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28 アクシデント

 感動の余韻が広場を満たす中、僕は静かに美国を呼んだ。

 僕はずっと考えていた。美国の手に何を乗せたら笑ってくれるだろうかと。

 そして僕はたった一つだけ思いついた。それを今、ここで渡そうと思った。

「何? どうかしたの?」

 僕の足元の懐中電灯を地面に置いたままつけると僕の周りが明るくなり、闇に慣れていたみんなは眩しげに目を瞬かせた。

 どうした、と問うみんなには答えず、僕は真っ直ぐに美国を見た。

「美国、ここで広海と握手してください」

 美国が驚いた顔をして僕を見返した。

「良く思い出してください、美国。広海のこの手が、一度でも君を傷つけた事がありますか?」

 美国は僕を見ている。僕も美国を見ている。互いに目を逸らさなかった。

「美国、この手は絶対に君を傷つけない男の手です。君を酷い目に遭わせた人でなしの手とは違います。この手は君を守る手です。君を守ってくれる手が、ここに確かにあると確かめてください」

 そしてこの世の男全てに絶望しないで欲しい。

 君を大事に思っている男がいる。君を大好きな男がいる。君と仲良くしたいと思っている男いる。君に笑って欲しいと思っている男がいる。

 君の周りには君に幸せになって欲しいと願っている男がいると知って欲しい。

 広海が右手を美国に向けて差し出す。震えているのは、腕を持ち上げる力も衰えてしまったからかもしれない。

 美国が恐る恐る手を出し、広海の手が力尽きて下がりかけた瞬間、彼の手を握った。

 美国は目を閉じて大きく息を吸い込むと再び目を開き、片手で握っていた広海の手を両手で握った。

「広海……ありがとう」

 しっかりと広海と視線を合わせた美国の瞳に、恐れの影はなかった。

 広海は頷き、左手をそっと美国の手に重ねて微笑んだ。

「次は、瞬です。その次は大樹。二人も広海と同じ手ですよ」

 瞬が手を差し出すと、美国は広海の時より早く瞬の手を両手で握った。

「ありがとう、瞬」

 大樹の手も迷いなく握った。

「大樹、ありがとう」

 美国が手を放すと、旭が美国を抱きしめた。

「美国、頑張ったね。偉い」

「旭もありがとう」

 旭を抱きしめ返した美国がふと首を傾げ、旭の手を取った。そして顔を強ばらせてもう一度広海の手に触れた。

「……熱い。やっぱり広海の手、熱いよ」

 美国の言葉に、旭が僕と広海の額に同時に素早く手を伸ばした。

「ホントだ。広海、熱があるじゃないの」

 広海は苦笑して目を閉じ、何も言わない。

「戻りましょう!」

 僕の呼びかけに大樹がすぐさま反応してくれた。

「オレが広海を背負って降りる」

「旭も一緒に行ってください! 先にボートで岸に戻って、救急車を呼ぶんです!」

 僕が広海を抱えて乗るより旭の方が体重が軽い分、大樹は早くボートを漕げる。

「でも、救急車なんて呼んだら、私たちが広海を連れ出したことがバレちゃうんじゃ」

 躊躇する旭を、僕は思わず叱りつけた。

「そんなこと行ってる場合ですか! 人の命以上に大事なことなんてありません!」 

 ぼくは平気だと首を振る広海を大樹が背負って、早足で歩き出し、その後をライトで照らしながら旭が追って行った。残った僕たちは急いで片付けを始めた。

「広海、最初から具合が悪かったんじゃねえだろうな」

「分かりません。少なくとも迎えに行ったときは、そうは見えませんでした」

 いや、僕は分かっていたはずだ。あれだけ弱っていた広海が熱を出して二日ほどで回復するわけがないと。分かっていたのに、僕は無意識に見逃したのだ。

 広海を背負ったり身体を支えたりした僕たちが熱に気づかなかったのは、運動した直後で僕たち自身の身体が熱かったりライフジャケットで熱の伝わりが遮られていたりしたせいだったが、体調不良をおくびにも出さずに耐えた広海の執念が一番の原因だった。

