第一話 上 (踏切)
人から何を求めるのか?善であることか?悪であることか?どっちでもない現実を見たら有耶無耶で、泡沫的でありながらも、人間らしい生きざまが美しく映るのだろう。
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私は泣いていた。
「兄さんをいじめないで」
とすすり泣きながら乞った。でも、予想通り父は耳を貸すこともなく、兄さんの髪を鷲掴みにしながら引っ張って、部屋から引きずり出した。見るに耐えない光景だ。
光景が変わる。
兄さんは私を抱きしめていた。
「よしよし、大丈夫だよ流美大丈夫……」
安心の抱擁だった。でも、兄さんはいつもひしと抱きしめるから、少し息苦しかった。
光景がまた変わる。
腕が裂けるような痛みを急に感じ、うつむくと、見覚えのある手を見る。父の手だ。手の甲に斜めな傷が走ってるからすぐ見分けられる。その手は私の腕をメスで切っていた。じわりと手術をしてるように器用に切っていた。皮膚、脂肪層、筋肉、骨まで。一重一重を切っていた。この光景は脳内に刻まれている。
「もっと血を制御しなさい!!」
「やめて、お父様……」
私は悲鳴を上げないように耐えていた。
でもそう言った途端、父はメスにもっと力を込めた。極限の激痛に悲鳴を上げてしまった。
「あああああぁ!!」
気づくと、ベッドから飛び起き、手を伸ばしていた。
「夢……か」
心臓の鼓動が高鳴っていた。吐息をついて、額の汗を拭った。再度仰向けのままベッドに身を投げた。気持ちを整理し、悪夢の余韻が徐々に消えて、最後は普段見慣れた私の部屋だけが残った。
ふと椅子の上に置いてある時計に目をやると8時3分と刻まれている。
「やばっ!もうこんな時間!!」
急いで押し入れに突進し、ごみ袋にけつまずいて転んだ。痛っ。
ぶつぶつ文句を垂れながら立ち上がって、押し入れに進んだ。まあまあ最悪の始まりだったが、押し入れを開けると、ちゃんときれいな服が入ってた。
やった!昨日洗濯してたんだ!
制服を着て、玄関に行って、メガネをかけ、靴を履いた。よし、ルーチン完了。
私は外を出る前に、覚悟を決めるために一瞬立ち止まった。深呼吸をして、私は今日も見知らぬ世界にいじけた一歩を踏み出した。
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俺の名前は直井猶雪。5日前までは15歳の元高校一年生。元っていうのは、単刀直入に言うと、死んでいるからである。
(ああ、つまんねぇ。死ぬんだったらもっと面白い世界に転生させてくれよ)
俺は部屋にあるふわふわ絨毯の上に横たわって、そう思い込んでいた。
よいしょっと起き上がる。死んでも、毎日ダラダラすると、退屈になるだけだ。空想はとりあえず保留としよう。どれ、雨はようやく止んだか。ブラインドを開けると、雲の絶え間から日光が差し込んでいた、雨上がりの晴れ。
「散歩しよっか」
なんか変な感じだな。俺の人生は尽きてるのに、他の人は何の変わりなく生きていく。それで俺はなぜ亡霊になって成仏せずにここに残ってるのかわからない。未練なんかはないはずなんだが......
