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14 本気の怒り

 僕が目を覚ましたのは、鳴り響く電話のせいだった。

 目を開いて、一瞬自分がどこにいるか分からなかったが、美国の家で寝てしまったのだと気づいた。

 起き上がると頭に痛みを感じた。この痛みは覚えがある。寝不足による頭痛だ。

 リビングの隅に置かれた固定電話が鳴っている。僕が電話を取る訳にもいかず、まだ自室で眠っている美国に声を掛けた。

「美国、電話です。起きてください」

 何度か声を掛けてようやく美国は目を覚ましたが、その時には電話は鳴り止んでいた。

「……中原君……どうして」

 まだ家にいるのか、当然不思議に思うだろう。

「すいません、リビングでちょっと本を読んで帰ろうと思ったら、そのまま寝てしまってました」

 美国の部屋の時計を見ると、午前六時半を過ぎたところだった。

「リビングの電話が鳴ってましたけど」

 例え誰かが何かの用があったとしても、よほどの急ぎでない限り他人の家に電話するには少し早すぎる時刻だ。

「もしかしたら、温泉に行っているお母さんからじゃないですか?」

「母なら私のスマホに――ああっ、私マナーモードにしたままだった」

 美国は起き上がってリビングに置いたリュックの中からスマホを取り出し、着信履歴を見た。

「母じゃない。多分、瞬だ」

 六時半前からあまり間を置かず三回着信があるという。

 美国はすぐ支倉君に電話した。

「瞬? おはよう。電話くれたみたいだけど何か……え? うん、大丈夫。今ちゃんと家にいる。自転車はブレーキが壊れちゃって」

 美国の会話の言葉を傍で聞いて、だいたいの事情が分かった。どうも支倉君が公園に置いてきた壊れた美国の自転車を見つけ、心配して美国に電話をかけたらしい。が、何回かけても電話に出ないので、家の固定電話の方にもかけたようだった。

「瞬、今から家に来るって」

 それは、まずい、気がする。こんな時間に僕が美国の家にいる僕を支倉君が見たら不思議に思うだろうし、泊まったと分かれば激怒されそうだ。が、僕には正当な理由があるのだし、話せば納得してくれる、かもしれない。

 いや、考えているより先に退散した方が良いと美国に暇を告げようとしたとき、玄関のチャイムが鳴った。

「多分、瞬だ。近くまで来てるって言ってたから」

 美国は何の躊躇もなく玄関へ向かう。僕はこのままリビングかキッチンに隠れていようかと思ったが、外には僕に自転車があり、玄関には僕の靴がある。支倉君が問えば美国は正直に答えそうだし、隠れていては疚しさがあると証明するようなものだ。