 全ての物をリュックに押し込むと、僕たちも道を駆け下りた。

 降りていく途中で、旭が僕たちを呼ぶ声が聞こえた。

「どうした、旭! 早く行け!」

 瞬が怒鳴ると、悲痛な旭の声が返った。

「ボートがないの!」

 旭は桟橋で広海を抱えて座り込んでいた。

「桟橋が壊れてて、繋いでたボートがないのよ」

 流されたのかもしれないと大樹は付近を見に行ったらしい。

「電話で助けを呼びましょう」

 僕は即断した。

「旭、お父さんに電話してください。お父さんから救助を要請してもらうのが一番早いと思います」

 旭は頷いて、リュックのサイドポケットからスマホを取り出した。が、

「うそ。どうして? 電池が切れてる」

「オレのから、家にかけろ」

 瞬が自分のスマホを渡そうとしたが、動きを止めた。

「何でだ。オレのも電池切れだ」

 僕も美国もスマホを出してみると、画面は真っ黒だった。

「来る前に、充電したのに」

 そこに大樹が戻ってきて、スマホを出させたが、同じく電池切れだった。

「こんなことってあるか? 五人も揃って電池切れなんて」

 騒然となった僕たちに、「いいよ」と広海がか細い声を上げた。

「それなら……ここで……朝を待とう。朝になれば……きっと船も……通りかかるだろうから」

「馬鹿言うな。お前はそんな悠長な状態じゃねえだろ」

「いいんだよ……ぼくは……ここで……終わってもいい」

 広海は苦しげな息を繰り返しながらも薄く微笑み、僕を呼んだ。

「優人……ぼくは……スクラムを……抜けるから……後を頼む……そのつもりで……全部……君に……話した……だから」

 たのむ、と声にならずに口が動いて、広海は意識を失った。旭と美国が呼びかけても広海は目を開かず、荒い呼吸を繰り返すだけだった。

「俺が岸まで泳ぐ」

 大樹がTシャツを脱ぎ捨てた。

「岸までたかが六百メートルだ。泳いで、助けを呼んでくる」

「駄目よ!」

 旭の甲高い声が、大樹の動きを止めた。

「駄目よ! 忘れたの? この辺りにサメがいるかもしれないのよ! サメに会わなくても、夜の海をなめないで! 岸に明かりがあるならともかく、真っ暗なんだから方向を見失ったら泳ぎ疲れて溺れ死ぬわよ!」

「じゃあどうするんだ!」

 いつも冷静な大樹が、苛立って大声を上げた。

「このままじゃ、広海の方が危ないんだ! ここから助けを呼ぼうにも、叫んでも聞こえる距離に人家はないんだぞ!」

 その言葉に、僕はすっかり忘れていたことを思い出した。

 そうだ。僕がここから助けを呼べば良いんじゃないか。

「みんな、ここで待っていてください」

 僕はそう言って、降りてきた道を再び駆け上がった。

 この島から二キロあまり西に、港がある。港なら人がいるかもしれない。僕の大声でそこに届くか分からないが、もうそれしか方法はない。

 広場まで駆け上がり、僕は息を整えながら祠のまで歩き、海の神様に両手を合わせた。

「神様、今から僕が大声を出しますから、少しの間だけ耳を塞いでおいてください」

 広場の西の方向は木々が生い茂り、港は見えない。それでもやるしかない、と僕が息を吸い込むと、突風が吹いた。

 今の今まで無風だったのに、何の前触れもなく木々をおおきくしならせるほどの強い風が吹いた。思わず風を背にした僕は自然と海の方向を向く姿勢になり、頭を下げるようにしなった木々の向こうに海の上に浮かぶ光を見つけた。

