第一話 下 (決意)
あれから連絡先を交換して、解散した。もっと質問はあったが、五月女は昼休みが終わるからと言って、急いで教室に戻った。俺はその後、ちょっと気持ちが高揚した。なぜなら、これから日々の退屈と苦しみから逃れられると思ったからだ。まるで夢にまで見た、ファンタジーワールドに転生したみたいに。友達作りとか変な要望が気にかかるけど、とりあえず今は聞き流すことにした。ヘルカオスとか、震天剣とか、格好いい必殺技の名前を考案したりした。ネーミングセンスはちょっと微妙な気がするけど、久々にそんな中二病チックな空想にふけた。
数日後。
全く音沙汰がない。俺は少し不安になってきた。先日の出来事自体が妄想だったのかとも思い始めた。でも、他の祓い師に襲われるかもしれないし、直接確認するのはちょっと気が引けた。
でも、今朝が我慢の限界だった。
「俺は学校に行く!祓い師だかなんだか知らんがかかってこいよ」と決意をした矢先に、五月女からやっと連絡がきた。
「緊急事態。学校に来い」単刀直入、要件のみのメッセージだった。
人使いが荒い奴だ。
どいつもこいつも俺に最近は風当たりが強い気がする。マンションは来月から他の人に賃貸することが決まったみたいだし。俺はどこに行けばいいというのやら。(まぁ霊になってることは誰も知らないとは言え)
しかし、緊急事態ってのは聞き捨てならない。学校でなにか重大事件が起きてないといいけど。祓い師だし、何か事件に巻き込まれて怪我人や死人が出た可能性があることも否定できない。
そして俺は懸念しつつも、早足で学校に向かった。
学校に着くといつも通りの、ありふれたざわめきだった。少なくとも、死人は出てない感じだな。そして教室に入ると五月女は頭を抱えて、ブツブツ何かを言っていた。
俺は軽く五月女の肩を叩いた。
「さおー、え、えへん」
俺は軽く咳払いをした。ここは流美と呼ぶべきか。ちょっとまだ抵抗あるな。
「流美、言われた通りに来たよ。緊急事態って……」
「本日は重大任務がある。ちょっとしたピンチってやつ。今日はあの恐るべき行事が催されるのだ」
うつむいたまま、五月女はそう言った。
なんだ?祓い師の行事ってのか?俺は息を飲んで腹を括った。
五月女は俺を流し目に低い声でつぶやいた。
「中間試験だ」
中間試験……だと?こいつとぼけてんのか。なんか、心配して損した。
「見ての通り、私はちょっと勉強が苦手なのである」
五月女は赤点だらけの試験用紙を手のひらに広げる。23点、22点、7点、18点、2点。
選択肢問題だぞ?当てずっぽうでも、確率的に4分の1で25点は取れるはずだ。逆にそっちの方の天才だ。もしくは、点災……なんてね。
「その眼鏡は何の意味があんねん?なんか知的に見えたけど」
「あ、これ?これは伊達メガネだよ」
五月女はメガネを外して、人差し指と中指でレンズを突き刺して見せた。
「メガネをかけてるとテストはどうにかなると思ってたんだけど、まだ成果はない。あと、クールなイメージで人を惹きつける戦略も図ったが、それもまだ成果なし」
純粋に馬鹿なのか。この人の思考回路が全然理解できない。俺は思わずため息をつく。
「一応聞くけど、中間試験がなんでそんなに重大なんだ?」
俺の質問に、五月女は、あたかも当然のように、しかし軽蔑ではなく、むしろ純粋な疑問があるかのような表情で答えた。
「当たり前でしょ。皆に私の頭の良さを見せびらかして、人気者になるんだ。そのためには猶の協力が必要なんだ」
どこが当たり前なんだよ。
「それで、どうやってやるの?」
一応取引をしたからな。馬鹿相手でも、俺の分担はちゃんとはたす。
「代わりにテストを受けて」
は?俺は見た目によらず結構ルールを守るタイプなんだ。カンニングなんて
