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30 閻魔様とその部下達

「待たせたわね。入って」

 聞き覚えのある声に、僕は転がる勢いでドアを開けて中に入った。

「書類、整ったわよ。今回は管理庁がミスを認めたから、結構早く決着着いたわ。おめでとう、これで完全に生者となったわよ」

 僕にセクハラされて怒ったことはなかったかのように、閻魔様は上機嫌だった。でも僕にはそんなことどうでも良いことだった。

「お願いします。助けてください」

 僕は閻魔様に土下座した。

「あ、何言ってるの? 今説明したでしょ。君はもう」

「違います。僕の友達を、今さっき死んだ友達を助けてください」

「誰よ、それ」

 僕は広海のフルネームを答え、広海たち五人のことを話そうとしたが、閻魔様はそれを片手を上げて止めた。「資料」とひと言言うと、僕が仮に現世へ戻るときに注意事項を伝えに来てくれた彼が、慌てて自分の机から冊子を取り閻魔様に渡した。

 あれが俗に言う閻魔帳という物なのだろうか。閻魔様は本当に読んでいるのかと疑うような早さでページを捲る。

 閻魔様に冊子を渡した彼は僕の方に向き直ると、申し訳なさそうに頭を下げた。

「君が正式に現世に復帰するまでの期間、君の身柄はうちの部署が受け持っているんです。本来は決着が付くまでここで待機して貰うのですけど、閻魔が現世に帰してしまったので、その間の君の行動や友人関係は監視、記録させていただきました。もしも君が生き返れなかった場合、仮の生き返りで現世にいた間に君が関わり影響した事案は、すべて君の関与の痕跡を消去しなければなりませんから」

「痕跡を消去って、どういう意味ですか?」

「例えば、君のお姉さんが君と揉めて怪我をしたことは自分の不注意で怪我をしたという記憶に置き換えられます。友達の部屋を模様替えしたのは、彼女自身が思いついた、ということに。とにかく、一番自然で納得できる記憶にすり替えるのですよ。君が生き返らなければ、そこには君はいなかったわけですから、君がいた痕跡は残せないんです」

「この子の生き返りは決定したんだから、そんな説明しなくていいのよ」

 閻魔様は冊子を放り出し、手元の書類を見た。

「残念だけど、この広海って子の死は君のような誤りではなくて、間違いなく正式なの。それにもう決済印も押しちゃったから」

「じゃあ、僕の復活書類を広海の名前に書き換えてください。僕に代わりに広海を生き返らせてください」

「無理。諦めなさい」

 それでも僕は広海の助命を繰り返し頼んだ。

「広海は本当に良い奴なんです。優しくて、頭が良くて、僕なんかよりよっぽど世の中の役に立つ人間です。何より、美国の心の支えなんです。美国はようやく事件から立ち直りかけてるんです。今、広海が死んだら、美国の心も死んでしまうかもしれないんです。だからお願いします。広海を助けてください」

 僕の生きている世界は理不尽で、現実は常に無慈悲だ。だからこそ死後の世界だけは高潔であって欲しいと願っていた。けれどこんなにも死後の世界が無情なら、僕たち人間に魂の救いなど無い。この世もあの世も同じなら、宗教の言う天国や極楽はどこにもない。

「閻魔様の言う通りでした。僕の人生なんて、大層なものじゃありませんでした。僕は怠惰で、臆病で、傲慢で、ぼんやり生きていただけでした。でも広海や美国は違うんです。悲しみの中でも人への優しさを忘れず、強く生きようとしているんです。広海に寂しい諦めを持たせて死なせないでください。美国から立ち直るための杖の一つを奪わないでください。僕こそここで終わって良いから、どうか広海を助けてください」

「さっきの説明聞いた? ここで生き返らなかったら、仮に生き返っていた間の君の努力や頑張りは誰の記憶にも残らないのよ? その広海や美国って友達も君のことは何一つ知らないことになるのよ? それでも」

「それでもいいです! 広海をどうか助けてください! お願いします! お願いします! お願いします!」

 僕は床に額を擦り付けて、繰り返し叫んだ。

「……その書類の、上野広海の死亡場所、変な訂正が入れてありますね? 潮見島から町立病院内に変更されてますが、閻魔様、何かミスを? そんな訂正の仕方で大丈夫ですか?」

 冊子を閻魔様に渡してそのまま横にいたらしい彼の言葉に、僕はもしミスがあるならそこに交渉の糸口があるのではないかとわずかな期待に顔を上げた。

「何言ってるのよ。これ、私のミスじゃないわよ。送られてきた時からこうだったの。こんな変更時々あるのよ。この子の場合、縁のある神が自分の地所で死なれるのを嫌がって変えさせたんでしょ」

