四話 東京ダンジョン―最浅層
四話 東京ダンジョン―最浅層 黒い渦の中に入って直ぐ、俺は東京ダンジョンの中にいた。
「情報で内観は知っていたけど、これがダンジョンの光景か……」
東京ダンジョンの入口入ってすぐの場所は、昔のローグライクゲームにあるような、石造りの回廊だ。天井から放たれるLEDライトのような光が点々とあり、通路を見渡すには十二分の光量がある。
横幅と高さが共に五メートルほどの四角い形で、石畳で出来た通路が真っ直ぐ伸びている。
「出入口に止まらないで、先へ進んでください」
ダンジョン内にいる職員に言われ、俺は風景を眺めることを止めて通路を歩き出す。そして、どうやら俺以外にも初めて入る人がいたようで、高校生ぐらいの年齢の三人組が気恥ずかしそうに通路を進み出す姿が見えた。
自分以外も初心者が居ると知って安心すると同時に、その三人組が短刀を装備しているのを見て、彼らは既存チャートに従って攻略する気なのだと理解する。
まあ既存チャートは、現時点の常識に照らせば、最短で実績を上げるには最適な手段だしな。
俺だって、俺がダンジョンに入る目的が、ダンジョンが出来て二年の間に誰も手にしたことのない不老長寿の薬の入手でなければ、迷いなく既存チャートに従っただろうし。
そんなことを考えながら通路を歩いていると、分かれ道が現れる。
真っ直ぐ進む道か、左に逸れる道か。
例の三人組を含めて、ほぼ全ての探索者たちが真っ直ぐの道を選択する。
この道順も、既存の攻略チャートだ。
この出入口近くの最も浅い層には、実入りが期待できないモンスターしかいないとされている。そのため、もう少し奥へと進んだ先に出るモンスターと戦う必要があるわけだ。
そのため、この道を真っ直ぐ進むことが、既存のチャートでは正しいのである。
だからこそ、ここからが俺のオリジナルチャートだ。
俺は迷わず、曲がり角を曲がる。例の三人組から疑問の目を向けられているようだが、構わず進む。
「さて、周囲には誰も居ないな?」
回りを見渡し、誰の姿もないことを確認する。
これでオリジナルチャートの最初の段階がバレることはないと安心してから、ここまで無視し続けてきた声に耳を傾ける。
『身体強化、気配察知、次元収納。一つを選べ』
頭の中に響いてくる、男性とも女生徒も言えず、老人とも子供とも言えない、不思議な声。
ここまで無視し続けてきたからか、声が強くなっている感じすらある。
「無視し続けると、どんどん声が大きくなっていって、やがて頭痛を感じ始めるんだったか」
そんな苦痛を与えてまでも必ずスキルを選ばせようという、ダンジョンの意図を感じざるを得ない。
しかしまだまだ耐えられる声の大きさなので、スキルを選ばずに通路を先に進むことにした。
まずは、この最も浅い層に出てくるモンスターを、俺が倒せるかどうかだ。
俺が、俺自身すら自覚してないほどに腰抜けで、モンスターを殺せないのなら、オリジナルチャートどころの話じゃないしな。
そうして通路を進んで行くと、視界の先になにかが見えた。
この通路は探索者が誰も通らない道だ。
だから何かがいるとしたら、それは俺みたいにオリジナルチャートに従っている人か、もしくはモンスターだ。
目を凝らしてよく見ると、それはとても小さな緑色の人型モンスターだった。
「たしか、レッサーゴブリンだったか?」
ゲームのようにモンスター名が表示されるような親切設計ではないため、見た目からモンスター名は付けられているらしい。
緑色の体色をしていて、子供のような小ささの人型モンスターは、なるほどファンタジー作品に出てくるゴブリンに似ていた。
そして『レッサー』と名前がついている通りに、このモンスターの大きさはかなり小さい。
見た感じ俺の膝ぐらいの高さに頭があることから、体長はあっても五十センチメートルほどだ。
「よ、よし、やるぞ!」
俺は腹を決めて、ここまで持ってきた鉄パイプを構える。
ここでレッサーゴブリンが俺に気付いたようで、何も持っていない手を振り上げて走り寄ってくる。
明らかに敵対を示す行動だが、走り寄ってくる速度が襲い。俺とレッサーゴブリンは、二十メートルほど離れていた。それで十秒待っても、半分の距離しか埋まっていないといえば、その遅さの程が良く分かるだろう。
その待ち時間があったお陰か、俺は鉄パイプを目一杯ふることを決心できた。
「よしっ、今だ!」
走り寄ってきたレッサーゴブリンの脳天に、俺は鉄パイプを力強く振り下ろす。
振り下ろした鉄パイプを通して、手に卵を割ったような感触がした。
頭がUの字にへこんだレッサーゴブリンが、手を振り上げた形のまま、バッタリとうつ伏せに倒れる。
その直後に『ボシュ』と音を立てて、レッサーゴブリンは薄黒い煙となって消えてしまった。
俺は緊張感から浮いた額の汗を拭いつつ、最も浅い層に出るモンスターの弱さに安堵する。
「それで情報にあった通り、モンスターなら何か残すはずなのに、最も浅い層のモンスターは何も残さないわけだ」
