2 仮の帰還
覚悟していたような衝撃はなかった。
リアルな夢から覚めたような、もしくは夢の続き見ているような気分で目を開けた――途端に息苦しさが僕を襲った。
鼻の穴と口に何かが詰められている。慌てて取り出してみると、綿だった。耳の穴にも違和感があり、触ってみるとやっぱり綿が。嫌なことに尻にも不快感がある。穴という穴に綿が詰められているのは、僕の身体は遺体として処理されてる証拠だ。それに狭くて暗いところに寝ている感覚と菊の花と線香の香り。聞こえるBGMはお経。
今、正に僕の葬儀の最中だ。
冗談じゃない。このまま火葬場に運ばれることになってしまったら……。
ゾッとして僕は棺桶の蓋を押しのけて起き上がった。
瞬間、悲鳴が上がり、お経も止んだ。
棺桶の中で身を起こした僕を、みんな目を見開いて見ている。こういう時、何て言えばいいんだろう。
「……えーと、あの」
僕が一言口を利くや否や、葬儀に参列してくれていた人達は悲鳴を上げた。
「あの、あの、ちょっと……」
僕は化けて出たのでもゾンビになったのでもない、まっとうに生き返ったのだと説明して騒ぎを治めようと棺桶から出ようとした。が、バランスを崩して棺桶ごと祭壇から転げ落ちた。
一瞬場内は静まり返ったが、それもつかの間、僕が棺桶から這い出すと更にパニック度は増して、我先に逃げ出そうとする人々の修羅場と化してしまった。サル山に爆竹を投入れてもこれほどの騒ぎにはならないだろう。
頭辺りがベタベタするので手をやると、ミックスピザがぼたりと落ちた。多分お棺の中に入れてくれていたのが、ひっくり返った拍子に頭に乗っかってしまったのだろう。ピザのチーズもソースもまだ温かくて、頭と顔にまとわりついて気持ち悪い。おまけにトマトジュースも入れてあったのか、服を猟奇的に赤く染めている。
確かに、死んでいる人間がいきなり起き上がってしゃべったら誰だって驚く。しかも頭からピザをかぶり、血と見紛うように赤く汚れているのを見たら化け物にも見えるかもしれないけど、こうまであからさまに逃げなくてもいいんじゃないか?
せっかく生き返ったのに誰も喜んでくれないばかりか、化け物にあったように怯えられて逃げられて……。
何か軽く傷ついた。
赤の他人に逃げられるのはしかたないとしても、血のつながった家族にまで逃げられるのはさすがに辛い。家族の姿を探して周りを見回すと、棺桶の落ちたすぐ脇いるお坊さんと目が合った。お坊さんは暫し僕を見つめていたが、何事もなかったように読経を再開した。何があろうと自分に課せられた仕事は完遂しようとするなんてさすがプロだ。もしかしたら現実逃避しているだけかもしれないが。
更に式場内を見回した僕は祭壇横で固まっている一団に目を止めた。
両親と二人の姉が、限界まで目を見開いて僕の方を見ている。
僕は別に家族との涙の抱擁とか、そんなドラマチックな再会を期待していたわけじゃない。けど、息子が、弟が生き返ったというのにたかだかピザとトマトジュースで汚れているだけで近寄ってもこないなんて薄情すぎやしないか。
その怒りと周りの騒ぎに、僕は混乱していたのだと思う。
立ち竦んでいる家族に向かって叫んだのは、
「母さん! 僕、ピザ嫌いだって言ったじゃないか!」
自分の嗜好に関する言葉だった。
瞬間、大響音。
自分でも驚くほどの大声に式場内の空気が震えた。
電球は破裂し、花は散り、祭壇が崩れて、お坊さんは椅子に座ったまま壁まで吹っ飛ばされ、止めのようにシャンデリアが落下した。
僕はそこで初めて閻魔様が言っていた罰の話を思い出した。
あれはやはり夢ではなく、本当のことだったのか。いや、それよりも、どうしよう。この状況。
おそるおそる家族の方を振り返ると、母さんたちはひっくり返って気絶していた。
慌てて駆け寄り、家族みんなを揺り起こす。そしてもう一度、今度はそっと話しかけた。
「あの……僕、ピザ好きじゃないんですけど……」
「嘘よ! あんた、昔ピザ丸々一つひとりじめして食べちゃったことあるじゃない!」
母さんが怒鳴り返してきた。
それ、小学一年の時の話だよ。僕はそれで腹をこわしてピザ嫌いになったのに、そっちの記憶はなしかよ。
「だからわざわざ出棺の時間に合わせて、出前頼んで持ってきてもらったのに!」
そんな理由で斎場にデリバリー頼むなよ。店側もよくそんな注文を受けたな。
「あの、トマトジュースも好物じゃなかったんですけど」
「あれは出前を頼んだピザ屋のサービス品」
おまけの品をついでに入れただけか。どうせならコーラにして欲しかった。
「それより、何で生き返ってるのよ! そんな非常識な子に育てた覚えはないわよ!」
確かに生き返るのは常識的ではない。正論っぽいけど、使いどころを間違えてないか?
