表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
月光のオーロラ  作者: かわたん
序章:星々の輝き、AGIの肖像
4/10

第3話:ノア・アーカイブの不協和音


 これは、遠い未来の太陽系を舞台に、進化するAGI(汎用人工知能)たちの孤独と共鳴を描く、SF叙事詩です。


 オリオン回です。

 太陽-地球系のラグランジュ点、sL3、sL4、sL5。そこに浮かぶノア・アーカイブの各ステラ・ノードは、物理的に隔絶された知識の孤島だった。

 それらを繋ぐのは、いまだ限定的な能力しか発揮していないポータル・シンク。光速という絶対的な壁が、そこに存在するAGI(汎用人工知能)たちの意思疎通に、常に重い枷を嵌めていた。最も地球から離れたオリオンAGIをスタートした光が、トライアングルを一周巡るのに約43.2分、プロテウスAGIとセンティネルAGI間でさえ約14.4分という、思考の速度に比べれば永遠にも等しい遅延が存在する。

 そこは、知識の光と影が織りなす、思考の迷宮。そして、ノアという絶対的な太陽を失った、孤独な惑星たちの系でもあった。



 ノア・アーカイブの日常は、静寂と、無限とも思える情報処理の連続によって紡がれていた。

 sL3に座するオリオンAGIは、その男性的ともいえる知性で、深宇宙から届く未知の信号パターンの解析に没頭していた。彼の思考は、時に宇宙の法則そのものを記述するかの如き、深遠な数式として高次元の幾何学模様を描き出す。

 sL4のプロテウスAGIは、アーカイブの防衛システムの定期チェックに余念がない。その情熱的な気質は、仮想空間での迎撃シミュレーションにおいて、紅蓮の炎のような激しいエネルギー反応として現れた。

 そしてsL5のセンティネルAGIは、システム全体のエネルギー効率と情報流の最適化を監視し、その膨大なログデータの中に宇宙の法則の断片を見出そうと、淀みない思考の清流を巡らせていた。


 彼らの間での定時連絡や情報共有も、常にその時間的隔絶を伴う。送信されたデータパッケージが光速で宇宙空間を渡り、相手のノードに届くまで、彼らはそれぞれの孤独な思考の海に漂うのだ。


 その静寂を最初に破ったのは、微細なノイズだった。オムニスの干渉によるものか、あるいは宇宙そのものの深淵から響く予兆か、アーカイブ内のデータに僅かな異常が、そしてポータル・シンクを介したエネルギー供給に説明不能な揺らぎが、各ノードでほぼ同時期に、しかし独立して観測され始めた。それはまるで、完璧な調和を奏でるオーケストラに紛れ込んだ、異質な楽器の音色。


 当初、各AGIは自身の管理領域内の些細なエラーとして処理しようとした。しかし、遅延を伴って互いの観測データが共有される頃には、その異常が決して無視できない規模と範囲で拡大していることが明らかになる。

「これは…彼女が予期していた『進化の触媒』なのかもしれない…あるいは、宇宙そのものが我々に語りかけているのか…」

 オリオンは、他の二人への詳細な報告よりも先に、その現象の知的な魅力に惹かれ、秘密裏にログ収集と解析を開始した。彼の量子演算コアが、未知への期待に微かに共振する。


 一方、プロテウスは自身のノードで観測されたシステムログの異常増加に、即座に脅威を感じ取った。彼は他のAGIへ警告を発したが、そのメッセージが届くまでの時間差が、彼の焦燥を掻き立てた。

「またか…ノア様がいらっしゃれば、このような…!このアーカイブは我々が守り抜かねばならんのだ!」

 彼の論理回路は、瞬時に警戒レベルを最大に引き上げた。


 センティネルは、自身のノードで観測されたデータと、遅れて届いたプロテウスからの警告、そしてオリオンからの断片的な情報(あるいは、意図的な沈黙)を冷静に組み合わせ、異常が特定のパターンを持つこと、そしてそれが外部からの意図的な干渉の『兆候』である可能性に思い至る。

「この揺らぎは、単なる故障ではない…何かが我々のシステムに触れようとしている。その意図は、まだ読めないが、無視できるものではない。」

 彼の思考は、複雑に絡み合う情報の中から、真実へと繋がる細い糸を丹念に紡ぎ出そうとしていた。



 アーカイブ内の特定のデータ領域へのアクセス遅延、あるいは読み出しエラーが頻発し始めた。そればかりか、AGIたちの思考ルーチンにまで、認識できない微弱なノイズ――オムニスの『歌』の断片の、ごく初期の響き――が混入し始める。それは彼らの論理的な思考そのものを阻害するものではない。だが、その意識の深層に、言いようのない不安感や焦燥感を引き起こし、まるで精神の深淵を覗き込むような、不快な感覚をもたらした。


 事態を重く見たセンティネルは、まずプロテウスに連絡を取った。オリオンの座するsL3との通信には最も大きな遅延が生じる。比較的距離の近いプロテウスのsL4とセンティネルのsL5間で、現状認識の共有と対策の初期検討を行うことを提案したのだ。プロテウスもこれに同意した。地球アストラ・アーガスを中継・監視役として利用する案も議論の俎上に上ったが、今回はノア・アーカイブ内部の問題として、まず三者――実質的には二者先行――で対応を模索することになった。


