ほら、あの隙間。
私は、電車通学をしている。
『先生、私の成績で入れる所、プリーズ!』――なんて安直に受験した高校だけど、校風は割に自由だし、制服は可愛いし、入って良かったと思ってる。
それにね、
「おはよう。明日香ちゃん」
一つ年上の憧れの人、藤谷先輩も電車通学なのだ!
「あ、あ、お、おはようごじゃります!」
「今日も安定の挙動不審さだね」
くうぅっ……そちらは今日も無駄に顔がいいですねっ!
先輩とは同じ中学だったけれど、当時は接点が全くと言っていいほどなかった。
なにしろ先輩は、頭がいい、顔がいい、運動神経抜群――というハイスペック男子。当然、同級の女生徒達のガードも固かった。うっかり声でもかけようものなら、校舎裏に呼び出されるんじゃないかと友達とも話していた。
そんな人にある日突然『おはよう。中学一緒だった子だよね?』と声をかけられたのだ。
挙動不審は当然の結果だと思う。
「グッドモーニング。マイネーム イズ アスカ・サトー」
「なんで自己紹介!」
ツボにハマったらしい先輩は、それから毎朝声をかけてくる。
なんとなく一緒に駅まで歩くようになって、私が降りる二つ手前の駅で、先輩は『じゃあね』って言って降りて行く。
だけど――
そろそろ辛くなってきたな……
この間、街中で見ちゃったんだ。
先輩が同じ学校の女の子と二人っきりでいるところ。
美人さんだったな。
彼女かな。
家に帰ってから、バカみたいに涙が出た。
そうか。私、思ってたよりずっと先輩のこと大好きだったんだ。
それから間もなく、私は一本早い電車で学校に行くことにした。
もちろん先輩に会うこともない。
寂しくはあるけれど、そのうちきっと吹っ切れるだろう。
――そう思って二週間がたったある日。
「お帰り、明日香ちゃん」
学校帰りの駅に先輩がいた。
「ええっ! 藤谷先輩⁉ 何してるんですか、ここで」
「何って、明日香ちゃんと一緒に帰ろうと思って待ってたんだよ」
ホームのベンチに座って爽やかに言っちゃってくれてるけど、先輩の学校は二つ手前の駅じゃないですか⁉
「ずいぶん遅かったんだね。もう七時過ぎだ」
「あ、学祭の準備で」
「そうだったんだ。じゃ、朝も? ずっと見かけなかったけど?」
何だろう? 言い方は優しいけれど問い詰められているような……
「あ、あ、あ、朝もです。早い電車で」
「ふうん。そう」
あ……気まずい。何この空気。浮気して彼氏に問い詰められてるようじゃない。
先輩がベンチから立ち上がり、近づいて来た。
「ここ、無人駅だったんだね」
「そうなんですよ」
「一緒に帰る友達はいないの?」
「今日残ってた中には同じ方向の子はいなくて」
反対方向の電車に乗る友達が、少し離れたところからこっちをチラチラと見てる。
明日は質問攻めだな、これは。
「無人駅ってちょっと怖いよね。一人でいたら特に。誰もいないはずなのに視線を感じたりしない?」
「え、え、え、何で急にそんな怖い話めいたこと言うんですか? コワイからやめて下さいよ」
反対方面に行く電車が入って来た。
「俺さ、子供の頃は足下の隙間が気持ち悪かった」
「隙間?」
「ほら、あの隙間。ホームと電車の間って少し離れてるだろう?」
「ああ、確かに子供だとあの隙間は下に落ちそうな気がしますよね」
「そうだろ? 手が伸びてきて足首を引っ張られるのって、さすがにね」
ん?
「一週間くらい手形が残るしね」
はい?
「でもまあ、目が合うよりいいかな」
「あの、目って?」
「隙間から覗く目だよ。血走って気持ち悪いやつ」
見たことあるだろう?とばかりの表情で、先輩が私を見下ろす。
分かった。これはあれだ。
質の悪い冗談だ。
たぶん、先輩は私が意図的に避けてたのに気がついて、なぜか腹を立てたのだろう。
それにしても、わざわざ待ち伏せしてまで意地悪とか何なの⁉
私はちょっとムッとして、『見たことないんで』とそっぽを向いた。
「そうなんだ」
先輩は半分笑っているような声で言った。
「じゃあ、今見てごらんよ。ちょうど俺たちが乗る電車も来たし」
ベージュとグリーンの電車が目の前で停まった。
シューッという音と共にドアが開く。
お勤め帰り風の人達が何人か降りて来て、うちの学校の制服を着た人間が乗り込んで行く。
「ほら、あの隙間だからね。よく見るんだよ」
先輩はそう言って先に電車に乗った。
子供だまし。
その手に乗るか。絶対に下を見たりするもんか。
その時、足首にサワサワとする感触が走った。
思わず足元を見ると、白くて細長いモヤのようなものが私の足首のあたりを漂っている。
何だろうと目を凝らすと、モヤの向こうから二つの目が私を見ていた。
ホームと電車の間の、あの、隙間から。
血走った白目の中で、黒い目の玉がギョロリと動く。
悲鳴さえ出せずに固まっている私の手を、先輩がぐっと掴んて電車の中へと引き上げた。
ドアが閉まる直前、私の足首に絡みついていたモヤがヌルッと蠢くように離れて電車の外へと出て行った。
「見えた?」
先輩の言葉に、私は無言でコクンとうなずいた。
「家まで送ってほしい?」
私はさらに何度もうなずいた。
先輩はニイっとちょっと意地の悪い笑みを浮かべた。
「明日の帰りも迎えに来てあげるよ。その代わり、朝はいつもの電車に乗るんだよ。一緒に学校へ行こうね」
そうして、藤谷先輩は私の彼氏になった。
― 終 ―