異空
明朝、明るい光に目が覚めた。
身体をゆっくりと起こすと、ライの姿はなかった。
「あれ、ライー?」
上を見上げると朝焼けのようなピンクとオレンジが混ざったような色をしていた。
「わぁ...きれい!家に帰ってもこんっなに綺麗な空は見られないだろうなぁー!」
しばらく表情を変える空の色を眺めて、これではいけないと立ち上がった。
すぐ隣に川が流れており、そこで水を掬い上げ顔を洗う。
「わ!つめた!!」
水は透き通っており、清らかな水の中でしか咲かない梅のような小さな花をつける梅花藻が、水流にのってサラサラと揺れている。
「いつまでも見ていたい。」
ミランは幼い頃から水が大好きだ。
もちろん飲料としてではなく、水の中で泳いだり潜ったりする事がこの上なく幸せを感じる。
なぜか小さな小川でも、池のような水場を見ると身体が吸い寄せられるように近づいてしまう。
水着も着ていないのに、昼間用とはいえドレスのまま水の中で遊んでしまうこともあり特に侍女長には叱られた。
だが意識の外でこの様なことが起きるため、ミラン自身にもどうしたら良いかわからない。
「顔を洗うだけ、顔を洗うだけだよ...」
水の中から声がする様な気がして、水に触れることを心の中が歓喜している。
「ダメダメ!ライを探さなきゃいけないんだから!」
(うぅー..でも入りたい。足先だけなら...いいよね?)
履いていたブーツを脱ぎ、ワンピースの裾を膝まであげて川辺に座った状態で足先をつけてみる。
「んん!!!冷たい!!!!!」
「でも、もう少しいいよね膝くらいまでなら...!」
どんどん水の中へ入りたくなってしまう衝動を抑えきれず、川辺から中央の方へ行こうとした時。
後ろからパシッと左手を掴まれた。
「何してるんだお前は?」
聞き慣れた声に振り向くと、ライが上半身の衣服を纏っていない状態で川辺に立っていた。
すらっとした色白の肌はしっとりと濡れており、髪からは水がぽたりぽたりと滴り落ちている。
「ら、ら、ライ!?なんで、ふ、服着てないの!」
「今はそんな事を言っている場合じゃない。」
ライは降りている白銀の前髪を後ろへかきあげると、目の前のミランを姫抱きに抱え上げた。
「わ、わわわ!降ろして!!!!歩けるから降ろして!」
「暴れるな。今は大人しくした方がいい。」
男性特有のゴツゴツとした腕、厚い胸板、温かく感じる体温。
全ての感覚が恥ずかしく、身体中の体温が上がっていく気がした。
そのまま静かに水辺から上がると、川から少し離れた場所へミランを降ろした。
「あり、がとう。」
歯切れが悪い感謝の言葉は、照れを隠しきれず紡がれた。
そんな事を意に介さずライは、服を着ながら冷静に問う。
「...なぜ川にいた?」
「うーん。最初は顔を洗うだけだったんだけど、なんだかもっと中へ中へ入りたくなっちゃうの。
自分でもどうしてか分からなくて...。」
「...面倒なことになったな。」
「どうして?」
「お前は元々この世界に生きる者ではない異質な存在だ。
そのせいでお前の持つ力を、魔物どもは狙っている。そう思っていたが、まさか異空からも狙われているとはな。」
「異空?狙われる?どうして?」
「ここは既に存在を持っているのはお前しかいない。お前を乗っ取り、そのまま現実世界へ戻ろうとして狙っている奴がいる。それが魔物や異空の奴らだ。」
「存在が、ないの?ライも?」
「俺は、お前とは違う形で存在しているがそれは俺の身体ではないし本意でもない。」
「うーん難しいよぉ。もっと分かりやすく話してくれないのー?」
「今はまだ無理だな。それに、異空から狙われるとは想定外だ。先を更に急ぐ必要がある。」
「異空から狙われるとどうなるの?」
「最悪の場合、向こうへ連れて行かれる。実体...お前の身体ごとな。」
「えぇー!!そんなぁ!!」
「異空は俺も行けない未知の場所だ。奴らの執着は強い。
あれ以上水の中へ入っていたら、向こうへ手を引かれただろう。
気をつけた方がいい。」
「ありがとう。私のせいで...ごめんなさい!ライのお洋服が濡れちゃった。風邪ひいちゃうよ!」
