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サバの味噌焼き定食

 夕暮れ時のチルドレス地区。


 空を見上げると、薄ら影に沈んでいる浮遊街。

 赤紫の夕日が曲面ガラスで燃えている。

 手すりの外に浮かぶ区内リフトのホログラフ運行表は狂ったような交通量に阻まれて読めなかった。


 幹線空路沿いの道にはカネの神殿が並んでいた。


 銀行、証券会社、信託会社。


 どれもまともに商売してるだけで十分稼げる位置にいるのに、こいつらは当然のように違法行為に手を染めて、法外なキックバックを要求する。


 とはいえ、今日会うクライアントが、その手のカイシャインなんだから、文句は言わない。

 むしろ、どんどん法を破ってくれ。


 通りを曲がる。コリント様式の円柱を飾った信託会社の前を通り過ぎ、菜食主義料理センターの角を曲がると、ほどなく道が狭くなり、汚くなり、赤い獣肉を吊るした肉屋が見つかる。


 培養肉ではない――劣悪な環境で親も知らずに出荷目標重量になるまでゴミを食わされ、圧縮ボルトでぶっ殺され、皮を剥がれた哀れな畜生どもだ。


 それが菜食主義者の根城から三十メートルと離れていないところで店を開いている。


 包丁持った巨大コック・バルーンを飛ばしてるから、ベジタリアンどもがこのことを知らないはずはないんだが。

 とはいっても、肉屋まで文句つけにいくほどの勇者はいないだろうな。


 裏通りは涙がちょちょぎれるほど貧乏で、住民はオツムのなかを過激なスローガン――『金持ちをひき肉にしろ!』――でいっぱいにしている。


 当然、野菜だけ食って暮らしていけるアッパーミドルクラスもひき肉の有力候補だ。

 金持ちのベジタリアンどもは想像もしないようだが、世のなかにはラードまみれのジャンクフードしか買えない低所得者階級ってのがたくさんいるんだよ。


 さて、チルドレス地区みたいな金融街でも、でかくてハイソなビルは表面だけで、ブロックの内側は雑多な商売ビジーで破裂寸前だ。


 油臭い寿司。穴だらけの幌。廃品拾いスカベンジャーどもの紳士協定。

 ここで一番尊敬される職業はゴミ捨て場の鉛管で二連式の散弾銃プランダーバスを作れる銃職人ガンスミスだ。


 ごちゃごちゃした街だが、ぶっちゃけた話、おれみたいな〈素材屋マテリアロ〉にはスラムのほうが気が休まる。

 だって、財産がないのに、チルドレスを歩くのは苦痛でしかないだろが。


 ―――C・M・T―――


〈大怪獣戦線〉をかける映画館の前にクライアントが待っていた。

 レトロ趣味の眼鏡をかけた小太りのカイシャインだ。


「あんたがウェイルか?」


 カイシャインはおれの質問を無視した。


「あんたが、ウェイルか?」


 また無視された。

 いくら相手が大企業の人間カイシャインで、こっちが型落ちの〈素材屋マテリアロ〉ヒューマノイドだからといって、こんなふうに無視していいという決まりはない。

 とはいえ、ギリギリまで自分の名前は出したくない。


「なあ、あんた、おれのクライアントか? それともこいつは壮大なピンポンダッシュの一種か? 呼び出して、こいつ、ほんとにやってきやがったって笑うようなさ」


 そこで気がついた。

 眼鏡のレンズに為替レートか何かが投影されていて、延髄には投資家用の強化カートリッジが差してある。


 カイシャインは手元のマイクロ・コンソールを切って、クレジットを残したままアーケード・ゲームから離れる子どもみたいにいやいやな顔をしながら、おれに応対した。


「きみがセトか?」

「ああ」

「〈素材屋マテリアロ〉の?」

「そのつもりだが、心ない連中は型落ちポンコツと呼ぶ。そう呼びたきゃ呼んでもいい。金さえ払えばな」


