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第三話 (少年ゾンビ)

あるラーメン屋で、兄妹二人が並んでラーメンをすすっていた。


「へこむなって。相手はあの『血塗れ怨霊』だぞ」


兄はガラガラ声で言った。兄の名前は伊従(いより) 結一(ゆういち)


「何そのあだ名?」と、妹の(けい)は味噌ラーメンを無関心に見つめながらため息をついた。


「別にそんなこと気にしてない……ただ、あの子、ずっと欲しかったグッチのバッグを持ってる」


妹は遠目越しに二つ先のテーブルに腰をかけている女の子を見てそう言った。そして、相変わらずの早口で愚痴を言い始めた。


「これって理不尽だよね。常識ないよね。こんなボロいラーメン屋にあんな高いバッグを持ってくるなんて。『私はパンピーと違う』ってアピールしてるって感じ。そうやって悦に浸ってるのが見え見えなんだよ。だから、お兄ちゃん、買ってくれるよね?」


結一はこういう愚痴をよく聞くけど、聞き慣れることはない。


「そっちだったのか。ったく、意味不明なことばっか言って修行を真面目にやってんのか?」


「やってる」と淡々に言い返して、憩はまたお願いしてみる。


「ちゃんとやってるから、お兄ちゃんお願い」


憩は得意の上目遣いで結一を見上げた。


結一はやっぱりその上目遣いに弱く一瞬口ごもった。だが、運よく金がない。そんな十万円もするバッグを買う余裕がなかった。


「そんな大金ないことぐらいわかってるでしょ。バイトで食いつなぐだけでも精一杯だぞ。ほら、そろそろ時間だ」


「ケチ」憩は口を尖らせながら不満げにぼやいた。


それに対して、兄はわずかに唇を噛み、その衝撃を抑えようとしていた。重大なシスコン病であった。


※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※


俺は最近様々な事に慣れてきている。普通というものが失われたこと、そして俺が死んでいるという事実にさえ。そして、剣への慣れも……。


剣の輝きは、いつも目の前を切り裂いていくからだ。


「どうしたの、その程度?逃げることしかできないの?」


流美は馬鹿にするような口調で、剣を振り回し続けた。その剣は、俺の目の前をかするほどの距離まで飛んできた。俺は防御しつつ、後ずさっていた。


「ちょっと勘弁してくれ」


流美はその言葉にまるで火がついたように攻撃速度を上げ、俺の短剣を払いのけた。


「ほら、また死んだ。いつまでも受け身をとっていても埒が明かないわよ」


彼女は俺の首元に剣を当てながら言った。全く理不尽だ。 


「そう言われても、受け身を取らないと死んでしまう。大体、なんで俺は短剣なんだ。範囲が狭すぎる」と不満を漏らすと、流美は当然のように答えた。


「君は素早いから、短剣のほうが向いてる。それに、間合いに入らなきゃいけないから、その逃げる癖も治るかもしれない」


「戦略的後退と呼べ」と言い返すと、彼女はにやりと笑った。


「いずれにせよ、私に一撃を食らわせるまで、帰らせないよ。今の君は身体の強化が少しできているけど、それを体外に発揮できていない。それができるようになるまで、輪はまだ未熟なのよ」


相変わらず、意味不明なことを言う。でも確かに、身体は軽い気がするし、輪の感覚も少し掴めてきた気がする。


「もう三日経ってるよ。一旦休息を取った方が効率的でしょ。いや、ではありませんか。何卒ご勘弁してください、五月女様」


俺も必死なんでな。そろそろ休憩をもらわないと、マジでやばい。


しかし、俺の懇願は逆効果があったようで、流美はイラッとした表情を浮かべた。


気がつけば、俺はボロボロになって地面に這いつくばっていた。


「なんでそこでレベルアップすんだよ」


流美はナチュラルにスルーして、あくびをする。


「私はそろそろ寝るわよ」


流美がトラウマの指鳴らしをした。突如、俺の足元から赤い柱が伸びて現れた。やっとのことでその柱の上でバランスを取っていると、今度は周囲の地面から釘が槍のように飛び出してきた。これはもう二回目だが、俺は思わず悲鳴を上げてしまった。


「これはマジで死ぬやつだ。それに、三日寝てないんだぞ」


流美は俺の短剣を拾い上げ、説教を始めた。


「寝たいなら、輪を極めて、身体の統制を天性のようなものにすること」


いかにもつまらなそうにあくびをして、荒屋に入る。


「じゃ、先にお休み。今度座ったら、この釘が自動的に攻撃するから」


もしかして、俺はもう死んでいて、ここは地獄なのでは?