ご先祖様に謝らなきゃならないか。地球のすべてを授かって、今に至る。40億年前にさかのぼる単細胞生物。恐竜。隕石。猿人。原人。新人。侍。おばあちゃん。母。そして、俺(平成7年4月1日 - 平成22年5月16日)
紆余曲折を経てここで直井家、おしまい。何となく恥ずかしい。
それにあの死に方は……
やめやめ。俺は空想してないと変に思い詰めちゃうタイプだ。でも、こんな事考えても、いまさら仕方がない。それより、亡霊になって、損ばかりじゃない。物体をすり抜けることができる。そして、誰も俺のことが見えないから、人目を気にせず、なんだか自由な気分だ。
足に任せて歩いてると、いつも通ってた商店を通りかかった。
「また、アイス食うか」
どんだけアイスを食べても、太らないみたいだし。おかげで、完全に一文無しだけど。
アイスを舐めながらぶらぶら歩いてたら、ふと、男に当たってしまった。
「あ、ごめん!」
反射的に謝ったけど、男は風だと思い込んでたようで、無視してくれた。すり抜けるって言っても、意識的にすり抜けようとしない限り、普通に当たるらしい。
それより、アイスを落としてしまった。食べ物を無駄にすると母はいつもすごい怒ったなぁ...…。
しゃがんでアイスを拾ったら、どこかから微かな猫の鳴き声が聞こえた。音をたどると、路地裏の段ボール箱を仮住まいとしてた白黒猫がいた。
小柄で、若干やつれていた。『仲間か。お前も見捨てられた?』
猫は上目遣いで俺を見る。
「可愛いやつだ。引き取りたいところなんだがこの通り死んでるんでな。これ、あげるよ」
俺がアイスをあげると、おどおどと匂いを嗅いだ。あれ、アイスって猫にあげちゃダメだったけ?乳製品の種類じゃないし、大丈夫か。
しかしどうしたらいいかな。愛護センターに送らないでちゃんとした飼い主を見つけてあげないとな……。
その時、丁度いい顔が頭に浮かんで、そいつのところに向かうことにした。着いたら、ピンポンしたけど、返事がなかったから、玄関の前に猫をメモ付きで残した。もうすでに出てしまったようだ。朝が相変わらず早い奴だ。
でもこれで、一件落着。良いことをしたような気分で、俺はそろそろ、帰宅しようと思ってたら、路上で学校の制服を着て登校してる学生を見かけてふと足を止めた。
そう言えば、今日は登校日だったっけ。じゃー、久々に俺も学校にでも行くか。俺の死を痛み悲しんでるとこでも見れるかもしれないし。俺の死が完全に無意味じゃないことを証明するための、ナルシスト的なニーズ。内心はそれぐらいの自覚はあった。でもその調子で、学校に行ってみることにしたのだった。
校門を抜けるとなにやら学生が群がっていた。蟻が餌にたかるように女子生徒はうようよと何かの周りに集まっていた。
何の騒ぎか見定めようとしたら、聞き覚えのある名前が耳に入った。谷本。イケメンで、背も高い、それと一年生でうちの強豪校バスケ部のレギュラー。
俺は虫唾が走った。
学校来て早々、嫌な奴を見てしまった。なぜ嫌っていうと、単刀直入に、俺よりモテるからだ。それ以上に、俺はそういう欠点のない、人生を見透かしてるような奴が大嫌いだ。家柄もよく、逼迫のない苦労のない人生を送ってきただろうに、人生って言うものを分かりきったように笑って、はしゃいで、なぜみんなは幸福を手に入れられないってのかを問いただすかのように。気持ちの悪いおこがましさ。まぁ、人生を見透かしてるって言ったら、すでに死んでいる俺の方だけどな。
呪い尽くしてると、俺はふと教室の前に立っていた。
なんか緊張してきた。やっぱ帰るかな……っと一瞬ためらったけど、もうここまで来た。深呼吸をして、俺は教室の中に足を踏み入れた。
そこには短めの毛先がカールのかかった茶色髪の少女がいた。頬杖をついて、どことなく退屈そうに『ピアノマン』のキーホルダーを人差し指でくるくると回していた。
あ、まいちゃんだ。やっぱり学校に早く来てたんだ。さては、俺がいなくなって悲しんでいるのかね。
ポニテの髪型をした何となく運動系の少女がまいちゃんに近づいた。池上友里だ。
「おはよう、まいちゃん。ねぇ、前回のテストむずかしすぎて私、自信、まじ喪失した。次のテストの予習手伝ってくれない?」
一瞬二の足を踏んでるようにして、付け加える。
「あ、無理だったら全然気にしないで」
でも、まいちゃんは即答した。
「全然オッケーよ。そうだ、明日昼ぐらいに勉強会できる?」
「ありがとう。マジ救世主」
往生より勉強かよ。まぁまぁ、落ち着け俺、多分俺が死んでることはまだ分かってないんだ。
と思った矢先に、担任の山口先生が教室に入って来た。
「みんな、席に着け。昨日言った通りに、猶雪くんは亡くなって......」
もう知ってたのか。まいちゃんは携帯をいじってるし、みんな普通過ぎない?