 船だ。何故か漁船だと僕には分かった。僕は広場のその方向に行けるぎりぎりの所まで行って、叫んだ。


「助けてくれー! 潮見島に病人がいる! 助けてくれー!」


 何度も何度も、強い風の中、僕は叫んだ。すると光がこの島の方へ移動して来るのが見えた。僕の声が届いたのだ。

 僕は道を駆け下りようとして、ふと風が神様の助けだったような気がして祠を振り返ると、祠の横に人影を見た、ような気がした。しかしそれはもう一度よく目を凝らして見ると祠の後ろにある木だったようで、僕は祠に一礼すると道を降りた。

 桟橋まで戻ると、みんなに大丈夫だったかと聞かれた。強い風が吹いて耳鳴りがするほどのすごい音がしたというが、その音を出したのが僕だとは誰も思わないだろう。

「それより、船が来ます。上から見えました」

「もしかして、あれか」

 大気が指さした方から光が近づいてきていた。みんなで懐中電灯をつけて合図を送り、大声で光へ呼びかけた。やがて僕らが照らすライトの中に船が表れ、驚愕している人の顔も見えた。

「親父、ホントにいた! 親父の気のせいじゃなかった! ホントに人がいたぞ!」

 漁船には三人乗っていて、船を桟橋の寄せると壊れた箇所に長い板を渡し、僕らを船に乗せてくれた。

 僕たちを助けてくれた三人は親子で、二十代くらいの若い二人のうち兄らしい人が広海を操舵室のソファーに寝かせてくれて、その間に弟の方が無線で港に救急車を手配してくれた。二人は旭と美国に広海に付き添っているよう言って、船は動き出した。

「大丈夫だ。すぐ港に着くから」

 泣いて礼を言う旭と美国を兄弟が不器用に慰めているのを見て、僕たち男三人も甲板にいる親父さんに頭を下げて礼を言うと、

「ふざけんな! この悪ガキども!」

 親父さんに頭を拳骨で殴られた。

「あの島は、関係ない人間が遊びに行っていい島じゃねえんだ!」

 僕が事情を話すと、親父さんの顔からみるみる険しさが取れた。

「その子、なんて名前だ。お袋さんの名前は」

「そいつは広海です。お母さんは……真理子って名前だったと思います」

 瞬が答えると、親父さんは目を見開いた。

「何だ、この子康夫さんの孫じゃねえか」

「親父、知っとる子か」

「お前らも世話になったろ、半田さんに。あの半田さんの孫だよ、この子」

 ああ、と兄弟は顔を見合わせて頷いた。

「康夫さんには真理子ちゃんって一人娘がおってな、この子がべっぴんで頭も良くて、大学まで行って薬剤師になったんよ。そこで同僚の優しい男前と結婚して、子供もできて、康夫さん夫婦も喜んどったんやけど、何年か前に奥さんが癌になって、半年も経たんうちに亡くなってしもうてな。それでがっくりしたのか半田さんも漁師を辞めて、船も売ってしもうて、その後すぐ病気になって亡くなってしもうたわ。……そうか、真理ちゃんも可哀想に。親父さんもお袋さんも亡くして、たった一人の子供も病気なんてなあ」

 親父さんは目元を拭うと、息子二人に呼びかけた。

「ありゃあ、康夫さんがわしを呼んだ声やったんや。絶対そうや」

 瞬たちが首を傾げると、兄弟が揃って苦笑した。

「親父が、島から人の声が聞こえたって言ったんだよ。そんな、この距離で人の声が聞こえるかって、オレ達笑ったんだけどさ、親父が『助けてくれと聞こえた』って言い張るもんだから、一応確かめようって」