「ていうか、どうして今頃生き返るのよ! 午前中にしてくれればよかったのに!」
「そうよ! 貴重な有休使ったのに、こんな時間からじゃ、どこにも遊びにいけないじゃないのよ!」
長女の由香里姉ちゃんと次女の佐緖里姉ちゃんの論点もずれてる。双子である姉ちゃんたちはお互い趣味も嗜好も全然違うのに、こういうところはなぜか息ぴったりだ。
「お父さんも何とか言ってやってよ!」
妻と娘に急き立てられ、姿勢をやや正した父さんは咳払い一つして、真面目に言った。
「……やあ、久しぶり」
家族は僕以上に錯乱していた。
その後、葬儀場の職員が呼んだ救急車で、僕は死亡診断書を書いた医師のいる病院へ送り返された。
検査を受けたがどこも異常はなく、ここで初めて僕は自分が遭った事故の説明を受けた。
僕は改装工事中の校舎の最上階から落ちてきた鉄板の下敷きになったのだそうだ。が、僕を真ん中にして左右に植木があり、その木が落下した鉄板の衝撃を和らげたため、ショックで仮死状態に陥っただけで助かったのだと解釈されたようだった。
僕の大声は仮死体験の過大なストレスが原因で陥った情緒不安定によるものと診断されてしまったが、反論はしなかった。閻魔様にセクハラした罰だなんて言っても信じてもらえる訳がないし、下手をすれば別の科の病院へ回されてしまうだけだ。
僕の体に問題がなければそれでよし、かと思えば、事態はそう簡単には解決しなかった。
世の中は僕が考えるよりもっと複雑に動いている。途中で中止になった葬儀代や一度死亡届を受理された僕の戸籍など、世知辛い現実をどうするか、病院長の部屋で僕と両親と関係者とで話し合いが行われた結果、病院と事故を起こした建設会社が全面的に非を認めて葬儀代と慰謝料を支払い、戸籍の問題も病院の専属弁護士が対応してくれることになった。事を荒立てて悪い噂が立つより、金で口止めする。極めて分かりやすい解決法だ。
因みに僕の大声で壊れた葬儀場は、僕の生き返りに驚いた葬儀の参列者がパニックを起こして行動した振動によるもの、となったらしい。人が騒がしく動いただけで壊れた葬儀場の方に問題ありとなって、損害の請求はなかった。ちょっと申し訳なく思う。
もうひとつ、今回ある意味僕以上に気の毒だった人もいる。
僕の死亡診断書を書いた医師だ。
「死んでたよ。絶対死んでました。絶対、絶対、死んでたんだから。誰が何と言おうと、死んでた。死んでたの」
誤診を僕の両親に責められた医師はカルテを持ち出してきて事細かに説明し、最後には子供が駄々をこねるように言い張ったが、現に生き返った僕がいるため言い分は通らなかった。
「死んでたのに。絶対、確実に、間違いなく死んでたのに……」
話し合いの席で最後までぶつぶつ呟いていた彼が、ノイローゼにならないことを切に祈りたい。
と、これが昨日の話だ。
そして僕は今日、もう学校に行かされてる。
一日くらい休みたいと言った僕に、
「検査で異常なかったんだから、休む必要なんてないじゃないの。それにこんな特殊な事の後に休むとよけい学校に行きづらくなって、ズルズル休んでしまうようになるの。うちは引きこもりなんて許さないからね。グズグズ言わないでさっさと学校に行きなさい!」
母さんは強引に制服と弁当を押し付けた。
けど、自分の葬式の翌日に登校した奴って世界で僕だけじゃないのか。ギネスに申請してみたい。