都会の孤独スペシャル
ベランダから高速道路に貫かれた空間を眺めながら、鶏牌香烟をつける。
どこを見ても広告だらけだ——ネオンサインとホログラフ。
ドラゴンが遡る分厚い招牌はリトル・レンゲ地区のばあさんたちが一ピクセルずつ投影ナノマシンを縫い込んだものだ。
街区のあいだに見える二百メートル先の空路ではご苦労なことに三隻のパワフル・タグボートが巨大な蜂の巣構造を納入先へと引っぱっている。
ニコチンとタールで体内のカートリッジを汚しながら、賑やかな小雨の夜をぼんやり眺めたが、どうも何かする気が起きない。
二十四時間ぶっ通しでチルった音楽を流しているせいかもしれん。
あるいは向こう三か月分の家賃を払ってあるからかもしれん。
まあ、割のいい仕事にありついたんだよ。
しかし、分からんね。
おれには家賃未払いを溜め込む連中が何を考えているのか分からん。
そいつらはギャンブルとかドラッグとか女とかでカネに詰まって、家賃を払えないわけだが、おれに言わせれば、ケチでしみったれた大家の顔に先払い三か月分の家賃を叩きつけるほうがずっとスカッとして、その快感はドラッグやセックスなんかより長続きする。
とはいえ、蓼食う虫も好き好き。
多様性の時代だ。
ニキシー管時計は7:13。
時間的に何か食いたいが、出かける気分じゃない。
ついさっき、煙草でお気に入りのジャンパーに穴を開けて、へこんでいる。
冷蔵庫にはピーチの缶以外、何もないことは分かっている。
アパートから一番近いダイナーは生身の人間ならコレステロールで即死するマカロニ・アンド・チーズを出すが、さっきも言った通り、出かける気分じゃない。
「チーズか」
思いついた。
煙草を見ざる聞かざる言わざるの灰皿に押しつけ、自分の家にガサ入れをかける——休眠ポッドの小物入れ、ミニ竜舌蘭の鉢植えの下、古雑誌の袋とじを辛抱強く探して、ようやく見つかった。
マフィアのボスが革椅子に座って猫を撫でてる絵。
ドン・ピザレオーネの優待券付きチラシだ。
ほら見ろ。
メニューのピザどもはどいつもこいつもカロリー爆弾みてえなツラしてやがる。
サラミが集合恐怖症をパニックに陥らせるほど密集しているコロンバス・スタイル。
ウェスティーズ・ギャングの入会儀式に使われているヘルズ・ハバネロ・キッチン。
バジルソースに混入したナノマシンのせいで食うと遺伝子が書き換えられるキメラ・ヴェルデ。
そして、忘れてはいけない。
生地と天のあいだで行われたピザに対する最悪の冒涜、マンゴー・アンド・ストロベリー……
ただ、おれの目についたのは〈都会の孤独スペシャル〉だった。
孤独に打ち勝つにはパワーしかないという設計思想に基づいてつくられた肉まみれのピザ。
サラミ、チョリソー、ミートボール、Tボーンステーキ、ファットバック。
ピザ設計者は肉食って力を出せと言っている。
ただ、注意書きがあって、本当に孤独な人だけ注文してくださいと書いてある。
おれは孤独だし、それ以上にスペシャルな存在だ。
だから、こいつを注文する権利があるような気がする。
電話すると、ボットねえちゃんの声がした。
「お電話ありがとうございます。ドン・ピザレオーネです!」
「都会の孤独スペシャル、L。それにフライドポテトとジンジャーエール」
「こちら孤独なお客さま限定のメニューになりますが」
「そこんとこは大丈夫だ。おれは都会に住んでる。おれは孤独だ。そんでもってスペシャルな存在だ。住所は登録済みだよな。じゃあ、ちゃちゃっと配達してくれ」
「お客さまの音声データを判別ソフトにかけてもよろしいでしょうか?」
「いいぜ」
三十秒後。
「はい。確認完了いたしました。お客さまは孤独な存在です。そりゃあもう、超孤独です。孤独死間違いなしです。検死官が『死因:孤独』と書きますよ。このバイト始めて三年ですけど、お客さまほど孤独な方とお話したことはありません。お客さま、胸を張ってください。お客さまは最強の孤独――」
電話を切った。
―――C・M・T―――
