称えよそれは美しい
「――――ゼェエエエアアアアアアンッ‼」
愚者の王は咆哮した。
その華奢な身体はぶるぶると震え怒りを表していた。目を見開き、呼吸を荒げ、濁りきったその瞳で我が主を睨み付ける。そこそこに整った顔を憤怒で酷く歪めている。なればこそ、配下の者たちは震えた。この教室の絶対権力者の怒りを恐れた。
「決闘だ、ヴィルモット」
踏み出すは蛮勇か。否、これは栄光への一歩である。
「二度も言うかッ‼ この俺にッ……アアアルフレイドの落ちこぼれがッ……‼ おま、えああああああもうッ‼ アルカーンだぞ俺はァッ‼ ゼアンお前があッ‼ 俺にィッ‼」
膨れすぎた怒りは言葉にも影響を与えた。狂ったようにその金の髪を掻き毟る様は滑稽、どれだけ愚かであろうと王であるのならば威厳を見せつけねばならない。その身に苦難はなかったのだろう。難儀したこともないのだろう。だから、知らないのだろう。
問おう、弱者諸君。
諸君は安定した今を焼き、その一歩を踏み出す勇気はあるだろうか。諸君にも苦難はあったろう、難儀したのだろう。その時、手を伸ばしただろうか。それでもと、手を伸ばしただろうか。今を焼き捨てる決死の覚悟で届かないが故に踏み出すその一歩。その一歩にどれだけの恐怖があるかを知っているだろうか。
ナナキは知っている。愛する母を失った日に踏み出した、あの日の一歩を忘れはしない。
――――証明してみせよう、我ら主従が。
弱者であるからこそ、その誇りは何よりも輝くのだと。それが尊いのだと、捨ててはならないものなのだと。証明が終わったその時に、今度は諸君が問うのだ。己が身に。
汝は人か、動物か。
「ふッ……ぐ、があああッ‼」
言葉すらままならない狂乱の王よ、その玉座を我が主に明け渡せ。
主はゆっくりと、凛とした佇まいのままナナキを見た。透き通るは蒼星石の瞳。穢れはない、恐れはない、在るものはただ一つ。その蒼には確かな誇りが在った。誇り高き我が主に一礼を。その御心のままに、ナナキは振舞おう。
あいにくと手袋はしていない。だからナナキはカチューシャを取った。これはナナキが主の従者である証。決闘の手形としては十分だろう。ナナキは敢えて、その手形をヴィルモット・アルカーンへとぶつけた。その顔が更に醜く歪む。
「あぁッ!?」
決闘を行うのは我ら従者、この行いは正しいものではない。それでいい。いつまで高見の見物をしているつもりだ、ヴィルモット・アルカーン。
これは反逆だ。さっさと降りてこい。
「ぶっ――――殺せええええッ‼」
王の感情は決壊した。王の従者たる彼女は静かに目を閉じ、その剣に手を掛けた。その佇まいに、今朝のような動揺はない。名も知らない騎士、ナナキは貴女に敬意を示そう。
我が主を見る。主は静かに頷いて、今、栄光の一歩を踏み出した。舞台はこの場ではない。狂乱の王よ、誇り高き騎士よ、この美しい茜空の下で決着を。
回天の時は来た。
◇
「ここでは危険ですヴィルモット様。もっと御下がりください」
「俺に指図するなああッ‼」
ただ激情振り撒く狂乱の王は美しい心を持った従者を足蹴にした。経緯を知る多くの観衆の前でその醜さを露呈する。固く握られているその拳、その手に握られているカチューシャはナナキのものだ。あまり粗末に扱われては困る。
「さっさとあいつをぶっ殺せええッ‼」
友が猛る。ありがとう、我が友イルヴェング=ナズグルよ。だけどこの場はどうかナナキに譲ってほしいのだ。祝日なのだ。今日、ナナキは主君を得た。今、ナナキはこの道に確信を持とうとしている。お母様が見た世界を知るために、どうかナナキに。
友は何も言わずに身を引いた。感謝する、友よ。空を見上げてみれば一面の赤。ナナキはそれを美しいと感じた。この赤は、ナナキを祝福してくれている。
振り返る。
我が主は堂々と地に在った。そうだ、胸を張って頂きたい。その表情、その振舞い、その姿は最早弱者にあらず。主は己のすべてをナナキに託した。
