豚骨醤油・バイオファイバー・ラーメン
バイオサイバネティクス。
これが人間を新たな段階に導く進化なのか、ただ単に人間やめる方法なのかは、まだ議論が決着していない。
――が、現実として、何らかの改造手術を受けていない純度100パーセントの人間はもうほとんどいないはずだ。
人間とロボットを区別するのは日を追ってどんどん難しくなっていく。
科学者と哲学者は人間とロボットの違いについて終わりのない議論をしているが、役所の戸籍課はほんの二秒で決着をつけた。
「生まれたとき人間であれば、人間です」
つまりだ。
ヒューマノイドとして工場でつくられ、人間の形と味覚と空腹感を持っているおれはロボットであり、ミサイルとレーザーで武装した恐竜兵器は生まれたとき人間なら、どんなに人間をやめても人間なわけだ。
ケーブルテレビの泥沼メロドラマを見ていると、人間になんかなるもんじゃねえなと思うが、ギガノトサウルスと並べられて、「お前は人じゃねえ!」と言われるのも、なんだかな、な話だ。
―――C・飯・T―――
「確かに一兆個ちょうどだ」
白衣の白髪男は計数機器から試験管を取り外して、冷凍庫に入れた。
今日の素材は疑似TALL因子マーカー×一兆。
性転換手術をするときに男遺伝子または女遺伝子を最後のひとかけらまで残したくない患者にはこれが必須だ。
これは書き換えではなく撃滅因子だから、性別センサーすら誤魔化せるほど異性になれる。
「今日は空を閉じたまま、日が暮れていくらしい」
白髪男が言った。
ここには窓はない。
ただ、竹と苔でこさえたカネのかかりそうな中庭があり、湿った石から水滴が逆さまにしたたって飛んでいく。
「この水、どこまで登っていくか分かるかね?」
「さあな。どこまで飛んでいくんだ?」
「ヴール=ロドフから五千メートルの高さに氷の塊が浮いている。そこまで飛んでいく」
「へえ。それで?」
「水はわたしの曽祖父の時代から上に飛んでいく。水滴は氷塊に触れて氷になり、氷塊はどんどん大きくなっていく。氷の核に設置した反重力デバイスが壊れるか、あるいは氷そのものがデバイスの能力では持ち上げられないほどの大きさになったら、落ちてくる」
「どのくらいの大きさなんだ?」
「大したものじゃない。墜落したら、ここから二十か所四方の地区の全てが潰されて、海だか陸だかに落ちていくくらいだ」
「マジかよ。チーター・ガール・ラウンジも巻き込まれるのかよ」
「どうしようもない」
白髪男は肩をすくめた。
Y・A・Pプリンティングのビルを出ると、鶏牌香烟をつけた。
見上げれば、飛行船や商業ビル、球体公園がある。
そのさらに上にあるのは藍色の雲だった。
白髪男の言った通り、空を塞いだまま、あたりは暗くなっていった。
遠くで爆発音がした。
誰かが金持ちの持ち物に爆弾を仕掛けたんだろう、おそろのジェットパックを背負った企業傭兵たちが二十人ほどすっ飛んでいった。
「〈アイアンサイド・セキュリティ〉の連中か。きいた話じゃ、連中は金持ちどものゴルフでキャディまでしなきゃいけないらしい」
振り向くと、リノがいた。
「お前も飛んでいかなくていいのか?」
「ボクが契約してる会社じゃない」
「お前、キャディもするのか?」
「しないよ。仕事を取られたと思って、キャディ・ボットに恨まれるのも面白くない。そっちは仕事?」
「いま、渡したところだ」
「ボクは非番だ」
「ネクタイなんかしてるから、カイシャインしてんのかと思ったぜ」
「これ、カジュアル・ネクタイ」
「酔っ払いが頭に巻くようなやつか?」
「オーケー、きみにオフィス・カジュアルは分からない」