その思いを抱えながら、俺は数時間柱の上に立っていた。まじで座ったら釘が襲ってくるのか?足の感覚は完全になくなっている。ああ、なんか、死んだ時を思い出すな。俺は手を伸ばし、詠んだ……


淡雪や

やがて地に付す

朝日かな


薄明かりが徐々に空を照らし始めて、夜明けの時間が迫っていることが分かる。プッと一瞬笑いが漏れた後、思わず声に出して笑ってしまった。柱の上に立ち、俳句を詠む自分の姿。俺は一体何をしているんだろう。


なんでこんな目にあってるのかはもうどうでも良い。今を乗り越えるしかない。もう生前の普通の人生には戻れない。今は辛いけれど、これは永遠に続くわけではない。昇る朝日のように、いつかは終わりがやって来る。辛くても、ただ辛いだけだ。一瞬、一瞬を乗り越えていこう。深い呼吸を一つ……


輪。


俺は輪でできている。その感覚を掴むのだ。肉体はもう死んでいる。すべてをこの瞬間に注げ。


※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※


五月女はギシギシとする古いベッドから起き上がり、目をこすりながら外の光に目を細めた。


「もう朝か。あんまり眠れなかったな。祈誓の反動かな。あまり厳しくしごくのはやめよっか」


彼女は痛みを与えずに守る、という祈誓を結んだが、守ることと痛みを与えないことは時として矛盾するものなのだ。


制服のまま寝た五月女は、少しシワを手で払っただけでそのまま外に向かった。


「おい、猶!生きてる?」


猶雪はうめき声をあげて、睡眠を妨げられた学生のように彼女に背を向けた。なんと彼は立ったまま寝ていたのだ。それを見て、彼女は微笑んだ。


「無駄な輪がない。やっとコントロールできてんじゃん」と五月女は柔らかな口調で自分に呟きながらしゃがみ込み、小石を拾った。一回空に投げてからキャッチし、猶雪に向けてはじいた。


頭にポンと当たると、猶雪はすぐに目を開けた。


「痛ってぇ。何すんだよ!!」


そして今度は怒った顔を五月女に向けた。


「おぉ、さすが頑丈だな。おはよう」


彼女はそう言って、無邪気で愛らしい笑顔を猶雪に送った。その笑顔の前では猶雪の怒りは一瞬で消え、もうすでにこの扱いには慣れているような諦めたボソボソの声で「おはよう」と言い返した。


五月女は血の柱を解除し、彼はゆっくりと地面に降ろされた。いかにも自分ではもう体の一部も動かせないかのように、目は点になって、ぼーっとしていた。その気が抜けたところを見て、五月女は早速訓練を再開することにした。


「ほら、稽古を始めるわよ」と、短剣を彼に投げつけた。その短剣を追うように彼女は素早く間合いを詰めていた。


「おい、ちょっと時間くれ!!」


と頼むことしかできなかった猶雪は短剣を鞘から抜き、攻撃を防御した。


「準備できるまで待ってくれる敵がどこにいる?死闘においてルールはない」


一理ある話だ。しかし、流石に未熟な猶雪には過酷な訓練方法だった。猶雪はかろうじて防御しつつ、途切れ途切れに言い返した。


「これは……死闘……なの!?」


それに対して、五月女は余裕の表情で「そうだよ」とあっさりと答えた。


この三日間で、猶雪は体内の輪をコントロールできるようになりつつあった。衝撃直前にその該当する身体の一部を輪で強化できるようにもなっていた。


そして、猶雪は次の攻撃が届く寸前にしゃがんでかわし、下から攻撃しようとした。それに対し、五月女はわずかに驚いた様子を見せつつも、軽やかにそれを避けてみせた。最強者の代名詞のような彼女の前では、失敗した攻撃の余波で、猶雪は数メートル後退してしまった。その姿勢は少し萎縮してさえ見えた。しかし、五月女はその攻撃に興味を示し、もう一段レベルをあげることを決意した。プレッシャーが時に人を圧倒することもあれば、また、その反面、重圧が思いも寄らないダイヤモンドを生み出すこともある。この事実を五月女自身も熟知していた。


「その感覚を使って、短剣も強化するのよ。そうしないと、次の攻撃で君も短剣も豆腐みたいに真っ二つに切られる」


彼女は楽しそうに微笑みながら、居合の構えで剣を腰にかまえた。


「ちょっと全然穏やかじゃないんですけど」


半笑いで状況を誤魔化そうとする猶雪の姿勢は、死の間際の緊張感を和らげるためのものだった。彼は再び殺気を感じていた。それは、あの夜の殺気と比べ物にならないほど弱い物だったし、猶雪はそれなりに強くなっていたが、それでも彼の心の奥から恐怖を感じさせる物だった。