信は置かれた。あとは応えるのみ。
「……ッ」
剣を手にしたまま、彼女は動かない。そう、貴女は優秀だ。だからこそナナキは貴女を騎士と認める。
「何してんだよッ‼ さっさとあのメイドをぶっ殺せえッ‼ お前、それにお前も‼ 何見てんだよ‼ お前らもさっさとあのメイドをぶった斬れよッ‼ アルカーンだぞ俺はァッ‼」
あろうことか、ヴィルモット・アルカーンは第三者に指示を出した。なんと愚かなことか。決闘の場に加勢を送るなど。己の従者に信を置かずに愚弄するなど、恥を知れ。そして今その言葉に剣を抜いた家畜の群れよ。その手に握っているものは玩具ではない。
「ヴィ、ヴィルモット様……」
誇りを汚された彼女は諦めたように主の名を呼んだ。誇り高き騎士よ、その高潔はナナキが守ろう。
大地を踏み抜いた。
「うおおッ!?」
「ひッ!?」
激震は家畜の群れを止める。動物でもわかるだろう、この砕けた大地が何を意味するのか。誇りを持たぬ俗物が、このナナキに剣を向けることができるのなら向けてみよ。敢えて見せたのだ。これで誇り高き彼女と条件は同じ。さあ、この力を知ってナナキの前に立ってみよ。
「今剣を抜いた皆々様、どうぞ、一歩前へ」
ただし心せよ。その一歩は栄光の道に繋がるものではない。踏み出すというのならそれも良いだろう、その足が地に着く前に切り伏せよう。後退を選ぶのならば膝をついて剣を捨てよ。この舞台に立てるのは誇りのある者だけだ。誇りなき者は去れ。
声を発する者はなし。
否、ただ一人は吠えた。
「なんなんだよ……なんなんだよそいつはああッ‼ ゼアンお前、お前何連れてきたんだよおおおッ‼」
己が城の瓦解をしった王は吠える。最後の最後まで、その愚かさを見せつけた。さあ、終幕といこう誇り高き騎士よ。
「……ふぅ」
騎士はだらりと腕の力を抜き、空を仰いだ。茜の空を見上げ、騎士は再びその強さの宿った瞳でナナキを射抜く。そして――――
「オオオオオォォォ――――ッ‼」
その一歩を踏み出した。
世界は彼女を称賛しなければならない。主君に恵まれず、相手に恵まれず、それでも彼女は誇りを捨てることはなかった。彼女を称賛できる者は今この場にはいない。だからどうか、誰でもいい、ただの一人でもいい。どうか、どうか彼女に拍手を送って頂きたい。
ナナキにはそれができない。彼女の誇りに応えなければならない。
誇り高き騎士よ、貴女もまた栄光への一歩を踏み出した。この決闘を終えた貴女には苦難が待っているだろう。だけどナナキは同情しない。それは貴女の気高き誇りを汚す最低の行為だ。だからどうか、これから先に待つ苦境を乗り越えてきてほしい。
ナナキは貴女が再び私の前へ立つ日を待っている。貴方は強くなる。このナナキにも劣らない気高き誇りを宿している。その高潔に敬意を示し、ナナキは手向けを送る。この一閃は誇り高き主と誇り高き騎士へ送る万感の一閃。どうか受け取ってほしい。
両者に栄光在れ――――今ここに、天上の一撃を。
――――紫電一閃。
「――――」
「わあああああああッ!?」
人知を超えた雷の一閃は誇り高き騎士とその主を襲う。騎士は声もなく茜に散り、その主は無様に打ち転がった。
この一撃を我が主ゼアン・アルフレイドへの無礼、そして誇り高き騎士の高潔を汚したことへの報いとする。決着は成った。なればこそ気を失い倒れた騎士へと歩み、その身を抱えた。この尊い身は無様を晒していいものではない、すぐに治療を。
友よ、今一度その力を貸してほしい。
イルヴェング=ナズグルはすぐにその力を貸してくれた。ああ、誇り高き騎士よ。貴女は神にも認められた、どうか誇ってほしい。
今日は良き日だね、友よ。
友は私の言葉に頷いて――――ないね。どうしてさ、友よ。何が不満だったというのか。なに? 大事なもの? なんのことを――――ちょっと待った。
友の言葉にヴィルモット・アルカーンを見た。
……あれ、ナナキのカチューシャはどこへ?