ヴール=ロドフ全体がとっぷり夜になると、有機溶剤のにおいがするネオンサインが派手に咲き散らかす。
ハット・ザ・ハット地区から虚空へ競り出したコパカバナ・マーケット。
南国をコンセプトにしてあるので、椰子が一定間隔で植えられている。
樹は本物だが、ココナッツは偽物だ。
サトウキビをモーター付きの石臼で搾る黒人のばあさんからジュースを買い、コンガドラムの乱打をききながら、干し首の首飾りやゾンビ・ウイルスの缶を売る屋台を冷やかす。
バイオ・メスカルのショットグラスがカウンターの端から端まで並んだバーで急性アルコール中毒志願者が舌なめずりしていて、七センチ径の蛇口の下で黒インゲンの煮込みが壺からこぼれていた。
テキーラを出してくれるボット経営の店を知っているから、そこでタコスでも食べようということになったのだが、そのとき、おれとリノは信じられないものを見つけた。
トロピカル・スパゲッティを作っているヅンだ。
「あれ、本当にヅン?」
「装飾がトロピカルになってるが、間違いない。ありゃ、ヅンだ」
おれたちを見ると、ヅンはヤクでもやってるみたいに上機嫌で、
「よお、セトにリノじゃねえか。スパゲッティ・ア・ラ・トロピカーナ、食うか?」
おれとリノは開いた口がふさがらなかった。
ヅンが百八十度宗旨替えをしている。
ヅンについて説明しておこう。
やつは屋台人間だ――アンティークな木造車輪をベルトでつなげて、油まみれのモーターで動かし、トタン屋根の下でバイオファイバー・ラーメンを茹でていた。
本体は屋台中央にあるブラウン管頭で腕が四本生えていて、左側の席も右側の席も一度にさばけた。
荒っぽくて濃厚な豚骨醤油スープを熱い熱いとすすって、ビールでも飲む類の客向けの屋台人間だったのだが、いま、ここにいるのは全く別の屋台だ。
カジキマグロの頭の剥製に調理器具を吊るし、赤い巨大提灯のかわりにサーフボードが吊るされていた。
だが、一番ひどいのはメニューだ。
豚骨醤油・バイオファイバー・ラーメンはマンゴーと薄切り培養肉の冷静パスタになっていて、カブト・ビールは缶入りパイナップル・カクテルに変わっていた。
「なんだ、こりゃあ!」
おれとリノは一緒に叫んだ。
「お前、どうしちゃったんだよ?」
「おれはどうもしてないぜ」
「そんなわけないでしょ。どう考えてもおかしいよ」
「まあ、座れよ。スパゲッティ・ア・ラ・トロピカーナ、おごってやる」
ハイソ過ぎて、ものを食べた気になれないスパゲッティ・ア・ラ・トロピカーナ。
ただ、ヅンのご機嫌なブラウン管を見ていると——猫が興奮するビデオが流れていて、魚の形をした金属板がきらきら輝いていた——、まずい、食えたもんじゃないとはいえなかった。
「で」と、リノ。「何があったの?」
「ああ、まあ。お前らにはもう教えてもいいだろう。実はな——おれ、結婚するんだ!」
ああ、女か。
おれとリノはお互いを見合って、うなずいた。
このクソみたいなメタモルフォーゼは女のせいだ。
「へえ」おれはたずねた。「どんな女だ」
「旅行代理店に勤めてる」
「南国生まれなのか?」
「そう! そうなんだよ! ヴール=ロドフの住民を年に二千人は南方諸島に送り込んでる。見てくれよ、いまのおれを! 男前に磨きがかかっただろ?」
以前のヅンと今のヅンで共通しているのは趣味の悪いアロハシャツだけだ。
おれとリノはチャンネルを共有して、誰にも見られないように、――特にヅンに感づかれないようにして、どこかのビッチが——きっとそのビッチは豚骨をくせえとほざくのだろう——、おれたちのダチを、バイオファイバー・ラーメンごと改造しちまったのをさんざん罵った。