「やだよ。それに、流石にそんな大胆なカンニングしたら……」
「大丈夫だよ。大胆でも多分気づかない」
五月女はなぜ普通の人が霊である俺に気づかないのかを説明した。ほとんど何をやっても俺が霊だと気づかない。理由は大まかに三つのケースがあるらしい。
第一、見えない。これはわかりやすい。霊は普通見えないものだ。
第二、『X』のせいにする。チャリに乗ってる男に当たって、勝手に風だと思われた時のケースだ。その場合のXは風。つまり、怪奇現象に頼らず、何かの自然現象で説明する。超自然的なものが起こったら、自然現象で説明するために記憶が都合よく、すり替わることもある。
第三、最後は、見えても霊だと気づかない。例えば、知り合いが今の俺を見て、『なんで死んでるやつがここにいる?』の質問は発想しない。それは夢を見てる時の、支離滅裂の状況がなんとなく夢の中ではつじつまが合うのと似ている。
五月女はそれがこの世の仕組みだと言った。意味はよくわからないけど、それは神による『祈誓』だとも言った。
『え、霊を見たことあるよ』と言う人もいると思うが、五月女曰く、霊に鋭い人も鈍い人もいる。そしてただの幻覚の場合も結構あるらしい。
「……だから鉛筆一本二本、宙に浮いて問題を解いてみたところで、皆テストに集中しすぎて気づかないさ。こうして話してるところだって、最悪私が変人だと思うだけー」
変人と思われても、大丈夫?友達を作りたいんじゃなかった?五月女は突然口籠もった。気づいたようだ。
「ってしまった……」
やっぱり、この人は相当の馬鹿だな。
「……まぁもうやってしまったことは仕方ない」
立ち直りは早いけど。五月女はその時、何かに注意を引かれたようで、教室の前の方へ顔を向けた。そこでは、まいちゃんと池上さんが話していた。
「まいちゃん、本当に大丈夫?なんか機嫌悪そうなんだけど」
「全然全然。っていうかその死に方ってありえなくない?」
池上さんは愛想笑いで口がヒクヒクしていた。
「はぁー」
「女の尻を追いかけて死ぬなんて、ウケる。マジで自業自得」
確かに、反省点は結構あるけど、そこまで言うとは思わなかった。まいちゃんはそういう人だと思わなかった。
「幼馴染ってはかないもんだ。俺、死んでんのに普通そんなふうに言うか?」
つい愚痴が口走った。
「そうだね。私からなんか言う」
五月女は教室の前の方へ歩き始めた。え、マジで?こいつ、何する気だ?まいちゃんを殺さないでほしい。
「やっぱりそんな言い方は……」
五月女が声をかけると、まいちゃんは他の人に滅多に見せない迷惑顔で五月女に顔を向けた。
まいちゃんだめだよ。そんな顔したら、何されるかわからないぞ。俺も慌てて声をかけて落ち着かせようと思ったが、五月女は……
「あの、その。それな!私もそう思う」
何でやねん。本当にあの五月女なのか?
五月女はうなだれて、席に戻ってきた。
「ごめん、緊張しちゃって……」
「照れ屋なのかい!どうして俺にだけぶっきらぼうなんだよ?」
「だって君は私が祓い師ってこと、知っているからだもん。大体、もう死んでる人の思惑なんて気にしても仕方ないでしょ?私は結構、人の意見を気にするタイプなのだ。」
祓い師だと知っていることになにか関係ある?っていうか、
「俺は死ねばもう人でも何でもないのかよ!」
やっぱ気が合わねぇな。
……という経歴があって、今、数学の問題を解いているに至る。その馬鹿のおどけぶりを見たら、抵抗する気力がなくなった。馬鹿に正論は通じないと言うし。ルールは破るためにある、ってか?俺はそういうありふれた名言を羅列し、自分を納得させた。死んでるし、そういうのを気にしても仕方ないか。横を見ると、五月女は焼き肉を焼いて、食べてる!?
おい、おい、いくら何でも、それは気づかれるでしょ?