これは歴史の教科書に載ってることだが、原始のピザ屋では注文からお届けまで三十分以上かかったらタダというルールがあったそうだ。
それが交通事故の多発で警察にしこたま怒られて、この素晴らしいルールは潰された。
歴史から学ぶものは多い。
いつの時代だって、警察はろくなことをしない。
ポンピーン。
おれんちのチャイムはピンとポンが入れ替わっている。
この改造をしてくれたやつはこれが反逆的でかっこいいとおれを持ち上げて、おれもうぬぼれて、これからは反逆のヒューマノイドと名乗ることにしたが、まもなく大家からチャイムのピンとポンはまったく同じ音だと教えられて、おれの反逆は終わった。
「誰だ?」
「ドン・ピザレオーネでーす。ご注文の品をお持ちしました」
ドアを開けると、画素数六億越えのスクリーンフェイスを移植したメイド服のヒューマノイドがおれのピザを持って立っている。
カネを払って、ピザを奥へ持っていくと、なぜか、そいつもついてきた。
「カネなら払っただろ? 釣り間違えたか?」
「お客さん、都会の孤独スペシャルを注文しましたよね?」
「ああ」
「よかった!」
スクリーンフェイスにレモンイエローのスマイルマークが写る。
「わたし、寂しい孤独な方に寄り添う、孤独癒しヒューマノイドのアキです」
「は?」
「今夜はあなたに寄り添ってあげます」
「なに言ってるか、さっぱり分からないんだが」
「お客さまは孤独だそうですから、一緒に遊んであげるんですよ」
「ますます意味が分からん。なあ、おれ、これからピザ食って――」
あーっ!と寄り添いヒューマノイドがフェイスに内蔵されたスピーカーから声をあげた。
「『ストライク・ギア36』じゃないですか! しかも、限定版! いいなあ、売り切れで限定版買えなかったんですよ」
アキと名乗ったヒューマノイドがおれのブラウン管テレビの下からゲーム機を引っぱり出して、電源を入れた。
「対戦モード! やりましょうよ!」
「やんねえよ。とっとと帰れ。ピザ食うんだから」
「でも、コントローラーふたつあるじゃないですか。孤独が好きなら、コントローラーふたつも買いませんよね?」
「本体買ったらふたつついてきたんだ」
「またまた。本当は対戦がしたくてしょうがないんじゃないですか? ねえ、大戦しましょうよ! 対戦!」
「やなこった。帰れ」
「やだー! 対戦対戦対戦対戦対戦対戦対戦対戦!」
「わかった、わかった、わかった! ぎゃあぎゃあわめくな、近所迷惑だ……一回だけだからな」
「やったー! こう見えてもわたし、ストライク・ギアは1のころからやってるコアゲーマーですからね。負けませんよ」
「はいはい。一回やったら、帰れよな」
一時間後。
「やったあああ! また勝ったあああ!」
「はああ!? 何だよ! いまの当たり判定! 絶対当たってねえだろうが!」
「セトさん弱すぎます。よわよわです」
「ふざけんな! ふざけんな! ふざけんな! もう一度だ。次は勝つ!」
「いいでしょう。受けて立ちます」
「……おい」
「なんですか?」
「なに、ウェルマン選んでんだよ」
「だって、得意キャラ使ったら、セトさん絶対に勝てないじゃないですか」
「だから、ウェルマンで十分だってか? なめプしやがって。絶対後悔させてやるからな」
「セトさんも得意キャラ使っていいですよ。あ、これが得意キャラでしたね」
「クソッタレェェェェ!」
さらに一時間後。
「なぜだ、なぜ、勝てん……」
「あー、大声出し過ぎて、人工声帯が何か飲めってうるさくステータスに言ってきます」
そう言って、アキはスクリーンを外すと、食事用デバイスにおれのジンジャーエールを流し込み、おれの都会の孤独スペシャルを食った。
「勝利の味がします。敗者の注文したピザってどうしてこんなにおいしいんでしょう」
「……いいだろう。おれが本気を出すときが来たようだな」
おれはクローゼットの床につくった金庫を開けた。
