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6 お見舞い

 僕に来た春は、所詮まがい物だった。

 旭は僕に対して恋愛感情を抱いていないので当然と言えば当然かも知れないが、学校内では僕と仲良くしてくれるものの、学校外では全く放置されていた。

 電話番号さえ後で教えると言ったきりで、付き合って十日目に恐る恐る聞くと、「あ、教えてなかった?」とあっさりメールアドレスまで教えてくれたまでは良かったが、無駄な電話やメールが嫌いな話をそれまでに散々聞かされた僕がどうして用もないのに電話やメールをすることができるだろうか。

 それでも僕は今までの僕からすれば賞賛されるべきほどの勇気を振り絞って「周りに偽装とばれないように二人で映画でも」と電話してみたのだが、先約という壁に玉砕した。

「私、しばらく土日は予定が詰まってるの。だから気を遣ってくれなくて良いからね」

 じゃあね、と軽い挨拶で電話は切られ、通話時間はわずか一分足らずだった。

 最初から名ばかりの恋人の約束だったから、何かを期待する僕が間違っているのは分かっている。けれど年頃の男としてはやはり色々と切ない。いっそ今からでも誤解を解いて改めて僕の方から交際を申し込もうかと何度も考えたが、僕を異性として見ていない彼女に告白しても結果は知れている。最悪、友人でもいられなくなる。

 そんな八方塞がりの状態を密かに悩んでいた僕に旭の方から初めて電話してきたのは、偽装交際を始めて一ヶ月ほど過ぎた、土曜日の夜だった。

「突然ごめんね。あの、よかったら明日の午後、一緒に行って欲しい所があるんだけど」

 僕は了解し、午後一時に近くの公園で待ち合わせる約束をした。

「本当にいいの? 明日は日曜日だし、もし彼と会う約束してたなら、私の方が日を変えるわよ?」

 すっかり忘れていたが、僕には同性の彼氏がいると旭に思われているのだった。

「い、いや、大丈夫です。何も予定はなかったです」

「そう? それならいいけど。私との契約のことは彼に話した? もし言い難くて言ってなかったり、話して彼の機嫌が悪くなったりしてるんだったら、私が直接会って事情を話して頼むから」

「そ、それも大丈夫です。何も問題ないです。それにちょっと遠くに住んでいるので、そんなに会ってるわけじゃないんです」

 むしろ二度と会いたくない。今考えると怒りがこみ上げてくるが、あの一件のおかげで旭とお近づきになれたのだから、許してやることにする。

 デートだ。ようやく、偽者とはいえ彼氏になった醍醐味を味わえる日が来たと、喜んで出かけて行った僕を待っていたのは、かわいい私服の旭――だけではなかった。

 美国とあと二人、同級生らしい男子がいた。

 美国は初め女の子とすら分からなかった。ワンサイズ上のだぼだぼのTシャツにこれまたサイズが大きいカーゴパンツ。キャスケット帽をかぶると小柄で痩せていることもあって男子中学生に見える。男子二人の方は、ジャージ姿の真面目そうなスポーツマンと流行の服に光物が目立つチョイ悪系。見事に対照的な二人だった。

 顔に何となく記憶があると思ったら同じ学校の生徒で、硬派が五組の前田大樹、軟派が三組の支倉瞬だと旭に紹介された。

「美国もそうだけど、二人も私と同じ小中学校の出身なの。大樹、瞬、この人が今私がお付き合いしてる中原優人君よ」

 旭が味気ない青春を送るのではないかと心配している友人というのは、彼らだった。僕はずっと同性の友人だと思っていたので、男友達と分かって驚きもしたし奇妙にも感じた。

 旭が恋愛にあまり興味示さないことを心配しているというのは保護者的感覚であり、彼らは旭を恋愛対象として見ていないということになる。人の好みはそれぞれだとは思うが、旭は一般的に見て容姿がいい方だ。彼女を見て異性として意識しないなんて、同い年の男としてちょっと理解できない。

 僕は男女間にも友情が成り立つという話には懐疑的だ。身内以外の妙齢の女性は全て恋愛対象というのが年頃の男の本音で、友情が成り立つと言っているのは無警戒な女性か、恋愛関係に持って行く勇気と気概のない男だけじゃないのかと思っている。

