4話:冷静に考えなくても通り魔って駄目だよね
人によっては胸糞悪いかも。
「お兄ちゃん。手、繋いでいこ?」
家の外に出た途端、可愛らしく妹がおねだりしてくる。
「しょうがないな……後ろから人が来たら邪魔にならないようにすぐに寄るんだぞ?」
「うん! 分かった!」
妹の手はとても小さく、そして何よりも温かい。
「お兄ちゃんの手、すっごく安心する」
「そうか?」
「うん、すごく温かいもん」
日和はそう言うが、俺の手は度重なるテーピングによって感触なんて分からないと思うのだが……まあ日和が嬉しそうにしているし、わざわざ水を差すような真似はしないでおこう。
家で散々会話をしているので、登校中の俺達に会話はあまりない。
だけどその無言というのものは気まずい沈黙ではなく何処か心地のいいものだった。穏やかな時間とでも言いかえるべきか。
お互いの事を知り尽くしている安心感とでもいえばいいのか、そんな心地良さがあった。
しかしそんな時間はすぐに終わりを告げた。
交差点の赤信号を待っている人の中に見覚えのある後ろ姿を見つけたからだ。
「あ、明美ちゃんだ! おはよー明美ちゃん!」
日和がそれを目にすると大きな声で挨拶をする。
それに気付いた少女が振り返ると、日和を見て笑顔を浮かべ、俺を見て少しだけ気まずそうな顏を浮かべた。
「おはよう、日和ちゃん。……達郎くん」
「―おはよう。明美」
澤木明美、柳家の隣の家に住む少女。言うなれば俺とは幼馴染という間柄になる。
よく手入れをされた黒い髪に黒縁の眼鏡。どこか清楚さを漂わせる容姿ながらに口元にある黒子が艶めかしい。
数年後には男がほうっておかない存在になるであろう、麗しい美少女。それが澤木明美という少女だった。
そして桐生院紫雨に次ぐもう一人の幼馴染。即ち近しい未来で寝取られるヒロインの一人である。
本編だと達郎が高校生になってからのスタートなのだが、澤木の場合は中学時代には当時の先輩とセックスに勤しんでいた背景がある。
つまり本編開始時に既に寝取られているという存在なのだ。
先輩の影響で髪の毛を染めピアスを付け、コンタクトに変える事で清純派美少女は垢ぬけた美少女にへと変わっていくのだ。
ちなみに日和と明美のルート分岐自体は非常に単純で、勝重と一緒に帰るか帰らないかだ。
帰らないを選ぶと真っ直ぐ家に帰宅した達郎が部屋に戻るとすぐ隣の家から微かな嬌声が漏れているのに気が付き、カーテンの隙間を覗くと部屋の中で明美がセックスをしているのを見てしまい……といった導入だ。
一緒に帰れば母親と日和が勝重の餌食になり、帰らなければ明美ルートだ。
うん、とても簡単なフラグ管理だ。これをルートと言っていいのかどうかは分からんが。
とにかく、達郎に関してはどっちのルートに入っても救いはない。
母親と日和ルートだと勝重の奴隷のままだし。
明美ルートに至ってはチンコ潰された挙句、先輩の策略で明美と結婚してしまうのだからな。
同級生や友達からはあんな美少女と結婚できるなんて羨ましい~と言われる反面、裏では先輩が新居に入り浸っており明美と致している訳だ。
結婚式が終わった後のハネムーンではウェディングドレスの明美とセックスするのは先輩で、明美が産む子供も先輩との子だ。
つまりこのルートでの達郎は生涯童貞のATMくんという暗い未来が待っているのだ。
そして達郎はそれを受け入れていた。
当時の俺は多少の胸糞悪さは感じつつも所詮はフィクションだし……と笑って流していたが実際に当事者になるかもしれない状況だと笑えない。
確かに本編と同じように結婚の約束こそした記憶があれど少なくとも今の俺は本編の達郎ほど明美に惚れこんでいない、むしろどちらかといえば割と塩対応してしまっているのが現状だ。