 僕はあきらめて美国の後から玄関に向かった。

 僕が玄関に行くと、ちょうど美国が玄関のドアを開けるところだった。

「美国、大丈夫か? 怪我したんじゃないのか? 頭打ったりしてないか?」

 開口一番、支倉君は忙しなく美国に状態を聞いた。

「うん、大丈夫。何ともない」

 こくりと頷く美国を見て心底安堵したため息をついた支倉君は、次の瞬間僕を見て目を見開いた。

「何でここにお前がいるんだ」

 僕が言い訳する前に、美国が夕べ手伝いの帰りに自転車が壊れて僕に送ってもらったと簡素に説明した。

「私疲れて先に寝てしまったんだけど、私が寝た後、リビングで本読んでて、ついそのまま寝てしまったんだって」

 美国、その説明は大体合ってるけれど、大ざっぱ過ぎる。言葉が足りなさすぎて、支倉君に盛大な誤解を招く恐れがある。

 絶対支倉君からもっと突っ込んだ質問が来ると覚悟したのだが、支倉君は「そうか」と一言で流した。

「お前、顔色が悪いぞ。体調が良くないのか」

 支倉君が心配げに美国の顔をのぞき込む。

「大丈夫。ちょっと寝不足なだけ」

「そうか。じゃあもう一回寝てろ。自転車は俺が修理に持って行って、家まで届けてやるから」

 腹は減ってないか、何か買ってくる物はないかと、美国を気遣う支倉君は、友人と言うより家族、まるで兄のようだった。

「来る前に電話するから、枕元にスマホ置いとけよ」

 そう言って支倉君は僕の方に視線を向けた。

「もう中原も帰るんだろう。一緒に出ようぜ」

「あ、ああ、そうですね」

 持って帰る物は玄関に置きっ放しだったので、僕はそのまま靴を履いた。

「中原君、本は?」

「またにします。今度改めて貸してください」

「じゃあ、学校に持って行くね。服は返さなくていいよ。兄さんはもう着ないから」

 頷いて玄関を出る僕の耳に、美国の「ありがとう」という小さな声が届いた。

 支倉君は自分の自転車を美国の家に置いて歩いて行くらしく、僕が外に出たときには道に出て早足で先に行っていた。僕は自転車で彼を追いかけ、追いつくと自転車を降りて横に並び自転車を押して歩いた。

「あの、美国の自転車を取りに行くなら、遠いですから僕の後ろに乗って」

「歩くから、いい」

 支倉君は僕の方を見ようともせず、僕の言葉を切るように素っ気なく断った。美国の家の玄関先では全く見せなかった怒りの色が、今ははっきり表れている。

「怒って、ますよね」

「怒ってないと思うか」

 支倉君は足を止めて、僕を睨みつけた。

「ご、誤解のないよう行っときますけど、美国とは何も」

「そんなの、美国の様子を見りゃ分かる」

「じゃあ何をそんなに怒ってるんですか。いや、僕もつい寝てしまって、女の子一人の家に泊まってしまったのは非常識だったと反省してますけど。でも、それには訳が」

 フッと空気が揺れたかと思った次の瞬間、僕は顔の左側に衝撃を感じて自転車ごと道に倒れた。支倉君に殴られたと理解するまで、少し時間がかかった。

「訳? 何が訳だ! ふざけんな!」

 目に炎の揺らぎを宿して、拳を振るわせた支倉君が僕を見下ろして怒鳴った。

「お前、旭と付き合ってんだろうが! 何で他の女の家に泊まってんだよ!」

 もう一度、殴られたような気がした。

 そうだ。事実を知らない支倉君から見れば、僕の行動は旭への裏切りに見える。

 支倉君に殴られた左頬が痺れるように痛んだ。口の中が切れたらしく、血の味がする。

 反論しようにも痛みで声が出せない僕に苛立ったのか、

「非常識と分かってるんだったら、さっさと帰りゃ良かっただろ!」

 支倉君が怒りにまかせて僕の足を蹴った。

「旭には俺が話す! もう二度と旭と美国に近づくな!」

 僕をもう一度蹴って、支倉君は走って行ってしまった。

 彼が走り去って暫くして、僕はようやく立ち上がり自転車を起こして帰路についた。

 他人に殴られたショックと誤解に対する怒り、言い訳できなかった自分の不甲斐なさと悲しみが混ざり合って、胸の中で嵐が渦巻いていた。

 僕は平凡な人間だ。突出した才能も自慢できる特技もない。類は友を呼ぶの諺通り今までの友達も僕と似た奴らばかり。出ない杭は打たれないから、平穏だった。それでもやはり男だから、多少の小競り合いはあった。口げんかがヒートアップして、相手に突き飛ばされたこともある。

 でも、さっきのように本気の拳で殴られたのは初めてだった。

 くどいようだが、僕は平凡な人間だ。だからそれにふさわしく、平凡な人生を送ると信じていた。昨夜の出来事は、僕のこの先の人生で起こる衝撃を一度に集めたのではないかと思えるくらい激動の一夜だったのに、さらに上乗せがあるとは思わなかった。

