三十五話 第二階層 深層域
一日の収入百万円を達成した翌日、俺は東京駅への電車に乗りながら、スマホで東京ダンジョンの情報を調べていた。
なにか目的があってのことではなく、移動時間の暇つぶしと、オリジナルチャートに変更を加える情報がないかの確認だ。
そんな調べ物の中、巨大インターネット掲示板に『東京ダンジョンの二階層で金貨!?』という表題のスレッドが立てられていた。
まさかと思ってスレッドを覗くと、昨日の今日で二階層の迷路状の通路に金貨があるという情報が書き込まれていた。
この情報の下手人は、昨日俺に話しかけてきた、あの探索者だろうな。
それにしても、掲示板に書き込むなんていう、不特定多数を呼び込む真似をしたんだろうか。
もし俺が他の探索者が持つ優位的な情報を掴んだら、個人的に利用するに留めて、決して不特定多数には教えない。
情報というアドバンテージを活かすには、それが一番の道だと思っているからだ。
「ふむっ」
深呼吸と共に一言呟くことで、自分の常識から外れて客観視するよう意識を切り替える。
掲示板という不特定多数が見る場所に、情報を上げたことで得られる利点は何だろうか。
単純に考えれば、不特定多数――つまり大勢の探索者を、この情報で躍らせることができることだろう。
迷路状の通路は、俺が一人で一ヶ月かかって、ようやく全貌が解明できたぐらいに広く入り組んでいる。
だが一人で一ヶ月ということは、人数を増やせば増やすほど、費やす時間は少なく済む。
百グループほどの探索者が迷路状の通路で活動すれば、一週間も経たずに全貌を明らかにすることが出来るだろうな。
「あとは、俺への嫌がらせかな」
東京駅に着くとのアナウンスに紛れるように、俺は小声で呟く。
ダンジョンに稼ぎにきている探索者の常識で考えれば、一日で百万円を稼げるような場所は独占しておきたいものだ。
俺がその類の探索者だったのなら、情報を占有している場所を他者に踏み荒らされたら、腹立たしい事この上ないだろう。
もっとも俺の目的は不老長寿の秘薬なので、秘薬の出ない確立が高い迷路状の通路など失陥しても惜しくないけどな。
ともあれ、掲示板に情報が書き込まれたことで、迷路状の通路への未練を断ち切ることが出来た。
目的違いとはいえ、やっぱり一日で百万円を稼げる場所は、俺にしても魅力的には違いないんだしな。
東京ダンジョンに入り、第二階層へ。
スマホのダンジョン用のアプリを使い、ダウンロードしてあった地図を呼び出し、深層域への最短距離を進んでいく。
他の探索者の視線を感じつつ、俺は次元収納からメイスを出して持ちつつ歩く。
今まで、この魔具のメイスは出来るだけ他人の目に触れないようにしてきたが、昨日と今日で迷路状の通路の情報が知れ渡ったことを契機に、大っぴらに持ち運ぶことにした。
迷路状の通路に多数の探索者が入っていくようになれば、かなり多くの宝箱があることも知られるようになる。
そんな場所に通っていた俺が魔具のメイスを持っていたら、他の探索者たちは宝箱から得たんだろうと予想を巡らすに違いない。
そして、俺が第一階層にある隠し部屋の魔石で、鉄パイプから武器を進化させたのだとは、絶対に考えないだろう。
あの隠し部屋の情報を秘匿するためにも、勘違いを増長させるためにメイスを持ち歩くことにしたわけだ。
そういう俺の目論見は、どうやら通じているらしい。
なぜなら、俺の姿を見た探索者の多くが、俺のメイスを見て色めき立って小声で会話を始めたのだから。
「噂じゃ、金貨の他に剣も売ったって」
「剣の他に、あの長柄のハンマーみたいなのも手に入れていたわけか」
探索者たちは、俺のメイスを見るや、仲間を連れて迷路状の通路へと向かっていく。
魔具には特殊な効果を持つものもある。
そんな魔具は、ダンジョン探索の活用に使って良し、売って良しだ。
真っ当な探索者なら、可能性に懸けて探さざるを得ないだろう。
俺という魔具を迷路状の通路で手にしたと思わしき人物がいるから、手にできる可能性が高いように見えるだろうしな。
俺にとって無価値になった場所に行く探索者たちに、頑張れよと心の中でエールを送りつつ、第二階層の深層域へ。
深層域に踏み込んですぐ、新たなモンスターに出くわした。
「深層域に出る、ゾンビに似たモンスター。ってことは、あれがグールか」
見た目はゾンビとほぼ同じだが、グールはゾンビと身動きの仕方が違っていた。
ゾンビはふらふらと覚束ない足取りだったが、グールは前かがみな体勢ながらも確りとした歩き方をしている。
俺がメイスを構えて警戒していると、グールがこちらに駆け寄ってきた。
そう、大人の男性と同程度の速度で走って、近寄ってきている。
「そんなところも、ゾンビとは違うな!」
俺はメイスを力強く振るい当てて、グールの耐久度がゾンビと違うのかを確かめた。