これが五月女が言った洗脳効果なのか。しかし……
「こら!!」
先生は五月女のボケに気づき、すごい勢いで突進してきた。その後、五月女は油をこってり絞られた。彼女曰く、そのぐらいなら気付かないと思ってたらしい。
マジ何やってんだこいつ。俺もだけど。でも、やっぱり誰も俺のことに気付かないみたいだ。
そんな調子でやっと三日間のテスト三昧が終わった。はー、と思わずため息をつく。
俺はぐったりとして、自分の机で寝ようとした。そしたら、五月女は俺の睡眠を邪魔してきた。
「ご苦労様。これから焼肉でも食べに肉?」
何、舌でも噛んだの?いやコイツのことだ、ひでぇダジャレのつもりだったのだろう。
「そんなダジャレに付き合える程、俺はピンピンしてない」
俺は机に倒れ伏したまま言い返した。
「そんなツッコミができるってことは、まだ完全に死んでないってことだ」
「いや、確かに死んでるよ……もう疲れたから帰る」
「まぁまぁ、そういわずに。下僕にごほうびを与えるのは主人として当たり前だから」
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そして、結局付き合わされた。ったく。本当にごほうびをくれるんだったら、とっとと帰らせてよ。帰って漫画……いや、もう読むのはめんどくさい。帰ってゲームでもするか。
「もう帰るの?」
「あぁ。もう食べすぎて口から逆流しそうになってる」
そう言っても帰らせないと心配したけど、案外容易く承知してくれた。
「しょうがないな。じゃあ先に帰っていいよ。私は追い出されるまで食べてるから。私が食べ過ぎて入れてくれる食べ放題の焼肉屋ってもうあんまり残ってないからな」
そんなことがあるのか?どんだけ食べるのだよ。毎回追い出されるまで食べるなら、そんなに食べなきゃいいやろ。
「それはむしろ自重するところだろ」
俺がそう言うと、五月女は顔を顰めて、小首を傾げた。多分何を言っても無駄なタイプだ、これ。
「まぁいい。またな」
席から立ち上がろうとすると、五月女は俺を呼び止めた。
「あ、行く前に、これあげるよ」
ポイッと、長い棒みたいのを俺に投げた。
「護身のために使いな」
なにこれ?短剣?さやから抜くと、10センチぐらいの長さの刀で、光沢がよくある。そして、やけに豪華な彫刻の鍔も付いている。
何に使うって言うの?エレガント殺人ってか?
これをぶら下げててもかえって危険な感じしかしない。けど、もう疲れたし、後でツッコむことにした。とりあえず帰宅の途に着いた。
そして、俺はやっと帰ってきた。マンションの錆びた階段をギシギシと登って、玄関の戸を開けた。
「ただいま~ もうクタクタ……」
あぁ、いつもの暗がりと静けさ。訳の分からないことに付き合わされることもない、平坦なマイホーム。でも、なんとなく暖かさに欠けている気がする。今ではこの静けさが不気味に感じるほどに。
後ろの戸を閉じる。靴を脱いだら、予備のペアがズレてることに気づく。
あれ、朝、そんなに慌てて出たっけ?
いや、俺は絶対そんなことはしない。そもそも早く出たから、全然慌てなかった。というと……
俺は最後の一瞬に目を上げると、刃が顔に近づいてくる。まるでスローモーションみたいに。
刃?何でここに?これ当たったら死ぬってやつ?
頭の中で状況を把握する前に、自分の身体が勝手に動いた。避ける。身体はそれが生きるための唯一の選択だと本能的に分かっていたかのように。
俺は紙一重で避けたが、勢いで尻もちをついた。
五月女のドッキリだといいが……
ん?何となく顔が暖かい気がする。何かが頬を伝って垂れていく。手で触るとぬるっとしたなまぬるい液体を感じた。汗?でも、手のひらを見ると赤い……
ち、血だ!
俺はようやく納得した。これはマジのやつだ。
息が荒くなる。心音が鼓膜に響く。なぜか外のカエルの鳴き声がやけにうるさく感じた。すっかり夏になったな……なんてどうでもいいことが一瞬で頭の中に渦巻いた。
夜だからか、五月女の時と全然違う感じだ。顔の液体は汗じゃなかったけど、俺は確かにその時ダクダクと脂汗をかいていた。
「へぇー。意外と早いね」
上から目線の態度で、男はガラガラ声でそう言った。なんか聞いたことあるセリフ。いやなデジャブだ。
顔を見上げると、影に包まれていてよく見えなかったが、シルエットから輪郭はわかった。
髪型はトゲトゲで、高身長な男だった。少なくとも、180センチはあった。俺とあまり変わらない背のはずだが、その緊迫さはまるで巨人を見るようだった。
「逃げ場はないぞ。ちょこちょこ逃げてると余計に痛くなる。せめて楽に死なせてやるからおとなしくしろ」
剣が振り降りた。殺される?いや、俺はそんな簡単にくたばらない。
俺は座ったまま全力で蛙のように飛び跳ねて、後ろの戸をすり抜けた。ガラガラ声の男は一瞬、戸惑ったようだったが、すぐに同胞を呼んだ。
「憩、お前の出番だぞ!」
くそ、何人来てんだ。
後ろを見ると、隣のビルの屋上に少女が立っていた。頭の左側をポニーテールにしていたが、ポニーテールと言っても、髪が短かいせいか、あんまり髪が結ばれてない飾りみたいなもんだった。清楚系の白いブラウスと黒いスカートで、道中歩いていたら俺がナンパしそうなおしゃれなかわいい少女だった。見た目は何ともあどけないのに、そのいでたちは不思議に『飾り』でしか表現できない場違いのものだと感じた。……それは俺に今ショットガンを向けているからである!
