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8 旭の友人達

 上野君と知り合ってから、僕はよく彼を見舞うようになった。

 卑しい本音を言えば、彼の口から旭について僕の知らないことを聞かせてもらいたかったのと、美国が僕を嫌う理由を探るのが彼を見舞う目的だったのだけれど、そんなことはどうでも良くなるほど彼とは気が合い、すぐに名前で呼び合う間柄になった。

 前田君も支倉君も、校内で僕に会えば声をかけてくる。閻魔様の罰を実感して以来、同性の親しげな態度には異性に対して以上に過敏になっている僕だが、彼らに関しては何故かそっちの下心を感じられなかった。

 ただ、毎回軽い挨拶と二言三言の当たり障りのない会話程度の前田君に比べ、支倉君の方は妙に絡むような物の言い方をするので、時々不愉快な気分にさせられた。僕が旭と付き合っているのが気に入らないのかもしれない。

 広海から聞くまで知らなかったが、前田君は中学の時県大会個人一位、全国大会でもベスト8に残った剣道部期待の星なのだそうだ。

 そんなに強いのにどうしてこんな学校に来たのだろう。この高校の剣道部は部員数も実力も弱小で、道場も柔道部と半分ずつ使っているような部だ。前田君の実力なら、例えば納田市の私立高校あたりからスポーツ特待生として招かれても不思議ではないのに。

 その前田君と仲のいい支倉君は、同級生の中では群を抜いて大人びていて、本当か嘘か分からない噂を色々耳にした。夜は酒を出すカフェでバイトしているとか、納田市内の繁華街を怪しげな雰囲気の大人と歩いていたとか、得体の知れない会社が入っている雑居ビルに出入りしているとか、十歳ほど年上の女性と付き合っているとか、その多くがあまり良いものではなかった。

 支倉君についての良くない噂が流れているのは旭も知っていた。支倉君本人も知ってはいるが「噂なんて本人が過剰反応しなければ面白くないからすぐに消える」と放置しているらしい。

「瞬は誤解されやすいのよ。自分ことには言い訳しない性格だから」

 旭は庇うけれど、例えば十人中八人までが同じ証言をすれば大抵そっちの意見の方が真実に近いんじゃないだろうか。

 でも、広海の意見は違った。

「真実は多数決によって決められるものじゃないよ。見る角度によって真実なんて変わる」

 この世の全てのものは多面体なのだと広海は言う。

「自分が見た面だけが真実と思っちゃいけないよ。だって、夜の漆黒も昼の蒼穹も同じ空だろう。夜だけが、昼だけが真実だなんて言えないのと一緒だよ」

 広海にそう言われると、僕には返す言葉がなかった。

「だから……美国のこともあの態度だけを見て嫌わないでやってくれないかな」

「いや、僕の方は別に嫌いではないんですけど……美国の方が」

 何故僕を嫌うのか。僕は思い切って広海に聞いてみたが、

「……うん……それは……嫌いなんじゃなくて、ただ、人見知りが激しい奴なんだよ」

 ありふれた言い訳が返ってきただけだった。

「旭とかぼくとか、自分をよく知ってくれてる友達が傍にいたり、よく知ってる場所でなら、緊張も少し和らいで話ができるんだけど」

 確かに美国は対人が苦手のようで、クラス内で口を利く相手は極限られているし、自分から誰かに声をかけることは殆どない。それだけ見れば、広海の言う通り人見知りな性格なのだと思える。

 美国はあれ以来僕に話しかけてこない。

 いつも通りと言えばいつも通りだが、一度は少し近づけたかと思えた分、埋まらない距離が寂しかった。


 

 昼休み、旭とアラレちゃんとシノ様それにクラスの男友達何人かと最近公開になった映画の話をしている時だった。

 ふと視線を黒板の方へ移すと、美国が教壇のすぐ前の自分の席で午後の授業で当たりそうな数学の問題を解いているのが視界に入った。

 使った消しゴムが机から落ちたのにも気づかず思考を巡らせている。その時、たまたま通りかかったクラスメートの矢島君が、落ちている消しゴムを拾って美国の机の上に置いた――瞬間、美国はものすごい音を立てて机をひっくり返して立ち上がり、その場を飛び退いた。