 カイシャインは財布から一万クレジットの札を十枚取り出した。


「前金だ。経費込み。受けるなら払う」


 これだけ科学が発展しても、おれたちは紙幣を捨てられない。


 PSーInb(おれたち)よりも七代前のヒューマノイドが最新技術と崇め奉られていた時代、電子マネーを開発して、人間は紙幣を捨てると宣言した。


 本当に紙幣も硬貨も流通しなかった時代があった。


 ところが、十三歳のハッカーが通貨管理機関をハッキングして、全ての電子マネーを無効化した。


 世界的なパニックとそれを原因とする七つの戦争が終わったころ、人間は自分たちの非を認め、経済は紙幣と硬貨に先祖返りした。


「話をきかせてくれよ」


 カイシャインはふたつのレンズのあいだのチタンを人差し指で押して眼鏡の位置を少し上になおした。

 眼鏡野郎どもはこれが知的に見えると信じているらしい。アホくせえ。


「チャンネルを開きたまえ。メールで送る」


 普段、チャンネルは通りすがりの人間やボットに自分のペニスの写真をばらまく下らないボケナスをはじくために閉じている。

 チャンネルを開くと、ステーキ肉みたいなものが出てきた。


「なんだい、こりゃ?」

「きみが知る必要なない。センサーへの反応数値を送る」

「そうかい」


 知らないふりをしたが、本当は知っている。


 こいつはギガノトサウルス型歩兵支援兵器の統制モジュールだ。


 装甲みたいな肉と肉みたいな装甲。

 最新レーザーポッドで盛り上がった肩。

 戦車も食いちぎれる特殊鋼牙。


 獣脚類と言われるだけあってたくましく敏捷性のある脚を持っていて、そいつは戦車のキャタピラよりも地形に強く、何より見た目が敵をびびらせる。


 最高にクールな兵器だが、陸戦条約で禁止されていた気がする(たぶんコアに人間の脳を使うからだろう。この狂った街にはかっこいい肉食恐竜に生まれ変わりたい人格破綻者が何百人と列をつくっている)。


「まあ、いいや。前金をくれ。手に入れたら、どうやってあんたと会えばいい」

「一週間後に〈帰ってきた大怪獣戦線〉が放映される。そのときに会いにくればいい」

「一週間でこのステーキを手に入れろっての?」

「きみもプロならプロらしく——」


 何かムカつく言葉が続くはずだったが、カイシャインの口が赤く光ってから破裂した。


 トレンチコートを着た男が生体膨張銃を手にしている(それは陸戦条約第二十三条第三項、不必要な苦痛を与える兵器は禁止されるによって禁止されているはずの銃だ)。

 殺し屋は背が高く、その顔がヤバい。大切なもの全部放り捨てた結果、残った笑顔。眼なんかほとんど閉じていて、その笑顔はおれのエネルギー銃を食らって、気絶しても剝がれなかった。


 ―――C・M・T―――


 逃げて逃げて逃げまくり、糠なんかをドラム缶で運ぶ木造のエア・シップに飛び込んで、かなり離れた街区で降りた。


 ヤバかった。


 ヤバい素材を扱ったことは何度もある。

 兵器関係の素材もなかにはあった


 ――が、今回は反応が速すぎる。


「ったく、冗談じゃねえよ」


 慌てて逃げたから、自分がどこにいるのか、一瞬分からなかった。


 見回してみると、ホログラフがない。

 代わりに視界をふさぐほどのプラスチック看板とピンクチラシが貼られた電信柱、それに鉄筋コンクリートの安っぽいビルたち。


 歴史保存地区だ。


 大昔の繁華街をそのまま再現した、存在する意味があるのかないのか分からん地区。

 歯のインプラントより発展した改造クリニックを禁じ、市からの補助金でかろうじて営業できる原始的なパチンコ屋がやかましい(本物の)金属玉の音を鳴らし、焼き肉店のダクトからべたついた甘ったるい風が流れ出る。