おいおい、いつの間にこんなに人気者になったんだ、俺!!
そして、少女はショットガンを俺に向けて撃ってきた。マジかよ。俺は手すりを飛び越えて避けたと思いきや、左手に一瞬痛みが走った。少なくとも、一発は着弾しただろう。それでも俺は二階から飛び降りて、エレガントじゃないけど、なんとか着地して死なずに済んだ。アドレナリンで立ち直って、こけつまろびつ逃げ延びた。
必死で逃げて、感覚では二十分ぐらいだろうか。見知らない公園に着いた。公園は照明灯で明るかった。隠れるのには良くないかもしれないが、俺的にはそれがベストだった。ホラー映画みたいな不意打ちに会いたくない。
一息つくと、左腕は酷く痙攣し始めた。くそ、痛ぇ!最初はあんまり感じなかったが、今は抑えられない程の激痛だ。
まず落ち着け。深呼吸だ……
あぁ、武道未経験の俺は圧倒的に不利だな。剣道部とか入ってればよかった。帰宅部にしたのは俺の失態。
右手を見ると、俺はずっと五月女からもらった短剣を握り締めていたらしい。
「あいつ、短剣一本でどうするっていうのだ」
まぁ、ちょっとした気休めにはなるか。また会えたら、五月女に礼を言わないとな。念の為、短剣を鞘からすこし覗かせてみた。やっぱり、まだある。深呼吸だ、深呼吸……
ちょっと落ち着けた気がする。しかし、俺はまたよく短剣の艶を見ると、なんか暗い気がした。
あれ、何か頭上から近づいて来ている!?
上を見ると、同じ男が俺に飛びかかってきた。くそ、しつこい!
ガキーン、がキーン、と金属が激しくぶつかりあった。俺は本能に任せてなりふり構わず、何とか剣をかわしていた。
「早い。けど、剣術が雑!!」
男は俺の短剣を払って、見えない速さで剣を振り落とした。
右腕の感覚がない?血だけだ。
ない、腕が切り落とされた!!短剣はガランと音をたてて地面に転げ落ちた。
「あぁぁぁぁぁぁ!!」
俺は悲鳴を上げ、もう一瞬でも生き延びることをひたすら願った。
そして、剣の先端が俺の首に近づいてくる。俺はここで……?
