天恵とシスター
夜の帳が降りて来る頃、見知らぬ女性が籠を見下ろしに来た。ぼやけて良く見えないが、どうやら俺を運んでいくらしい。籠ごと俺を持ち上げた女性は、黒いローブのようなモノを着ていて、まるで教会のシスターのような格好だなと何てことない感想を持たされた。
運ばれた先で重湯らしきものを出され、布に染み込ませたそれを俺は母にそうするように吸った。味も何もない白い液体は、ただお腹を膨らませる為だけの物に見えたけれど、空っぽになった俺を満たしてくれているかのようだった。
ああ、俺は寂しかったんだ。
その事に気付いたら、吸いながら俺は泣き出してしまった。困った顔で何かを言っている女性を放置して、ただ泣きながら重湯を吸った。空っぽになった何かを満たすために。
◇◇
親に捨てられてから何年が経っただろうか。それからの俺は孤児院のシスターの元で様々な事を学び、世話になり、成長していった。同じような境遇の子供達も居る。どいつもこいつも捻くれていて素直な奴なんて一人も居やしない。
そんな中で俺は彼らを取りまとめて、シスターと一緒に小さな子供の世話をして生活をしていた。オシメを取り換えてもらっていた時は既に遠い過去の記憶となり、今は俺が誰かのオシメを取り換えている。そんな時にふと、思い出したかのようにシスターが言った。
「おい、ダグレオ。お前、そろそろ天恵の義じゃねえのか」
このシスター。葉巻を嗜む細目の低音ボイスであるから、この口調で問われると詰問されているかのような気になってしまう。
「そもそも、その天恵ってなに」
「お前そんな事も…教えてなかったか。まぁ、いい。天恵って奴が、神からお前に下されるだろうから心して待て。神はお前だろうと公平に捌いて下さるだろうぜ」
「裁かれるの!?」
何の事かと聞いてみれば、この世界に生きて大体五年くらいなのだが、どうやら天恵という神のプレゼント的な物があるらしい。貰った天恵によってはその後の人生が変わってしまったりするらしいけれど、大体の天恵が人生の役に立たない逸品ばかりらしいからしょうもないのだそうだ。
例えば水の中で良く見えるようになる『天恵:魚眼』。これは潜水夫でもなければ意味がなく、良く見えると言っても持ち前の視力が悪ければ遠くを見通すことは出来ないらしい。
例えば歩いても疲れにくくなる『天恵:独歩』。これは一人で歩くことが前提となっていて、誰かと供連れで歩いていると効果が無いらしい。しかも効果そのものが薄いとか。
例えば見世物として有名な『天恵:剣舞』。これは戦いにおいて全く役に立たず、剣で切る相手がいる場合は全く効果が発揮されず、多少は鍛錬時間が減る程度の効果。
例えば物を遠くに投げる『天恵:遠投』。これはそもそも自前の筋力が無いと遠くに投げられず、多少は投球フォームが綺麗になる程度の効果しかない。
「なんかどれもこれもしょうもないっていうか…それ本当に天恵なの?」
「神を馬鹿にしてんじぇねえ。それぞれ少なからず使えるじゃねえか」
咥え煙草を吹かしながら拳骨を食らった。このシスターワイルド過ぎだろ。しかも握りこぶしに殴り慣れた人特有の瘤が出来てるし。
「いってぇ。じゃあ、何処で何をしに行けばいいのさ」
「この教会で祈ってりゃ何かしら貰えんだろうよ」
「そんなんで良いんだ」
「おう」
ワイルドな割にダイナマイツボディの四十代のシスターは、俺に背を向けて裏口から庭に出ていった。後ろ姿だけは美人なんだけどなぁ。とか言ってたら彼女の良く通る声で誰かが叱られていた。思わず俺もビクッとなってしまった。こええ。
◇◇
どうやら数年間ボーっと過ごしていた間に五歳になってしまったらしく、俺は年始の儀式に参列する事になった。どうやら、この儀式が天恵の儀とやらの一環でもあるらしい。シスターが神官と一緒に祈りを捧げる祝詞を言祝ぎ、毎年の初めに鳴っているパイプオルガンを演奏すると、不思議と町中に音楽と言葉が届いていく。
俺たちはそれらを目の前で聞き届け、同時に祈りを捧げる事によって天恵を得られるのだそうだ。そのまま跪いて祈りの姿勢を保ちつつ数分待つと、何かが頭の中に入ってくる感覚があった。
そして、それは来た。
【天恵『全装備』を得ました】
