チンジャオ培養肉(裏メニュー)
ばあさんは錆びた缶切りでアルミパイプにこびりついた培養肉をこそげ落とした。
その肉たちはビニールパックのなかの行儀のいいブロック培養肉と違って、包装を破って、カビみたいな形で飛び散るように外へ外へと高速細胞分裂を繰り返し、トタン屋根を支えているパイプを伝い上った。
その肉どもは缶切りで切り裂かれると、そのまま、油が弾けている鍋に落ちた。
ピギィィィッ!
肉どもは悲鳴を上げた。肉には自我があったのだ。
―――C・M・T―――
PSーInb。
それがおれだ。
おれには世界に三百万体の兄がいて、三百万体の弟がいる。
ただ、PSーInbは二世代前の型落ちヒューマノイドだから、もう作っている工場がない。弟の数は三百万体で頭打ちだ。
型落ちの次にあるのはヴィンテージであり、そこまでいけば、おれたちもそこそこ大切にされるかもしれない。ただ、一部の兄弟はジャンク品とされ、パーツ取りのためにバラバラになる可能性も否定できない。
少なくとも『ヴィンテージ 美品』という名前でネットオークションにかけられるまで、おれの名前はセトだ。
おれがセトとして、この街に築いたささやかな社会的地位は〈素材屋〉だ。
何かを組み立てたいやつがいて、何かを捨てたいやつがいる。
それがちょっと厄介で、おまわりなんかとトラブったらまずい連中がおれに素材をとってこいといい、おれはお駄賃をもらうわけだ。
腕に埋め込んだ非殺傷性エネルギー銃だけで、数万クレジットと引き換えに、ショットガン狂やリストラされた元企業傭兵、化学改造のしすぎて強酸性スライムになった元人間と取引するのははっきり言って割にあわないが、型落ちヒューマノイドには職を選ぶ贅沢は許されない。
だが、おれは自分の運命と収入の帳尻を合わせることで精神フィールドの平穏を保っている。
ヒューマン=ボット憲章に基づいて、おれたちに与えられた味覚を充分堪能するのだ——千クレジットよりも低い値段でだが。
―――C・M・T―――
「よお、セト」
ワズがやってきた。
アカツ・インダストリーのカイシャイン・ボットで型式はHf-B2。
円筒形の本体からマイクロドローンを搭載したコードが伸びていて、それが腕の代わりをしている。
ワズに求められているのは演算と電話応対だから、人の姿に似せる必要はない。
ただ、CPUは有機物で構成されていて、人間の脳にかなり近いものが入っているはずだった。
人間の改造技術が飛躍的に進歩し、ボット用の有機物構成体の製造技術がこれまた飛躍的に進歩した結果、人間とボットの区別はかなりあいまいになっている。
政府は生まれたときに人間だったものを人間と定めたが、最近じゃ、胎児にだって入力ポートなんかを延髄につけるような改造が施される。
「ワズ、背ェ伸びたんじゃねえか?」
「伸びるわけねえだろ」
二体で宙吊りのダウンタウンをぶらついた。
小雨。塔。無人複葉機。
自治体投影装置が浮遊街区のあいだに空路誘導信号の矢印を光らせていた。
三十分千クレジットのビデオ鑑賞室のネオンサインがぎらついていて、その下でビニールドレスの娼婦がキンタマと同じ大きさのタフィーボールを営業の一環でなめている。
「タマタマナメナメはいくら?」ワズがたずねる。
「三十分で八千」
「なかなかクールな値段設定だけど」
「あんた、タマタマあるの」
「後付けしたやつなら」
「いやよ。Hf-B2の後付けタマタマなめて感電したコがいるんだもん」
「なんだよ、ボット差別かよ。ちぇっ、行こうぜ。アト」
「なあ、オネーサン。PSーInbの初期装備タマタマなら——」
「ほら、行くぞ、アト」
ンケルマン・ブリッジへ曲がる。
