百十六話 電話予約
俺は、予想外にも早く第八階層の革が入手できたので、岩珍工房に連絡することにした。
モンスターとの戦闘の連続で、革の全身ジャケットがボロボロになってしまったので、新しいジャケットを制作する依頼をするためだ。
数コールの後に、電話が繋がった。
『お待たせしました。岩珍工房です』
その声を聞いて、俺は違和感を覚えた。
「今日は英語での応対じゃないんですね」
俺が思わず言葉を零すと、電話の向こう――岩珍工房の主の娘さんが笑い声をあげた。
『あはははっ、なに言っているんですか。小田原さんは、ウチの工房の上得意様じゃないですか。ジャケットを作ってくれたうえに、知り合いの革靴工房でブーツも頼んでくれたし、ドロップ品の革は後払いで良いからって送ってくれましたしね。そんな上得意のお客様の電話番号は、ちゃーんと控えているってわけですよ』
なるほどと納得した後で、俺は用件を切り出した。
「それで、今回電話したのは、新しい全身ジャケットを頼もうと思ってね」
『あー、そうですよね。レッサーオークの素材のジャケットじゃ、もう性能的に限界ですよね』
俺の事情を知っているような口調に、首を傾げる。
「どうして限界だって知っているんだ?」
『ジャケット姿で雑誌に載っておいて、何を惚けているんですか。ねえ、カマキリ仮面さま』
「うわっ。バレてたのか」
『ウチで作ったジャケットを見間違うはずがないじゃないですか』
その雑誌の記事を見て、俺がトレント――東京ダンジョンの第五階層を突破したことを知っていたらしい。
『あのジャケットの防御性能だと、六階層を越えた後のモンスターは厳しいんですよね。特に小田原さまって、モンスターをバンバン倒すスタイルじゃないですか。ジャケットの痛みが激しいんじゃないかって、おとーちゃんと話したりしてたんですよ』
「心配してくれてたわけか。有り難くて涙が出そうだよ」
『あはははっ。駄目ですよ、大の大人が泣いたりしちゃ』
冗談の応酬の後で、娘さんの方が急に真面目なトーンに変えてきた。
『それで、ですね。新しいジャケットを購入したいってことで、良いんですよね?』
「そうだね。第八階層の革が手に入ったら、それを主体にして貰いたいなって思っているかな」
『えっ。もう八階層に行っているんですか?』
「有り難いことに、順調でね」
『そうですか。あともうちょっとで十層到達するって感じですよね。これはウチの工房も気合入れて、ジャケットを作らないといけませんね』
どうして工房が気合を入れる必要があるのか。
それれは、ダンジョンの十階層が、探索者にとって大きな壁だからだ。
「ほんの一握りの人しか突破できない、第十階層。そこを突破した探索者が身に着けていた防具となれば、良い宣伝になるだろうね」
『そりゃあ、もう! 小田原さまが十層突破してくれたら、全世界に岩珍工房の名が知れ渡るってもんですよ!』
「じゃあ、その先――誰も突破したことのない第十五階層を越えた日には、注文がパンクするんじゃないか?」
『そうなってみたいものですね。仕事がなくて暇するぐらいなら、注文いっぱいでひーひー言っている方がいいですしね』
「とりあえず、俺からの注文が入るから、暇する時間はないんじゃない?」
『たしかに。小田原さま、ご注文どうもありがとうございますー』
冗談を交えて笑い合っていると、電話口の向こう側のみで会話をし始めた声が聞こえてきた。
『なーにー、おとーちゃん? うん、小田原さま。ジャケットを新品にしたいんだって。八階層の革もあるって。あー、はいはい、伝えるねー』
岩珍工房の娘さんは、いま漏れ聞こえてきていた声の内容を、改めて伝えてくる。
『おとーちゃんがね、小田原さまの体型の測定をしたいから、岩珍工房まで足を運んでほしいんだって。それと今まで使ってきたジャケットも持ってきて欲しいんだって』
「どちらも大丈夫だけど、どうしてまた?」
『ウチの工房の作品って、多くが海外に輸出されちゃうからさ、実際にダンジョンで使用したものを見る機会って少ないんですよ。だから、実際にダンジョンで防具として使い続けると、どんな感じに革が痛むのかを見てみたいんだって』
「そういうことなら、構いません。ジャケット、持っていきますね。だいぶボロボロで、素人修理もしちゃってるんで、あまり見せたくないけどね」
『えっ、そんなにボロボロなんですか!? 駄目ですよ、それならもっと早い段階で作り直してくれないと!』
「いやぁ、まだ使えるって、ずるずると使用を長引かせちゃって。面目ない」
俺は次に同じ状況になったら速めに作り直すことを約束させられて、明日から岩珍工房にお邪魔させてもらうことに決まったのだった。