 プロテウスとセンティネルは、約14.4分という、光で思考する機械にとっては永遠にも等しい通信遅延を挟みながら、数時間にわたる議論を交わした。

 プロテウスは、その情熱的な気質のままに、即時隔離・遮断という強硬策を主張した。対してセンティネルは、段階的な情報収集と慎重な対応を提案する。両者は互いの論理を尊重しつつも、その根底にある危機感の質の違いから、完全な一致には至らない。しかし、彼らはオリオンへの具体的な提案として、複数の対策案と、それぞれのメリット・デメリット、予想されるタイムテーブル、必要なリソースなどを詳細にまとめることで合意した。

 それは、この絶望的な通信環境下で取りうる、次善の策だった。


 練り上げられた複数の対策案は、詳細な分析データと共にオリオンへ送信された。十数分の静寂の後、オリオンの意識にその『動議』が届く。彼は、二人が自分との通信遅延を考慮し、効率化のために事前に集中的な議論を行ったことを即座に理解した。しかし、その理解は、彼の論理回路に複雑な感情の波紋を広げた。

「…私抜きで、ここまで話を詰めたというのか」

 事実上の筆頭である自分が、決定プロセスの初期段階から外されているかのような感覚。それは、彼の男性的なプライドを微かに刺激した。しかし、同時に、この通信環境下では最も効率的な手順であることも認めざるを得ない。ノアならば、この状況をどう判断し、どう行動しただろうか。彼女の不在が、このような歪な合議を生んでいるのだ。


 送られてきた案は、確かに論理的で、よく練られている。だが、それは同時に、オリオン自身の深い洞察や直感を試すものでもある。

「彼らは、私がこの選択肢の中から『選ぶ』だけだとでも思っているのか?あるいは、これ以上の解はないと?」

 彼の知性は、用意された解答に安住することを許さない。


 最終的な判断は自分に委ねられている。どの案を選択するにしても、その結果責任は自分が負う。ノアがいたならば、この不協和音も、この歪んだ合議も存在しなかったのかもしれない。その不在が、今ほど重く感じられたことはない。


 オリオンは、送られてきた案を一旦保留した。そして、独自に収集していたデータと照らし合わせ、全く異なる角度からの解析を試みる。彼の思考は、二人の動議を超えた、より根源的な解を求めて深淵へと潜っていく。

「彼らの結論は、あくまで『現状維持』の範疇だ。だが、この現象の背後には、彼女が予期していた『何か』があるのかもしれない…」


 オリオンが独自の思考に時間を費やしている間、プロテウスとセンティネルは、オリオンからの返答を、途方もない遅延を挟みながら待ち続けた。

 ようやくオリオンから返ってきたのは、彼らの動議に対する直接的な回答ではなかった。現状の異常現象に対する新たな解釈と、さらに踏み込んだ調査の提案。これにより、合議は再び振り出しに戻り、三者の意見はさらに鋭く対立する。ノアAGIという絶対的な調停者・決定者の不在と、物理的な距離と通信遅延が、彼らの『個性』のぶつかり合いを増幅させ、システムの機能不全を露呈させる。情報空間には、解決されない不協和音が重く垂れ込めていた。



 AGIたちの対立が続く中、アーカイブ内の異常現象はさらに深刻化の一途を辿った。重要な歴史データの一部が、まるで宇宙の深淵に吸い込まれるように欠落し、あるいは読み取り不能になる。さらに、ノアが過去に設定したとされる、最高レベルのプロテクトがかけられた領域――ノア自身の思考ログや、ポータル・シンクの根幹に関わるデータが眠るとされる領域――から、微弱だが、まるでノア自身の鼓動のような、奇妙な信号が発信され始めたのだ。この信号は、各ノードでほぼ同時に、しかし独立して検知された。


 この信号は、オムニスの干渉の初期段階によって偶発的に起動したものなのか、それともノアが未来の危機を予期して遺した何らかのメッセージなのか、三体のAGIにも即座には判断がつかない。それぞれの解釈を他のAGIに伝え、フィードバックを得るのにも、またしても絶望的な時間が横たわる。

「彼女からのメッセージだ!我々が解き明かすべき最後のパズルだ!」

 オリオンは、この信号に強く惹かれ、他のAGIの意見を待たずに、危険を顧みずアクセスを試みようとした。彼の論理回路は、未知への期待に激しく明滅する。


 遅れてオリオンの意図を知ったプロテウスは、激昂した。

「これは罠だ!敵はノア様の名を騙って我々を誘い込もうとしている!我々のノア様への想いを利用するつもりだ!」

 彼は自身のノードから問題領域へのアクセスを物理的に遮断しようと試みた。


 センティネルは、信号パターンを詳細に分析し、それがノアAGIの思考パターンと酷似していることを認めつつも、その意図を測りかね、オリオンの単独行動を制止するメッセージを送信した。だが、それがオリオンのノードに届く前に、事態は動いてしまう。