 とりあえず挨拶すると「よろしく」と短い返事が返ってきた。特に友好的というわけではないが、あからさまに反感を持たれている感じでもない。初めて会った人間とどう関わって良いか分からないから適度な距離を保っている風で、簡単に言えばごく普通の初対面の場面だったが、僕にはそれがひどく意外に思えた。

 生き返って以来僕に会う男のほとんどが、目の奥に口に出したくない感情を揺らめかせていた。しかし二人の目には、そんな色は全く見えなかったので。

「ごめんね。本当は二人で行きたかったんだけど、話したらみんな一緒に行くって」

 めげるな、僕。集団デートだと思えばいいじゃないか。

「いや、出かけるなら人数が多い方が楽しいからいいですよ。それでどこへ」

「うん……病院なの」

 病院、と聞き返すと、旭の声が曇った。

「塚森中央病院。ヒロミが優人に会いたがってるの」

 僕もちょっとそのヒロミちゃんに会ってみたかった。

 病弱な美少女――と勝手に決め付けてはいけないかもしれないが、僕は妙な期待感を持ってみんなと病院へ行った。



 病院の三階の内科病棟、その四人部屋にヒロミちゃんは入院していた。

 休日専用の出入り口から院内に入ると、みんなは当然のように階段の方へ向かった。

「あの、エレベーターはこっちじゃないんですか」

「あ、ごめん。美国がエレベーター苦手だから、いつも階段で行くのよ」

 エレベーターで先に三階まで行って待っていてと言われたが、みんな階段で行くのに僕だけエレベーターで行くのも軟弱な気がして、みんなと一緒に階段で行った。

 部屋の入り口にある名札の『上野広海』という文字が目に入った時、微かに嫌な予感がした。

「ヒロミ、お見舞いに来たよ。カーテン開けていい?」

 部屋の中の各ベッドを仕切るカーテンに旭が声をかけると、

「いいよ。どうぞ」

 カーテンが開いて顔を覗かせたのは。

 男――少年だった。予感、大当たり。

「今日は彼も一緒に来たの。紹介するね。この人が中原優人君」

 ヒロミちゃんて男だったのか。だったら初めからそう言ってくれよ。いや、僕の方も女の子と思い込んでいて聞かなかったのだけど。

 美少女に会えるという思惑が外れて多少がっかりしたが、話してみると彼はいい人だった。病気のせいで普通高校への進学は諦めたが、通信教育で大検を取り、いずれは大学を目指すという努力家だった。それに、僕が昔から仲のいいみんなの中で疎外感を感じないように、話題にも気を配ってくれた。

 旭たちみんなは見舞い慣れしているようだった。周囲の迷惑を考えて、大声を出したり、はしゃいだりしない。

 驚いたのは美国が饒舌だったことだ。上野君相手には学校では見たこともない笑顔でしゃべる。まるで別人だった。

「じゃあ、身体に障るといけないからもう帰るね」

 旭の言葉に、名残惜しかったけれど僕らも腰を上げた。

「また来るから」

「うん。……あの、中原君も良かったらまた来てくれるかな」

「来ますよ。みんなの中で僕が一番家が近いから」

 僕がそう言うと、上野君は「待ってる」と屈託なく笑った。

「……旭、よかったね。優しい彼で」

 上野君は旭に笑いかけると、美国にも優しげに笑いかけた。

「美国……中原君はいい人だよ」

 なぜ上野君が美国にわざわざそんなことを言うのか分からなかったが、

「分かってるよ。そんなこと」

 不機嫌に言い捨てた美国の心情もまた分からなかった。



「それで、上野君はどこが悪いんですか」

 病室を出て階段を降りながら、僕は本人に聞けなかったことを旭に聞いた。

「……腎臓なの。すごく悪くて、今は人工透析も受けてるの」

 旭の答えは僕の想像以上に悪いものだった。

 中三の夏までは普通に元気だったのに、秋になる頃急に体調が悪くなり、検査、即入院。以後は入退院の繰り返し――なのそうだ。

 今まで僕の周りにはそんなに深刻な病に罹った人間はいなかった。その上若さは健康の代名詞のように思っていたから、同い年の彼が学校にも行けずに闘病生活を送っているのはかなり衝撃的だった。

