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シナモン・サンド・グリルド・チーズ

 冷蔵庫のものはあらかた食ってしまった。


 棚を漁ってみると、シナモン・サンド・グリルド・チーズの箱があった。

 中身をテーブルに開けると、銀紙に包まれた何かが出てきた。


 破ってみると、中身はからっからに乾燥したシナモン・サンド・グリルド・チーズが入っていた。

 箱の説明によると、これをトースターに入れれば、ちゃんとしたシナモン・サンド・グリルド・チーズになるらしい。


 だが、おれが欲しいのは箱のほうだ。


 面倒だから、トーストしないで干からびたサンドをバリバリ食べながら、箱のなかにキャントレル・マーカーの入った平板カプセルを三枚入れた。


 セーターをめくって、平らな箱をベルトに挟み込むと、すぐに車を出して、ここから一キロの位置に浮いているFACKマートに向かった。


 機械が吐き出した駐車場のチケットをちぎって、二時間以内ならタダと頭のなかで念仏みたいに唱えながら、スーパーに入った。


 とりあえず、ステーキ用培養肉がお買い得だったから、籠にポイポイ放り込んだ。


 プレミアム会員カードを持っている連中は脳みそにコードをつないで、買い物ボットに品を集めさせながら、カフェでシナモン・サンド・グリルド・チーズを食っている。


 何事においてもプレミアムになれないおれみたいな連中は三百年前と同じやり方で、カートを押し、欲しいものを籠に放り込む。


 オレンジジュースの二リットルボトルと万能グレービーソースのボトルをステーキの上に落とし、うろちょろしていると、いた。


 今回のクライアントだ。

 バイカーギャングの紅一点みたいなレザージャケットを着た女で、籠をインスタント・トーストの箱でいっぱいにしている。


 すれ違いざまにブツとカネを交換することになっている。


 さあ、おカネちゃん待っててね。


 ――と、シナモン・サンド・グリルド・チーズの箱を取り出して、籠に入れたところで声をかけられた。


「よお、セト! セトじゃないか!」


 振り向いたら、小太りの人間がいた。

 カータータウン・フュージリアーズのキャップをかぶったネルシャツ男で、沼地のそばに住んでる気がする男だ。


「あんた誰だっけ?」

「スティーブだよ! 覚えてねえのか?」

「覚えてねえよ」

「〈ハイランド・マークスマン〉のパーティーで会っただろ?」

「覚えてねえよ。あのときはべろんべろんに酔っ払ってたし」

「そうだよ。あんた、酔っ払って、ピーティー・オーランドに小便ひっかけて——」

「人違いだな。おれはボットだから小便は出ない」

「でも、あんただってば!」


 クソったれめ。

 こっちが大切な取引の最中だってのに。


「とにかく知らねえもんは知らねえ。忙しいんだ」

「なあ、あんた、あのことは本当なのか?」

「知らねえっての」

「あんたはマンガ雑誌の編集長をしてるって」

「なあ、あんた。おれも正直に生きてきたとは言えない。いろいろホラ吹いて、人に不愉快な思いをさせたことは何度もある。でもな、自分がマンガ雑誌の編集長をしてるなんて嘘をついたことはねえ。これだけは確かだ。おれにはマンガの良し悪しなんて分かんねえからな」

「そうじゃないよ! おれもマンガなんて描かない。おれが書いてるのはライトノベルだよ。あんたはおれの小説を読んで、いいものだったら、アニメ会社に顔をつないでくれるって約束したんだぜ」

「だから、知らねえって。百歩譲って、おれがそう言ったとしよう。でも、おれはそのとき、ピーティーなんとかに小便をひっかけるほど泥酔してたんだろ? そんなときに結んだ約束が生きてると、あんた、本当に思ってるのか?」

「でも、ほら、あんた、約束したじゃないか!」

「知らねえよ」

「でも、ほら、筋書きだけでもきいてくれよ」


 きいてみた。

 社会的に鬱憤をためているやつが、アタマを打つか、ヤバいブツを試すかしてパッパラパアになり、異世界に吹っ飛び、そこで自分をコケにした連中全員ひとり漏らさず見返して、かわいい美少女たちに囲まれて、幸せに暮らすというものだった。


 三か月前に自分の頭を吹っ飛ばしたナカのことを思い出した。

 仕事も夫婦仲も何もかもうまくいっていて、コスタ・デル・ディアスに結婚十周年の旅行中、ホテルのラウンジで古いラグタイムを二曲弾いてから、女房に微笑みかけ、カウンターに戻り、モヒートを注文して、クリアなラムにライムジュースが垂らされるよりも先に、懐から取り出した銃で自分の頭を吹き飛ばした。

