7話:へぇー指テープって目立つんだ知らなかったなぁ
「そういえば日和のクラスに雪城って女の子いるのか?」
「え?雪城って雪城雪菜ちゃんのこと?」
風呂から上がり母さんが作った夕飯を食べながら俺はなんとなく雪兎の妹のことが気になったので日和に訊ねてみた。
「そうそう、今日一緒に帰った子の妹がそんな名前だった」
「ふーん」
どうでもよさそうな顏で日和が答える。
どうやら、日和の態度を見る限りではそこまで仲良くはないようだ。
「友達じゃないのか?」
「うーん、あんまり喋ったりはしないかなぁ」
「そうなのか」
「うん、だって雪菜ちゃんって周りの子と距離作ってるし、休み時間もずっと本を読んでるもん」
「ふーん、そうなのか」
雪城雪菜の事はこれ以上妹に聞いても収穫はなさそうだ。
「その雪菜ちゃんってクラスにお友達はいるの?」
横で黙って話を聞いていた母さんが日和に問いかけた。
しかし結構辛辣な物言いだなぁ。
「いないと思う」
母さんに聞かれた日和が即答する。
「だって、班決めの時も、給食の時間も、雪菜ちゃんいっつも一人だもん」
「そうなの……なら日和がお友達になってあげましょうよ」
表情明るく母さんが日和に提案する。それに対して日和が一瞬顔を顰めるのを俺は見逃さなかった。
どうやら日和はあまり乗り気じゃないようだ。
「前に一緒に遊ぼうって声を掛けたんだけど、そんな暇はないって断られたの」
「あら、そうなの」
日和はクラスのカーストでは上位に位置する人間だ。
明るく愛嬌のある性格をしていて、男女ともに隔てなく優しいから、人気がある。
大方、そんな人気者の誘いを断った結果、孤立していったのではないだろうか?
「……それに」
日和が少しだけ言い澱む、視線が俺に向いている事から、俺の反応を気にしているのだろう。
「それに……どうしたんだ?」
話の続きを促すと、日和は言いにくそうに口を開いた。
家の中でも溌剌とした態度を崩さないのに日和にしては珍しく言いづらそうな空気が出ている。
「お兄ちゃんの事、ださいって言ってた」
「……まあ」
「え、俺?」
なんでそこで俺が出てくるんだ。
「お兄ちゃん、指にテープ巻いてるから。それを見て、変な趣味してるって言われたの。お兄ちゃん学校で少しだけ有名だから」
2人の視線が自然と茶碗を持っている俺の指に集中していくのが分かる。
手首から始まって5本の指を隙間なく覆うテープは確かに気になるだろう。
しかも所々に血が薄らと滲み出ているのだ。言われてみれば毎日テーピングを巻いている生徒なんて目立つだろう。
俺の学年では既にそういうものとして受け入れられているが、他の学年はそうではないということか。
「そ、そうか。言われてみればその通りだな」
少しだけショックを受けたが、特に間違った認識ではないので受け入れる余裕があった。
言われてみれば確かに変だ。四六時中指にテープを巻いて、そこに時々血が滲んでいる上級生なんて格好の的だ。
そしてそんな兄を持ってしまった日和の気持ちを考えると、罪悪感すら湧いてくる。
「そんなことないよ!!私はお兄ちゃんがどれだけ一生懸命頑張ってるのかも知らないのに軽々しくそんなことを口に出されたくないの!!だから!雪菜ちゃんとは絶対仲良くしたくない!!それだけッ!」
日和はそんな兄を庇うように早口で捲し立てて話を終わらせた。
もしかしたら日和は雪城雪菜に俺の悪口を言われて、今のように感情を発露させて捲し立てたのだろうか?
