29 病院の廊下で
病院の裏手の駐車場に着くと、パトカーが駐まっていた。何事かと考える暇もなく、僕たちは車を降り、奥さんに礼を言って、救急患者受付出入り口から病院内に入った。
受付で聞くと広海は集中治療室に運ばれたらしかった。急いで行くと、廊下に置かれたベンチに美国が悄然と座っていて、傍には警察官が二人立っていた。
僕たちの足音に気づいた美国が顔を上げるより先に、警察官の一人が厳しい顔でこちらに歩いてきた。
「君たちも上野君と一緒にいた友達かな」
事情が分からないまま僕たちが頷くと、警察官に促されて美国の座るベンチに一緒に座らされた。
「この子から大体の話は聞いたが、君たちはなんて事をしたんだ」
警察官がここにいるのは、広海が病室にいないことに気づいた病院が警察に捜索願いを出したからだった。
「重病で入院している友達を遠くまで連れ出すなんて、高校生にもなってやって良いことと悪いことの区別もつかないのか。万が一のことを考えなかったのか」
広海は意識不明の重体、危篤状態だという。
呆然とする僕たちは、警察官から厳しい声で言い渡された。
「この子から聞いて君たちの名前も分かっているし、君たちのご両親にももう連絡した。病院にも迷惑になるから、ご両親が迎えに来たら帰って、明日、ご両親と一緒に本署に来なさい。そこで改めて事情を聞くから」
せめて広海の容態がはっきりするまでは居させて欲しいと頼んだが、却下された。
「駄目だ。君たちは上野君の家族ではない。親御さんと一緒に帰りなさい。上野君のご両親も君たちに対して非常に怒っておられる。その子も私たちが居合わせてなかったら、上野君のお母さんに叩かれるところだった。そのくらいの剣幕で怒っているんだ」
ハッとして美国を見ると、美国は頬に涙の跡をつけたまま、ぼんやり俯いていた。目の焦点が合っておらず、魂が抜けた人形のようだった。
おそらく美国は広海の両親に怒りをまともにぶつけられてしまったのだ。こんなことなら美国を救急車に同乗させて行かせるのではなかったと、僕は悔やんだ。
警察官の僕らを叱りつける声を聞いたせいか、病室から男性が出てきた。僕の横にいた瞬が、こそりと広海のお父さんだと教えてくれた。
僕たちの所に来た広海のお父さんに、僕たちは立ち上がって深く頭を下げ謝った。
「この中に、中原君はいるかな」
僕が手を上げて答えると、彼は白い封筒を僕に差し出した。
「広海の病室のベッドにあったものだ。読んで、これは本当なのか教えてくれないか」
僕は封筒を受け取り、中の手紙を読んだ。それは広海が両親に宛てたもので、自分が僕に彗星を見に連れて行けと言い、断固として断る僕の弱みを握って脅し、従わせたと書いてあった。だから、万が一最悪のことが起きても、責任は自分にあるのだから、決して僕を叱ったり恨みに思ったりしないで欲しいと。
「こんなの、嘘です」
僕は広海のお父さんの目を見て首を振った。
「僕は広海に脅されたりしてません。こんなの、僕を庇うための嘘です。その証拠に、この手紙にはみんなのことが書かれてないじゃないですか。広海は今日病院を出るまで、ここにいるみんなが僕に協力してくれてたことを知らなかったんです。知ってたら、広海ならみんなを庇うようなことも書いてたはずです。広海はそんな優しい人間です」
広海のお父さんは悲しげに眉根を寄せ、僕を見返していた。
「僕が、広海を誘いました。言い出したのは僕です。広海がだんだん弱っていくのを見て、何か一つ希望があれば、病気と闘う気力をとりもどしてくれるんじゃないかと思ったんです。だから、悪いのは僕です。みんなは僕が成り行きで巻き込んでしまっただけです。僕が首謀者ですから、みんなのことは怒らないでください。お願いします」
「ふざけんな」
横から瞬が声を上げ、僕を睨みつけた。
「お前を止めなかった時点で、みんな共犯だろ。お前一人に責任被せて逃げようと思ってる奴なんか、ここにはいねえよ」
広海のお父さんは「そうか、分かった」と呟くとそれ以上何も言わず、踵を返して病室に戻っていった。