 支倉君は怒りのまま旭に告げ口して、僕との交際を止めるように言うだろう。元々偽装の交際に対して、旭はどんな判断をするだろうか。支倉君より先に僕が旭に連絡を入れて事情を説明して相談した方が良いだろうか。それとも支倉君が冷静になるのを待って、美国の口から話してもらう方が良いのか。

 僕のキャパシティーを超える出来事に思考も感情処理もパンクしてしまい、今朝起きたときから感じていた寝不足から来る頭痛をさらに増大させた。

 僕はすっかり疲れ果てしまい、痛い、悲しい、辛い、寝たい、と思考が単語になって行くのを感じながら、自転車を走らせた。



 家に帰り着いてみると、佐緖里姉ちゃんはすでに仕事に出勤したのか、ミニバイクがなかった。鉢合わせしなかった事に安堵しながらこっそり玄関を開けて入り、風呂場に直行して濡れた服を洗濯機に入れた。土日が仕事の休みの両親は幸いまだ寝ていて、家の中は静かだった。

 殴られた頬を冷やすため台所に行き、冷凍庫から保冷剤を出した。手拭き用に使っているタオルで保冷剤を包んで顔に押し当て、食卓テーブルの椅子に座る。帰る途中コンビニで買った水を一口飲むと、また血の味がした。

 家族が起きてこないうちに部屋に帰って寝よう。そう思うのに、尻に根が生えたように椅子から立ち上がれない。頭痛も酷くなり、頭を抱えてテーブルに俯せていると、

「優人、帰ってきたの」

 由香里姉ちゃんが静かに二階から降りてきた。

「どこに行ってたの。佐緖里もお父さんもお母さんもあんたが出て行ったのに気がついてないけど」

 まだ寝ている両親を起こさないように配慮したのか小声ではあったが、かなり怒っていた。普段の僕なら一も二もなくまず謝っただろう。けれどもう僕は自分のことで手一杯で、姉の怒りになど構っていられなかった。

「あんた、まだ十五歳で未成年なのよ? 電話もメールも無視して朝帰りなんて、一体どこで何してたの? 誰かと一緒だったの?」

 そんなこと正直に答えられるとでも? それともありのままに言ってやろうか。小学生の時にレイプされて男性恐怖症になった女の子に、勝手な思い違いをして危うく強姦するところでした、と。あんたの弟はそんなクズだと。

「中学の時は大人しかったのに。高校で悪い友達ができたんじゃないの?」

 旭を思いやって怒った支倉君が悪いなら、彼に殴られた僕は人でなしだ。

「ちょっと、優人。何とか言いなさい」

 うるさい。うるさい。うるさい。今は放っておいてくれ。頭が痛い。何も喋りたくない。今にも叫び出しそうなんだ。叫べば大声でこの家を壊してしまう。だからもう構わないでくれ。

「優人、こっちを向きなさい」

 由香里姉ちゃんが僕を振り向かせようと僕の右肩をつかんだ。

 僕はその手を振り払った、つもりだった。全くの加減なく振り切った僕の右腕は、姉ちゃんの手だけでなく身体そのものを振り飛ばした。

 ガシャンと派手な音を立てて、由香里姉ちゃんは頭から食器棚に激突した。食器棚のガラス戸が割れ、中の食器も落ちて割れた。

「由香里姉ちゃん!」

 僕は頭痛も忘れて食器棚の下に崩れ落ちうずくまる姉ちゃんに駆け寄った。

 抱き起こすと僕の手がぬるりとしたものに濡れた。何だと思い視線を向けると、僕の手は血に汚れていた。抱き起こした姉ちゃんを見ると左の額が切れている。それに左肩には大きなガラス片が刺さっていた。

