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チキン・アンド・ブロッコリー

 仮想空間から逃げ出した全長三十メートルのダックスフントが空を走りながら、コスモポリタン座でドニゼッティの『ランメルモールのルチア』をやることを宣伝した。


 上下三区画の住民の目に入ったはずだ。


 うまいやり方だ。

 現実世界でホログラフからやろうとすると、カネと手間がかかる。

 ヴール=ロドフの空間は、もう、ありとあらゆる宣伝に占拠されているからだ。


 ところが、宣伝文句を胴体に印刷された架空のダックスフントを仮想空間から、()()()()逃がせば、何の手続きもいらない。

 ちょっと警察から小言を食らうだけだ。


「なあ」と、おれ。

「なんだ?」


 ニコはドア枠に肘を置いて、〈グリーン・リー・キッチン〉の空中ドライブスルーに自分より前に並ぶ十二台の車が墜落してくれないかと考えていた。


「あのオペラ、見たことあるか?」

「ある」

「どんな話だ?」

「人が死ぬ」

「そりゃ死ぬだろ。オペラなんだから。人が死んで、オーケストラがじゃじゃーんってなって、声の低いデブか、声が高い鳥ガラがなんか歌う。それがオペラだ」

「きみはわたしが十年かかって理解するものをほんの五秒で理解したね」

「インテリの皮肉ってのは、いいとこついてくるな。ホモのセックスみたいに。で、何人だ?」

「わたしはノイ一筋だ」

「そうじゃなくて、オペラだ。何人死ぬんだ?」

「確かふたりだ」

「思ったより少ねえな」

「でも、口論がある。男も女も聖職者も好き勝手に歌うから何を言ってるのか分からなくなる」

「なんで、そんなことになるんだ?」

「女が男を裏切った」

「なんだ、そのくらい。女ってのは男を裏切るのは当たり前だし、男は女にどれだけ裏切られたかで、位が決まる。そんなことで全員歌い出すって、どんだけウブなんだよ、そいつら」

「オペラだぞ、セト? 登場人物は全員感情剥き出しで歌いまくる。オペラの悲劇の八割は、登場人物のひとりが冷静に順序だてて、物事を考えられれば、避けられるものばかりだ。でも、それではだめだ。観客は殺しを求めている。なにせ決闘のシーンでひとりが勝ち、ひとりが死んだら、『なぜ、勝者も生きている!』と文句をつけるのが観客だ。わたしとしてはできるだけ殺し殺されるシーンをねじ込まないといけない。それも筋書きを破綻させないよう、細心の注意を払ってだ」