重苦しい空気の中、病院へ一番に迎えに来たのは家が最も近い僕の両親ではなく、旭の両親だった。
旭の両親は到着すると、まずその場にいた警察官二人に頭を下げた。
「早川旭の保護者です。ご迷惑をおかけして申し訳ありませんでした」
「は? え? 刑事課の、早川課長? え、じゃあ、そちらは、課長のお嬢さん?」
警察官二人が目をむいて慌てるのを余所に、旭のお父さんはつかつかと僕たちに歩みよると、ものすごい形相で僕たちに命令した。
「全員正座! 床に座れ!」
僕たちが床に正座すると、旭のお父さんは僕たちに一発ずつ強烈なビンタを張った。
「お前たちはなんてことをしたんだ! そっちの子は知らんが、お前たち四人は広海君がどれほど重い病気か知っているだろう! それを夜中に連れ出すとは何事だ!」
「は、早川課長、落ち着いてください。子供に暴力はいけません」
さっきの広海のお父さんとのやり取りを聞いて、若干僕たちに同情したのか、警察官が間に入ってくれた。
「この子たちも、反省してますし、それに、この子たちにもそれなりに訳があって」
「どんな理由であろうと、病院から無断で患者を連れ出して良いわけがない。例え善意からでも、広海君の体のことを考えるなら、そんな無謀な事は止めるべきだった。例え広海君がそれを望んだとしてもだ。五人もいて、どうしてそれができなかったんだ」
止めるべきだった。それは僕にも分かっていた。分かっていたけれど。
「……どうやって止めれば良かったんですか」
旭のお父さんを見上げ、僕はふらりと立ち上がった。
「広海を、何と言って止めれば良かったんですか。広海は自分の病状が深刻なのを知っていて、『次のハービルク彗星は見られないから』って必死の思いで言われて、それに対して僕はなんて答えて止めれば良かったんですか。教えてください!」
目の前に死がちらついている友に言える言葉があるなら、病気に対して何もしてやれない無力な僕に言える言葉があったのなら、教えて欲しい。
「教えてください! 僕は広海になんて言えば良かったんですか!」
「僕も彗星を見ない、と言えば良かったんだよ」
静かな声に振り向くと、そこに僕の父さんと母さんが立っていた。
「上野君が彗星を見られないなら、僕も見ない。見られなかった悲しみは全部僕が聞くから、今は身体を大事にして欲しい、と言えば良かったんだよ。上野君の悲しみに寄り添う覚悟をして、それを彼に告げれば良かったんだ。優人ならそれができたと、父さんは思う」
父さんたちは警察官と旭の両親に黙礼し、僕の傍に立った。
「お前は春先に一度死んで、残された家族の悲しみがどれだけ深いか分かっていたはずだ」
葬儀場で生き返った僕が再び病院に搬送された後、母さんと姉ちゃんたちはそこで倒れた。父さんも一晩で体重が五キロも減った。僕が死んだせいで、身も心も削られた結果だった。
母さんが翌日すぐに僕を学校に行かせたのも,早く家族を日常に戻して心の安定を図りたかったからだと何日かして気づいた。
「親は子供に自分より一分一秒でも長く生きてもらいたいものなんだ。子供が自分より先に死ぬことほど悲しいことはない。お前がしたことは、上野君の気持ちには正解だったかもしれないが、正しいことではなかった。上野君を愛して大事に思う人間がお前たちの他にもたくさんいることを、考えなければならなかったんだよ」
父さんの言葉に僕は項垂れた。父さんの言う通り、僕の考えは狭量だった。事の重大さや周りへの迷惑を思いやらない、子供の我が儘と同じだった。
「とにかく今は上野君の回復を祈ろう。私たちにできるのはそれだけだ」
僕が深く頷いたとき、病室から甲高い女性の泣き声が聞こえた。広海の名を繰り返し呼び、泣き叫んでいる。僕らは病室の入り口に視線が釘付けになり、固唾を飲んで見守っていると白衣の医者が静かに出てきて、厳かに告げた。
「私たちの力が及ばず、申し訳ありませんでした」
医者は一礼するのを見て、僕はその場にへたり込んだ。
広海が、死んだ。
瞬間、僕の目の前が真っ暗になり――。
気づくと目の前に見たことのあるドアがあった。