「ひぃぃー!」


とんでもない奇声を発した。少し恥ずかしいと思いつつも、考える暇もなく猶雪は慌てて反応した。


ガシャッ。


その衝突で、猶雪は十メートル以上後ろに吹き飛ばされた。


「ちょっと、何か音がしたぞ。絶対骨折れてるよ、これ」と彼は自分の胴体を叩きながら、骨折の兆候を探っていた。


「折れてるよ……」


それを聞いて、猶雪がまた文句を言い足そうとしていたが、五月女は言葉を付け加えた。


「私の剣が」


五月女の真っ赤な剣にはヒビが入り、それが上半分まで広がると砕けて地面に落ちた。


「なかなかやるじゃん。おめでとう!今回はこれぐらいで終わりにしよう。ほら、帰ろう」


三日三晩の苦痛を乗り越えた猶雪にとって、これは待ち望んだ解放の瞬間のはずだった。しかし、五月女の剣を折った際の興奮や、一縷の希望を見たからか、猶雪は五月女に、ちゃんと一撃を食らわしたいと思った。


「ちょっと待ってくれ。帰りたいのは山々なんだが、ここまできた。俺、まだお前に一撃も当ててないんだ。その前に終われないよ」


これまでの受け身から一転、彼の目は決意で燃えていた。


「へー、いい気合だ」


猶雪はこれまでにない興奮で笑顔を浮かばせていた。


「行くぜ」と猶雪が力強く言い放った。炎天下で容赦なく彼の肌に日が差し、その熱気がさらに彼の闘志を炎上させるようだった。周囲に張り詰めた緊張感が、静寂の中でひしひしと伝わり、彼の額を伝う一滴の汗が地面に落ちると同時に、彼らの戦いが開始された。空気は一瞬にして切迫したエネルギーで満たされた。


先手を取ったのは猶雪の方だった。異常な速さで距離を詰め、雷のように素早い一撃を放った。五月女はその攻撃を満面の笑みで受け止め、誇りに満ちた表情を見せた。


「悪くない。でも、本当に当てたいのなら、まだ雑だな」と彼女は言った。猶雪の剣筋はまだ粗く、彼女は軽やかにそれを跳ね除けた。


無防備な状況。


そして、五月女の大振りが猶雪に向かって来ると、彼の運命は決まったかのようだった。しかし、猶雪はその大振りを逆手に取った。彼は短剣の角度をわずかに変え、一筋の日光を五月女の目に照りつけた。五月女の視界が一瞬遮られたその瞬間の隙を突いて、猶雪は彼女の首元に刃を当てた。


「やっと当たったぜ」と彼は息を呑むように言った。


「光を使うとは……いい作戦だ。でも、実際には当たってない。寸止めしろなんて誰も言ってないわよ」


突然、五月女は彼の袖を掴み、反応する間もなく猶雪は地面に投げつけられていた。数秒間、彼は放心状態だったが、やがて意識を取り戻し、起き上がった。


「痛っててって。おい、卑怯だぞ。本当に当たってたら、死んでただろうが」


それに対し、五月女は軽く笑みを浮かべながら「どうだろう」と言った。その余裕さは、まるで「そんなことないわよ」と言うようだった。


「それに、死闘って言ってたでしょ」


静寂が二人を包み込んだ。そして、猶雪は五月女の額に指を当てて、食らわした……デコピンを。


「痛っ」


「一撃食らわせてやったぞ」と満更でもない顔で言った。


五月女は頭を抱えながらも、それを認めるような満面の笑みを猶雪に送った。それが五月女にとってどれほど珍しい行為であるかは、彼女自身はまだ完全に気づいていなかった。


「訓練はこれで終わりにしよう。帰ろっ」


猶雪も納得したように、少し肩の力を抜いた表情をした。


「でも、俺、帰る場所ないけど。俺のアパート、もう他人に貸しちゃってるし」


「それなら、私んちにおいで。見張りもできるし」と、五月女は即答した。彼女は最初からそう考えていたのだ。


「ええぇ?」


猶雪は呆れたような顔をした。


「何よ。不満でもあるの?また変な奴に襲われたくないでしょう?」


五月女の言葉には少し強い口調が混じっていた。猶雪はそれを感じ取り、反省した。


「まぁ、そうだな。悪い。これからお世話になります」


そうして二人は山を降り、五月女のマンションへ向かった。意外に近く、数時間後には彼らはマンションに着いていた。玄関の扉を開けると、五月女は誇らしげに彼を迎え入れた。


「ようこそ、我が家へ」


しかし、猶雪はただ唖然として、沈黙しか返せなかった。それほどに衝撃を受けていたのだ。


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