おお。って、ちょっと待て!なんだこれは。まるでゲームのアナウンスじゃないか。こんなのが天恵なのか。いや、こんなのって言っちゃダメなのか。というか全装備って何。どういう天恵だよ。
何が何やらと混乱していると、周囲から歓声と落胆の声が拡がり、年始の儀が終わると教会は騒然として人が捌けていった。困惑する俺はシスターの元に近付いて問う。
「シスター、全装備って何」
「なんだそりゃ。そんな天恵があったのか」
その後、珍しく教会に来ていた神官に聞いても何も解らず、装備カテゴリーの天恵ならと色々試すことになった。
◇◇
天恵の儀から一週間もすると、色々と分かった事がある。俺の中では絶賛解明中なのだけれど、周囲には何も解らないと言う事にしてある。だからシスターも何となく察してくれて、他の大人達には何も言わないでくれている。
この全装備の天恵は割とヤバイ天恵だ。どうヤバいのかと言うと、装備しているのに装備品が体表から消えてしまう。何も装備していないように見えて、実はその性能は確り発揮している。シスターの皮の手袋を装備して消した後、まるで素手のままでも熱々の鍋を持てるし、尖った岩を持っても指を切ったりしない。
見えない革の手袋を身に着けているのと同じなのだ。しかもサイズは自動調整されているに等しく、素手で触る感触と何も変わらない。しかも装備して素手に見える上から更に、予備の皮手袋を装着する事も可能だった。
全装備したものは俺の中に入り込んで性能を発揮し、更にその上から同種の装備を身に着けられる。こんなふざけた性能が天恵だってのは、聞いていた話と違うじゃないか。全く良い意味で話が違う。
俺は、この天恵の他との性能差を生かせることは何なのかを考えた。
冒険者。残念ながらこの世界に冒険者は居ない。というかダンジョンとかそういった類の物も、冒険者組合もギルドも無い。
騎士。貴族出身者で固められているし、貴族の次男三男の就職先として天下り要員も含めて枠が決まっているので、平民の俺に入る隙間など無い。というか枠を奪ったりしたら暗殺される。
神官。この世界に戦う神官とか不要。回復魔法を使えるわけでもないので、あんな不思議現象を引き起こしておいて、聖者とか聖女も居ないらしい。残念神官に興味はない。
旅人。ちょっと興味あるけど、それなら商人で良いよねって話。
商人。全装備に一通り全身装備して売り歩くために、重量軽減って意味では助かるかもしれない。でも一セットだけ売り歩いても意味は薄そう。
傭兵。これまで上げた中で一番、腕っぷしを要求される仕事。商人や旅人や神官を守ったり、
場合に依っては戦時中に騎士に雇われたりするらしい。というか俺の親も多分コレ。
文官。唯一平民が政治的な世界に食い込める仕事で、狭き門のエリート集団。特に興味なし。
魔術師。いくつかの特定の天恵を授かった人だけが就ける職業で、エリート中のエリートが世界各地に広がっているらしい。その全てが貴族のお抱えになるらしく、優秀な魔術師は国のお抱えになるんだとか。給料良さそう。
この中で全装備と相性が良さそうなのは傭兵だろうか。うん。傭兵目指して色々と勉強していってみよう。まずはシスターと相談だな。
◇◇
傭兵王に俺はなる!!とシスターに相談しに行ったら口を開く前に拳骨を貰いました。なんでだよ。
「調子に乗ってんじゃないよ」
シスターからは長めのお説教を日が暮れるまで頂きました。どうやら、俺が天恵を貰ったばかりで自分の能力の事を碌に考えずに決めたと思っていたらしい。言われてみれば俺は全装備の事を碌に理解できていない。
あくまで装備しているだけに過ぎないのなら、装備品が壊れたら身に着けていた物はどうなるのか。見えなくなったままで延々と過ごせるのか、体に異常は無いのか。等々、俺は何も調べちゃいない。だというのに、調子に乗って傭兵王だとか言ってんだから殴られるのも当たり前だ。
「ごめんなさい…」
「成人するまでは面倒見てやるが、ね。その後どう生きるかはよく考えておくこったな」
「はい…」
シスターなりの心配だと思う事でお叱りは割り切って受ける事にした。こういう叱り方をされるのも何度目だろうか。俺の第二の母親は言葉より先に手が出るやんちゃババアです。あ、背中が冷えて来た。逃げよう。嫌な予感がする。