第六話
結婚。
アメリアにとって複雑な意味合いを持つ言葉である。貴族の子女として生まれたからには遠くない未来必ずするであろうとは思っていたものの、実はあまりポジティブに考えられないお題目だった。
もちろん淡い期待はあった。
TS異世界転生して、絶世の美貌を持って生まれたからにはきゃっきゃうふふの恋愛を楽しみたいとは思っていた。美少女美女は当然好きだし、イケメンにちやほやされるのも嫌な気はしない。結婚ともなると夜のことを考えて複雑な気持ちになるものの、不愉快極まるとまではかろうじていかない。ぐっと我慢すれば良いかな、ぐらいに考えていた。
だが、実際いざ始めてみるとかなり立場が邪魔して面倒くさい。平民たちは立場が理由で基本的にシャットアウトだし、同じ貴族だと身分差だけでなく派閥のパワーバランスがどうのと言う話が出てくる。自由恋愛は夢のまた夢。
アメリアの見栄えはとても良い。自分で絶世と豪語するそれである。
しかしながら彫像のような美しさとは少々違う。確かに容姿のそれは芸術の域ではあるが、幼い見た目に対してアンバランスな女性的な色気を持つ、なんというか犯罪的な意味での美しさなのだ。
十人いれば九人が振り返り、一人が前かがみになる。そしてアメリアに猛アタックをかけてくるのはその一人だ。上品とは言い難い声のかけ方をするものはあとを絶たない。
戦場において只人屈指の強さを誇るアメリアだが、曲りなりともお嬢様として振舞っている以上殴り飛ばすこともできず、子爵令嬢と言う半端な立場故軽々と追っ払うこともできない。加えてアメリアは自分は絶世の美少女だから惚れちゃうのも仕方がないしと変に許してしまうから歯止めがきかなくなる。守る専属騎士カナバルも大変だ。
一度欲望があまりにもあけすけなさる伯爵に迫られてちょっと泣いたこともある。
チート転生者であるアメリアだが、社交界では食い物にされる側なのだ。
話によれば、自分に戦技を教え込んだばあ様ことカッシーモ伯爵が裏で手を回さなければ自分は今頃宰相殿の愛人だったという。ちなみに宰相殿は今年で七十歳だ。
正直なことを言えば、結婚と口にしてくる男はアメリアにとっては恐怖の対象ですらあった。
最近はヴィリアム第二王子とお近づきになったおかげか、妙な話は回ってこなくなったが、代わりに嫉妬がものすごい。売女と罵られることは数知れず、戦場にいる時よりも強い憎悪を感じることも多々あった。おかしいなぁ私はむしろ女の子のほうが好きなのに…。
今までの経験を総評するに、オーク戦士ヴルドは蛮族であるにも関わらず、最も紳士的に求婚を告げてきた相手なのであった。
「(いやでも相手オークだし。只人じゃないし。いやそもそも敵だし。蛮族は殺せとばあ様からは習ったし実際異世界転生チートの私ががんばらなきゃ只人また滅ぶし)」
益体のない考えがぐるぐると回る。
なぜ蛮族風情にこれほどものを考えなければならないのか、はなはだ遺憾である。自分は異世界チート転生者であるぞ、控えろ控えろとアメリアは胸中で印籠を振り回した。
「――オ前、聞いてるのカ!?」
「いッてぇ!」
蝋燭の火が揺れる。
そこは薄暗い地下だった。
代官の館には地下室が存在している。食料の保管庫だったと記憶していたが、すでに食料はすべて運び出されたのか何もない。あるのは使い古された木の机ぐらいだ。
ほのかな蝋燭の火に照らされる人影は、アメリアを含めてすべて小柄だ。
緑色の小鬼、ゴブリンたちだ。手に手に凶器を握り、アメリアを凝視している。
その目は情欲に満ちている。手足を拘束され、首輪を嵌められた絶世の美少女はゴブリンたちの支配欲を刺激していた。
その中心には些か姿の異なるゴブリンがいる。
他のゴブリンより少々体が大きく、体つきも餓鬼じみたゴブリンにしてはがっしりとしている。特徴的なのはうっすらと身体に浮かぶ赤黒い文様だ。何かしら意味のありそうなそれは、アメリアは前世の知識はアステカに似ていると言っていた。
ただ他のゴブリンたちとの最大の違いは目に理性の色があることだった。今は激昂して怒りの色も多分に含んでいたが。
ヴルドというオーク戦士と共にいたゴブリンシャーマンだ。
「あぁ? なんだっけ? えーと」
「オ前が知っている敵の兵力ヲ話セ、首領のことモ、城壁の造りモ、全部話セ」
アメリアの頭を机に叩きつけ、ゴブリンシャーマンは鷲鼻がアメリアの顔に着くぐらい顔を近づけて尋ねてきた。雑な聞き方だ、ゴブリンらしいといえばゴブリンらしい。
アメリアは現在、尋問を受けている。
只人の言葉を解する蛮族が希少ゆえ、蛮族から尋問らしい尋問を受けた只人は珍しいと思うが。