倒したレッサーゴブリンがいた場所を見てみるが、確かに何も残っていないように見える。
ここで更に、オリジナルチャート発動。
レッサーゴブリンを倒した直後から五月蠅くなった声に応えるべく、スキルを選ぶことにする。
『身体強化、気配察知、次元収納。一つを選べ』
「俺が選ぶのは、次元収納だ」
俺が言葉に出して宣言すると、頭の中に次元収納のスキルの使い方が入ってきた。
その使い方が理解できたところで、試しにスキルを使ってみることにした。
「次元収納」
俺がスキル名を言葉に出すと、俺の目の前に白い渦が現れる。
その渦の中に鉄パイプを差し入れると、掃除機で吸われたような感覚がした後に、鉄パイプが手から消失した。
「おお!」
俺は初スキルの感触に感動の声を上げつつ、渦の中に手を突っ込む。すると鉄パイプが中に入っているという情報が、頭に浮かんできた。
その鉄パイプを受け取ると念じると、手に硬い感触が起こる。
腕を白い渦から引っ張り出すと、手には先ほど入れた鉄パイプが確りと握られていた。
「よしよし、ちゃんとスキルが使えるようになったな」
俺は順調にオリジナルチャートをこなせているという実感を持てて、嬉しくなる。
なにせ、この次元収納というスキルは、最初に選べる三つの中で一番の不遇スキルとして扱われているから、ダンジョンが出来た最初期は兎も角として、今では誰も選ばないスキルなのだから。
「入れられる物の大きさが、ほぼ机の引き出し一つ分って話だものな」
ダンジョンが出来た最初期に次元収納の容量を調べた際、スチール机の引き出し一つ分の砂を入れて少し溢れたことから、机の引き出し一つ分が容量だという認識が広まったらしい。
実際は、俺の鉄パイプが入ったように、机の引き出しのような四角い形の空間があるというわけじゃない。
縦横五十センチメートルに深さ十センチメートルの箱と同じ、二十五リットルの容量の物体を詰め込める柔軟さを持っている空間だ。
俺の鉄パイプは、約一メートルほどの長さで手で握れる径なので、余裕で次元収納に入れることができる体積ってわけだ。
「二十五リットルって、調べた限りじゃ登山リュックと同じ大きさだしな。不遇と言われても仕方がない」
なにせ探索者はダンジョン内で、モンスターと戦って倒し、倒したモンスターが残すモノを拾って帰るわけだ。
たしかに次元収納のスキルがあれば、リュック一つ分多くモノを持ち帰ることができるようになる。
しかし、身体強化のスキルなら戦闘力で優位を取れるし、気配察知スキルなら待ち構えたり不意打ちしたりと立場で優位が取れる。
この戦闘の有意さを捨てる危険を容認するにしては、次元収納の容量は少なすぎるのが、既存の攻略チャートの考えなわけだ。
「だが俺は、この次元収納こそが、ブレイクスルーを引き起こす鍵だと考えているわけだ!」
俺は一度次元収納を消すと、レッサーゴブリンが倒れていた地面に手を向けて、スキルを再発動する。
「次元収納」
俺の言葉に応じて、白い渦が地面スレスレに出現する。
手を右左上下に動かすと、白い渦も追従する。そして次元収納は、渦の間近にある地面にあるものを吸い込んでいく。
ひとしきり地面を撫でるように手を動かした後で、俺は次元収納の渦の中に手を突っ込む。
すると、先ほど鉄パイプで実験した通り、次元収納が吸い込んだ物の情報が頭の中に浮かんだ。
「……うーん、微量の砂だけかぁ」
俺はチャート作りで想像していたものと違った内容に、首を傾げる。
「ここのモンスターがなにも落とさないと思われているのは、実際は目に見えないほど少量だけ落としているからだ、って考察だけどなあ」
この考察が違っていたら、チャートを組み直さないといけない。
俺は考えに考えて、ふと思いつきで、次元収納中にある砂を捨てると、捨てた場所とレッサーゴブリンが倒れた場所とは違う地面に、次元収納を使ってみることにした。
再び次元収納が地面から物を吸い込み、俺は再び次元収納に手を入れて何を吸い込んだかを確認する。
「なにも、ない!?」
そう、次元収納はなにも吸い込めなかったのだ。レッサーゴブリンが倒れた場所で吸い取った、あの砂すらも!
「ということは、レッサーゴブリンが倒された後に残るのは、ほんの少しの砂ってわけだ」
いや、まだそう結論付けるのは早いと考えて、場所を変えて次元収納で地面を吸ってみた。
しかしどこからも、砂が次元収納に収められることはなかった。
これで俺の考察――最も浅い層のモンスターも、倒されれば何かを残すことが正しいと証明された。
「よしよし、チャート変更はなしでいいな。このレッサーゴブリンの砂も何かに使えるかもしれないから、次元収納の中に入れておいて、後で成分分析を頼んでみよう」
今まで誰も発見してない砂なのだから、もしかしたら重大な発見になるかもしれない。
そんな期待を胸に、俺は最も浅い層の探索を続けることにした。