その後、山口先生は感情溢れた演説をしていたようだが、聞き取れなかった。みんなの薄い反応に仰天してたからだ。
俺、そんなに嫌われてたのか?期待してたリアクションと現実の温度差にはさすがに気が滅入る。ゾンビ化した俺は屋上に登り、空をぼんやりと見上げた。
五月雨後の涼しい風が肌に当たった。ちょっとしたアイデンティティクライシスだ。
「人生って思ったように行かないばかりだな」
本当に生きてる意味ってなんなんだろう……って俺もう死んでるからその質問はおかしいか。みんなが悲しんでいたとしても、それが俺の生き甲斐って訳じゃないし。
はぁー。俺はそう溜息をつくと、屋上のドアがギーと渋い音を立てながら開いた。
どことなく無愛想な女子生徒が現れた。
制服はしわくちゃでネクタイもズレてる、なんと言ってもだらしない格好をしてる少女だった。
黒髪ロングで眼鏡をかけてるけど、目の下のクマがよく見える。
やや清水○○○監督のあるホラー映画の怨霊に似てる。少女は何故か眼鏡を外して、後ろのドアに鍵をかけた。
たしか同じクラスの……五月女さんだっけ。どうしてここに……?
「わざわざ学校に来てくれてありがとう。パートタイムになったとはいえ、先延ばししすぎると、会長に怒られるからな。手間が省けた」
「誰と話してんだろう。独り言?確かに五月女さんは前から変なところあったな」
「っち」
あれ、なんか舌打ちが聞こえたような?
そして、五月女さんが人差し指の指輪を親指でぱちっと鳴らすような動作をすると突然、剣が手に現れた。真っ赤な血の色の剣だ。現れた?考える時間もないまま、剣を向けられ急に飛び掛かられた。
「えぇ!?ちょっとー待て待て待て!!」
俺は紙一重で剣を避けられた。
「へぇー。意外と早いわね」
希薄な口調で、そうあっけなく言った。しかし俺はそれ以前に、何が起きているか全く分からない...…
この状況がやばいこと以外は。人は死と向き合う時(もう死んでるけど)、自分の本性がわかるって言うけど、俺は漫画とかを読んでその時は絶対立ちすくんで泣いたりしないことを決心してる。だから、この決心を後生大事に守って、今ここで……逃げる!
俺はドアに一直線に走って行って、すり抜けることに成功した。
「そんな大量の輪をもちながら!?だったら……」
後ろから少し驚いたような声が聞こえた。
そして、今度は前方に赤い壁が急に現れた。
「何だこの超能力??」
まぁいい。これもすり抜けてやる。この訳のわからない状況では深く考えすぎても、意味がない。そして、全力疾走で壁に向かい...…衝突した。
あぁ、頭が痛い……微かに足音が聞こえる。これが最期なのか?