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父は相当裕福な家庭の出だったが、母と結婚するために、家から出た。俺は五歳の時に父が死んで母子家庭で育った。母はいつも仕事で忙しかった。幼くして俺を産んだことを恨んでいたらしく、よく『こんなはずじゃなかった』とブツブツ愚痴をこぼしていた。あまり気も合わなかったし、話す時もよそよそしかった。俺も母を怒らせないように敬遠していた。そして、母は俺の中学の卒業式を機に、一応義務教育も終わらせて、自分の責任を果たしたとでもいうべきか、家から出て二度と帰らなかった。馬鹿馬鹿しい話だけど、俺は母親に認められたかったためか無駄に偏差値の高い高校に入学が決まっていた。
俺は群衆に混じるのが得意で、輪の中心とまでは言わないが、高校デビューは自分で言うのも何だがそこそこ悪くなかった。でも、のこのこ笑ってる同級生を見るたびに胸が何だか刺さる思いがした。俺のような偽笑いなのか?多分違う。あいつらは青春とやらを謳歌してワイワイ楽しんでやがる。
そしてもう何となく、俺は承認欲求に振り回される人生に飽きた。もうどうでもいいやって。
あの日は曇天だったからなのか、やけに寒かった。橋の上に立ち、俺は冷たい風に包まれていた。心を凍らせるほどの冷たい風と静けさ。そういう時と場合には自分の声しか聞こえない空間になる。もしかすると、自分の声すら聞こえないのかも知れない。俺はその空間に浸って思い込んでいた。
その静寂の中、電話が鳴った。
「おっと。よー」
時たまの車と異なった音だったから、危うく携帯を落とすところだった。この高さからだと確実に壊れるな。
「なにやってんのよ。今日は私が選ぶ番だからってすっぽかすつもり?今日は『チェンソー2』にする」
まいちゃんはいつものイライラとした声で言う。
「またあれかよ。毎回ホラー見るからさ」
「……チキン」
本当にそうなのかわからないけど、俺はそれがまいちゃんの優しさだと思っている。俺には曇り空から差し込む陽光の様だった。
「っち。確か『チェンソー3』が一番怖いって言ったな。それにしよう」
俺は微笑で返事した。
そしたら、まいちゃんはくすくす笑いながら「そう来なくちゃ」と返事した。
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なんで今になって思い出すのだろう。俺は死ぬからか?死ぬ?
「成仏させてやる」
と、ガラガラ声が言った。
成仏もくそもねぇ。俺はまだ人生にも乗り出してないんだ。このまま死ぬもんか。俺は何が何でも生きていく。俺の中には悟りでも、希望でもない、胸が燃えるような鬱憤だけが充満していた。
剣が首に届く前に、俺は残り一本の左腕で防御した。気づかないうちに切り落とされた右腕と違い、今回は感触があった。激痛すら。でも、俺は腕を半分切られても、たじろがなかった。渾身の力を込めて剣は腕に入ったまま止まった。いや、その瞬間自分の力以上の何かが流れ込んだようだった。俺は野郎のシャツの襟を噛み抑えながら重心を変え、地面に投げ飛ばした。声を上げる余裕もないくらいの勢いで野郎は地面に叩きつけられた。
正直に言うと、俺もどうやってやったのか皆目見当もつかない。火事場の馬鹿力ってやつかもしれない。
それより、今は脱出だ。一緒にいた女がまだこないうちに。
力を抜くと腕に挟まった剣が地面にガランと落ちた。俺は足を引きずりながら隠れる所を探した。くそ、めまいが……
何とかここまで乗り越えたようだが、もうだめらしい。急に足に力が入らなくなって、俺は手が地についた。それでも、隠れるということを一心に、やっとのことで這い出し始めた。
そしたら、後ろからまたガラガラ声がした。
「てめぇえ。油断したぜ……でもこれでおしまいだ」
音はもう真上から聞こえていた。剣が降りかかるのが感覚でわかった。ここまでか。目をつぶる……。
首の辺りに突風を感じた……剣が止まった?
その時、凄まじい圧迫感を感じた。なんだろう、空気が急に重くなったかのように、息するのも苦しくなった。頭を向けると、剣はやはり頭上で止まっていた。
「なんだ、この殺気は!?」
男は驚いたように言って、俺と同じ方向に顔を向けた。
五月女流美だ。
「五月女流美?なるほど、あの学校から感じた凄まじい輪はお前の仕業か。上級六位様がここになんの用があるのか?」
「うちの下僕がお世話になってるみたいね。その恩はちゃんと返させてもらう」
流美は串を口から抜いて、冷静に蟻を見下ろしてるような形相だった。まだ串刺しを食べてるって、流石だな。俺が死ぬ間際じゃなかったら笑える。
が、俺にはその余裕はなかった。 痛みと出血で気を失いそうだった。
その時、俺が流美を見て抱いたのは相反する二つの感情だった。一つは流美の姿を見て安堵していた。絶望の果てから救う白馬の騎士を見る感じだった。
もう一つは、凄まじい恐怖心だった。それはガラガラ声を見上げた時の圧迫感以上のすこぶるものだった。
俺は今まで、殺気って言うものはフィクションでしか存在しないと思っていた。しかし、この空気を真っ二つに切り裂くような感じは一切の疑念を払拭した。これが『殺気』だと。俺に向けた殺気じゃないことは感覚で分かっていたとしても、心底から恐怖を覚えた。
身震いしていた俺の体は出血のせいか、あるいは……。