「蛮族語はわからんなぁ? ぎゃぎゃぎゃ?」
「――っ!」
アメリアがあざ笑うようにゴブリンの声真似をすると再び机と額が激突し、頭の中で小さな火花が散る。
鼻の奥に刺すような痛みを感じる。つーと鼻血が垂れてきた。
蛮族が只人の尋問を行うことは珍しい。それは蛮人からすれば只人は食料か家畜かのどちらかであるというのもあるが、加えて知的な蛮族と言うのが極端に少ないというのもある。もちろん先ほど言ったように言語の壁の要素もある。
ただアメリアは言語を理解しているのがばれたのでこれが行われている。とんでもない絶叫を上げてしまったがゆえに駆けつけてきたゴブリンシャーマンにばれたのである。
我ながらアホではと思うが、急なことだったのだ、仕方がない。次から気を付けよう。
「舐めるなヨ、小娘。オ前、外ノ家畜ト混じってみるカ? オ前なら、二十ハ産めル。仲間モ喜ブ」
「――うぐっ」
嬲るような言葉を吐くゴブリンシャーマンに、周囲のゴブリンが同調するように下卑た声を上げる。首輪を力づくで引きずられ、床に叩きつけられた。
じゃらじゃらと鎖がなる。ゲラゲラと嗤う声が響く。
ただアメリアは、むしろのその野卑な言葉に妙な安心感を覚えていた。
「(…まぁ、蛮族ってのは本来的にこういうもんなわけで)」
無論のことだがアメリアは蛮族に嬲られたいわけではない。だが、敵と味方とは、只人と蛮族との関係はこうあるべきなのだ。好きだ嫌いだという関係の話ではない。
頭の中が冴えていくのを感じる。敵に対して情を持つべきではない。
敵意と情欲、悪感情の渦の真ん中でアメリアは顔を上げ、笑う。
「やってみろよクソ蛮族ども。どうせあとでぜんぶアメリアちゃんがぶっ殺すだけだ」
〇
尋問もさほど時間もかけずに終了した。
せいぜい二時間ほどだろうか。普通ならあのまま筆舌しがたい拷問を受けるはずだが、せいぜい殴られる程度であっさりと済んだ。青筋を浮かべるゴブリンシャーマンはアメリアの指の一本や二本ねじ切っても不思議ではなさそうな迫力を見せていたが、実行には至らず。端的に言ってぬるかった。
「単にあいつがおかしいんだよあいつが。ノーマルな蛮族はあんなもんだよ」
アメリアはあてがわれた天蓋付きのベッドの上で肘をつきながらうなるように言う。
オークの習慣は文献で読んだ程度しか知らないが、戦場で求婚するというのはさすがに殺し合い舐めすぎではなかろうか。
「(とはいえ都合は良いな、滅茶苦茶いい)」
他の只人とは異なり、アメリアの扱いがましを通り越してお姫様だった理由としてはわかりやすい。
オークの言うところの妻は文献によると個人の所有物らしい。際立った戦士であるヴルドの所有物に手を出そうという者はいないだろう。最悪過酷極まる奴隷達の中で魔力の回復に努めなければならなかったことを考えれば凄まじい幸運だ。
「(加えて上手いことあのオークについて回れば蛮族の中心人物を探ることだって出来る。わかったら即仕留めればこの戦争は勝ちだ)」
ヴルドは大族長の嫡子と言う。ついて回れば自ずと軍勢の中心人物を探れるだろう。
蛮族の軍勢の特性からすればそいつさえ討てば軍勢は瓦解する。
不意をみて仕留めてしまえばいい。外道の類の手であるが、割り切るべきだった。
「求婚すれば私がほだされるとでも思ったのか、ケッ」
窓の外を見る。暗く見にくいが、鎖に繋がれ、野ざらしでうずくまる只人が見えた。
どこから連れてきたのか。よその町から捉えてきたのか、それとも自分達の陽動が不十分で捕捉されてしまったテオの避難民か。
余りにも無残だった。無辜の凡人たちを守るのはチート転生者の役目である。今回ばかりは手段を選べない。ただ思う。
「(本当に売女みたい…)」
胸がずきりと痛む気がした。それが自身の尊厳が傷ついたことによる痛みなのか、それとも他の何かなのかはわからなかったが。
必要なのはとにかく時間だった。魔力の回復を待つ時間と、怪我が治るまでの時間。それまではヴルドとの関係を維持する必要がある。
アメリアは酷薄な笑みを浮かべて鼻で笑った。こういう時は親父殿ことエリナード子爵当主コルセが参考になる。形だけは相手が望むようにふるまってやるのだ。
孤軍奮闘は、慣れていた。
「さて、方針は決まったことだしどうしたものかな。まぁ順当に話合わせときゃいいんだよな。妻って言うからにはこう恋人みたいに…みたいに?」
アメリアは自分で口にして、首を傾げた。
転生して十四年。転生前を含めるならば三十年以上。膨大なはずの人生経験の中にそれはない。
――恋人ってどういうことするんですかね