 おいおい、おれはこんなとこまで逃げたのか。ったく。


 ぎゅるるるる、と腹がなるわけではないが、安心すると空腹コードが発生し、そろそろメシが食いたくなる。


 十万持ってるから焼き肉もいいが、そのとき、大衆食堂の暖簾が見えた。


 ガラスの引き戸を開ける。

 安物の机と背もたれのないパイプ椅子。水着姿の女が色褪せたビール会社のポスター。演歌チャンネルに固定された宙吊りのブラウン管テレビ。


 工事現場のジャンパーを着た男が食後の一服をしていて、パチンコで細々と生計を立てているらしい若い男が味付け海苔で明太子をのせたご飯を挟もうとしている。


 五百クレジット硬貨を食券販売機に入れて、サバの味噌焼き定食のボタンを押す。


 イノシシ型占い師の牙占いによると、おれは魚を食べたほうがいいらしい。

 それは運勢というより、保健士の食事改善指導だ(コレステロールを除去するナノマシンもあるにはあるが、保険適用外だ)。


 ちっぽけなチケットがステンレスの取り出し口に落ちてきた。

 番号は110番。


 プラスチックのコップに冷水機械から水を注がせ、飲み干す。

 取り入れた水がカッカした機体の冷却機能を補助するのを感じる。


「110番の方ぁ」


 ステンレスの受け取り口に用意された、晩飯トレイを取り出して、近くの席に陣取った。


 丼メシ。サバの味噌焼き。揚げナスの小鉢。ぬか漬け。ワカメの味噌汁。


 サバの味噌焼きというのはサバの味噌煮とは全然違う。

 〆の切り目を入れたサバに味噌を塗って焼くから、途方もなく香ばしくなる。


 サバをメシの上にのせて、食べる。


 うまい。

 少なめのサバで焼き味噌を用心深く味わうのもいいし、むしろ大きめのサバで白米の味を蹂躙するのもいい。楽しみ方は百通りだ。


 コリコリといい歯ごたえの漬物とじんわりした揚げナス。

 熱い味噌汁をすする。


 大衆食堂の困ったところは後から来る客のメニューがすごくうまそうに見えることだ。

 ポーク玉子定食。

 クリームシチュー定食。

 王道のニラ玉定食。

 炭水化物をおかずに炭水化物を食う醤油ラーメンと半ライス。


 どれもうまそうでしょうがない。


 だが、もっと困ったのは注文したのが、あの笑顔の殺し屋どもだったことだ。

 四人が全く同じ顔をしている。しかも囲まれた。


 ポーク玉子が右。シチューが左。ニラ玉が前。ラーメンライスが後ろ。


 ここまでくれば、十分だ。

 未練はある。

 さっきも言ったように後から来る定食がうまそうに見えて、今度来たら試そうと思ってたんだが……。


 覚悟を決めたおれを無視して、四人はあれこれしゃべっている。


「クリームシチューに漬物を添えることを考えた人は天才ですね」

「誰かソースをとってくれませんか?」

「ラーメンのスープだけ残ったところにご飯を投入」

「わたしは麺と一緒にご飯を食べきる派です」

「あなたは何を頼んだのですか?」


 おれはこたえた。ボットのいいところはこういうとき声が絶対に震えないことだ。


「サバの味噌焼き定食」


 すると、四人(あるいは四体)はおれの選択を誉めまくった。


「それはいい趣味だ!」

「わたしは味噌煮の甘いのが苦手なんですが」

 おれはこたえた。「味噌を塗って焼いているから甘味はなくて、香ばしい」

「今度来たら、試してみましょう」

「クリームシチューもおいしいですよ」殺し屋が言った。「今度試してみるといいでしょう」


 ん?


「今度があるのか?」


 おれと向かい合って座っているニラ玉定食が言った。


「チャンネルを開けてください」


 言われた通りにした。

 すると、例の素材に関するデータがきれいさっぱり抜き取られた。


「あなたを破壊するかどうかはわたしたちに委任されていたのです——」と、ニラ玉が続ける。「さっきまで破壊するつもりでしたが、やめました。趣味のいい大衆食堂利用ボットを破壊するのはわたしたちの主義に反します。では、ごきげんよう」


 四体の殺し屋は食事を終えると、笑いっぱなしの口元を行儀よく紙ナプキンで拭き、調理場と食堂を区切るステンレスの返却棚にトレイと食器を返して出て行った。


 ―――C・M・T―――


 考えるのも恐ろしいが、他のメニューだったら、おれはぶっ殺されてたってことだ。


 カレーライスだったら死ぬのか?

 キャベツ炒め定食だったら助かるのか?

 とんかつ定食なら死ぬのか?

 肉めし丼なら助かるのか?


 連中にきかなきゃ分からないことをあれこれ考えてもしょうがない。


 ただ、ひとつだけ——ナポリタンを頼んでたら間違いなく殺されてた。

 それだけはなんとなく分かる。

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