23 流星を見た島
その夜、僕は瞬に電話をかけ、広海の見舞いに行ったことを話した。
瞬は広海の母親が同級生の見舞いを断って欲しいと頼んでいたことに腹を立てた。
「何だよ、それ。俺たちが広海の害になるって言うのかよ」
瞬は憤慨したが、僕はお母さんの気持ちも分かる気がした。
小学生の時から仲のいい五人の中で、広海一人が病気で進学できなかった。他の子たちは初めは足繁く見舞いに来てくれるだろうが、そのうち高校生活が忙しくなれば、見舞いに来る頻度も減るかもしれない。そうなったとき、広海が友達に見捨てられたのではないかと、深い孤独感を味わうことにならないかと母親は心配したのだ。
広海が寂しい思いをする前に、治療の妨げになるから少しの間と広海にも友人にも言い訳して面会を断っておけば、その間に友人との仲が自然消滅したとしても、友情が薄れてしまったのではなく面会禁止のせいで縁が切れてしまったのだと思うことができて広海の心の傷は小さくてすむ。
それにしても、と瞬がため息をついた。
「そんな様子じゃ、退院はまだ先になりそうだな」
「そうですね。あの顔色と弱りようでは、少なくとも夏が終わる頃までの退院はなさそうな感じがしました」
夏の終わりという自分の言葉がキーワードになり、思い出したことを僕は瞬に聞いてみた。
「瞬は広海が毎年ペルセウス流星群を両親と見ているって、知ってますか」
「知ってるよ。親父さんが天体観測が好きみたいで、広海もついて行ける範囲なら一緒に行ってたよ」
「じゃあ、潮見島ってどこか知ってますか」
「んー、何か聞いたことがある……ああ、そうだ、隣の岩城町の赤松海岸、五、六年前まで海水浴場だったとこの近くにある島だよ。島って言ってもうちの学校の体育館くらいの大きさの小島だけど、それがどうした?」
「広海がそこでペルセウス流星群を見たかったと言ったんです」
「ああ、思い出した。広海がまだ幼稚園ぐらいの頃、祖父さんに潮見島に連れて行ってもらって彗星を見たって聞いたことがある」
広海を島に連れて行ってくれたお祖父さんは、広海が小学三年生の時亡くなったそうだ。もしかしたらそのお祖父さんの夢を見たのかも知れないが、今の広海が亡くなった人の夢を見るのは何か不吉に思われた。
しかし、予感は良い方へ外れ、夏休みが近くなった頃、広海は一応の回復を見せた。
「何か、優人の顔見るの、久しぶりのような気がする」
あれから何回か見舞いに来たがいつも広海は眠っていて、僕が行くと目を開けはするのだが会話ができるほど覚醒せず、虚ろに一言二言言葉を交わすのが精一杯だった。それが今日は意識もハッキリしているし、声にも力があった。
が、広海はベッドに横になったままだった。
「しばらくはトイレに行く時以外はベッドから出るなって。身体を起こすのも食事の時だけ、だってさ」
王様みたいだろと広海は笑ったが、顔色は冴えなかった。
「やっぱり、今年は駄目だな」
広海はベッド横のサイドテーブルの上の卓上カレンダーに目をやった。カレンダーの八月の二カ所に赤の丸印がついていた。
「それ、ペルセウス座流星群とハービルク彗星の観測予定日だったんだ」
僕も調べたので知っている。ペルセウスは毎年見られるが、ハービルクは約十七年周期で巡ってくる彗星で、今回は日本でも観測条件が良いらしい。
「ペルセウスは諦めるけど、ハービルクは見たかったな」
「潮見島でですか」
僕の問いに、広海は瞬きを二、三度繰り返した。
「ぼく、優人に潮見島の話をしたかな」
広海は半覚醒状態で話したことを何も覚えていなかった。
「祖父の夢でも見て、寝ぼけてたのかも」
広海は笑って、その祖父との思い出を語ってくれた。
幼稚園の頃、父が動物園へ連れて行ってくれると約束していた日、急な用事が入って行けなくなってしまった。楽しみにしていた分悲しく、拗ねてしまった広海を母が自分の実家へ遊びに連れて行ってくれた。母の実家は岩城町の海岸近くにあり、祖父母は約束が反故になって拗ねた孫の機嫌を直させようと色々もてなしてくれたが、やはり動物園へ行けなかった悲しみの方が大きく、塞ぎ込んだままだった。