やっぱり去勢+ATM扱いされる未来を想像すると、どうしても距離を置きたくなってしまう。
そしてそんな俺の内心を感じているのか感じていないのか明美の方も俺から距離を置かれているのを感じているのか、あまり親しげにはしてこない。
時折、悲しそうな顏をするくらいだ。
少なくともお互いのベランダを経由しての部屋の行き来なんてものは勝重が転校してきた辺りからは一切していない。
俺が部屋で鍛錬をしているとカーテンの隙間から視線を感じる時はあるが、関わりはまったくない。
それが理由か、俺と明美の間に気まずい空気が流れはじめる。
「明美ちゃんも一緒に学校いこー!」
しかし日和はそんな空気などお構いなしに明美の方へと声を掛けている。
「う、うん。達郎くんもいいの?」
「同じ学校に行くのにいいも悪いもないだろ」
「そ、そうだよね。ごめん」
悲しそうな表情で静かに俯く明美を見て、俺の胸に罪悪感が込み上げてくる。
これが八つ当たりに近いものだというのは俺自身も理解している。しているが……ねぇ。
本編がそうなったからと言って、この世界の未来がそうなるという保証がないのにも関わらず、どうしても嫌悪感が出てしまう。
もう1人の幼馴染である紫雨とは舞台というか作品が完全に別れているから割り切れたのだが、明美に関していえば割り切れないのだ。
「どうしたの2人とも、青信号に変わったよ? 早くいこーよ」
「―うん」
「ああ、そうだな」
日和の言葉に先導されて俺と明美は歩を進めていく。
学校へ到着するまでの間、俺と明美の2人は一切の会話をしなかった。
学校に来ると当然の事ながら別学年である日和とは別れる事になる。
しかし明美と俺は同じクラスだ。
だから俺はクラスから少し離れた所で待機した。
「……先、入れよ」
「あ、うん」
明美は小さく頷くと教室の中に入っていく。
それから少しだけ時間を置いて俺も教室の中にへと入っていった。
「おはよう柳」
「柳くんおはよー!」
「達郎おはよう!」
教室に入ると交友のあるクラスメイト達が声を掛けてくる。
「おはよう!」
それに片手を挙げて、笑顔で返していく。
自分の席に着くと割と次々と男子や女子が近づいて話しかけてくる。
内容はまちまちでそれらを無難に捌いていく。
日々の積み重ねの成果が表れたのか、今の俺はカーストで言えばヒエラルキーの最上位に位置する人種になっていた。
俺を中心にしてクラスが動いているといっても過言ではないだろう。……いや、過言かもしれん。
毎日やっている鍛錬に比べれば人間関係の掌握は簡単だった。前世での経験が大いに役立ったと言えるだろう。
運動ができ勉強ができ、適度に受け答えができ、相手が望んでいるであろう言葉を投げかける。
肉体はともかく、精神面に置いてはとっくに成人を迎えているのだから、円滑なコミュニケーションの構築などは朝飯前だ。
その恩恵としてでかいのは今も俺の手に巻いてあるテーピングだろう。
一応長袖を着るなどして目立たないようにしているが、それでもやはり目立つ。
そりゃそうだ。常に拳にテーピングしてる小学生なんて、あんまり見た事ない。
下手に目立つ奴は敬遠されるし、集団から弾かれるのが世の習わしだが、そうならないように立ち回った結果が今の状況を作っている訳だ。
ちょっと変な所があるけど、頼りになるクラスメイト……今はそれくらいの立ち位置で丁度いい。
「っと、そろそろ先生が来るから、席に着こうよ」
黒板の上に掛けられた時計に視線を移しながらそう呟くと、集まっていたクラスメイト達が蜘蛛の子を散らす様に自分の席にへと戻っていく。
それを見届けながら、俺も一限目の授業の準備をしながら先生が来るのを静かに待った。