 遺書はなかった。


 あいつは人の夢を潰す天才で、特に個人攻撃においては右に出るものはいなかった。


「分かった。じゃあ、原稿を社に送ってくれ」

「いま、メモリにあるんだけど」

「社に送ってくれ」

「斜め読みでもいいから、いま感想を欲しいんだ!」


 クライアントはおれのほうを見て、どうしたものか考えているようだ。

 お願いだから、このボケがオトリ捜査官だと勘違いしないでくれ。


「分かった。じゃあ、読んでみるよ」


 おれはデータを受け取った。


「ひとりで読みたいから、あっちに行っててくれ」


 これでクライアントにブツを渡そうと思ったのだが、このバカはおれの後ろをうろうろしていた。


「あっちに行けよ」

「でも、あんたを見失ったら、もう二度と会えない気がするんだ」

「おれはいつも原稿を読むときはひとりで読むことにしてるんだ」

「でも、あんたを見失ったら、もう二度と会えない気がするんだ」


 ナカじゃなかったら、キリでもいい。

 百万人の視聴者前で動画配信者を殺して二十八年食らったはずなのに、あいつ、またムショで政府絡みの変な殺しをして、仮釈放で出てる。


 迷子のお知らせにこのスティーブ何某の名前が流れないか注意してききながら、セルフサービスレジのゾーンに入っていった。

 クライアントがそこに入ったからだ。


 おれは一週間分の食い物と飲み物とカートリッジ洗浄剤のバーコードを読み取らせ、次々とカーペットバッグに放り込んだ。

 そのあいだ、ずっとバカ野郎はおれの真後ろにいた。


 クライアントはそれからカフェに移動した。


 おれもカフェに移動した。

 もちろん、クソバカもついてきた。


 かなりいい線いっているボットのウェイトレスがやってきて、おれたちに注文をきいた。


「僕は何もいらない」

「おれはシナモン・サンド・グリルド・チーズとコーヒー」


 クライアントから、暗号化措置なしのメッセージが放り込まれた。


〈水を一杯、テーブルに置け〉


 言われた通りにすると、クライアントは出入口の棚にあるお土産用のマドレーヌを買って帰ってきた。

 そのとき、おれのテーブルにぶつかり、水がおれの腿にこぼれた。


「あ、ごめんなさい」


 クライアントはおれの腿を拭こうとハンカチを取り出した。

 おれはすぐにブツを取り出し、そのハンカチに巻き込ませてブツを渡そうとした。


「あ、大丈夫です」


 クソバカがマイクロドライヤーでおれの腿の水を蒸発させた。


「いま、彼は偉大な芸術を世に出そうとしているんです。邪魔しないでください」


 いま、おれはキャントレル・マーカーを渡そうとしてるんだ。邪魔すんなカス!


 やっぱりキリじゃダメだ。

 即死はこいつには贅沢だ。

 ナカにひとつひとつ、こいつの精神的優位(と、こいつが勝手に思っているもの)を潰させないといけない。


 そこまでしないと、このバカは分からない。


 こういうクソバカは確かに世のなかに存在する。

 自分のすることは全て善意からきていて、人はその善意に対して、見返りとは言わずとも好意的見解を持つべきだと本気で思っているクズども。


 おれの食い扶持稼ぎの邪魔をして、くだらねえガキみたいな読み物を押しつけるアホンダラどもに幸あれ!


「読んだ」

「どうですか?」

「素晴らしいね」

「本当ですか!?」

「ああ、本当だ。うちとしては重役会議にかける必要があるが、すぐにも出版の裁可が降りるだろうな」

「やっぱり見る目のある人はいるもんだ!」


 おれは原稿をメモリから完全に削除してから、ナプキンにハードコアなゲイ・バーの住所を書いた。


「ここに行ってくれ。今後のことはここで面倒見てもらえる」


 クソバカが行ってしまうと、シナモン・サンド・グリルド・チーズが届いた。


 シナモンとマーマレイドを塗ったサンドにチェダーとマンステールをミックスしたチーズを挟み、トーストする。

 それが四枚重なった代物だ。


 あんまり、こういうカフェで物を食うことはしないんだが、思ったより食いでがあって、驚いた。

 シナモンと合わせただけで、朝食メニューのチーズトーストがおやつに変化する。

 しかも、チーズにはクリスピー・ベーコンが混ざっているのにだ。


 シナモンが苦手じゃなければ、まず口にあう。


 クライアントを見た。

 顔が隠れるくらい、でっかいモンブラン・パフェを食っていた。


 パフェが半分なくなったあたりで、おれとクライアントの目があった。


 ふたつの合意を得た。


 その一、ブツの受け渡しは別の機会にする。

 疲れた。本当に疲れた。そんな気分じゃない。ブツの受け渡しは気力を要する。


 その二、最高の調味料は空腹ではなく、クソバカだ。

 さんざんクソバカに付きまとわれた後なら、どんな料理もうまくなるものだ。

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