――よし、そんなら、じいちゃんの取っときの所に連れて行って良い物を見せてやる
祖父は小さいが自分の船を持った漁師だった。夜、船で連れて行ってやると言われ、その日は祖父の家に泊まることになった。そして夜、いつもならとっくに寝ている時間に祖父の船に乗って行ったのが潮見島だった。
潮見島は海岸線から六百メートルほど沖にあり、昔はそこから潮の流れを読んだ後漁に出ていたそうで、今でも島には海の神が祀られている。当時、祖父はその島と神の祠を守る会のメンバーだった。
木製の簡素な船着き場から、祖父に背負われて島の頂上へ上った。頂上はちょっとした平地になっていた。明かりは祖父の持つ懐中電灯だけで少し恐かったが、
――広海、そっち見てみろ
祖父が木々の少ない開けた海側を指して明かりを消すと、満天の星空の下に広がる海が見えた。黒、ではなく限りなく深い濃紺の海の上空には広海が今まで見たことのない数の星々が輝いていた。
――じいちゃん、あれ何
その空の、広海が首が痛くなるくらい見上げた高さを海と平行に横切っていく星より大きな光があった。
――彗星じゃ
祖父はその日彗星が来るのを知っていたのだろう。後に調べると、それはヨハン・ラウンズ彗星で、もう二度と見られない彗星だった。
生まれて初めて見た彗星の美しさが心に焼き付き、広海は天体観測に興味を持った。広海の父も若い頃から天体が好きだったので、元々そんな要素を持っていたのかも知れない。小学生の中学年の頃には父と県外まで天体観測に出かけるようになり、母を呆れさせた。
「もう一度、潮見島で星を見たいけど、あの島は漁協が管理していて、関係者以外は立ち入り禁止なんだよ」
祖父母も亡くなっているし、もう二度とあの島には行けないと広海は寂しげに笑った。
「潮見島じゃなくても、星は見れますよ」
僕は精一杯の慰めを言ったが、広海は薄く微笑んだまま何も言わなかった。
まだ本調子ではなさそうだからと、僕は十分ほどで見舞いを切り上げたが、帰り際の広海の呟きが耳に残った。
潮見島でなくても、もう見られないんだよ。
それは広海の独り言ではなく僕に言ったのかも知れない。
が、確かめる勇気が僕にはなかった。
梅雨明け宣言が出た後、夏休みに入ったが、休みとは名ばかりで補習授業という通常授業が続く中、僕は金曜日を除いて毎日学校の帰りに広海の見舞いに通った。瞬が一緒の時もあったし、旭や美国と行くこともあったが、いつも十分ほどで引き上げた。大樹は部活があるため平日は行けず、土、日の部活帰りに寄っているらしかった。
広海の病状は中々良くならなかった。僕たちが見舞いに行っても、広海はベッドに寝たままでいる。できるだけ横になっているように言われているのだと広海は笑うが、本当は起き上がっていられる体力がなくなってきているような気がした。
日を追うごとに広海は自分が喋るより、人の話を聞いて相づちを打つ方が多くなっていった。そして時々、何かを諦めてしまったようなそれでいて達観したような目をする。サイドテーブルにあった卓上カレンダーはいつの間にか引き出しにしまわれてしまっていた。
広海は口にしないけれど、僕は広海が何を胸の中に抱えているか予想がついた。
「広海。潮見島で彗星が見たいですか」
「……それは、無理だよ」
「広海がどうしても見たいなら、僕が潮見島へ連れて行きます」
広海は目を見開いて僕を見た。
「どうやって」
「それは今から考えます。ハービルク彗星を見るのに一番適した時間は?」
「八月二十二日の午前二時過ぎ」
「じゃあ僕はその時間までに広海を島に連れて行く方法を考えます。だから、広海は島に行けるくらいの体調の回復を目指してください」
広海は僕の目を見ていた。僕の本気を図るように。
「……本当に? 本当に連れて行ってくれるのか?」
僕が頷くと、広海も大きく息を吸い込んで頷いた。
「分かった。絶対回復してみせる」
言い切った広海の目には生気が宿っていた。