 広海は本来あの島で死ぬ運命だったのか。だから助けを呼ぼうとしたときみんなのスマホが使えなかったのだ。

 潮見島の神は広海の命を救えるほど強くはないが、精一杯の力添えとして、両親に見守られながら息を引き取れる状況にしてくれたのかもしれない。

「はー、そんなことがあるんですか。後学のためちょっと見せてください」

 彼は閻魔様の返事も待たず机から書類を取り上げた。

 いつの間にか彼は真面目そうな外見に似つかわしくない行儀の悪さで、火のついた煙草をくわえていた。そしてそのまま、文字を確かめるように書類へ顔を寄せた。

「ああ、しまった」

 棒読みの台詞と共に、タバコの火が書類に当たり、書類はあっという間に燃えてなくなってしまった。

 唖然とする閻魔様をきれいに無視して、彼はもう一人の男性に声をかける。

「なあ、これ、再発行にどれくらい時間がかかるかな」

 閻魔様と同じく呆然としていた彼は、ハッと何かに気づいたように答えた。

「そうだなあ。こっちから報告して……現世で、二年、てとこか」

「報告をぎりぎり遅らせたら?」

「ううん、それでも、五年、だな」

 僕にも会話の意味が分かった。広海に寿命を何とか延ばそうとしてくれようとしているのだ。

 どうにか再発行を再々発行にまでできないかと相談する二人を睨んで、

「あんたたち、何言ってるの! そんなの駄目よ!」

 閻魔様机を叩いて立ち上がった。そんな不正は許さないと激怒したのかと思えば、

「こういうのはね、管理庁が何か言って来るまで放っておくの。言ってきたら、調査するって言ってまた放置。後は二、三度、調査中で押し通す。で、いよいよせっつかれ出したら私の出番よ。この子の件を持ち出して、またそっちのミスで書類が届いてないんじゃないかってごねられるだけごねてやるわ。これで六十年くらいは延びるわよ」

 どう? と閻魔様に問いかけられ、僕は阿呆みたいに「ろくじゅうねん」と呟いた。

「こういうのに似たケースは結構あるのよ。百歳超えて生きてる人の中には、書類が行方不明になってて死亡決済が遅れてたって場合もあるの。それの応用よ」

 いい加減な話で内心驚いたが、そんなことはどうでもよかった。六十年寿命が延びれば、ほぼ普通の人と同じ人生が生きられる。ペルセウス座流星群はもちろん、ハービルク彗星だって三回も見られるのだ。

「ありがとうございます!」

 僕はまた土下座した。その拍子に涙が溢れて、顔を上げられなくなってしまった。

「……君が、自分のためにとは欠片も思わなかったからですよ」

 頭の上で、男性の優しい声がした。

「今広海君が死んだら自分の責任になるから助けてくれという気持ちが君に欠片でもあったら、黙って無視していました。でも君は本当に友達のためだけに必死でしたから」

 ずっと監視していて、少々情が湧いてしまったせいもあるかもしれないと彼は静かに笑った。

「まあ、私が言い出さなくてもきっと閻魔様は解決策を考えてくださったと思いますよ。元々人情に厚い方ですから」

 彼が笑い含みに言うと、閻魔様は鼻で笑った。

「は? 何言ってんの? あんたのヘマをフォローしただけでしょ。部下の失敗を隠蔽するのが上司の務めなんだから」

 この人、本性は極妻系じゃなく、ツンデレタイプだった。

 私、見誤っていたわ、と閻魔様はため息をついた。

「君の人生の風景、あれは何もないんじゃなくて、君の心の広さの表れだったのね。辛いことも悲しいこともあの広さで受け止めて、どこにでも心の糧を植えられる。これから森になる予定の荒野だったのよ」

 そうだといいと僕は思った。いや、そうなろうと僕は思った。

「正式書類がなくなっちゃったから、この子は今の病気で死ぬことはなくなったわ。安心しなさい」

 お礼を言う僕の声は涙でみっともなく割れ、閻魔様に軽く笑われた。

「君の件もこれで終わり。ここでのことは、その内いつの間にか忘れてしまうわ。正しく死んだら行くところが違うから、君と会うことはもう永遠にない。――良い人生を生きなさい」

 じゃあね、と声がして、僕の視界は暗転した。暗闇を高速で落ちていく感覚の中、閻魔様の追加の話が聞こえた。

 僕への罰は取り消した、と。



 気づくと僕は病院の廊下に座り込んでいた。視界の中に、深く頭を下げた医者がいて、周りのみんなは愕然とした表情で医者の方を見ていた。

 僕は閻魔様に呼ばれる寸前の時間に戻ってきたのだった。

 前回この世に戻されたときは、事故からそれなりの時間が経過したところだったのは、閻魔様の嫌がらせだったのだろう。

 今度は空白の時間のない返し方だった。

 僕はこれから起こることを知っていた。きっとこれから大騒ぎになる。一度は臨終を宣告された人間が生き返るのだから。

 案の定、慌てて医者を呼び戻す声が聞こえた。

 広海はこれから三回もハービルク彗星を見られるのだ。

 歳をとった広海がハービルク彗星を子供ような目で見上げる様を想像して、僕はゆっくり口端を持ち上げた。

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