 そうしたら本当に人がいて驚いたという。不思議なこともあるものだと親子が話しているうちに船は港に着いた。

 港にはもう救急車が到着していた。深夜にも関わらず港にはそこそこ大勢の人がいて、何事かと様子を見に来ていた。

「美国、付き添いで救急車に乗せてもらって先に病院へ行っててください」

 広海を担架で運んでいる救急隊員に頼むと「来なさい」と美国を手招きしてくれた。

「お前らはどうするんだ」

 広海が運ばれるのを見守っていた親父さんに聞かれ、僕は即答した。

「僕たちも病院へ行きます。赤松海岸まで僕たち自転車で来てます。今からそこまで走って戻って、それから自転車で」

「馬鹿、そんなの時間がかかりすぎるだろ」

 親父さんは港にいる人たちを見回して、声を上げた。

「母ちゃん、いるかあ!」

 いるよお、と人をかき分けて女性が一人出てきた。母ちゃんと呼んだが、親父さんの奥さんのようだった。

「この子ら、病院まで車で連れてってやってくれ」

「分かった。あんたたち、こっちおいで。行くよ」

 長靴にゴムのエプロン姿のその人は、二つ返事で走り出した。

 戸惑う僕たちに親父さんは追い払うように手を振った。

「早く行け。わしも康夫さんには世話になったんで、恩返しのようなもんだ」

 僕たちは親父さんに深く頭を下げて、奥さんの後を追いかけた。

 奥さんは駐車場ですでに車のエンジンをかけて待っていてくれた。少し魚臭いワンボックスカーに僕たちが乗り込むと、奥さんはすぐに出発した。

 車内では広海の病院名を言った後、みんな無言だった。後部座席で真ん中に座った旭は膝の上に抱えたリュックに顔を埋めたままで、大樹も瞬も唇を噛みしめて車窓の外を睨みつけていた。助手席の僕は俯いて悪い想像を打ち消すのに必死で、何度も頭を抱えて叫び出しそうになっていた。

「嬢ちゃん、泣くんじゃない!」

 信号で止まった車内で、奥さんが旭を叱りつけた。

「あんたたちも何だ、葬式にでも行くようなツラして! 不吉だったらありゃしない! 見舞いに行く奴が、不幸事呼ぶような顔して行くんじゃないよ! 友達に悪いことが起きそうなら、それを殴って追い返してやるくらいの気概で行きな!」

 信号が変わり、また車が走り出すと、旭が顔を上げ両手で自分の顔を音がするほど強く叩いた。

「すいませんでした。ありがとうございます」

 旭は奥さんにそう言って、毅然と姿勢を正した。

「ああ、その意気だ。で、男どもは嬢ちゃんに負けたまんまでいいのかい? 今時の若い男は、いざという時に意気地がないのかねえ」

 あからさまな煽りに一番に反応したのは大樹で、

「ここら辺あんまり来たことないから珍しくて、ちょっと外の景色見てただけです」

 勝ち気な瞳で前を向いた。

「俺は少し考え事してただけだから」

 瞬もまた不遜な顔をしてシートの背もたれに身体を預けた。

 けれど僕は、情けないと自分でも思うが、みんなのように気持ちを奮い立たせることができなかった。

 この件の首謀者は僕だ。僕がみんなを巻き込んで、その上広海の病状をいっそう悪くさせた。罪悪感に苛まれて、僕は顔を上げることすらできなかった。

「大丈夫だよ」

 奥さんは声を和らげて、僕に語りかけてくれた。

「事情も知らないおばさんが何言ってんだ、って思うかもしれないけどね、何度でも言ってあげるよ。あんたたちの友達は大丈夫。大丈夫だよ。あんたたち潮見島に行ったんだって? あそこの神様は悪い奴には厳しいが、真面目な善人には優しい神様だ。あんたたちがあの島で悪さしてないんだったら、きっと神様のご加護があるよ」

 もしかして、あの突風こそ、神様のご加護だったのではないだろうか。だったら、僕が見たような気がしたあの影は、神様の化身だったんだろうか。

 僕を助けてくれたのなら、昔祠の世話役をしていた人の孫を見捨てるはずがない。

 僕はようやく顔を上げた。車は病院のすぐ近くまで来ていた。

「もう一回言うよ。あんたたちの友達は、きっと大丈夫だ」

 その声を、僕は海の神様の声だと思うことにした。

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