このふたつのポンコツ街区をつなぐ橋は三百メートルの高さで客を漁るエア・タクシーの運ちゃんたちご用達の刺激剤入りラーメンを食べさせる屋台が集まっている。
ここのラーメンを食うと、眠気と疲れが吹っ飛ぶ。
家賃を二か月滞納している個人タクシーが四十八時間ぶっ続け勤務なんかをするときは重宝され、締め切りが迫って錯乱寸前の3Dモデル作家なんかもここを利用する。
スープにDSTが混ざっていて、麺にピコロン酸が練り込まれ、チャーシューにはフロム・ヘルが染み込んでいる。人によっては食べると死ぬが、おれは死んだやつをまだ見たことがない。
「なんかうまいもんが食いたいな」ワズが言った。「クレイジーなヌードルじゃなくて」
「モアーズに行こうぜ」
「あそこはお前がソファーにゲロ吐いたから出禁だ。ケッペンズ・インで飲もう」
「あそこはお前がケツ出しながら歌ったから出禁だ」
「ボットのケツくらい何だってんだ。クソが漏れるわけでもねえし、だいだいケツの形をしてねえぞ」
「屁はこくだろ?」
「あれはメンテナンス・ガスだ。成分は冷却剤でちゃんとシトラス系ににおい付けしてる」
「マーケットはどうだ?」
「しばらく行ってないな」
「行こうぜ。おれがおごってやるよ」
ダウンタウンのマーケットはアーケードになっている。
その正体は巨大な宇宙船の再利用で、中身のデバイスやら座席やらを全て取っ払った結果生まれた、幅二十メートル、高さも二十メートルのトンネルだ。
店を出すのに法外な権利金は取らないので、売り物は庶民向けだ。
マーケットに入って最初に出くわしたのは女子向けの小物屋だ。
パステルカラーのがま口を隙間なくきちんと売り台に並べると、破綻した植民地星に置き去りにされる人間たちに見える。
印象が悪いのは退役軍人らしい隻腕の店主も承知の上なのか、ファンシーでプリティーな雰囲気を醸し出すために安物の香水をふりかけていた。それが便所を思い出させる。
照り焼きが売りの海鮮屋台では泡の湧き出る水槽のなかで淡水鯛たちが自分が処刑される番がやってくるのを切なげに鰓ぶたを動かして待っていた。
簡易改造クリニックでは、プラスチックと人造筋肉でできた走力強化足が何本も針金で吊るされていて、猟奇殺人犯のコレクションに見える。客はもっぱら人力車の車夫だ。
十字路の角で売られている竹細工の油ランプはたぶんこの街で最もきれいで素晴らしい売り物だろう。値段が二万クレジットもするのが残念だが、手作りなのを考えると安いのか。製造されてこの方大企業の大量生産品にしか触れてこなかったから分からない。
丸薬。携帯生体レーダー。離乳食。製造用バイオマス・チェーン。三二口径オートマティック。橋と崖を描いた水墨画。音響加工素材。調整済み覚醒剤。缶入りポテトチップス。時代遅れの暗視スコープ。量り売りされる古雑誌。真っ黒なスイカ。密造酒。
屋台がひしめく。包丁がふるわれ、魚が水槽から飛び出し、腕時計型端末のクレジットが電子音とともに引き出される。
値切る声とふっかける声。イージーリスニング。端末機たち——ピッ、ピッ、ピッ、ピッ、ポコペン。
人とボットが多すぎる。こもった空気の不快さと熱が人造皮膚にべったりと塗られている気がする。
ワズがたずねる。「――で、何を食うんだ?」
「裏メニュー」
―――C・M・T―――
ばあさんは錆びた缶切りでアルミパイプにこびりついた培養肉をこそげ落とした。
その肉たちはビニールパックのなかの行儀のいいブロック培養肉と違って、包装を破って、カビみたいな形で飛び散るように外へ外へと高速細胞分裂を繰り返し、トタン屋根を支えているパイプを伝い上った。
その肉どもは缶切りで切り裂かれると、そのまま、油が弾けている鍋に落ちた。
ピギィィィッ!