もしそうだとしたら非常に居た堪れない。原因が俺にあるのだから。
「それじゃ、私お風呂に入るからッ」
食べ終えた食器をそのままに日和は逃げるようにしてリビングから去っていく。
その後ろ姿を俺と母さんは茫然と見送る事しかできなかった。
「……日和」
「達郎の事が大好きなのね」
母さんが日和の食器を片づけながら小さく呟いた。
それを聞いた俺の胸中は色々と複雑だ。虚しいやら嬉しいやら。
もし仮にあまり親しくない人間に日和の悪口を言われたとしたら俺はどうするだろうか?……確かに不快な気持ちになるかもしれないが、そこまで意固地にはならないだろう。
精々嗜める程度だ。流石に暴力は振るわない。
誹謗中傷の度合いによるだろうか?
「お前の母ちゃんの締まり良かったぜ」とか「お前の妹の日和ちゃんって喘ぎ声は凄く大きいんだな」とか言われた場合、俺はおそらく相手を殴り殺してしまうだろう。
公共の面前だろうが、どこだろうが関係なく、一瞬で怒りの沸点が突破する自信がある。
だがこれが「お前の母ちゃんって大分天然だよな」とか「お前の妹の日和ちゃんってちょっと変わってるよねぇ」とかだった場合はどうだろう。
おそらく俺は口では「そんな事言わないでくれよ」と言いつつ内心では「やっぱりそう思うか」と納得している事だろう。
リビングに掛けられている時計に視線を移すと19時に差し掛かっていた。
……そろそろ部屋に戻って夜の鍛錬を再開するか。
「ご馳走様」
食器を流し台まで持っていくと、そのまま部屋に戻る為にリビングを出ていく。
「はい、お粗末さまでした」
そんな母さんの言葉を背に受けて、頭の中で鍛錬の組み合わせを考えていく。
そしてふと思考を巡らせる。
明日は道場の日だ。道場では型稽古と組手がある。やはり組手はいいものだ。
柔術を基本としている為にあまり力任せは推奨されないが、それでもやはり技術を高めて競い合うというのは非常に自分好みだった。
ただ、欠点があるとすれば、学べる技術は既に学び尽くしてしまったという事だろう。
今では師匠がもっぱら俺の組手の相手なのだ。
高齢という事を顧みても俺の目から見て師匠は実力者だ。
そしてそんな師匠を相手にしても俺は勝てるようになってきた。
――そろそろ潮時かもしれない。
柔術の技術は道場で学べる事は充分に学んだ。
ならばそろそろ新しい場所に行くべきか?
武術の基本である空手は前世で既にある程度は修めている。
ならば次は打突を極めるボクシングに進むのもいいかもしれない。
加えて俺の肉体年齢はまだ12歳。ならばまだまだ伸びしろはある筈だ。
日々精進は武道における基本理念。まだ焦る時期ではない。
そうだ、俺の可能性は閉じちゃいない。限界なんてものは存在しない。
自室で2度目の鍛錬を終えた後、シャワーで軽く汗を流すと時刻は既に夜の22時を超えていた。
全身を軽く解しながら勉強机へと向かっていく。
「――ふぅ、勉強始めるかー」
今からする事を口に出して意識を集中させる一種の自己暗示。
ランドセルの中から担任の先生に宿題として出された数枚のプリントを取り出し机に並べていく。
プリントの内容自体は普段から授業を聞いていれば特に詰まる事なくスラスラと解けるもので1枚処理するのに5分も掛からないだろう。
20分ほどで課題物を終わらせると忘れない内にランドセルへ収納する。
その際に視線を窓に向けると、窓の向こうから明かりが消えている事に気が付いた。
俺は部屋の電気を消して勉強机に備え付けられている蛍光灯に光を灯す。
むしろここから本番だ。今日学校で習った、算数と国語と理科と社会のノートを取り出し、学んだ内容を反芻しながら、少し先で習う所をしっかりと予習して勉強をしていく。
明日は小テストがあるので範囲を絞りながら一教科1時間程度、計4時間使ってみっちりと繰り返す。それらが終わると時計の短針は3時前を示していた。
時間割を見つつ明日使う教科書とノートをランドセルに仕舞ってようやく一息つく。
「んー、終わったぁ」
今日も1日が終わった安堵からか眠気と共に溜息が口から洩れる。
そのままベッドに寝転がると目を閉じて、次に開いたら時刻は朝の6時だ。
眠気スッキリ元気全開。
今日もいつもの朝が始まった。