小学校の授業というのは退屈だ。しかしそれでも俺は真面目に授業を受けていた。
先生が黒板にチョークを走らせるのを見て、それをノートに書き写していく。
習慣というのは本当に大事だ。退屈だからと真剣にしなければ、成長してもソレが癖づいてしまい勉強に身が入らなくなる。
だから小学生の内から勉強をするという事。授業を真面目に受けるという事を体に染みつかせるのだ。
「それじゃあ、今日はここまでにしようか。各自、宿題はきちんとやるように! 日直、号令をお願いします」
「起立! 礼! ありがとうございました!」
そして今日の授業も恙なく終わった。
特筆する事なんて何もない平穏な一日だった。
「……さて」
教科書や筆記用具をランドセルの中に仕舞ってから少しだけ思案する。
考える内容は今日の鍛錬の方法についてだ。
授業中に考えても良かったが。授業を受けているのに別の事を考えると言うのは集中力が散漫してしまうので極力考えないように心がけている。
そのために休み時間で大まかな鍛錬方法を考え、放課後に結論を出すようにしていた。
「柳ー今日暇かー? 一緒に遊ばない?」
比較的仲のいいクラスの男子が話しかけてくるが、この前一緒に遊んだ事があるので断る事にした。
「ごめん、今日は用事があるんだ。明後日なら空いてるんだけど」
「そっか、じゃあしょうがないな。明後日約束な!」
「うん、誘ってくれてありがとう」
鍛錬の時間が減るのは効率が悪い。だがクラスメイトとの関係を考えるとある程度の付き合いはあったほうがいい。
それに友達と遊ぶといっても精々が1時間か2時間そこらだ。
柳家に門限などは存在しないが、5時が門限だという感じでクラスメイト達には言い含めてある。
これに関して言えば日頃の行いの成果であり、クラスでの俺の立場の賜物だろう。
あまり付き合いがいい方ではないが、それでも比較的嫌われないように立ち振る舞っていく。
……さて、俺も帰るか。
考えが纏まってから俺は教室を出て行った。
どうやら俺が最後だったようだ。
家から学校までの距離はそれほど離れていない。
徒歩20分くらいだ。
俺が本気で走れば5分程度で行き来できる。
だから俺は走っていた。
途中で見慣れた後姿があったが、無視して抜き去っていく。
そのまま走って走って。無事に家に辿りつくとそのまま玄関の扉を開いて中に入っていく。
「ただいまー」
「おかえりー」
家の奥から母さんの返事が聞こえる。玄関に日和の靴があったから日和は既に帰ってきているのだろう。
そのまま階段を登って部屋に入ると、ランドセルを机の上に置き服を着替える。
そしてジャージに着替えると制服のシャツを洗面所の籠に放り込み、そのまますぐに外へと向かう。
「走り込みに行ってくるよ」
それだけ告げて返事の前に家を出ると俺は朝のジョギングで折り返した河川敷へと向かって走った。
河川敷に着いた俺は橋の下に向かっていく。河を跨ぐ巨大な橋の下には容易く侵入が出来ないように2m程の柵が設置されているのだが、助走をつけた状態で飛びつき、右足で柵を蹴りつけると同時に上へ跳躍する事で俺はあっさりと柵の中に入る事ができた。
原理としては壁蹴りに近いだろう。少なく見積もっても5m程度の高さの障害なら軽く乗り越える自信があった。
柵の中に入ると同時に軽い筋トレをこなしていく。
腹筋100回、背筋100回、スクワット100回、腕立て100回。
それらを手早く丁寧に効率よく消化する。最初は1時間ほどかけて熟していたのだが、今では半分の時間で終わらせる事ができるようになっていた。
5kmのジョギングと軽い筋トレで身体がいい具合に温まるのだ。
「ふぅーいい感じに火照ってきたなぁ」
軽く指の開閉を繰り返して調子を確かめる。
