困った話
俺は部屋の隅でイライラしながらタバコを吸っていた。別に少年自体にイライラしたわけではない、子供が自分から必要以上に謝るような境遇が想像できてイライラしたのだ。
年頃の子供にしては人の表情や機嫌を伺うようにして、子供の成長といってもさすがに早すぎる。まるで誰かを怒らせないように生きてきたようだ。
イライラを誰かにぶつけるのはあまり好きではない。だからこうして少年から離れ、隅でタバコを吸っているわけだが。
(どうしたもんか……)
子供なら家に帰りたいだの、親に会いたいだの言いだすもんだと思ったが。思ってた以上に面倒なことに首を突っ込んでしまったようだ。
少年が話していた、白い部屋というのはやはりあのコンテナの中のことだろう。つまり厳重に運ばれていた荷物は少年だったということだ。
少年の話を合わせれば……怖い男の人たちというのが車をひっくり返したということになる。
少年を殺すことが目的だったのか、それとも単に中身が金目のものと思ったのか。
とにかく誰かに車をひっくり返されたのは間違いないだろう。
問題はどうして少年が、あんな中に一人で居たかということだ。
凶悪な殺人鬼の移送ならばあれぐらい厳重になるだろうが。どう見ても普通の少年だ、体は細く言動からも危険性は全くないように見える。
一つ奇妙なことがあるとするなら、あの出血量で少年が死んでいないところか。幸運で済ませるには納得がいかない。
大人ですらあの出血量は死ぬだろう。現に俺はそういう人を見てきたし、そうしてきた。人間なんて呆気なく死ぬのだ。
だが、それを覆せる存在だとしたら?
少年がそういう存在だとしたら?
ぶっ飛んだ憶測だな。だがこの憶測が事実だとしたら、本当に厄介なことに首を突っ込んだことになる。
厳重な移送、変わった力を持つ少年。何かの施設から移動させている最中だったんじゃないかと予測される。
つまり、少年を探す人が出てくるわけだ。
ここでまたおかしなことは、少年はそこに帰りたいと言わないことである。帰ることが嫌だから帰りたいと言わないのだ。そこは子供の素直さが出たな。
(参ったな、帰りたいっていうなら喜んで捜索者を探すんだが)
タバコの煙を吐いて少年の方へと振り返る。俺がいった通り、少年は横になって休んでいるようだ。
「やっぱりエコーに聞いた方が早いなっ」
タバコを咥え、空いた左手を麻袋の中に突っ込む。そこから地図を取り出すと、赤いバツ印の位置を確認していた。移動する店の位置だ、ここを頼りに移動すればエコーに会えるだろう。
あいつは俺よりは情勢に詳しいはずだ。
そういう施設やら、移送の内容やらもしかしたら聞いているかもしれない。そういう情報を最優先で仕入れているから。
とにかく、少年の体力が戻り次第エコーに会うことが当面の目標になる。困ったな、子供とどう会話をした方がいいのか。何を食べるのか、わからない。
……これじゃ、ほぼ子育てじゃないか。
本当に困ったものだ。
だからといって困ったから、面倒だからと少年をこの荒野に放り投げる訳にもいかない。
そこまで落ちぶれてないか、と他人事のように感じてしまうが。
大人なら自身の命や選択に責任を持てるが、子供は違う。子供にそんな力があるわけない、自分のことを決めれるほどの判断力も行動力も。
力がないからこそ、大人の手で操られることだってあるのだ。それがとても胸糞悪くて、俺にとって到底受け入れられるものではない。
だからこそ人殺しをした手で少年を救おうとするのだろう。
自分の中にある矛盾がまたイライラと思考を難しくさせた。俺はギリギリまで吸っていたタバコを床に擦りつけて、火を消すと躊躇いもなく一本取り出して火をつけた。
***
少年の目が覚めたところで俺は声をかけた。体調を伺うと『大丈夫です』と小さな声で返してくる。
本当に大丈夫なのか? と不安になる返答だな。
顔色を見ていたが特に異変はないようだ。痛そうな顔もしていない、じゃあ大丈夫か。
少年の服は血だらけだが俺の代わりのシャツぐらいしか、いいかこれで。
「ありがとう、ございます」
大人サイズの半袖のシャツを受け取った少年は、おずおずと着替え始める。
血だらけのシャツは、どうしようか。ここに置いていってもいいが。後々誰かが見つけた時に面倒だな。
そんなことを考えながら、視界の端にちらりと見えた少年の体に自然と目がいった。
やはりあれだけの血が流れる傷がどこにもなかった。細く白い体には傷一つない、無傷だ。
それに気になることがもう一つ、本人からは見えない位置に何か。彼に気付かれないように観察する……それは首筋に刻印のように残されていて。
俺にはわからない言葉で何か……模様か文字か。ますますわからない、これもエコーに聞いた方が早いな。
「着替えました」
大人サイズのシャツを着た少年は、そう言って俺を見る。
半袖のお陰で袖が手元を邪魔しないが代わりに丈が長くて、シャツが腰の位置を通り越している。
まぁ血だらけのシャツよりはマシか。
「本当に帰りたい場所はないのか?」
これが最後の質問だった。ここで少年が帰りたいと言うのなら、その場所を探そうと俺も思っていた。
しかし少年の答えは。
「……帰っても。辛いだけだから」
そう言った。
俺は小さく、わかったと返して。少年と共に外に出ることにした。
「そういえば」
俺は思い出したように少年に尋ねた。
「名前は?」
「僕の名前ですか?」
少年は俺の問いかけにしばらく答えなかった。地上に出るまでの地下通路は暗く、俺の持っているライターの灯りが頼りになるが。
少年の表情が見えるほど明るいわけではない。きっと困った顔をして黙っているのかもしれない。
「僕は、『サンバン』って呼ばれています」
「サンバン?」
ずっと黙っているのも悪いと思ったのだろう、少年は小さく返してきた。だがその回答は変なものだった。
サンバン……それも呼ばれていますって。
要はそれって名前じゃないってことだよな。
普通、名前を尋ねられたら『〇〇といいます』と返すはずだが。呼ばれているということは、呼び方と名前とは別のはずだ。
「サンバン……変わった名前だな」
しかし、そこまで子供に突っ込むのも酷だろう。とりあえず、そうしておくことにした。少年は『……そうですね』と返して黙ってしまう。
これもエコーに聞いた方が早そうだな。つくづく、自分の知識の浅さが嫌になる。
「さて、これからのことなんだが。ちょっと知り合いに君のことを聞きたいんだ、そこまで付いてきてもらう。なに、とって食ったりしないさ」
「は、はい」
天板を押し上げて、辺りをみる。時刻は夕暮れ、徐々に視界が悪くなっていくが好都合だ。子供を抱えて明るい戦場を歩きたくないからな。
「あぁ、その前に」
少年に自分から離れるように言って、予備のライターオイルを取り出した。少年の血だらけのシャツをここで処分しておこう。
シャツにオイルをかけて地面に置く、導線のようにオイルを地面に垂らしたら。それに火をつけるようにライターで点火した。
オイルを伝って血だらけのシャツが燃え上がる。
……あまり大きな火を見ているのは得意ではない。自分の顔が焼けたことを思い出すから。
「さぁ行こうか」
俺の言葉に少年はゆっくり頷いて。俺の後を歩き始めた。