亡霊男の日常①
さて今日は何をしようか。体を起こして後頭部を掻く。大きく欠伸をしてベッドから降りた。
ボロボロのベッドを一瞥して、簡単に着替えを済ませると厳重に閉められた扉の鍵を解いた。
面倒だとは思わない、ここまでしないと安心できないのだ。ここは眠るためだけの場所だが、自分が人間である以上睡眠は切り離せない問題だ。
家というよりは、ここは動物の巣に近い。
とはいえ、毎朝毎朝こんなことをしているのは自分でも頭がおかしいと思ってしまう。
いや。そもそも、こんなところに住んでいる時点で正常ではないだろう。
ここは亡霊の住処。
暴かれてしまっては困るのだ。
階段を上がって、天板に手を伸ばした。天板がずれ、日光が差し込む。目を細めながら天板を押し上げた。
世界が狂っていても、天候は至って正常で。青い空のまま白い雲と、眩しい太陽が日常であると告げていた。
そこは荒野で、大きな岩場の中に埋もれるような場所だった。亡霊の隠れ家にはぴったりだろう。
乾いた風が黒いコートの袖を揺らした。
何もすることはないが、何もしないわけにもいかない。ため息を吐いて、いつもの場所に向かって歩き出した。
***
「昨日も来てなかった?」
「そうだな」
いつもの場所にあいつはいる。あいつからすれば、今日も俺が来たと思うだろう。お互いに変わったことがないと暇になるのだ。
「まぁいいや、そろそろ位置を変えようと思っていたから。ちょうどいいね」
白髪の三つ編みを弄りながら店主はそう言った。俺はその言葉に少し呆れた。
「そうか、また激戦になるのか。この辺は」
ため息を吐いて陳列棚を遠い目で見る。
よく飽きないもんだ、そんなに陣地取りが好きなものかね。そんなことを思いながらスナック菓子に手を伸ばして店主の前まで持っていった。
「昨日もこれ買ってなかった?」
「そうだったか、ついでにタバコもつけてくれよ」
「毎日そんなもんバッカリだと、体悪くするだろうに」
「まぁその時はその時だ」
店主はため息を吐いて、スナック菓子とタバコを俺の前に押しやった。店主の眼前に差し出したそれが物々交換になる。
「よくこんなの拾ってくるな。目が良い」
「見つけただけだよ」
指先に挟まれているのは、指輪だった。店主は指輪を受け取ってルーペを取り出した。
細目でニヤリと、口元を歪める。
「……これなら一カートン出して良いぞ」
机の下から紙に包まれた、大きな箱が出てくる。俺は静かにそれを受け取った。
「そんなに希少な物なのか、運がいいな」
食料よりもタバコの方が嬉しいと思うようになったのはいつからか。
こうやって物々交換をする店は、ちらほら見かける。その中でもここの店主とは少し長い付き合いになる。
指輪の裏を見つめながら店主は口を開いた。
「名前が彫ってあるな、持ち主は死んでるのかね」
「さぁね、俺はただ拾っただけだ」
「まぁ。どうでもいいんだけどねぇ、落とす奴が悪いし奪われる奴が悪いからな。金属なんて素材として売れるし、名前なんざ意味がない」
指輪は机の引き出しに入れる音を背に、俺はぼそりと呟いた。
「ゲスいな、お前」
「今更でしょ、戦場に義理も人情もないさ」
そんなことを言いながらお前は俺のことを助けたくせに。そう言いたくなかったが、静かに店の扉を閉めた。
そう、あの店主は俺の命を気まぐれで救った人物だった。そのせいもあって、少しだけ深い仲ではある。
……そうなった経緯はもう、あまり思い出せないが。
俺は大きな火傷を負って、地面に倒れていた。それを助けたのがあいつだった。顔の右側が焼け落ちて、視界が半分になったがこの体でも十分生きていけるわけで。
本人は言ったことはないが。その時に放っておいてくれればよかったのに、と言いたくなる時がある。
こんな世界で生きている意味がわからなくなる。とはいえ、自分で死にたいとは思えないのは……なぜなのだろうか。
「帰るか」