「最期に言い残すことは?」
追い詰められた俺は渾身の力で起き直って赤い壁を背に五月女さんを見上げた。
「お願い、せめてなんで俺を殺したいか説明してくれ」
「君が死んでることは分かってるでしょ。成仏できるように君を祓わないとだめなの。じゃ」
そうあっけなく言って、彼女は剣を上げる。
「ちょっと待って!!それは説明になってないって。なんで五月女さんが俺を祓わなければならないんだよ」
「祓い師だから。ほとんどの人は死ぬとき、成仏するんだけど、少数の人は成仏せず下界に残る。その中でもほとんど力がないから実体を保てずにあの世に行く。そこかしこでうろうろしてる霊が見えるでしょ。君のような実体を保てる霊が人を傷つける前に祓うのが私たち、祓い師の役目。何せ、未練があるからには暴力的になるのは当然。これで納得できた?」
彼女はめんどくさそうに説明してくれた。
「霊?俺は他の霊を見たことがないよ」
そう言うと、彼女は俺がドキっとする程の至近距離まで顔を近づけて何かを探るように俺を観察した。
「本当だ。こんなに輪を持ってるのに全然使えてない。あ、輪っていうのは誰にでもある魂から生まれる力。君の輪はほとんど無駄になってる。闘志があんまりないからなのかな」
輪?何それ?『気』的なものかな。分からない点が多すぎる。それに、彼女の説明って、俺が腰抜けみたいな言い方でちょっと不快だ。けど……俺が潔白だってことを分かってもらうのが優先だ。
「俺は危険人物じゃないってことが分かったでしょ。他のやり方があるはずなんだ……そうだ!未練を解消するとか?俺はきっと無駄の多い生涯を送って来たから未練があるんだ。(死に方もあれだったし)誰にも迷惑をかけずにいればいずれ未練は晴らせるんじゃない?」
「死に方?あぁぁ、確か……」
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太陽が真上にあがった暑い日曜だった。なんとなく、気が乗らない感じであの日、友達の誘いを断った。
家でダラダラすると思ったが、何をする理由もなく、俺は何故か街の中をぶらぶら歩いていた。
あ、可愛い子見っけ。暇潰しになると思って、自信満々に声をかけることにした。
「ねぇそこの君。これから僕とー」
そして、俺は石にこけて、マンホールに落ちて死んだ。
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あっけない回想だな、おい。
五月女さんがくすくす笑った。
「知ってんのかよ。笑うんじゃねぇ!俺の死に方がそんなに面白いとでも?」
彼女は急に真顔になった。
「死は面白い訳がない。ただ、ある人を思い出しただけよ」
馬鹿にしてる訳じゃないのか。でも、そんな話で思い出す人って、一体どんなやつだ?
っていうか、忘れる所だったが、俺は今殺されるかもしれない。本題に戻ろう。
「っで、俺を見逃してくれるよな?その人にも免じて」
五月女さんは首を傾げて、考え事をしてるようだった。
「君は確か結構モテたよね」
何だ、その質問?
「まぁ死ぬまではそう思ってたけど」
馬鹿正直に答えると、彼女は熟慮した。
「いいよ。私と祈誓すれば見逃してやる」
「祈誓?」
「契約みたいなもんだ。どっちかが契約を破ったら、天罰が下る。まぁ詳しいことは気にしないで。破らない限り、大丈夫だから。祈誓はいかにもシンプル。君を祓わない代わりに、私の言うことは何でも従ってもらう」
「なんでも?何それ。強制奴隷関係?全くフェアじゃない契約だ」
交渉の余地はないだろうけど、一応不満を述べてみた。輪とやらを使って、強制的に契約を結ばされることになるかもしれないが。
「確かに、輪の差を考えてもバランス的に悪いか。じゃ私は君を守ってあげる。それと、できればついでにその未練を晴らしてあげる」
意外と物分かりがいい。
「それで俺になにをさせる気だ?」
「心配すんな。できるだけ君を危険にさらさないし、痛いこともさせないさ。信用できないっていうならこの場であの世行きってのもいいけど」
拒否権ないっぽい。
「いいだろう。どうやって祈誓は結べるの?」
「両者の同意と輪が必要だけ。お手」
彼女は手を差し伸べた。
「けっ。俺は犬かよ」
俺は膝に手をついて立ち上がって、彼女と手を握った。
手に触れた時、大量の何かが俺の体に流れ込んだが、一瞬でなんにもなかったかのように俺の体になじんでいった。
「祈誓成立」
一大事を乗り越えて一安心だな。
「君君じゃなくて俺には直井猶雪っていう名前があるんだよ」
「あ、ごめん。猶」
「いや、距離を詰めるのがはやすぎるやろ」
「死を超えた仲じゃない。私も流美って呼んでいいよ」
変な奴みたいだし、もう疲れたし、これ以上言い争わないことにしよう。
「わかったわかった。っで具体的に俺はどういう事させられるの?」
「あぁ、それは……」
彼女はすこし顔を赤らめてぼそぼそとやっと聞こえるような声でつぶやいた。
「……友達作りの手伝い」
え?