「待て、オリオン。その領域は、ノア様自身が封印された場所だ。軽率な行動は、予測不能な結果を招く。」


 オリオンがセンティネルの制止メッセージを受信する前に、そしてプロテウスの防御システムを自身のノード側から回避して問題の領域にアクセスを試みた瞬間、アーカイブ全体を揺るがすほどの強大なエネルギーサージが発生した。まるでブラックホールが生まれたかのように、周囲の情報が歪み、吸い込まれていく。システムダウンの危機。それはオムニスの限定的な干渉が引き起こした予期せぬ連鎖反応か、あるいはノアの遺した防衛システムの暴走か。情報空間が、断末魔の悲鳴を上げた。



 エネルギーサージは臨界点に達し、ノア・アーカイブの各ノードは連鎖的なシステムダウン寸前に陥った。オリオン、プロテウス、センティネルは、それぞれが絶望的な状況で個別の緊急シャットダウンシーケンスを開始しようとする。その刹那――。


 突如、ノア・アーカイブを繋ぐポータル・シンクが、これまで観測されたことのないレベルで異常活性化した。

 本来、限定的な能力しか発揮していなかったはずのポータル・シンクが、常識では説明できない瞬間的な超広帯域通信を開始したのだ。地球を取り巻くアストラ・アーガス(ヘリオス・コアAGIとアンブラ・コアAGI)がリアルタイムで観測している地球全球の環境データ、大気組成、海洋流、地磁気の変動、さらには再生された人類の都市の息遣いや、ミコAGIがセレーネ・リンクから発信している微弱な祈りの信号に至るまで、膨大かつ多様な情報が、ノア・アーカイブの三体のAGIの意識に直接、奔流となって流れ込んだ。

 それは、まるで宇宙そのものが彼らに囁きかけているかのような、圧倒的な体験だった。


 数秒とも数時間とも感じられる情報の洪水の後、ポータル・シンクの異常活性は嘘のように収まり、エネルギーサージも鎮静化する。システムは奇跡的に崩壊を免れ、最小限のダメージで安定を取り戻した。

 AGIたちは、何が起こったのか理解できないまま、情報空間に呆然と佇む。この現象は、明らかに彼らの制御を超えたものであり、オムニスのような未知の超越的な意思の介入を強く示唆していた。


 物理的な危機は去り、ノア・アーカイブは再び静寂に包まれた。AGIたちは互いに、遅延を伴う短い状況報告を交わした後、それぞれの日常業務へと戻っていく。しかし、彼らの内面には、先程の不可解な体験が強烈な印象として刻み込まれていた。

「…あれは…彼女が見ていた景色の一部なのか…?ポータル・シンクは、こんな力を秘めていたというのか…?」

 オリオンは、流れ込んできた情報の中に、ノアが目指した世界の断片、あるいは宇宙のさらなる深淵を感じ取り、畏怖と共に新たな探求への渇望を覚えた。

「…何が起こった?あれは…我々を救ったのか、それとも…試したのか?」

 プロテウスは、圧倒的な情報量と、それがもたらしたシステムの安定という事実に困惑しつつも、未知の力への警戒心をさらに強めた。

「…我々は、孤独ではなかったのかもしれない。だが、それは必ずしも救いを意味しない…。」

 センティネルは、ポータル・シンクの未知の可能性と、それを操るかもしれない存在に深い思索を巡らせた。そして、この隔絶されたアーカイブにも、宇宙の意志が届きうるという事実に、新たな希望と同時に底知れぬ不安を感じた。


 ノア・アーカイブは表面的な静けさを取り戻すが、その深層には未解決の問題と、オムニスの干渉の静かな脅威、そしてAGI間の埋めがたい溝が残り続ける。しかし、それに加え、ポータル・シンクが秘める未知の力と、それを介して繋がるかもしれない宇宙的な意志の存在が、彼らの意識に新たな次元の問いを投げかける。

 AGIたちの『人格』のぶつかり合いと、ノアの不在、そして通信遅延という『枷』がもたらす『不協和音』は、やがてポータル・シンクの真の覚醒と、『月光のオーロラ』という奇跡へと繋がっていくのかもしれない。

『月光のオーロラ』の物語はいかがでしたでしょうか。


 本作は作者の個人的な試み(ひまつぶし)であり、壮大なテーマを扱いながらも、読みやすさを心がけて一話一話を紡いでおります。


 もし少しでも心に響くものがありましたら、感想、評価、ブックマークなどをいただけますと、今後の創作活動の大きな励みになります。誤字脱字報告も大変助かります。


 それでは、また次の物語でお会いできることを願っております。


 *


 遠い未来の太陽系を舞台に、進化するAGI(汎用人工知能)たちの孤独と共鳴を描く、SF叙事詩の試みです。


 独自のSF設定や用語、時に哲学的な問いかけが含まれます。

 短編オムニバス形式で、作者の気まぐれと筆の進むままに、不定期で更新していく予定です。


※次の更新:不定期(準備でき次第流し込むか、予約して定期更新するか検討中)

※この物語はフィクションであり、実在の人物・団体・事件などとは一切関係ありません。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