。

 トランクにこれでもかと書籍を詰めているなとは思っていたが、趣味なのだろうか。

 それを知れる段階には、まだホロウは着いていなかった。


「弟子って、どのくらいいるの」

「知りたいのかい?」


 顔も上げず問う師匠に、ホロウは一度考えを整理した上で頷く。

 言葉にしなかった返答であったが、間を置くことなく、そして興味を本から移すこともなくホロウに返す。


「両手で数えるほど、と言っておこうか。勘違いしないでほしい。こんなに可愛いのは初めてだよ」

「それには、既に見限った人間も入ってるの」

「……おや」


 初めて、アイリーンが顔を上げる。

 首筋が見えるようアップにされた金髪と濃い青目は欧米人らしいが薄い顔はどことなくアジアを感じさせる。出身も国籍もホロウにも分からない日本語以外の発音も、まだ彼女の口から聞いたことはなかったが。


 ホロウの返しにどうやら初めて本以上の価値を見いだせたらしいアイリーンは、自分より二回り小さな顔をしばし見つめたまま沈黙する。


「もう少し可愛い語尾にすればいいのに。なんだい?その疑問符のカケラもない淡泊さは」

「関係ない」

「あるよ。愛嬌も立派なスキルの1つだ。だろう?」


 ならば貴様が身をもって表せと、当然間髪なく返せるボケだがアイリーンは自身の考えを曲げない。


 そういう女であることは分かっている。

 とにかく硬い、そんな人なりであり思考回路だ。

 きっとホロウが考え抜いて言葉にしたものの片手分も彼女の本質には届いていない。

 大体が、アイリーンという女を覆う大量の器に阻まれるかそれだけを破るかしか出来ていない。

 しかし今、それだけの衝撃が確かに、アイリーンの本質を1つ揺さぶっていた。


「可愛い弟子に免じてだ。含んでいるよ。つまり、今元気にしているだろうはもっと少ないね」

「動きを把握してないのか」

「丁度今なら、している子としていない子の両方がいる。ボクは必要ないと思っているんだけどね。もう派閥ごと違うのがほとんどなんだ」


 恐らく右左でその両方とやらを分けているのだろう、互いにいくつか指を折って考えている。

 しかし、ハイテンポで動くそれが互いに四を表すポーズになった時点で、アイリーンはさっと腕を下ろした。


「そろそろ、始めようか」


 一瞬で変わり果てる狭っちい室内の空気に、ホロウは唾を飲む。

 何から()()()()を感じ取ったのか、知る由もないが1つ可能性を砕いておくとすれば、今見える範囲に時計はない。

 動き始めたアイリーンは早い。

 網棚に載せたトランクに手元の数冊を突っ込むと反対に、道具を取り出すと体のどこかに仕舞い込む。

 計画は急行列車に乗り込む。この第一段階しか聞かされていないホロウにとって、もはや数十分前から既に未知の世界だ。


「……私は何をし

「まずは逃げるを学ぶ。全力でこの列車から脱出しよう、いや、しておいてくれ」

「それがホロウ、君の第一ミッションだ。いいね?」

 

 緩まった金髪を手早く縛り上げながら、アイリーンはそう言い聞かせ、同時に小柄なリュックサックをホロウに抱えさせる。

 それが彼女の言う”逃げる”のための道具だということはホロウにも分かった。


「緊張する必要もないし、逃げるに罪悪感を抱く必要はないよ。ボクも逃げることはあるし無敵無双だとも思っちゃいない。けれど、逃げに確実な恥を持っておくべきだと、ボクは皆に説いているよ。なぜだか、ホロウ、君は分かるかい?」

「分かる」

「おや。理由を聞いても?」

「とても、同意見だから」


 言葉を紡ぐまでもない。


「だから私はあなたの言葉に乗った」


 いざ並んでみればホロウよりも十数高い背でアイリーンは新たに作った弟子を見下ろす。

 ちなみにアイリーンという名の由来は当然、『シャーロック・ホームズ』よりアイリーン・アドラーからいただいたものだ。

 短編『ボヘミアの醜聞』で有名な彼女だが、あのホームズが唯一その実力を認めた女とも言われる。

 まさに、世界の天才の記憶に名を残した女だ。格好が良い。 

 新たな弟子は何の得意も特異も経験もないただの少女。

 では何を気に入ったって、それは運命だ。

 

「いいね。また楽しいライフになりそうだよ」

 

「life~ライフライフ~」と景気よさげに鼻歌のままに、アイリーンは車室の扉を開けた。

 何の緊張感もない。

 無駄にいい発音で、とホロウがツッコむまでもなく。


「怖いかい?」


 定められる、心が確信に変わった。


「馬鹿、早く行け。あと五秒だ」


 ホロウが胸に仕舞った懐中時計は間もなく14時に向かっていた。

 もう、なる。



 雷鳴が落ちたような轟音が、列車に。


 一発、景気づけと言わんばかりに列車後方にお見舞いされたそれを合図にするか未だ見ぬ未来への憂いにするか、ホロウはアイリーンの背中を蹴り上げる覚悟で師匠(それ)と反対方向に走った。

 それこそ動きを止めない列車の車内にしては有り得ない速度。


「おぉ、速いね」


 それがストレートな褒め言葉ではないことを察しながら、ホロウは全速力で、同様車室から廊下での騒動を覗きにかかる客の目に触れる前に、車両の突き当たりを曲がり併設の洗面所に突っ込む。

 既に、計画は自分の中で立てていた。

 アイリーンが用意する道具が何かにもよるが、まず大前提、この列車の中で一番の化け物・アイリーンから逃げなければならない。

 鬼ごっこさながらの、彼女のゲームメイクから、ホロウは対象として例外にならない。

 逃げに罪悪感を持つな。笑わせる。


 ――――逃げなければ、ホロウに師匠の胸に飛び込めるような未来は訪れないのだ。

 

 

 この時間がトイレの清掃中にあてられていることは知っている。

 ドア前に置かれた清掃中の看板を無視し侵入すると当然、中で何食わず清掃作業に遵守している作業員とばったり鉢合わせだ。

 

「な、お客様、今は清掃中でして。しばしお待ち頂くか、別の車両の手洗いをご利用――


 視線を狭い室内の端に落とし、泡のたつバケツを見つけると作業員の顔面に中身をぶちまける。

 トイレなり洗面台なりの清掃中なのだ。洗剤入りの水があるのは当然、それを見開く目に間髪入れず投げられては多少くらい目が眩む。

 大柄ではないが成人男性の肩に乗り上げ、バランスを崩させながら右肩を引き潰した。


「グッがぁぁァァァァァ!!」


 肩の完全な脱臼は、骨折や靱帯断裂と同等の痛みに並べられる。

 それがどの程度かは知らないが、出会い頭目が使えなくなり肩に強烈な痛みとなればその一瞬での衝撃はひとしおだろう。



 さて――


 今ので5度目の雷鳴。

 ここにアイリーンの魔の手が届くまで、推定五分もない。

 まだまだ止まることを知らない急行列車相手にどうするか。


 ホロウはアイリーンに預けられたリュックサックを開封した。

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