 驚いたみんなが音のした方を振り返る中、美国は顔を強張らせて矢島君を凝視していた。

「――消しゴム拾ってあげただけじゃないか。そんなに大げさに避けなくても」

 矢島君は怒ったわけじゃない。彼はクラス一の長身だが性格は穏やかで、活動しているバスケット部でももう少し覇気があればと言われているくらいだ。怒鳴るでもなく、むしろ困惑した声で問いかけただけだったのだが。

 美国は見る間に震え出し、視界の端で旭が美国へ駆け寄って行くのが見えた。

 が、旭が傍に行き着く前に美国は倒れた。

「美国!」

 騒然とする教室の中、旭は美国を背負って立ち上がり、

「心配しないで、単なる貧血だから」

 保健室へ連れて行くと言ってそのままさっさと――まるでそこから逃げるように教室を出て行った。

 みんなは騒ぎの元凶の残った矢島君に視線を向ける。

「お、俺はホントに、消しゴムを拾っただけで」

 オロオロと言い募る矢島君が気の毒で、僕は援護に回った。

「僕、見てました。矢島君は消しゴム拾って置いただけで、多分、美国は人がいないと思っていた所に矢島君がいたから驚いたんだと思います」

「美国が倒れたの、旭の言うとおり貧血だよ。顔色も悪かったし」

 アラレちゃんが矢島君の背中を軽く叩いた。

「たまたまタイミングが悪かったんだろう。気にすることはない」

 シノ様も頷き、女の子二人に宥められて、矢島君は渋々頷いていた。

 しばらくして戻ってきた旭はまっすぐ矢島君の所へ行き、頭を下げた。

「さっきはごめんなさい。美国の代わりに謝るわ」

「いや、別に謝ってもらわなくちゃならないことなんて……それより吉沢さんは大丈夫?」

「今は保健室で寝てる。あのね、美国から聞いてきたんだけど、昨日机の中から白い手が出てくる怪談話を本で読んで、怖くて夜あまり眠れなかったんだって。で、その怪談話を丁度思い出してた時に横から矢島君の手が出てきたから、すごくびっくりしてしまったらしいの。あの子臆病だから。矢島君は何も悪くないのに迷惑かけてしまって、本当にごめんなさい。体調が良くなったら謝りに来させるから、気を悪くしないでね」

「い、いや、そんな。いいよ。そこまでしなくても。俺の方も一声かけたら良かったのに」

 大きな体を縮めて恐縮する彼は善人そのものだっだ。

「俺身体でかいから、それも怖かったのかも。吉沢さんちっちゃいし」

「そんなことないわ。矢島君が優しいのはみんな知ってるし、堂々とした立派な体格で、バスケ部の期待の新エースじゃない。ファンが増えてるらしいわよ。六月の総体の試合は女子の応援がすごいと思うわ」

 旭に笑顔で持ち上げられて矢島君は照れていたが、僕は旭に早川家の母の遺伝子を見たような気がした。娘があれならその母は推して知るべしだ。女性のリップサービスには十分気をつけよう。

 それにしても、美国が怪談話を思い出して恐怖したという話は本当だろうか。

 広海と映画の話をしたとき、広海たち五人の中でホラー系の映画に一番強いのは美国だと言っていたのを覚えている。

 映像は平気だが活字で読む物は怖いなんてありえるだろうか。

 僕が考え込んでいると、前田君と支倉君が教室に駆け込んできた。

「美国、倒れたんだって?」

 旭がまだ矢島君と話しているせいか、二人は小声で僕に尋ねてきた。僕が頷くと二人は僕を廊下に連れ出し、どういう状況だったのか聞いてきたので、僕は自分が見たままと旭が矢島君にした説明を彼らに話した。