朝の鍛錬で皮が抉れていたのだが既に血は止まり、テーピングの上からで直接、目視していないが既に皮が張られている感覚がする。
壁を殴ってもいいが、あまり強く殴りすぎるとコンクリートに罅が入るので本気で殴る事は出来ない。
しかし本気で殴らなければ鍛錬にならない。そんな二律背反に悩みながらも出した答えがこれだ。
「ハッ!フッ!ハッ!」
型稽古。俺の中にある闘争技法を再現する。
生前の俺の動きを再現することなど不可能だ。
何故なら俺が目指すのは再現ではなく超える事なのだから。
だというのに未だに俺は過去の自分を超えられない。
過去の俺は闘いに明け暮れる毎日を送っていた。
幼少の頃より喧嘩をして、殺し合い同然の殴り合いをして……大人になってからもそうだった。
つまり……何が言いたいのかと言えば単純な話。
「……駄目だ。やっぱり、経験が足りないか」
そう、圧倒的なまでに経験が足りないのだ。今の俺は闘争は愚か殴り合いの喧嘩すら片手の指で数える程だ。
命の遣り取り染みた事ならば過去に1度だけあったが、それすらも経験と呼べるかどうかは微妙なもので、道場での練習試合ならそれなりに経験があるが所詮は練習、ある程度の指標にはなるがそれ止まりだ。
コンクリート製のブロックや樹木をいくら破壊させた所で所詮は動かない物体にすぎず、実際の戦闘を経験しなければ本当に強くなったのかは分からない。
「―誰か襲うか?」
なんとなしに呟いてみたが、よくよく考えると理に叶ってるのではないだろうか?
適度な戦闘経験があり強い奴がいい……道場に通っている高校生や大人が適していると思うが顏がバレているし、よしんば顔を隠した所で体格や癖を見抜かれればすぐにバレる。
そうなるとそれ以外、できれば後腐れのない相手が好ましい。
自分が通っている小学校にも体格のいい不良がいるが、論外だ。無論、向こうから襲ってきた場合は自分の力量を測るという意味合いを兼ねて受ける気ではいるが自分からわざわざ喧嘩を売ろうとは思えない。
流石にメリットよりもデメリットが大きすぎる。
「社会的不適合者……不良や暴走族なら、誰も気にも止めないか?」
一種のはみ出し者であれば怪我をしていても周りも気にしないだろう。
喧嘩や抗争をしていれば身体に痣を作るのは当たり前だろうし、そのような存在ならば日常茶飯事ではないだろうか?
ヤクザをターゲットにするには流石にリスクが高すぎる。天涯孤独であれば話は別だがもし正体がバレた際に家族に被害が及ぶのはできれば避けたい。
正体を隠す方法は全身に包帯を巻いてマスクでも被ればいいだろう。
時間帯も夜、それも深夜が好ましい。公園にそういった輩が屯しやすいのも分かっている、少し遠出して虱潰しに探すのがいいだろう。
人数は2人、もしくは3人程度までなら襲撃しやすい、一人だけの時を狙うのもいいだろう。
無論、その場合は向こうが戦闘体勢に入るまで待ち、それから事に及ぶのだが。
そこまで考えついた所で一旦頭を大きく振った。
「……いや、それじゃあ通り魔と変わらないだろ」
いくらなんでも馬鹿げている。自らの強さを誇示するために無関係の人間を襲うなんて、良識のある人間が取っていい行動な訳がない。
今の俺は前世のようなはみ出し者ではないのだ。
既に守りたい大事な人が居る状況でそんな方法を取るのは狂ってる。
俺がヘマをやらかしたせいで矛先が俺から逸れる可能性もあるのだから。
しばらく頭を冷やしてから家に帰るか……。
それから少し経って家に帰ると、いつもより遅くなったからか出迎えてくれた日和が凄く心配していて宥めるのに苦労した。
といっても日和の場合は心配というよりも構って貰えなかった事が嫌だったらしく、俺が行う日課の鍛錬を眺めている内にいつもの通りに戻っていた。