企業傭兵の契約で火器使用制限を受けていなかったら、そのビッチを蜂の巣にしてやるのにとリノは悔やんだ。
おれたちはとりあえず、ヅンの機嫌を取って、結婚式には呼んでくれよなと言って(行くわけねえだろ! どうせ南の島で挙げるに決まってる!)、その場を後にした。
―――C・飯・T―――
二週間後、リノから電話があった。
「なんだよ」
「いま、出動から帰ってきたんだけどさ、ボクが何を見たと思う?」
「キリストがスーパーマーケットでドッグフードを満載したカートを押してるのか?」
「違う違う。リトル・レンゲに来てよ。まだ、ご飯食べてないなら」
リトル・レンゲのチケット・クロッシング。
そこにはヅンがいた。
巨大提灯に防水障子。
トロピカルの面影は趣味の悪いアロハだけだ。
おれはリノに言った。
「こりゃ、女にふられたな。何かしたか?」
「何もしてないよ。たぶん、ハンサムなイルカ型の、スキューバダイビング・インストラクターに寝取られたんじゃないかな」
おれとリノは偶然を装って、ヅンに挨拶した。
「よお。豚骨醤油・バイオファイバー・ラーメン。味付け玉子。バリカタで」
「ボクは湯気通し」
「おう……」
あからさまに元気がない。
湯切りにもキレがないし、味付け玉子の切り方も不均等。
「はい……お待ち」
どんな優秀なデートプランでも一撃必殺で葬り去る豚骨臭に高菜のにおいがとどめを刺す。
チャーシューという名のキバクジラの脂身と黄色いクラゲ。
濁ったスープは工業用排水みたいに虹色の膜に覆われている。
このどんぶりを最高に押し上げる鍵は直径一マイクロのバイオファイバー麺。
本来は精密機器の緩衝材だったものが、どう工夫したのか、ラーメンになった。
バイオファイバー麺に対するスープの絡み方は尋常じゃない。
分子レベルで絡みつく。
ただ、いかに食用に改造したとはいっても、所詮は工業用素材。
ボットか、胃袋にクラス3以上の改造を施した人間じゃないと消化できない。
「あー、うめえ」
「魂の一杯だね」
失恋に悲しむヅンには悪いが、こっちのほうがずっといい。
涙でしょっぱい気がしたが、あいにくブラウン管の涙は映像の外を出ることができない。
――と、思ったら、ヅンのやつ、こっそり生理食塩水を加えてやがった。
かまってちゃんめ。
「わかった、わかった」と、リノ。「今日はボクらが精いっぱいなぐさめてあげるよ」
「しょうがねえな。でも、うまいラーメン屋が一軒、この世から消えなかったんだからな。そのくらいのことはしてやるよ」
「お、お前ら~」
ちなみに寝取ったのはなんとスキューバダイビングのインストラクターやってるイルカ人間だった。
ボクっ娘め、戦場のカンは銃後でも通用するらしい。
「イルカ人間がなんだ! この世界には女が疑似TALL因子マーカー試験管一本分いる」
「それって多いの?」
「一兆人だ」
「もう、おれ、自分を曲げねえよ。女のために自分を曲げるなんて、馬鹿げてるよ」
「そうだ、そうだ」
「豚骨がくせえなんて言う女、こっちから願い下げだ!」
「いいぞ、その通り!」
「ああ、おれはよ、おれの魂と一緒に親友まで失いそうになってたんだな。ちきしょう」
「おう、泣け泣け。泣いたぶんだけ、スープにコクが出らあ」
おれたちは翌朝、ブラウン管にZZZが出るまで、失恋屋台を励ましてやった。
―――C・飯・T―――
また二週間後。
「セト。ちょっときてくれない」
「リノか? いま、忙しいんだ。ボーンヘッド警部が真犯人を名指しするところでさ」
「いいからはやく。ヴァレンタイン街区」
ヴァレンタイン街区に行ったら、ヅンがクレープ屋になってやがった。
アーア、あほくせえ。