肉どもは悲鳴を上げた。なんと自我があったのだ。
だが、そんなことでひるむばあさんではない。
ハサミで鍋のなかの一つながりの肉を食べやすい大きさにジョキジョキ切っていく。
もがく肉たちに切った青唐辛子をかけ、さらに炒める。
ピギィ、ピギィ、やかましい。
唐辛子がしんなりしたところで、ばあさんが黄色く濁ったプラスチックボトルを傾けると偽卵の黄色い液が鍋にドバドバ流れ落ち、それが固まって焦げる前に箸で素早くかき混ぜていく。
まだ肉は抵抗していたが、玉子に閉じられて、観念したのか大人しくなった。
ばあさんが二枚の皿にチンジャオ培養肉をどっさり盛る。
「これ、食えるのか?」と、セトがたずねる。
「食える。かなりうまいぞ」
箸で肉をつまみ、玉子と一緒に口に含む。
ハイレベルの旨味が、バイオティック味蕾に感知される。
ただの培養肉では味わえない〈自我〉の旨味。
そのエキスが肉を噛むたびに口のなかいっぱいに広がる。
この世界を肉で埋め尽くそうとした野心の辛さ。高速細胞分裂のコク。
「な、うまいだろ?」
「すげえうまいな」
ワズはコードでつながったマイクロドローンで箸を器用に扱っている。
口、というか食物投入口が円筒の中央にあり、食事のときは解放され、箸でつまんだ肉はそこへ放られる。
「最後に食うメシとしては文句はないよ」
「……」
一週間前、同じ工場の同じロットでつくられたHf-B2がバグって人を殺した。
同じ工場の同じロットでつくられたHf-B2は明日全てリコール対象になる。
回収されたHf-B2の分解は間違いなかった。
「電化製品の辛いところだな」
ワズは肩があったらすくめていたところだろう。
「まあ、なんだ。おつかれちゃん」
それくらいしかかける言葉がなかった。
―――C・M・T―――
ワズは出頭し、分解された。
回収されたHf-B2のコアも初期化されて廃棄されたと新聞にはあった。
ビールを飲みながら、こそげ落とされた培養肉が鍋でもがくのを見つめる。
培養肉と同じだ。
ボットも人間の決めた範囲を出たら、焼かれる。
違いは培養肉は裏メニューになれるが、ボットは切なくなるだけだ。
ばあさんが本物の卵を割って、赤いプラスチックのボウルに箸を突っ込んでかき混ぜた。
「本物は頼んでないぞ」
「おごってやるよ。あんた、見るからにへこんでる」
おれは苦笑いする。
人間に気遣われるヒューマノイド。
何かの風刺画みたいだ。
ジュウウ。
本物の卵はやはり違う。タレとの絡み、肉との絡み。はねる油のなかで膨らむ白身。
人造の黄身しかない偽卵では出せない味。
培養肉を本物の卵で炒めると、なにか、肉に芽生え始め、焼き滅ぼされる自我へ敬意を表しているような気がしてくる。
もちろん、欺瞞の自己満足だ。
「はい、お待ち」
チンジャオ培養肉が目の前に置かれる。
おれは割り箸を割った。
―――C・M・T―――
自己欺瞞をもうひとつ。
ボットの開発企業はケチだ。
やつらが分解したHf-B2型のパーツを全部廃棄するわけはない。再利用で何かに使うはずだ。公園の子ども見守り管理ボットとか。
もし再生産されたワズがおれのことを覚えていたら——、
今日、おれがおごってやったことを覚えていたら——、
お返しで、なんかおごってもらおう。
知ってるか? ヒューマノイドは死をスキップして生まれ変わることができるんだぜ。