「そいつらはケーブルテレビでサメ映画専門チャンネルを契約すべきだな」


 車がスピーカーの前に進んだ。 甲高いソプラノがきいてきた。


『――グリーン・リー・キッチンへようこそ。ご注文を伺います』

「ヤンジャオ・チャーハンとエッグロール、エクストラ・ダックソース。それにジンジャーエールLサイズ。セト、きみは?」

「チキン・アンド・ブロッコリーとワンタン・ストリップ、マスタード。あと、おれもジンジャーエールLサイズ」

『――ご注文ありがとうございます。この先のカウンターでお受け取りください」


 並んでいると、パトカーがランプをビカビカ光らせながら飛び上がった。

 何か事件があったらしい。


「一台分浮いたな」


 パトカーはもう激しいエア・カーの流れに合流していた。

 コンビニ強盗か何かを撃ち殺すために。


 受け渡しのとき、髪の色をかなりショッキングな紫に設定した人間娘がおれたちの昼食を持って、カウンターからあらわれたが、ニコを見て、過呼吸になった。


「あ、あ、あ、あの! 劇作家のニコ先生ですよね!」

「うん」

「大ファンなんです! さ、さ、さ、サインをお願いできますか! ああっ、色紙がない!」


 ニコはその娘の左手の甲にサインした。

 その娘は左手を外して、移植用の心臓なんかを入れる保管ボックスに入れると、予備の右手を左手首にくっつけた。


 その後、ニコはチャーハンを食いながら、サルヴァドル空路を走った。


 おれはというと、甘ったるいタレでベトベトになったチキン・アンド・ブロッコリーを箸でひょいひょいつまんで食った。

 はっきりいって、これはもうジャンクフードではなく、ただのジャンクだが、ヒューマノイドにはときどきジャンクを食べたくなるときが来る。


「なあ、ニコ。お前、ファンを食ったりしないの」

「わたしはノイ一筋だよ」

「まあ、ノイはいいだよ。でも、つまみ食いしたからってバチは当たらないだろ?」

「ノイほどいい女はいないよ」


 ニコがこの世で最も嫌いなものは評論家で、もしテレビなんかで評論家と同席したら、何秒でそいつを泣かせるかのタイムアタックが始まる。


 ニコは劇を書く才能があるが、評論家を泣かせる才能はそれ以上のものだ。


「あいつらは薄汚い死肉漁りだよ。自分では何の努力もせず、他人の作品のケチをつけて、稼ごうとする卑しいチンピラだ。こっちが詰めまくると、あいつらは何もやり返せなくなる。そんなとき、連中が言うのは次の三つだ。『はいはい、よかったですね』『かわいそう』『幸せですね』。本当にこの三つにおさまるんだ。やつらには魂がない。審美眼がない。やり返せなくなったやつらのひとりがわたしに言ったことがある。『それはあなた個人の感想ですよね?』。当たり前だろうが! ひとりの芸術家がいる。彼もしくは彼女は自分の作品に対して、この世でたったひとつの感情を有する。それがこの世で唯一の感情であるからこそ、芸術家は芸術を生み出せるんだ。セト。この世にはつまらない馬鹿が多すぎる。馬鹿は馬鹿以外の何者にもなれないから、天才の足を引っ張って、自分たちと同じ場所に引きずり込もうとする。評論家なんて、文明のクズだよ」

「でも、ノイは評論家だろ?」

「彼女は別だよ。最高にセックスがうまい。騎乗位でしてくれたら、もう天国だよ」


 ニコは劇を書くこともできるし、評論家を自殺一歩手前まで追い詰めることもできるが、それ以上に運転しながらチャーハンを食べるのがうまい。

 アクセルを踏みっぱなしにして、中抜き業者のトラックや観光客のジジババを満載したバスをひゅんひゅん避ける。


「なんで、ノイと付き合ったんだ?」

「彼女はこの世でただひとりのわたしの作品をまったく観ないでわたしを批評したただひとりの評論家だからだよ。彼女は魂でわたしの作品に接することができる」

「あんたとノイの同席した番組見たけど、あんた、あのコを速攻で泣かせてなかったっけ?」

「四分十三秒。破られない最速記録だ」


 ドローン信号が赤になって、車が止まった。


「おやおや。隣の車を見てくれ。横にだだっ広い顔をしたヒューマノイドが乗ってないかい?」

「乗ってる。女も乗ってるぜ」

「そいつにはわたしの新作をわたしのいないところでさんざんけなされた。わたしが現場に急行すると決まって逃げるんだ。芸術の女神はわたしに微笑んでくれたようだ」


 ニコはジンジャーエールをズズズと半分すすると、Lサイズの紙コップにチャーハンとエッグロールの残りを入れて、ついでに灰皿の中身をぶち込んだ。


「恵まれない子どもたちのために寄付をしてくれないかな?」

「いいとも」


 おれはチキン・アンド・ブロッコリーの残りを入れてやった。


「これ、隣の車に投げ込んでくれないかい?」

「いいとも」


 おれは友のため、即席汚物爆弾を開きっぱなしの窓へと放った。


 わめき声がすると、同時にニコがアクセルを踏み込み、ずらかった。


「追ってきてるかな?」

「そりゃそうだよ」


 ニコはハイウェイを降りて、ゴミ工場の空間に入った。

 評論家の高級外車バーグベイケンも追ってきた。


 各地区から集められたゴミがタンクのなかに流れ落ちていく、柱廊みたいな場所を飛ぶと、ニコはかなり傾いたゴミ収集車の真下を通り抜けた。


 バーグベイケンもその後を追ったが、ちょうどゴミ収集車が中身を流し落とした瞬間、バーグベイケンはその真下にいた。


「オープンカーじゃなかったのが残念だ。あいつらは最高傑作になれたのに」


 ニコは本当に悔しそうに言った。

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