「……そうか。旭が近くにいたならひとまず安心だな」

 前田君はホッと肩の力を抜き、支倉君は大きなため息をついた。

「中原、広海の見舞いに時々行ってるんだろう? 広海には美国が倒れたことは言わないでくれ。広海に心配かけたくないんだ」

「わかりました」

 支倉君はイライラと保健室のある方向を見ていたが、

「瞬、こんな時大げさになるから俺たちは行かないって決めてるだろう」

「そうだけど、しばらくなかったじゃないか」

 前田君にたしなめられた彼は、不機嫌な顔で俯いて吐き捨てた。

「とりあえず旭は同じクラスになれたんだ。旭がいれば大丈夫だ」

「ああ……分かってる。分かってるよ。旭がいれば大丈夫だ」

 支倉君は自分に言い聞かせるように言葉を繰り返した。ついさっきまでは今にも保健室に走ってきたそうだったが、それで随分落ち着いたようだった。

「あの、旭が貧血だって言ってたんですけど、もしかして美国はどこか悪いんですか?」

 僕だって目の前で倒れたクラスメートを心配する気持ちはある。だから、知ることで何か手助けができるならばと思って尋ねたのだが、

「お前には関係ない」

 支倉君は冷たい一言で切り捨てた。

「お前は旭だけ大事にしててくれりゃいいんだ」

「瞬、何だ、その言い方は」

 前田君が叱ると、支倉君はすねたようにぷいと顔を逸らしてそのまま来た方へ歩き去ってしまった。

 残った前田君はため息を一つつくと、僕に軽く頭を下げた。

「すまん。あいつは口が悪いだけなんだ。今のは、迷惑をかけて悪かった、旭のことを頼むと言いたかったんだ」

 それは意訳が優秀すぎるだろう。

「そうですか? 支倉君は僕のこと嫌ってるみたいですけど」

「そうじゃない。お前とどう付き合えば良いか、あいつなりに図ってるんだ。意外と慎重なんだよ、あいつは」

「慎重なのは前田君もじゃないんですか? 旭に関しては特に」

 この際だと思い、僕は前田君に聞いた。

「前田君も支倉君も、旭に紹介される前から、旭と付き合っているのは僕だと知っていたんじゃないんですか」

 前田君は答えなかったが、肯定したのも同然だった。

 おかしいと思っていたのだ。旭は恋愛に無関心な自分を心配してくれている友人を安心させたいから僕と偽装の付き合いをしたいと言った。その友人が校内にいるのだったら、交際を始めた当日でなくとも数日の内には紹介するだろう。

 多分、旭は前田君たちに僕と交際すると早々に告げはしたはずだ。なのに紹介は一ヶ月後。このタイムラグの意味は一つ。彼らは素知らぬふりをして、僕という人間を観察していたのだ。

「顔合わせした後では、旭の友人である自分たちにいい顔をしようと色々取り繕う恐れがあるから、黙って陰から僕の言動に見ていて、とりあえず及第点をつけられるくらいは評価できたので、実際に会ってみようという話になったんじゃないですか?」

 支倉君のように不愉快に絡んではこないが、前田君からもなんとなく言動を観察されているような気がしていた。それは僕に閻魔様の罰による性的魅力を感じるからではなく、僕個人の資質を探ろうとする意思によるものだと感じていた。

 僕の問いに前田君は僕をまっすぐ見返し、たっぷり十秒は沈黙した後、

「お前、結構考える奴なんだな」

 あまり表情を変えない彼が、薄く笑った。

「俺は、旭が選んだ男なら信じる。でも」

 彼はふいに緊張感漂う不穏な空気を漲らせ、低い声で告げた。

「万が一、お前が旭や美国を傷つけたら――俺はお前を殺す」

 本気の視線を僕に注ぎ込んで、前田君は静かに立ち去った。

 午後の授業が始まる五分前の予鈴が校舎に鳴り響いたが、僕の身体は硬直していて、身じろぎもできないままだった。

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