九ミリ銃と小銭、宇宙食パックに保管したいざというときにカネに変えられる素材類の下に一番貴重なものがある。
スペル・アンド・クロスファイアのカードが百三十六枚。
「まあ、格ゲーなんて、所詮は児戯よ。お前みたいな顔面スクリーンのお子ちゃまには百年はやいがな」
ピザを食うアキの手が止まった。
スクリーンフェイスの最上部が解放され、本来ならコアCPUが入っているはずの場所からスペル・アンド・クロスファイアのカードの束があらわれた。
「戦ってもいいですけど、わたしのレジメンタル・ドラグーン・デッキでボコボコに負かされても泣かないでくださいね」
ニ十分後。
「アッハハハハハ! レジメンタル・ドラグーン・デッキにアヒル・デッキで立ち向かったその勇気は誉めてあげます。出でよ、轟火の竜騎卿! アヒルたちを焼き尽くせ!」
「おれのダック・ジェネラルが! くそっ、ダック宣伝ラジオ発動! 相手フィールドのカードを一ターンだけ排除できる!」
「ふふん。こちらの手札を全て飛ばして、ライフを削るつもりですか? でも、わたしのライフは一万二〇〇〇。たとえアヒル・デッキ最強のダック・ジェネラルがもう一枚あったとしても、与えられるダメージは三〇〇〇。次のターンであなたは終わりですよ、お馬鹿さん」
「馬鹿はお前だ」
「なんですって?」
「カード、オープン! ダック十字勲章発動! ダック・ジェネラルが破壊されると、これまで破壊された捨て札のダック・ソルジャー全てを復活させることができる。傲慢の竜騎兵に蹂躙され、戦場に倒れたアヒル兵士たちよ、いま蘇れ! ゆけ! ダック・ソルジャー×十二!」
「ダ、ダメージが千! このままではわたしのライフが!」
「そうだ! 一万二〇〇〇、きっちり削りつくせ!」
「そ、そんなバカな。わたしのレジメンタル・ドラグーン・デッキが、――アヒルごときにぃ!」
「とどめだ! ダック・ソルジャー・アタック!」
「ぐああああああああ!」
おれは、ふっ、と見栄を切った。
「攻撃力に偏重したのがお前の敗因だ」
「く、くそぉ……で、でも、まだ一勝一敗! 落下パズルゲームで勝負です!」
そんなこんなで一回勝っては一回負けての繰り返しを夜が明けるまでした。
「あー、楽しかった。どうですか、寄り添いサービス?」
「まあまあ楽しかった」
「その言葉。やりがいを感じる瞬間です。じゃあ、また、都会の孤独を感じたら、わたしを読んでくださいね。アディオス、アミーゴ!」
「アウフ・ヴィーターゼン」
―――C・M・T―――
ピザが最後の一枚残っていた。
電子レンジにかけて温め直し、食っていると、午前六時だというのに電話が鳴った。
「あのぉ。この電話って都会の孤独スペシャルを頼んだセトさんの番号であってます?」
「そうだよ」
「あぁー、よかった。あなた、超孤独の人よね」
「人じゃない。ヒューマノイドだ」
「まあ、それはどっちでもいいんです。実は謝らないといけないことがありまして」
「なんだ? はやく言ってくれ。こっちは大変な夜だったんだ」
「それなんですけど、都会の孤独スペシャルを注文してくれた方に漏れなく、お渡ししている特典をつけ忘れたんです。ごめんちゃい」
「特典ならきちんとついてきたぞ。というより、さっきまでそいつと死闘を繰り広げてたところだ」
「そいつ? いえいえ、わたしどもがお渡ししている特典はセラピストの割引券です」
「……へ?」
「ですから、あれですよ。なんか、妙に座り心地のいい椅子に座らせて、幼少期のトラウマとかきいて、それがうんたらかんたらだって言う人たちいるじゃないですか。その人たちと楽しくお話しする割引クーポンをお付けしてたんですけど、お客さまのはそれがついてなかったんです。ごめんちゃい」
つまり、アキは――???
「クーポンいりますか? いりますよね? だって、お客さま、宇宙チャンピオンものの超孤独――」
電話を切った。
最後のミートボールを口に放る。
紙皿を見る。
「まあ――、楽しかったからいいか」
都会の孤独はきれいさっぱり消えてなくなっていた。