 前田君は部活、支倉君は用があるからと病院前で別れた。

 上野君の病室を訪ねる前では病院を出た後何とか旭をデートに誘おうと考えていたけど、何だか気分が沈んでしまってそんな気になれず、旭と美国ともまたそこで別れた。

 そのまま家に帰る気になれず、僕は自転車で町中を少し流した後、書店に入った。そこは県下に何軒も支店を持ちCDやDVDも扱っているこの町では一番大きな書店で、僕は気分直しに漫画雑誌でも買って帰るつもりだった。

 店内に入ると、見覚えのある服の後姿が目に入った。だぼだぼのTシャツの小柄な奴が、左腕に何冊も本を抱え、背伸びして書棚の高い位置にある本を取ろうとしている。が、あと少し届かない。

 僕は見かねて近づき、聞いた。

「この本でいいんですか」

 後からいきなり声をかけられたことに驚いたのか、美国は飛び上がるようにして振り返った。振り返って固まったまま、目を見開いて僕を見ている。

「あの……この本ですか」

 美国は機械仕掛けのようにこくこくと首を縦に振る。

 僕が本を棚から引き抜いて渡すと、小さな声で礼を言った。

「まさかそれ、全部買うんですか」

 美国が腕に抱えた本はコミックスや雑誌、文庫本の他にハードカバーもあり、軽く十冊は超えている。ジャンルも様々で統一性もなくまるで趣味の傾向が読めない。

 ちなみに僕が取ってやった本のタイトルは『テレビの前でパンを食う猿』。何の本だか分からない。こんなタイトルの本、書く奴も書く奴だが読む方も読む方だ。

「まだ……もう少し、買う、んだけど」

 この上もっと? 金は大丈夫なのか?

「じゃあ、持ってあげますよ」

 僕が美国の抱えた本に手を伸ばすと、彼女は大げさと思えるほど後退りした。

「い、いいよ。そ、それに、選ぶのに、時間、かかるから」

「もっと本買うなら、そんなに抱えてたら選ぶのに不便ですよ。僕、暇だし気が長い方だから時間は気にしません」

 美国は少し迷った後、本を差し出した。

「じゃあ……頼む」

 後ろに付いて書店内を回ったが、美国は何かに夢中になると周囲に気を配れなくなるタイプだっだ。僕が付いて歩いているのもいつの間にか忘れてしまっていて、思いつくまま本棚の間をふらふらと行き来する。本を選ぶのに夢中になって途中帽子を落としたのにも気づかない。こいつ、絶対男脳だ。

 美国に付いて小一時間後、ようやくレジへ。結局、美国が買った本は全部で三十七冊。総額にして三万八千九百八十円。もう少し買う、が聞いて呆れる。レジのお姉さんもレジに並んでいた他の客も驚いていた。

 僕だって生まれて初めて見たよ。一度に四万円近く本を買う女子高校生なんて。

 美国は何枚もの図書カードと現金で清算していた。いろいろな懸賞にこまめに応募して当てた図書カードと家事を引き受けている分多めに貰う毎月の小遣いを貯めておいて、何ヶ月かに一度本をまとめ買いするのが好きなのだと言うが、桁が一つ多くないか?

「美国は自転車で来たんですよね」

 頷いたので、僕は店員さんに頼んで買った本を手提げ袋でなくダンボール箱に詰めてもらった。

「こっちの方が自転車に積んで帰りやすいです」

 僕は美国の自転車までダンボール箱を運び、荷台に巻きつけてある荷紐で箱を縛りつけた。

「多分これで大丈夫だと思いますよ」

「……ありがとう」

 広海と話している時の足元にも及ばない愛想のなさとテンションの低さだが、これでもまだいつもに比べれば口数の多い方だから良しとしよう。美国は僕を気に入らなくても、僕は自分の好きな女の子の友達にはできるだけ嫌われたくない。

「じゃ、気をつけて帰ってください」

「あ、あの」

 意外にも、帰ろうとした僕を美国が呼び止めた。

「……これから、旭の家に、行くんだけど……よかったら、一緒に……」

 行きたい! ……が。

「いや、急に僕が行ったら、迷惑ですから」

「今から旭に、電話、する」

 どういう心境の変化だろう。今まで無視に近いくらい僕と口も利かなかったのに。

 美国が旭に電話すると、ぜひ一緒に来てと言ってくれた。

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