「...別に。大したことはない。
俺はお前たちと違い風邪などとは無縁だからな。」
「強いんだね、ライは!でもそのままだと動きにくいし乾かしてあげるね?」
ミランは口を窄めてふぅーっと息を吐くと暖かい風が吹き、ライの濡れた衣服や髪が乾いていく。
そのまま身支度をして2人並んで歩き出す。
夕刻には山の麓付近まで到達していた。
「今日はここで明かそう。」
武具を置いて焚き木の準備をする。
ミランがふぅと木々に息を吹きかけると火の粉が飛び、しっかりと炎が広がり燃えていく。
「いいか。明日朝早々に山頂へ向かう。
俺が狼煙で合図をしたら後から続け。」
「えっ!?1人で先に行くの?」
「お前が一緒では、満足に動けないからな。安全が確保され次第合図を出す。いいな?」
「...わかった。
おやすみなさい。」
と言ったはいいものの、横になっても眠れる気配がない。
「緊張しているのか?」
ライは横にならず、焚き木の側で胡座をかいて座っている。
ミランに視線をやる。
「うん。だって魔物を見るのは初めてだもん。気配は感じるけど、女神様の加護でいつもは塀の外側から感じるだけで、戦う事なんてないから..」
「ライは、魔物を倒したらどうするの?帰るお家はあるの?」
「...さぁな。俺にはそう言うものは必要ない。」
「...ここを保つだけで精一杯だ。」
「じゃあ、私の家においでよ!」
「何を...そんな事を。」
半ば呆れた様子のライ。
「本気だよ!ライには、もっと沢山のものを見てもらいたいな。」
「...例えば?」
「うーんそうだなぁ。
私のお父様やお母様、それに森の友達に紹介したい!
あと、一緒に色んな場所へ行って燃える様な夕日を見たり美しい月を見たい。
私と行く先でたくさんの命に触れてほしいの。ここだと、シヴァールお姉さんと同じで独りぼっちだから。」
「色んな命に触れる、か。悪くないな。ミランとなら、もしかしたら...。」
思案するような表情を浮かべたライ。
それとは対極にとっても笑顔なミラン。
「やっと名前呼んでくれた!」
「ふん。調子に乗るなクソガキ」
「あー!!また酷い事言った!」
怒っているミランに手を伸ばすライ。
そっと小さな少女の頭を、細く長い指がゆっくりと撫でる。
「ミランの気持ちは頂いておく。ありがとう。期待しておこう。」
紫水晶の瞳がこちらを見ている。
いつもと違い大人っぽく妖艶な笑みを浮かべるライから、視線が外せなかった。
「手を出してくれるか?」
「ん?こう?」
少女は両手を己が胸の前に差し出す。
するとライはまた何やら唱え始めた。
光の粒がミランの手に凝縮するように周囲から集まってくる。
ぱっと弾けると手の中には、少女の両の手で持つのが精一杯な大きさの紫水晶の原石があった。
「それは俺の分身に近いもの。
明日何かが起こってもそれが守ってくれる。」
手のひらに乗せられた原石は淡い光を放っている。それを見たミランは率直に尋ねた。
「ライは神様なの?」
「なぜそう思う?」
「だって私たちには出来ないことだらけだもん。
貰ったこの弓も属性を網羅しているし、この石からも強い力を感じるの。もしかして教会へ結界を張ってこの世界を作ったのはライなの?」
「...どう思ってもらっても結構だ。」
「えー!なんで!」
「...人はすぐに物事の解を求めようとする。他人に答えを求めるのではなく、己の得た情報で既に答えは出ているだろう?」
こくりと頷くミラン。
「ならばそれを信じてみれば良い。それが必ずしも正解だと限らないが。」
「俺が神様だとか言うのも所詮は夢物語に過ぎないがな。」
「そっか、そうだよね!そんな、
神様なんてね!
しかも王国の神様は女神様だもんね!」
「そ、それは..そう、だな!
はははは!」
と何故か乾いた笑いを浮かべていた。
ライの隣に寝転がるミラン。
「手を貸してほしいの。小さい頃は、いつもお母様とお父様と手を繋いで寝てたから。だめ?」
すっと目の前に出された指の長い手を、少女の小さな手で優しく握りしめる。
いつの間にか静かに寝息を立てていた。