 音に驚いて起きてきた両親がやってきて、血まみれの由香里姉ちゃんを見て母さんが悲鳴を上げた。

「お母さん、タオルだ」

 父さんが母さんに言って台所に入って来ようとしたのを、僕が止めた。

「スリッパ履いてください。ガラスがあります」

 割れたガラスは飛び散って台所のスリッパの中にも入っている。父さんが玄関へ来客用のスリッパを取りに行った間に、僕は由香里姉ちゃんに向き直ると、慎重に肩に刺さっているガラス片を抜いた。落ち着けと自分に言い聞かせながら、他にも刺さってないか、切れているところはないか、由香里姉ちゃんの身体を調べた。

 母さんが持ってきたタオルで額の傷を縛り、僕は由香里姉ちゃんを背負って台所から廊下に出た。

「由香里、どうしたの」

 オロオロと半分泣きながら母さんが聞いてきた問いに、僕が答えるより早く由香里姉ちゃんが答えた。

「ごめん……椅子につまずいて、食器棚に突っ込んじゃった」

 そうじゃない。僕が姉ちゃんを弾き飛ばしたのだ。

 咄嗟に口を挟もうとした僕の胸辺りを、背中に負ぶさったままの姉ちゃんがペチッと小さく叩いた。何も言うなというように。

「優人、そのままお姉ちゃんを車まで連れてきてくれ」

 父さんが玄関から叫ぶ。

「うちからなら救急車を呼ぶより車の方が早い」

 父さんはスリッパを取りに行った後、姉ちゃんを病院に連れて行く準備をしてくれていた。

 僕が由香里姉ちゃんを車の後部座席に乗せると、父さんと母さんはパジャマのまま着替えもせず、姉ちゃんを病院へ連れて行った。

 僕はふらふらと家の中に戻ると、台所の前の廊下に座り込んだ。

 僕と姉ちゃんたちは十歳歳が離れている。だから昔から何をやっても姉ちゃんたちには敵わなかった。中二で姉ちゃんたちの背を追い越したときはようやく勝てるものが一つできたと本当に嬉しかった。

 姉ちゃんたちは僕に優しい男になれとことあるごとに言うが、僕は漫画の主人公のような強い男に内心憧れていた。どんな敵でも一発で倒せるような、そんな力が欲しいと思っていた。

 いつもは恐い姉ちゃんを振り払えるくらい、僕の力はいつの間にか強くなっていた。もう力では姉ちゃんたちに負けない。

 それがこんなに悲しいことだとは思わなかった。

 僕はもうそれ以上何も考えられないまま血で汚れた手を洗って着替え、台所に散乱したガラス片を片付けて掃除機をかけると、自分の部屋のベッドに倒れ込んだ。

 倒れ込んだ瞬間、僕は眠りに落ちていた。



 目を覚ますと午後三時を過ぎていた。

 起きてみると、よく眠ったせいか頭痛はなくなっていたが、左頬が痛む。鏡を見ると見事に腫れていた。

 湿布でも貼っておこうと階下に降りてみると、両親が居間でテレビを見ていた。

「優人、どうしたの、その顔は」

 両親とも今朝は由香里姉ちゃんの怪我の方に気を取られて、僕の左頬には気づかなかったらしい。

「……玄関の段差の所で転びました」

 こんな言い訳なんて通らないだろうと思ったが、

「まあ、そうなの。あんたも落ち着いてるように見えたけど、やっぱりお姉ちゃんが怪我してびっくりしてたのよねえ」

 自分たちが病院に行った後、気が動転していて玄関で転び怪我をしたのだと勘違いしてくれた。

「お姉ちゃんは大丈夫よ。額は三針、肩は二針縫ったけど、若いんだからすぐ治るわよ。今は痛み止め飲んで寝てるわ」

 母さんは僕の頬に湿布を貼ってくれながら、姉ちゃんの怪我の状態を教えてくれた。

 昼ご飯を食べるか聞かれたが、食欲が全くなく首を振った。

 僕は冷蔵庫の麦茶をコップに一杯飲むと、自室に戻ってスマホと財布をポケットに入れて、「ちょっと出てきます」と両親に告げて家を出た。

 僕が向かった先は、広海の所だった。

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