殴りつけた際に手に感じた感触は、ゾンビとほぼ同一のもの――つまり一撃で倒せる程度の耐久度しかなかった。
あっさりと一撃で倒せてしまって、俺は少し拍子抜けする。
「走って近寄ってくるゾンビってだけか」
走ってくる速度は脅威ではあるけど、対処できない相手ではない。
まあ、第二階層に出るモンスターだから、さほど強くないのは当たり前か。
倒したグールが消えた後に残ったのは、錆びた見た目の剣だった。
拾い上げてみると、剣身から錆がボロボロと落ちた。
「一応、使えなくはないか?」
錆びがあるのは表面で、剣身の芯の部分は無事のようにみえる。
錆び落としと研ぎ直しをすれば、使えるようになるだろう。
俺には相棒のメイスがあるから、整備する気も使用する気もないけどな。
錆びた剣を次元収納に入れ、三階層へ続く階段がある方向へと進む。
しばらく歩いて、別のモンスターと出くわした。
今度は、一抱えもある水まんじゅうのような見た目から、スライムだと分かる。
既存チャートではスライムは雑魚扱いだが、それは日本刀という刃物を使っているから。なぜなら、スライムは斬撃に弱いからだ。
「スライムって、打撃に強いイメージがあるが」
有名RPGゲームでは違うが、洋物RPGゲームだと打撃に抵抗力のある強敵であることが多い。
その洋物ゲームの場合だと、スライムを倒すのは魔法か松明かが定番だったっけ。
ともかく、このダンジョンのスライムはどうなのか。
試しにメイスで叩いてみると、やはり一撃で倒すことは出来なかった。
しかしダメージはあるようで、スライムはメイスで叩かれるとノックバックを受けたように動きを止める。
つまり、メイスで殴り、スライムが止まり、メイスで殴り、スライムが止まるという、無限ループが完成した。
ではメイスで殴り続けたら、スライムは倒せるのか。
その結果は、メイスで全力十回叩くと、スライムは倒せるというものだった。
「うっわっ。面倒くさい相手だな」
ここまでのモンスターは、メイスで一撃だった。
こんなに武器を振り回してモンスターを倒すのは、偽装で鉄パイプを使っていたとき以来だ。
「ま、まあ、良い筋トレになると思えば」
苦労して倒したスライム。そのドロップ品は、ペットボトル大のガラス瓶に入った、溶解液。第一階層の最も浅い層に出た、メルトスライムのレアドロップ品の、完全上位互換のソレだ。
このスライム溶解液。工業的な溶媒として用いられる他、薄め液が美容ピーリングに用いられる優れもの。
そんな需要が多いため、第二階層で手に入る通常ドロップ品の中では、一番高値で売れる。
それこそ、スライム専門に狙う探索者がいるとか言う噂を聞くぐらいに。
拾った溶解液を次元収納に入れ、さらに先へ。
すると幸運なことに、未だ出会ってなかったモンスターと出くわした。
中型犬ほどのサイズの兎。その額には、短いながらも、イッカクのような角が生えている。
日本だと角兎――海外だとアルミラージと呼ばれている、モンスターだ。
そして角兎は、世界中の探索者に最初の強敵として知られている存在でもある。
その理由を、俺はすぐに思い知ることになる。
角兎が、頭の角を向けて跳びかかってきたのだ。
真っ直ぐ突き入ってくる角を、俺は咄嗟にメイスの柄で反らしたが、角の先端が防具ツナギに掠る。サッと音がして、ツナギに貼ったイボガエルの革に切れ目が入った。
切れ目に指を這わせて具合を確認すると、革の厚みの半分ぐらい切られてしまったようだ。
掠っただけでこれだ。もし角の突きの直撃を受けていたらと考えると、ゾッとする。
「でも、跳んでくる速さと軌道を一度見たら、対処できるな」
角兎は、文字通り角のある兎だ。
攻撃手段も、兎の協力な脚力を生かしての、角による突進しかない。
その唯一の攻撃を防いでしまえば、取るに足りない相手だ。
俺はメイスを槍のように構えると、ヘッドを角兎へ向ける。
こちらが警戒を見せているというのに、角兎は構わずに突っ込んできた。
それならと、俺はメイスを真っ直ぐに角兎に突き込んだ。
角兎の角より、柄の持ち手からメイスのヘッドまでの方が長い。
つまりメイスの攻撃が、角兎の頭を叩く方が先だ。
そうしてメイスで突き転がした角兎に、俺は急いで接近し、その角を思いっきり踏みつける。
こうすると、テコの原理と角兎の首の低い筋肉量の所為で、もう角兎は身動きが取れなくなる。
あとは角兎の胴体に向かって、メイスを振り下ろせば決着だ。
「ふぅ。焦った」
掠っただけとはいえ、モンスターに一撃を入れられてしまった。
これから先、モンスターが二匹三匹と同時に現れることを考えるなら、もっと安全かつ楽に角兎を倒す方法を考えておく必要があるな。
ともあれ、倒した角兎は薄黒い煙となって消え、その角を残した。